第十話、少年と私と神様。
宇美花神社の境内に神秘的な光が満ちる。
それは、闇夜を照らす太陽のようで。神々しいまでの輝きを纏い、黄金の煌めきを散らして静かに佇んでいた。
その身に神を降ろした桔葉さんの面影は薄れ、全身から誰もを跪かせるような力を放っていた。髪の毛は金色混じりの青、瞳は黄金の中に色とりどりの、虹のように数え切れない色が躍っている。
力の波動は桔葉さんの近くにいた影法師たちに膝を突かせ、拝殿の前にいた甚伍をもまた地に伏せさせていた。そして例外はなく、私にもまた同様の圧を加えてくる。
『――っ』
この世海に来て初めてだった。私を認識し、私に干渉する存在。これが神か。これが本物か。逆らう気力どころか、畏敬の念すら湧いてくるほどの光の波濤だった。
じっと桔葉さんと、桔葉さんの身に宿った宇美花様を見つめる。
目を開き、茫洋とした眼差しでどこかを見つめている。
五分か、十分か。きっと一分にも満たない時間だっただろうけど、私にはとてつもなく長い時間に感じられた。
ふわりと地面に降り立った桔葉さん――宇美花様は、神威を弱めて身に纏う光をその身に留めた。周囲に広がる力の波動がなくなり、私たちを襲う圧も消える。
身を起こし、宇美花様を視界に収めながら甚伍へ意識を戻す。
少年は先ほどの呆けた様子から元に戻り、難しい顔で降臨した神様を見つめていた。私と同じく立ち上がり、何も言わずにじっと正面を見据えている。
ひとまずと安心し、声をかけようかと迷ったところで。
【――なるほど】
脳に直接言葉を伝えるような、甚伍との思念のやり取りとはまた違う、はっきりとした言葉の羅列が私に届く。ううん、私だけじゃない。甚伍も、他の人も。この場にいる全員に声が届いていた。
【これは珍妙なことをしたものだ。私を呼び出すだけでなく、まさか中途半端に儀を執り行うとはな】
中途半端、という言葉にもしかして、と思う。
私と甚伍の祈りが宇美花様の善神面を呼んで、影法師たちの目的であった悪神面も呼ばれて、混ざり合って今の宇美花様になったんじゃないかって。
【――幾人かは分かっているようだな。そう、お前たちの思う通りだ。私は宇美花。善でも悪でもない、縁を司るだけの神だ】
私の心を読んだのと、たぶん甚伍の心も読んだのと。他にも同じ考えに至った人は何人かいるはず。影法師たちとかね。
ここで何か言おうにも私から言えることはないので、無言で流れを見守る。私の予想だと。
「神よ!!なればこそ、我らの願いが伝わってはいないか!!」
ほらね。やっぱり動いた。
思った通り、影法師が動いた。甚伍予想で自身の縁切りが目的だった妖怪なのだから、ここで願いを告げるのは当然。儀式を始めたのは影法師だし、供物(霊力)の用意も依代の用意も全部あっちが済ませたんだもの。それが私たち目線ひどいことだったとしても、悪神としての神を呼び出すなら問題ないはず。
宇美花様自身から"中途半端"と聞けた時点で、動かない理由がない。
【理解している。お前たちの願い、確かに聞き届けた】
「「「おおおっ」」」
揃って感嘆の声を漏らす影法師たち。トーンは違えど全員同じ声だから変な感じ。気味悪い感覚がある。やっぱり怪異は怪異ね、あれ。
「ならば願いを聞き届けてくださるのですね!!」
いつの間にかこの場に集結していた数十人の影法師たちのうち、一人が声を上げる。
対して宇美花様は、じっと影の妖怪たちを見回した。ゆっくりと頷き、厳かに言葉を広げる。
【――故に、試練を与えよう】
神様の言葉と同時に影法師たちが光に包まれる。煌めく白い光は影と混ざることなく、包み込み、浸透するように収まっていく。
【願いのために私を呼ぶ、それは良いだろう。神の性質を理解し、一側面を降ろそうと考えたのも良いものだった。しかし、私は神だ】
それに気づいて、私は目を見開くはめになった。
宇美花様が話している途中で、光に包まれた影法師たちが地面に倒れていく。問題はその後だった。
『消えてる……?』
「……何が起こってるんだ」
呟く甚伍をちらと見て、困惑の表情から彼も現状を理解していないと察する。
いくら怪異に詳しくなったとはいえ、こんな現象は知らないみたい。
