第3話 増えた声
池の水面は、すぐに静けさを取り戻した。何事もなかったように、風だけが木々を揺らしている。
「……今、音したよね」
朱音が池を覗き込む。
「水の音」
「はい」
星蘭も頷いた。だが、水面は穏やかだった。魚の影も見えない。
朱音は腕を組む。
「やっぱ魚かな」
「この池にですか?」
「うん」
「水がかなり冷たいですよ」
星蘭はそう言いながら、しゃがみこんだ。そっと手を伸ばす。
指先が水面に触れる。
ひやりとした冷たさが、皮膚を通って伝わった。
「……冷たい」
思わず呟く。まるで井戸水のようだった。
そのとき。
「深いから」
小さな声が聞こえた。
星蘭が顔を上げる。
「……?」
朱音が首を傾げる。
「どうしたの?」
「今」
星蘭は周囲を見た。
「誰か、話しました?」
朱音はきょとんとする。
「私、何も言ってないよ」
風が吹く。白い花が揺れた。甘い匂いが、少し濃くなる。
星蘭は少し考えた。
「……気のせいですね」
「それ絶対さ」
朱音が笑う。
「怪談モード入ってるやつ」
星蘭も苦笑した。
二人は池の周りを少し歩いてみることにした。
白い花は、思ったより広い範囲に咲いている。
「これ、全部同じ花?」
朱音が言う。
「多分」
星蘭は花を観察していた。
「水辺の植物ですね」
「池に関係あるの?」
「かもしれません」
そのとき。
「昔からあるよ」
また声がした。
星蘭が振り向く。朱音も振り向く。
だが。誰もいない。
「……」
朱音が眉をひそめる。
「今の」
「はい」
「聞こえたよね」
星蘭は静かに頷いた。
「聞こえました」
二人は周囲を見る。木々。白い花。静かな池。誰もいない。
そのとき。
「ここ、昔からある池だから」
声がした。すぐ後ろから。
朱音が振り向いた。
「え?」
そこに。少女が立っていた。
星蘭たちと同じ制服。長い黒髪。透き通るような肌。そして、どこか静かな笑顔。
星蘭は少し驚いたように目を瞬く。
「真白?」
少女は小さく頷いた。
「うん」
「鈴木真白」
静かな声だった。
朱音はすぐに思い出したように言う。
「封縁乙女の、鈴木真白?」
真白は、ゆっくり頷いた。
朱音が不思議そうに言う。
「ここ、よく来るの?」
「うん」
真白は池を見た。
「ここ、落ち着くから」
そのとき。風がまた吹いた。白い花が揺れる。甘い匂いが広がる。
そして。池の水面には、三人の姿が映っていた。
星蘭。朱音。そして真白。
だが。水の奥の暗いところに。もう一つ。小さな影が、揺れていた。
まるで。水の底から。こちらを見ているように。




