第四話、深雪のような日常
雪人形作成とかいう新能力を獲得した僕は、大変上機嫌にリィムさんの家へと帰宅した。雪人形自体は家の前で倒れ伏した。リィムさんが微笑みながら家の前に立たせてくれていたのを見て、僕はとても幸せな気分になった。
それはさておき、霊力限界による疲労を気合で抑えて家の中に入る。
『ただいまー』
リィムさんよりも先に挨拶をし、後ろから聞こえてくる異世界言語の挨拶に"おかえりなさい"と返事をした。
家の中は薄暗く、人の気配はなかった。いつものことだ。
廊下を通りリビングへ行く。玄関に鍵の概念はない。朝は水人形がお見送りしてくれるし、夜は鍵を使っているところを見たことがないからだ。僕は勝手に魔力で反応するような何かが扉に仕込まれているのだろうと思っている。鍵っぽいの何も付いていないけど、ドアノブはあるからそうなのかなって。
リビングの明かりはお馴染みの魔法石仕様。
電気代わりに魔法石を燃料とし、机の上だったり壁に掛けられているステッキを向けると明かりが付く仕組みだ。意味がわからない。
明かりの色は暖色系から寒色系まで網羅され、日本の最新電球に近いものを感じる。僕の家のリビングもそうなっているんだよね。リモコンで変えられるんだ。ちなみに僕の部屋の明かりにそんな機能はない。
リィムさんは暖かい色の明かりを好むので、色合いは穏やかなオレンジ風味。真っ白より橙色っぽい方が好きなの、すごくわかってしまう。
明かりを付けるとリビングの壁際でお行儀よく並び、ぬいぐるみのようになっていた水人形たちが動き始めた。ふわふわ浮くのもいれば、ぺたぺた歩いてリィムさんの近くまでやって来るのもいる。
「ふふ、みんな、ただいま」
笑いかけると、水人形たちはそれぞれ手を振ったりぺこりと頭を下げたりと、ほんわかする光景が繰り広げられた。
水人形、マリテュールは水で形成されているのだから、誰も家にいなければただの水に戻るんじゃないかと、そんな疑問を持ったこともある。
答えをくれる人もいないので適当に推察を重ねて考えてみた。
結果、魔法石がなんやかんやして待機電力のような形でエネルギーを供給しているからマリテュールが水溜まりになったり水蒸気になって霧散したりはしないよ、という予測に至った。割と当たっているんじゃないかと思っている。
水人形が動き回り始め、リィムさんはリィムさんで仕事終わりのルーティンを開始する。暇なので僕は実況をしようと思う。たまにはね。こういうのもいいよね。暇だし。
『家に帰り着いたリィムさんは、リビングの電気を付けた後、上着だけ脱いですぐに洗面所へ向かう。鏡に映らない僕を背景に、魔法石から湧き出る水を操って顔を洗うのだ。日本だと専用のメイク落としが使われることも多いだろう。しかし、異世界は違う。こちらの世界では魔法による水で自動洗浄が可能なのだ。近くで見るとわかるが、微振動している水が肌に浸透し、化粧品や余分な油脂だけを落としてくれる。わざわざ専用の道具を使わなくとも化粧なんて簡単に落とせる。日本の女性諸氏が知ったら羨ましがること間違いなしである』
まあリィムさんしか知らないから世界基準がこれなのかは知らないんだけど。そこは言いっこなしで。
『化粧を落としたリィムさんは朝ぶりの幼さ混じりな素顔で水気を飛ばす。魔法、すごく、便利。手洗いうがいにメイク落としも済ませたところで、洗面所からリビングへ戻る。着替えはまだしない。先に行うのは料理だ。キッチンではマリテュールがせかせか動き回り、冷蔵庫(異世界式)から食材を取り出し並べていた』
水人形たちは食べ物を取り出したり食器を並べたりはできるけど、包丁を使ったり火を使ったりはできない。できる可能性もなくはないが、今のところ見たことはない。
『本日の食材は魚、野菜、調味料、米。どれも水の球体に包まれキッチンスペースに置かれている。この水の球体のおかげであらゆる食材が鮮度を保たれている。魔法の利便性を感じさせる光景の一つと言えよう』
「どうしようかしら。……いつも通り焼けばいいわね」
何事か呟くリィムさんの言葉は相変わらず理解できない。が、僕には彼女が何を言ったのかわかる。"炒め物でいいか"もしくは"焼けばいいか"の二択。稀に"全部スープにすればいいか"もあるが、基本的には焼くか炒めるかしかない。