【神に祈り、願い、望み、縋る。神を自らの支えとするのは良い。神を自らの拠り所とするのも良い。だが、神に応えてもらおうとするのは間違っている。神は祈りを聞き届けるだけ。――それだけのものであるべきなのだ】
倒れた影法師たちは、白光が薄れ散っていくのに連れて消えていく。空気に溶け込むように、薄れて透けて、小さくなって。後には何も残らない。どこかへ行ったのか、本当に消えてしまったのか。わからないけど、影法師たちの意図したことじゃないのは確かだと思う。
【しかし儀式により降りたからには、願いには、祈りには応えよう。ただし願いであるのならば、自らの力で掴み取ってもらおうか。――残念だが、お前たちには超えられなかったようだな】
そうして、影法師は一人を残して全員が消えていなくなった。
残った一人は、もしかすれば分身前の一人、オリジナルなのかもしれない。
「俺は、私は、我は。…………何なんだ…………」
何が起こったのかよくわからないけれど、たくさんいた影法師が一人だけになって地面に倒れちゃった。気絶してるみたい。
『ねえ甚伍、あの影法師、何て言ったの?』
神様からの圧力もなくなり、聞いた感じやっぱり善神と悪神の中間っぽいから安心して気が抜けた。妖怪の喋っている日本語はいつも通り理解できないので、甚伍に聞いてみる。
(……たぶん、記憶喪失)
『……どういうこと?』
意味がわからなかった。
記憶喪失って、何?
(僕にもわからないよ。でも宇美花様の言っていた"試練"を受けた結果、影法師たちがいなくなって残った一人も記憶も失ったってことなんだと思う。古来より人の祈りに応える神はその人間に試練を授けると言うから。試練を踏破した先に得られる豊穣とか繁栄がよく書物にはあったし。もちろん、その反対も)
『……そう』
結果、記憶喪失か。
どうなのかしらね。神降ろしをして、何を願ったのかはもう影法師たちにしかわからないけれど、何もかも忘れて空っぽになって。願いすら失った彼らにとって、これが良かったのか悪かったのか。
【さて、私に祈りを捧げた者は他にもいたな】
「っ」
『っ」
色彩豊かな黄金の瞳に射竦められ、びくりと肩が跳ねる。
急に視線を向けられても困るわ。全然心の準備ができてなかった。甚伍の方は……私と同じね。すごい動揺してる。
『宇美花様、私たちです』
【あぁ知っている。真摯な願い、純粋で混じり気のない、温もりさえ感じられる人間らしい願いだった】
え、なに?私今、神様に褒められてる?宇美花様、さっきよりちょっぴり優しい顔してるわよね?
『甚伍甚伍。宇美花様、私たちのこと褒めてくれた?』
(守護霊さん!ここでそれを僕に聞く!?)
『だって褒めてくれた感じだったでしょう?』
(いやまあそうだけどさ。……褒めてくれたのかな)
ほら甚伍も気になってる。
【あぁ褒めたぞ。久方ぶりに人間による大それた願いを、真っ直ぐだからこそ抱ける途方もない願いを聞けた。本来の私であれば、儀式と祈りのみで十二分に叶えるに値するものではあったな】
照れる。ちらっと横を見たら甚伍も照れてた。可愛い。
なんだかんだ、やっぱり宇美花様、良い神様ね。
【私は縁を結ぶ神だ。故に互いに強き縁を求める者を無下にすることはせぬ。それがどこの世界の誰であろうとな】
また肩を跳ねさせるはめになった。
なんとなく予想はしてたけど、この人やっぱり私のことわかってるわね。見えてる時点でそうなのかなぁとは思ってたけれど……言われるとそれはそれで心臓が少しドキドキする。夢なのに夢じゃない。現実なのよね、ここ。
「あの、一つ聞いてもいいでしょうか」
【許す。手短に言うがよい。――あぁ、お前の守護霊にも通じるよう経路を開いておこう】
「え?あ、ありがとうございます」
『え、なにこれ。甚伍の言ってることわかるわ。すごい。本当にすごいっ。宇美花様、ありがとうございます!』
「……僕の守護霊が軽くてすみません」
【ふっ、構わん。それよりも人の子よ。私に何を聞く】
申し訳なさそうにして謝る甚伍と、ほんのり口元を緩める宇美花様と、頭お花畑な私。
なんか私の方が甚伍よりお姉さんなのに、中身は子供っぽいみたい。本当は中身も大人なのよ?ちゃんと会話も聞こえて嬉しいからなんでもいいけど。
「さっきの影法師たちはどうなったのでしょうか?」
