第十一話、夏祭りと怪異と後日談①
翌日になって。夜。
夏の暑さが幾らか弱まった時刻。夜の薄闇を提灯の明かりが照らし、お祭りの喧騒が広く長く続く通りを包み込んでいた。
「おーうおう!石海の少年!!こっちだ!」
「ああ!そっちでしたか!今行きます!!」
名前を呼ばれて小走りに行く少年。黒い髪に、青く深く澄んだ瞳を持った私の取り憑き相手、石海甚伍。まだまだ子供っぽさの強い中学三年生。
少年の近くをふよふよと漂いながら、私は一人、向かう先に佇む妖怪を眺める。
見た目は人に似ているけれど、身体は紙のように薄い。甚伍から聞いた話だと、"紙男"と呼ばれるシンプルな妖怪だった。特に人に悪さをしたことはないらしく、紙に刻まれた祈りから生まれた妖怪だとか。生まれは宇美花、育ちも宇美花。だから宇美花様を信仰している、という話だった。
「昨日は詳しい場所を聞いていませんでしたが、どこにあるんですか?その集会所?というのは」
「おーう。そうだなぁー。宇美花神社の近くにある公園ってわかるか?」
「はい。あぁ、もしかしてあの公園の?」
「おう。そうさ。公園のでっかい木の下で毎年祭祀を開いてたんだ」
「なるほど」
親し気に喋りながら歩く二人を見ていると、昨日のことがふわふわと脳裏に甦ってくる。
影法師たちによって引き起こされた神降ろしの儀。通称、宇美花様降臨事件(私命名)。この事件から一晩経ち、その間色々なことがあった。
まず、目の前で甚伍と話している妖怪。この妖怪との縁が最初にある。
宇美花様が現世から去り、何故か大挙してやってきた妖怪たちの中に紙男もいた。というより、代表して私たち(主に甚伍)と話したのが紙男だった。
彼らにとっての信仰対象である宇美花様と話していた甚伍に、何をしていたか!とすごい剣幕で寄ってきた妖怪を制して冷静に物事を進めたのがこの紙妖怪。見た目によらず妖としての立場は上らしい。
甚伍が事の経緯を話すと、今度は倒れていた影法師に妖怪たちの矛先が向かった。それをやめて!と防ぐ甚伍と、甚伍が危険に巻き込まれそうでやめて!と叫ぶ私と。なかなか危なっかしい状況だったけれど、冷静な妖怪もそれなりにいたので結構すんなりその場は収まった。
今度は私たちの方から質問をさせてもらって、そもそもあなたたち誰なの?という疑問が解けた。
紙男含め、宇美花様を祀る妖怪たちは毎年この時期、夏祭りの日に"結びの会"とかいう行事を執り行っていたそう。別の妖怪の推測になるけど、その"結びの会"に乗じて影法師は神降ろしを行ったんじゃないかって。
もちろん霊力や人の血、依代が必要だったにしても、長年続く"結びの会"の形をそのまま奪い取ることで神様へ繋がる道を大きくしたんじゃないかとか何とか。真実はもう記憶も何もない影法師にはわからないけれど、納得のいく話ではあった。影法師が数人外に出ていった理由にもなるし、神社に向かってくる妖怪たちを妨害していたと考えれば当時の状況が見えてくる。
それで神降ろしについての話は終わり、互いの確認も一段落つき。
話は影法師と桔葉さんに移った。
影法師がどういった状況なのか神様から言われたことも伝えたので、妖怪側も哀れみだったり同情だったり見下しだったりと、とりあえず怒りはなくなった様子だった。今後どうするかは妖怪たちで話し合いが行われ、桔葉さんに決めてもらえばいいんじゃないか、という結論になった。
正直意味わかんなかったけど、宇美花様を身に宿した桔葉さんは一種の巫女になってしまったらしい。妖怪たちには桔葉さんから信仰する神様(宇美花様)の力を感じられるとかで、結構畏まった態度になっていた。まあ桔葉さん目覚めてなかったけど。
まだまだ話さなきゃいけないことはあったんだけど、桔葉さんが目を覚ましてからは甚伍の方から軽く説明をして一度家に帰ることにした。二人ともお疲れの様子だったし。