リィムさんの料理には炒めるか焼くか以外の選択肢があまりにも少ないのだ。
『最初に手を付けたのは米(異世界産)。水球に入ったままの米を手で持って鍋に入れ、魔法式駆動のIHコンロの電源を入れる。これがリィムさん式炊飯である。お手軽過ぎて羨ましいが、よく考えれば僕も炊飯器ポチで終わるのでお手軽さでは負けていなかった。無洗米万歳』
夢の世界で過ごして色々な魔法を見てはきたが、やはり面白いのはこういった日常的な場面だと思う。洗濯とか料理とか。電化製品がない分、ふんだんに魔法を使っていて面白い。マジックショーでも見ている気分だ。いやショーどころか本物の魔法なんだけど。
『炊飯しつつ、水球から取り出した魚の切り身を油を引いたフライパンに入れる。ぱちぱちと弾ける油の音が心地いい。一方、コンロから離れたシンクの上宙空。水人形たちが野菜をちぎって水を切り、お皿に入れていた』
野菜は野菜だけど、中には海藻のようなものも混じっている。海に囲まれた街なだけはある。毎日魚や海藻の多い食事だ。
「ん、ちょっともらうわね」
『リィムさんから話しかけられたマリテュールは羨まし――じゃなくて、ぺこりと頭を下げた。リィムさんは微笑んで海藻野菜サラダを手に取る。焼いている魚をひっくり返し、そこに野菜たちを投入した。魚の焼き目が良い焦げ色をしていた』
良い匂いがする。謎魚に謎野菜だけど、やっぱり食べてみたくはある。見た目は本当に日本のものとそう変わらないんだよね。どんな味なんだろうか。
『魚にはサッと醤油のような調味料を垂らし、フライパンに蓋をして蒸し焼きにしながらサラダにも塩を振りかける。シンプルイズベスト。ドレッシングなど不要と言わんばかりな行動だった』
サラダに塩をかけるのってあんまり聞かないけど、どうなんだろう。僕も一度試しはした。美味しいは美味しいけど、醤油マヨネーズの方が良いと思ったね。ただ異世界の野菜、特に海藻っぽいのは塩が合うのかもしれない。海藻は海の野菜なわけだし。
『サラダ、焼き魚、米と続々完成していく料理たち。異常に炊飯が早く感じるのは僕だけだろうか。否、そんなことはない。事実早いのだ。理由はわからないが、きっと魔法のなんやかんやがあるのだろうと思っている。やっぱり魔法、すごく、便利』
最初から最後まで適当なことを喋りながら見ていたリィムさんのお料理は順当に終わった。盛り付けを終えた皿は水人形がテーブルまで持っていってくれる。僕も手伝いたいところだが、今の気分のポルターガイストだとただの邪魔にしかならないのでやめておいた。
「あらゆる世海の海に感謝します」
短くお祈りを捧げ、食事を始めた。
女性の食事風景を眺め続ける趣味はないので、彼女の近く上空を漂って天井に目をやる。
少し、考えることがあった。
リィムさんのご両親についてだ。
僕自身、会ったことはある。あるけれど、リィムさんと違って心の声は聞こえないし、接する時間も少ないせいでよく知らない。
帰ってくるのは主に週末。それも二週間に一回か、一週間に一回か。不定期で帰ってくるため正直いつ家に帰ってくるかすらわからない。三週間に一度――月に一度の時もあった。
さらに父親と母親がまたばらばらに帰ってくるので、リィムさん含めた三人で一緒にいる姿はほとんど見たことがない。
地球風に言えば、父親は軍人、母親は政治家、といったところか。
二人ともリィムさんにはちゃんと親として接しているから、家族仲が悪いわけじゃないのはわかる。ただ……。
『……リィムさん、寂しそうなんだよね』
独りごちる。
朝も夜も、いつも一人で食事をしているリィムさんは寂しげで。これが気のせいだったらよかったけれど、こうして一年以上(レメイラ的には半年)一緒にいれば、表情の一つや二つ読み取れる。読み取れてしまう。
普段から家族と食事をしている僕じゃこの人の思いはわからない。わからないけど、寂しいって気持ちだけは理解できる。
お父さんもお母さんも、意図してリィムさんを一人にしているわけじゃないはず。軍人と政治家なら、その職業ってだけでどれだけ忙しいのかはわかる。ましてや世界を股に掛けた仕事だ。そりゃ忙しいに決まってる。家に帰れないのもよくわかる。
いくら考えたって僕にどうにか出来る問題じゃなくて、もしも僕がこの夢の世界の住人であったとしても、できることはなかったかもしれない。