【あぁ、先の妖か。何故お前が気にする、人の子よ。お前たちの祈りがなければ、私は宇美花の民にとって大きな災禍となっていただろう。元凶である妖を、宇美花に住むお前が気にするのか?】
すべてを暴き出してしまいそうな瞳の前で、甚伍は一度目をつむる。
「僕は……」
言葉を止め、閉じていた目を開いた。海色の瞳が宇美花様の光を浴びて、朝焼けが映る水面のような美しさをを湛えていた。
綺麗で、綺麗で。綺麗過ぎて。私はもう、少年の瞳から目を離せなくなっていた。
「確かに僕はこの町の住人です。宇美花様の言う通り、元凶はあの妖怪でしょう。でも……それでも僕は、自分のことすらわからなくなってしまった人のことを見捨てて放っておくことなんてできない。したくないです」
【例えそれが身勝手な者の末路だとしてもか?】
「はい」
はっきりと言い切る甚伍は胸を張っていて、迷いなど一切感じさせない堂々とした姿だった。
私の取り憑き相手がいつの間にか大きく成長していて嬉しい。神様のおかげか瞳の色もいつもの数割増しに綺麗だし。心が浄化されるわ。幽霊だけど浄化される。
【ふ……。そうか。なら良い。人の子よ。妖――お前の言い方では影法師か。影法師たちに課したのは自己を見つめる試練だ。自らの縁を切り、独立した存在として確立するには最もわかりやすい試練であった。残念ながら影法師には荷が重かったようだがな。人格が混じり自我が崩壊したようだ。お前の言う記憶喪失というのもあながち間違いではない。崩壊した人格は元に戻らん】
「助ける方法はありますか?」
【次に影法師が目を覚ました時、奴に"己"を与えてやれば良い。名を与え、居場所を与え、自分と言うものが何なのか教え込むのだ。さすれば消滅は免れるだろう】
「そう、ですか……。わかりました。ありがとうございます」
【構わん】
結構大変な話だったわね。甚伍のこと見ながら聞いてたけど、思ったより影法師たちは悲惨な目に遭ってたみたい。自分から招いた結果だから同情はしないけど、甚伍が助けようとするなら手伝いはする。私、この子の守護霊だし。
【しかしお前たち、よく見ればおかしな縁が紡がれているな。まるで他にも――あぁ、そうか。そういうことか】
「な、なんですか?僕と守護霊さんに何かおかしなところでも?」
『他にってどういうことですか?というかおかしな縁っていったい?』
何やら私たちをしげしげと見つめて、一人で呟いて一人で納得してしまった宇美花様。
【なんでもない。今のお前たちが気にしても仕方のないことだ。それよりも、だ】
私たちの疑問を軽く聞き流し、目をつむり、もう一度開いた黄金の瞳で私たちをしっかりと捉えて言う。
【――さあ、本題に入ろう。私に祈りを捧げた定命の者たちよ】
ピンと糸を張ったかのように空気に緊張が走る。私も少年をちら見するのを止めて神様へと目を向ける。
自然体で立っているだけなのに、さっきとはずいぶんと雰囲気が変わった。神様らしい、荘厳な空気感。
【現世に降りたからには願いを叶えねばならん。私はそのために呼ばれたのだ。故に、お前たちの願いを叶えよう。縁を強く、ありとあらゆる壁を、世界すらも乗り越えられる堅く強き縁だったな】
「はい」
『はい』
静かに、宇美花様の声が胸の内に染み渡る。
私は望んだ。甚伍も望んだ。強い縁を。世海を隔てる壁を越えて通じた、この小さな縁の糸を強く太くしてほしいって。
そこには一点の曇りもなく、どんな試練であっても乗り越えられるという心持ちでいる。影法師の話を聞いた後であっても断言できるほどの願いだった。
【――ならば、試練を与えよう。縁結びの神として、私が、宇美花が試練を下す。只人にしては大き過ぎる途方もない願いではあるが、私は縁結びの神。長大な縁を求める者にこそ与えるべきものであろう。受け取るが良い。人の子よ】
ふわり、と。
宇美花様から拳大の光の玉が二つ贈られる。ゆっくりと宙を漂い、私と甚伍、それぞれの胸に吸い込まれていった。
何かが私の中に広がる感覚がある。不快感はない。温かくて、柔らかい何かに包まれているような、少し懐かしいような。そんな気分になる。