他の子供は気絶したままだったので、それとなく妖怪たちがお祭りの迷子センターに連れて行き、獣耳の子供は妖怪側でそれぞれの住処に連れて行った。ちょっと驚いたけど、あの獣耳の子供たちは既に独り立ちして生きているんだって。全然ちっちゃいし完全に子供だと思ってた。いや、子供は子供なんだけど、子供のうちに独り立ちする種族とかで……。難しいわね。とにかくそんな種族もいるってこと。世海は広いわ。
それから。
「おうおう。ここが"結びの会"を開く霊木の下よ。石海の少年には見えるだろう?」
「――ええ、はいっ。はっきりと」
意識が戻ったのは、少年の感動を帯びた声を耳にしたから。
『これは……』
目の前に広がるは太い幹の巨木と一色の花畑。見知った公園の見知らぬ景色。私の目の前にあるのは、見上げるほどに高く大きい木とそれを囲むように咲き誇る淡い水色の花たちだった。
「この木は、それに花はいったい?普段からありましたか?」
「おーう。普段は見えねえように幻覚かけてっからなぁ。人に見える時は霊木ももーっと小せえし、花なんて一切見えないぜ?」
大きな大きな、本当に大きな木が一本。
そんなに広くない公園とはいえ、入口から少し見上げなければならないほどの大きさを誇っていた。
十メートル以上の高さまで木が伸び、幹は何人もの大人が両腕を伸ばしても抱きしめられないほどに太い。広げた枝から生い茂る葉は空を隠し、隙間から見える黒の天幕では星の明かりが微かにちらついていた。
木の根元には背丈の低い草だけが狭く広がり、少し離れた位置から青色の花が円状に伸びて花畑を作り上げている。水彩画のように薄く淡く、花の中心からすぅっと伸ばしたような青色が儚げで綺麗だった。
「そうなんですか……。だから僕も知らなかったんですね」
「おうおう。まあ知らねえだろうな。おいらたちが守ってきたからよ」
「それじゃあこの木と花のお世話は紙男さんが?」
「おう。霊木に関しちゃ育てるまでもねえが、花の世話はおいらがしてんだぜ?」
「……綺麗です。とても素敵で、綺麗な場所ですね」
「へへっ、ありがとよ」
二人が会話をする一方、木の根元でくつろぐ妖怪たちがやいのやいのと何か言っていた。
「はー、あいつ勝手に自分一人で花の世話してるとか言ってるわ。俺もやってるっつーの」
「私だって開花時期とか頑張って調整してるんですけどー」
「幻覚があるからといって人や動物が踏み入らないわけではないですからね。糞の後始末は私がしているのですけどね」
「それ、あたしもしてますから」
「そんなのみんなしてるって。俺たちみんなで作り上げてる花畑だろ?な!」
「「「お前が何もしてないことは全員知ってるから」」」
わちゃわちゃと騒いで笑って、ずいぶんと楽しそうだった。
紙男は苦笑いしながらそんな光景を眺めているけど、彼もまた楽しそうではあった。きっとこれが、妖怪たちにとってのお祭りなんだろうと思う。
「おーうおう。あいつら好き勝手言いやがって。まあいいけどよ。――っと、向こうも到着したみてえだな」
紙男がぺらりとした指で示した方向は公園の別の入口で、そちらにはこれまた別の妖怪と桔葉さんの姿があった。甚伍を見て手を振る二人。甚伍も私も、ゆるゆると手を振り返した。
「おう。石海の少年、ちゃっちゃとあっちと合流しちまうぜ」
「はい。でもこの花畑の上、歩いていいんですか?」
「おう。別にいいぜ。踏み荒らすのはさすがに勘弁だがな。気にせず歩いてくれや。植物っつーのは、ちっとは踏まれて強くなるもんなのよ」
妖怪二人、人間二人と合流する四人組を横目に、私は少しだけぼんやりと木を眺める。
壮大さ。とは少し違う。言葉にするなら静謐な神秘性。私の世海では見たことのない、得たことのない感覚。神様を見た時とも違う、深海に降りた時とも違う。異なる世海に行った時とも違う。
生まれて初めて、心を極限まで落ち着かせる雰囲気を味わっている気がする。眠くなるわけじゃなくて、ただただ気持ちが安らぐ。そう、安らぐのよ。やすらぎ。
私が夢の世海で、甚伍の世海に求めていたものの究極がここにあった。私、ここに永住するわ。
(――――?)