だから余計に、リィムさんのために何かできないかと探してしまう。
この人の寂しさをほんの少しでも紛らわせることができたらと、そう思ってしまうのだ。
『……はぁ』
溜め息を一つ吐き、ただ時間が過ぎるのを待つ。食器が立てる小さな音だけが部屋に響いていた。
それなりに時間が経ち、小さくお祈りの言葉が聞こえてきた。リィムさんの食後の祈りの声だった。ちらと彼女を見れば、目を閉じて短く祈りを捧げていた。お皿には何も残っていない。綺麗に完食だった。
食事を終えた後、片付けはマリテュールが行う。自分から率先して宙を飛んできて運ぶので、彼ら彼女らには家事妖精のような特性があるんじゃないかと密かに思っている。
リィムさん自身は歯磨きをしに洗面所へ向かう。
世界が変わろうとも変わらないところは多い。歯磨きもその一つだった。
歯ブラシは持ち手が青でブラシの部分は白と、僕も見覚えのある形状をしている。使う歯磨き粉も白で、見た目に違いはない。以前どこかで、歯磨き粉に使われるものとして海藻があると聞いた覚えがある。海藻だけでなく、貝殻も使えるとか。
そう考えたら、海の近い世界で歯磨き粉が一般的になっているのもおかしくはない。加工技術は……魔法か何かでしょ。たぶん。
少しだけ日本式と違うのは、ブラッシング後の口の濯ぎ方。水魔法で微振動させた水を口に含んでぶくぶくしているので、歯に付着した汚れが取れやすいのだと思う。僕もその魔法を使えるようになりたいと思う。無理かな。無理か。
口内ケアを終え、次はシャワーの時間だ。洗面所に通じる扉二つを閉め、着替えてお風呂に入る。僕はリビングへ避難した。
レメイラの浴室は日本とそう変わらない。違うところは蛇口やホースがない点だろうか。どちらも魔法石と魔法でカバーできるので、こちらの世界では必要ないものなのだ。
一年前、まだ思春期を迎えていなかった頃の僕は普通にリィムさんと一緒にお風呂にも入っていた。さすがにその頃から直視し続けるのは恥ずかしかった記憶があるので中途半端だが、水を操って立ったまま身体を水球で包み込み洗っていたような気がする。とても楽そうで当時から羨ましがっていたのをよく覚えている。
浴槽に溜める水も魔法で温めていたような……湯気が立っていたから温めていたと思う。今はもう確認する術がない。いつかリィムさんに直接、"お風呂一緒に入っていいですか?"と聞いてOKをもらえたら確認してみよう。そんな日が来るわけないだろうが。
リビングから通じるキッチンへ行くと、数人のマリテュールがお皿洗いをしていた。魔法石に触れ水を出し、出てきた水を自分の身体に混ぜ、今度は手の先からシャワーのように水を出して洗う。洗剤はちゃんと置いてあるのでそれを使っていた。
洗う子と、洗い終えたお皿から水気を取る子と、お皿を持ってしまいに行く子と。皿運びは二、三人でやっているので、計五人ほどがせかせかしていた。可愛い。
残りのマリテュールは宙を漂っていたり、くるくる躍っていたりする。躍っている子のうちの一人とポルターガイストを使って遊ぶ。
ゆらゆら、ふらふら。
ダンスと言えるような言えないような。そんな微妙な動きをしながらリビング上空をゆったり踊り歩いた。途中で他の水人形たちも参加してきたので、皆で躍って遊んだ。結構楽しかった。代わりに念力の使い過ぎで僕は動けなくなった。無念。
霊力もなくなり、身動きできず宙を漂う。
食器を洗う音は聞こえなくなり、代わりにお風呂場からリィムさんの鼻歌が微かに聞こえてくる。
穏やかな声色の歌だった。
優しい曲調に透き通った音色の歌はいつまでも聞いていたくなる。
目を閉じて、耳を澄ませて。
平和な時間に身を浸す。
お風呂に入っている間、リィムさんは毎日鼻歌を歌うわけではない。彼女の気分次第なので、聞けるときは聞けるし聞けない時は聞けない。
僕は結構、今の時間が好きだった。長風呂なリィムさんの声に耳を傾け、静かにぼんやりとする。心が落ち着く。気が休まる。心身ともに癒される。
ただただ何事もない穏やかな時間だけど。その穏やかさこそを僕は欲していた。
異世界らしさもない、興味惹かれることもない。でも安心できた。僕にとっての人生の安息地が、今この時間、この場所だった。
『……』
静かに息を吐き、身体に力が入るのを確認する。霊力はおおよそ元に戻ったようだ。