変わったことはあるかと思っても、特に何もない。この世海での記憶もそのままで、私の世海での記憶もそのまま。欠落もなければ甚伍が見えなくなったりとかもない。おかしなことは何もなかった。
『もう試練は始まっているのでしょうか、これ?』
【あぁ。お前たちに試練は与えた。あとはお前たち次第だ。より強き縁を求めるには、それ相応の想いが必要となる。定命の者として生あるうちにどれほどの縁を紡ぎ結べるか、私は見ているとしよう】
小さく微笑む宇美花様の表情が眩し過ぎて真っ直ぐ見ていられない。
比喩表現じゃなくて、ちゃんと後光が差してすっごく眩しいの。
『甚伍、何か変わったことある?』
「ううん。全然」
『私のこと見える?』
「まったく。というか守護霊さん僕の隣にいたんだね。めちゃくちゃ近い位置にいたじゃん」
『……ま、まあそういうこともあるわよ』
変なところだけ気にするわね、この子。
とりあえず甚伍の方も何にも変わってないみたい。試練がどんな代物なのかは、今後少しずつわかっていければいいと思う。宇美花様の話だと、きっとそういう代物だから。
ちらと神様を見たら、小さく頷いていた。私の考え通りらしい。
【――ふむ、そろそろか】
呟いた宇美花様の身体からは、きらきらと光の粒子が漏れ出してきていた。
「宇美花様……。お帰りになられるのですね」
【ああ。察しが良いな、人の子よ】
神様にまで察しの良さを褒められちゃった子、私の取り憑き相手なのよね、これが。
【元々今回の降ろしの儀は不完全な形だったのだ。器となった人の子が私に縁深かったから故ここまで話せていた。お前たち、器の子を頼むぞ。曲がりなりにも神である私を宿し、見えるものも増えたことだろう】
「はい、任せてください。縁結び、ありがとうございました」
『私からも。私と甚伍の縁を強く結んでくれてありがとうございました!』
まだ実感ないけど神様パワーは感じたから。それに、とっても良い神様だったもの。
【ふ、礼は良い。お前たちの祈りと願いだけで私には十分だ。ではな、人の子よ。また縁があれば出逢うこともあるだろう。お前たちの目には映らぬ縁も、数え切れぬほどに繋がっていることを忘れず生きよ。定命の生を、人らしく、儚く眩く生きるが良い】
「はい!ありがとうございました!!宇美花様!またいつかお会いしましょう!!」
『精一杯生きます。私も、甚伍も。宇美花様、ありがとうございました』
淡い光が舞い、神気のような眩しい力の気配が薄れていく。
宇美花様の――桔葉さんの身体が元に戻って行く。目の色も、髪の色も。
【――異界の人の子よ。此度は素晴らしい邂逅であった。やはり人は良いものだと、そう思わせるほどの真摯な願いであった。"――――"よ。数奇な生を送っている定命の者よ。お前と"石海甚伍"の祈りに応え、一つ助言を贈ろう。お前が石海甚伍を常に見守っているように、石海甚伍もまた、常にお前を見守っているぞ。ではな。お前たち人の子の生に祝福あれ】
私が何かを言う前に、宇美花様は桔葉さんの身体を離れて宙に浮かぶ。
その身体は半透明で、淡い光で構成されていて、虹が躍る黄金の瞳に、海色が差した豊かな黄金の髪を持っていた。長い髪はふわふわと揺れ、民族衣装のようなゆったりとした衣服が端から粒子になって消えていく。
当たり前のように私の本名を告げてきたことへの衝撃で言葉を失っていたら、急に甲高い音が聞こえてきた。キィィィンと、バリアを割り砕いた時のような、結界を破壊した時のような音。その後すぐに、どんどんと聞こえてくる声の嵐。
「宇美花様ぁぁぁぁああああ!!!!」
「お、おおおおおお!!」
「あ、あぁあああ、神様……っぅううあぁぁ!」
「宇美花様が!宇美花様がいらっしゃっているっっっ!!」
「神よ!どうかこれからも我らを見守り続けてくだされ!!」
「あぁ宇美花様。――――ありがとうございます」
騒がしいほどの声が響き渡り、声を聞き、姿を見て、宇美花様は端から光となりながらも微笑んだ。
【あぁ、私はいつでもお前たちを見守っている――――】
この場の全員に届くような声が聞こえてきてすぐ、神様は光の残滓を置いて空のどこかへ散っていった。
最後に残した宇美花様の声は、それはもう優しさがいっぱいに詰まっていて。これ以上ないほどに、私の思い描く神様そのものだった。