何よ、もう。私はこの御神木に永住するって決めたの。
(――さん?)
うるさいわね。話しかけないで。私、今きっとトランス状態ってやつなんだから。何もかも放り出して自然と一体化している気分。最高に開放的だわ。人生、やっぱり大事なのは癒しとやすらぎよ。神様ありがとう。こんな素敵な場所の縁を私に紡いでくれて。
(――守護霊さん?)
『――……え、うん。何?』
揺らめいていた意識が引き戻されて、曖昧な感覚で私を呼んだ子を探す。
御神木と花畑と、妖怪と人と。あと甚伍と。少年が周囲を見渡して私を探していた。返事をするとこちらに視線が向く。
(どうかしたの?全然返事がなかったけど)
『え?あ、あー……。別になんでもないわよ。ただ世海と合一化してただけだから』
(?う、うん。わからないけど大丈夫ならいいんだ。ちょっと桔葉君が守護霊さんいるのかって聞いてきてさ)
私、今何してたんだろう。すごい気分はよかったはずなのに、絶妙に疲れてる感じもある。心地よい疲労感ってやつ。ていうか世海と合一化って何?自分で言っておいてなんだけど、どう考えてもおかしいでしょ。意味わかんないし。
頭を振って気持ちを切り替える。
青色花畑の中で私の方を見る甚伍と、同様に私の方を見る桔葉さん。ついでに私の方を見る妖怪二人。桔葉さんは不安そうな顔で、妖怪二人は難しい顔をして、甚伍はいつも通り超絶綺麗な海色の瞳をしていた。足元の花より綺麗って、さすが私の甚伍。
誰とも目が合っていないので、とりあえず件の桔葉さんに声をかける。
『私を呼んだと聞いたわ。何の用かしら?』
「あっ!……えと、い、石海君。聞こえたよっ」
遠慮がちに顔を輝かせる桔葉さん。例の黒い靄は跡形もなく消え去り、まるで最初からなかったかのように見えなくなっていた。今では紫色の瞳もはっきり見えている。神様を降ろした影響か、瞳の奥に黄金が見え隠れしていた。
靄が消えたのはいいとして、前から思っていたけれど、この子って控えめよね。私がこの世海で甚伍以外の子供について知らないにしても、甚伍と比較してずいぶん遠慮しいだと思う。別にそれが悪いってわけじゃないんだけど、これから怪異に触れていくならもうちょっと図太くなった方がいいかもしれないわ。
「桔葉君にはなんて聞こえたの?」
「その……用事は?とか、そんな感じ。えっと、あんまり言葉っぽくなくて、具体的にはわからなかったんだ。石海君は?」
「あー、大体桔葉さんの言ったままかな。"何の用かしら?"って言ってた」
「そう、なんだ。……ふふ、なんだか石海君の守護霊さん、フランクな人なんだね。あ、人じゃなくて霊かな」
「あはは、そうだね。僕もちゃんと話を聞けるようになったのは昨日からだし、結構驚いたよ」
楽しそうに会話に花を咲かせる二人の言葉を私は理解できない。
宇美花様に自動翻訳能力を授けてもらったけれど、それはあの時あの場所、神様が降臨していた時間限定だった。今となっては全然会話の意味は理解できなくなってしまった。悲しい。
「石海君。守護霊さんに昨日はありがとうございましたって伝えてもらえるかな……」