リィムさんの平日帰宅後ナイトルーティンはこれで終わり。後はお風呂から出てきて着替えて寝るだけだ。彼女に趣味はない。魔法の練習は手慰みにしていることも多いけれど、これ!という明確な趣味は一年一緒に過ごしてきて終ぞ見られなかった。
仕事に出て、帰ってきてご飯を食べて、お風呂に入って、寝る。
そんな生活を僕も五年、十年すればしているのかと思うと何だか虚しくなってくる。
別にリィムさんを馬鹿にしているわけじゃない。僕も趣味のあるなしを言えるような人間じゃないから。ただ……。
『……やめよう』
将来のことを考えるのなんて現実だけで十分だ。夢のことは夢のことを。気楽にいこう。今日ももう終わりなんだから。
考えを振り払って姿勢を正す。
お腹に力を入れ、胸を張り、顎を引く。これだけで少しは気持ちが切り替わった気がする。プラシーボ効果でもなんでも、実際気分の問題なのでこれでいい。
気づけばリィムさんの鼻歌は止んでいた。
そろそろお風呂から上がってくることだろう。
人差し指の先に念力を集中させ、ふわふわしている水人形と戯れながら思う。
お風呂上がり。
日本だと、お風呂上がりの女性は皆ドライヤーを使う。全員じゃないにしても結構な人が使っているはずだ。近頃は男性の多くも使っていると聞く。ちなみに僕は使っていない。
対してこちら異世界レメイラ。ドライヤーなんてものは存在せず、髪の乾燥は魔法で一瞬。ヘアケアが捗りそうな世界だ。まあ僕はヘアケアなんてしたことないけど。
と、くるりくるりと指先でマリテュールを空中大回転させていたら、ドアが開く音が聞こえてきた。
楽しそうにしがみついてくる水人形を振り落とすのも忍びないので、そのまま遊ばせ続ける。もし水人形たちが声を発せられたのなら、きっと今かなりの勢いでわーきゃー言っていたことだろう。ジェットコースター並みのアトラクションだ。
指をフリフリしている間に軽い足音が聞こえ、見慣れた美人さんがやってくる。
リビングに帰ってきたリィムさんは寝間着に着替えていた。白金色の髪が昼間よりもしっとりしていて、まさにお風呂上がりといった風体だった。しかし、彼女の髪は水で湿っているわけじゃない。この人はヘアミルクのようなものを使い日々髪のお手入れを欠かさず行っているのである……あぁ、そっか。だからリィムさんいい匂いするのかな。……どうなんだろう。いや考えるのやめておこう。匂いの考察とか変態幽霊みたいだし、僕。
リィムさんの寝間着は丈の長い緩い半袖シャツ一枚だった。
相変わらず季節もへったくれもない服装に苦笑してしまう。手とか足とか、普段が普段だから結構露出が多くて目に毒だ。ただまあ、この人は去年も似たような格好だったのでさすがに僕も慣れた。コツは意識しないこと。リィムさんの美髪と顔だけを見ていれば気にならない。
触覚がないので気温はわからないけれど、彼女の服装を見る限り家の中は温度調節がされていると思われる。
僕がぼんやり眺めている間にも、リィムさんは軽く伸びをしてさっさと自分の部屋へ戻ろうとする。それを見てマリテュールたちが手を振ったり頭を下げたりとした。僕と遊んでいたマリテュールもいつの間にか指先からいなくなっていた。どうやら僕は一人で指を振り回していたらしい。悲しい。
「また明日ね。おやすみなさい」
リィムさんは緩く微笑んで、挨拶だろう言葉を口にする。
彼女が部屋の電気を消すと同時に、ふわふわと漂う水人形全員が壁際の定位置に戻っていく。僕も部屋を出て、エレベーターに乗るリィムさんを追う。
部屋に着き、ベッドに倒れ込むと同時にふわりと広がる白金色。
下ろされた髪がしゃなりと広がって綺麗だった。
「……はぁぁ」
深く息を吐いて、うつ伏せから仰向けになって天井を見つめている。
『リィムさん。お疲れ様です』
これが一切聞こえていないとわかっていても、こうして労いの言葉をかけるのは間違っていないはず。
この人が疲れているのは真実で、僕がこの人を労ってあげたいと思ったことも真実で。一日頑張って疲れた人を労うことくらい、ただ見ているだけだった僕にも許されるはずだから。
電気を消して静かな部屋でひっそりと目を閉じるリィムさんへ、僕はもう一度声をかけた。
『――お疲れ様です。リィムさん、おやすみなさい』
雪の日の一日が終わる。また新しい、雪の日が始まる。