「うん、いいよ。でもたぶん、お礼の言葉ならもう伝わってると思うよ?」
『ねえ甚伍、今この子私にお礼言った?言ったわよね。桔葉さん、礼には及ばないわよ!』
(あ、やっぱり聞こえてた。日本語ちょっとはわかるって言ってたもんね)
『ふふん、伊達にあなたの守護霊やってないわよ』
「桔葉君のお礼、守護霊さんに伝わってたよ?そこは聞こえたのかな」
「う、うーん……石海君の守護霊です、とか自己紹介っぽいのは伝わったけど……。こ、これ。すごく難しいね。石海君、ずっとこうしてお話してきたんだよね」
「あ、あはは。うん、まあ、うん」
苦笑いを隠せない甚伍と、彼に尊敬の眼差しを向ける桔葉さんと、顔を突き合わせて難しそうに話をする妖怪二人と。
「むむむ、やはりわからん。巫殿には聞こえているようだが……。紙男殿はどうなのだ?」
「おうおう。微塵も聞こえねえよ。本当にいるか?って思っちまうんだがなぁ。宇美花様がいた時は声が聞こえちまったからよぉ」
「……気のせいではなかろうか」
「おう、お前ぇも聞いただろうが」
「むむ……むぅ。妖の身となり幾星霜。未だ我にも知らぬことがあるとは……世は広いものだ」
「おーう……そうだなぁ」
紙男ともう一人の妖怪は鎧武者。でもサイズはちっちゃい手乗りサイズ。マリテュールみたいね。結構可愛い。何お話してるか全然わかんないけど、たぶん小難しい話してるんだとは思う。だって鎧武者だもの。
そんな風に、甚伍にとっても私にとっても生まれて初めての怪異仲間を得て話は進んでいく。
花畑を歩き、大きな木の根元でくつろぐ妖怪たちと挨拶をして。見た目普通の人っぽいのもいれば、紙男やミニ鎧武者みたいに人の姿(仮)みたいな妖怪もいて。わいわいがやがやと、お祭りらしく話は弾んでいる。
私は甚伍と、それから桔葉さんとしか意思疎通ができないのでお話にはあんまり参加しなかった。
桔葉さんに声が届いても、前の甚伍みたいに不完全なお告げみたいなものでしかないから何とも言えないし、甚伍は甚伍で桔葉さん含め妖怪とのやり取りで慌ただしいから。
『甚伍ー。私、少し木の上に行ってるわね』
「えっ!ちょっ」
「おうおーう、どうした石海の少年よぉ」
「うわお酒臭っ!僕ら未成年者なんですけど!?」
「おうおう!気にすんな!わははは!!」
「皆、この酔っ払いを石海の子から引き剥がすぞ。手伝え」
「よっしゃ任せろ!」
「あ、あはは……。い、石海君も大変だね……」
「本来なら桔葉君が絡まれ役になるべきだと思うんだけどね!」
「え、遠慮します……」
「それは我らにもまだ無理だ」
「なんでですか!」
「巫殿にこのような振る舞い、畏れ多いことよ」
「じゃあ僕には?」
「わはは、石海の少年はもう俺らの友みてえなもんだからな!」
「そ、そういうことで……よろしくね……えへへ」
妖怪と人と戯れる甚伍に苦笑して、静かに霊木の上へと飛んでいく。幽霊らしく、ふわふわふよふよと空を飛ぶ。私以外にたくさん話し相手が出来てよかったという想いと、少しばかりの寂しさを携えて。




