第八話、少年と友達と怪異。
神降ろしの儀式を執り行おうと企む妖怪の正体が影法師と判明した。私の取り憑き相手である石海甚伍少年のお手柄と言える。推察に推察を重ねた結果ではあるものの、理由付けがはっきりしていて説得力がある。ひとまずは確信しても良さそうな予想だった。
とはいえ。
『妖怪の正体がわかったからといって、状況が好転するわけじゃないのよね……』
困ったことに、現状が変わるわけではない。甚伍が以前夢中になって読んだファンタジー小説のように、相手の真の名前を把握したから動きを縛れるとか、そんなことは一切ない。
私たち(主に甚伍)は影で縛られたままだし、血と霊力は搾取されたままだし、周りには似たような子供たちと獣耳たちがいるし。
ふわふわと甚伍の頭上を漂い見回していると、近くの子供一人がもぞもぞと動いた。なかなか目を覚まさないのは怪異への抵抗値的なアレコレがアレしてコレしているから、つまり私にはよくわからない。甚伍が起きていられるのはたぶん、これまでも色々と妖系に遭遇して耐性ができているから。心にも身体にも、ね。あながち間違っていない推測だとは思う。
『甚伍、近くの子起きたわよ』
手足を縛られたまま何か考えていた様子の少年は、体勢を崩さないように身体を動かし、私が誘導した方向へ顔を向ける。そこにはちょうど目を覚まし、意識が不明瞭なまま身体を起こした男の子の姿があった。
「っいったぁー……頭痛い……」
弱く頭を振り、手で頭頂部を押さえるのは人間の子供。伸ばされた髪は長く、ぎりぎり目にかからない程度。痛みで細められた目の色は紫色で、割とありふれた色をしている。格好は半袖に長ズボンと、甚伍と大して変わらない服装をしている。
『……んー』
(どうかしたの、守護霊さん)
男の子を眺めて一人唸っていたら、甚伍から疑問が飛んできた。
『……この子、どこかで見たことない?』
(え?)
それだけ伝え、もう一度子供を見る。年は甚伍と同じくらいか。甚伍が童顔で少年気質なので、それよりは大人びて見える。でもまだ子供らしさは抜け切っておらず、背も私より小さい。たぶん。
何が気になるって、絶対見たことあるのよ。この子。
私が会う機会ある人なんていったら、甚伍の家族か友達……はいないから、学校の人か塾の人くらいで――。
『あー!!!』
「っっ!?!?」
私の叫び声に反応して、甚伍がびくりと肩を跳ねさせる。どうにか声を上げずに堪えられた様子。微妙に舌噛んじゃったみたいで涙目なのが可愛い。不憫だけど可愛いわ。
(や、やめてください。僕の心にとても悪いです)
『ふふ、ごめんね。でもほら、この子のこと思い出したわよ』
もう一度男の子へ目を向けて話す。早く続きを、という無言の思念が伝わってきたのでさっさと教えてあげる。というか、甚伍もそれなりに見知った相手なんだけどね。
『塾のあの子よ。例の黒い靄の子』
「……え?」
小さく声を漏らしてしまうほどの驚きだったらしい。
小声だったから誰にも聞こえはしなかったみたいだけど、急いで自分の口を手で塞いだ。
(どうして例のあの人がこんなところに?)
『その呼び方はちょっと色々言いたいことあるけど、今はいいわ。理由は私も知らないわよ。まああの靄が憑いているのか持っているのか、全然かかわってこなかったから何にもわからないけれど、あれだけ濃いのこぼしてたら連れ去られるのも、ね?』
(まあ、それは……そっか……)
納得がいった様子で頷く。ちらと視界の隅に映った影法師は特にこちらを意識した様子はなかった。所詮は人間、と見下している雰囲気だったから、私たちに何ができるとも思っていないのでしょうね。
(というかこの人、こんな顔してたんだ……)
『ええ?あなたこの子の顔見たことなか……った…………嘘、どうして顔が鮮明に見えるの?』
(……神社だから?)
『あのレベルの靄が?神社に入った程度で消える?甚伍、あなた本気でそう言っているの?』
「……」
言葉なく、心の声もなく。
ひやりと、嫌な汗が背筋を伝うような感覚。
私も彼も、紫眼の子の靄を知っているから言える。この数か月、多くの怪異に遭遇してきたから言える。妖怪も霊体も、悪意がなければ弱い反応しか示さない。強大な力を持っていた場合、それはそれで感じる圧はある。けど、黒い靄は違った。表面上からだけでも感じ取れる底の知れない泥のような濃い密度のモノ。呪い……と言ってもいいような、そんな代物だった。
あんな得体の知れないナニカを宿す子供が、たかだか神社に入った程度で綺麗さっぱり普通の人間の子供になる?冗談。それならこれまで甚伍が遭ってきた怪異なんてとっくの昔にこの世からなくなっているわよ。
(……警戒は、しておこう)
『……ええ。それ以上に今できることはないもの』
この件に関しても私たちにできることはない。
考えたって手足縛られたままじゃできることなんてない。というより早くこの状態を脱出するのが先決で。そもそもそれ以上に、今これから何をするかを甚伍から聞いていなかった。
『ねえ甚伍、一つ聞いてもいいかしら』
(いいよ、なに?)
『これからどうするの?神降ろしを止めるか、止めないか。逃げるか、逃げないか』
宇美花神社に踏み入れて、捕まって、ひたすらに妖怪側の動きを観察してきた。その結果、推測でも相手の正体と目的は掴めた。現状極度に危険な状態とも言えず、何事もなく解放される可能性もなくはない。特に、悪神の側面とはいえ善神であることには変わりない縁結びの神様を降ろすなら殺生は行えない。行えるわけがない。ある意味で安全は確保できているけれど、これも確実とまでは言えない。
私は……正直、まだ判断しかねている。神降ろしの儀式を目の当たりにするのも初めてだし、優先したいのは甚伍の安全だけど、神社内にとどまらない怪異となってしまえば彼だけの安全だなんて言っていられなくなってしまう。
困った。
(……守護霊さん)
少し間を置き、私を呼ぶ声が聞こえてきた。上空から少年の目前まで戻り、しゃがみ込んで再び目を合わせる。目は合ってないけど、やっぱりフリでもこれはやっておきたい。
『なに?』
(神降ろしは止めよう)
簡潔で、それでいて堅い意志を伴った言葉だった。
どうして?と思念だけで尋ねる。
(神様が僕や守護霊さんの思うような超常の存在だったとして、そんな存在が人――今回は妖怪だけど、個人の都合で降ろされて利用されたらどうなると思う?)
『それは……でも、だからこその儀式、供物としての霊力じゃないの?』
(普通の神降ろしならね。でも相手は縁結びの神で、降ろすのは悪神の側面だ。問題は縁結びの神様、宇美花様の大部分が善神として在ること。無理に悪神面を引き出されたら神様は悪神としての在り様のまま荒ぶるかもしれない)
『……つまり、宇美花市内の人の縁が切れると?』
(うん。知人友人家族問わず、ありとあらゆる縁が切れる)
『それ、起きたら周りの人全員急に他人みたいに感じちゃうってことよね?』
(うん)
『やばいじゃない』
(やばいよ。だから止める。……まあ、全部憶測推測だから可能性の話だけど、可能性があるだけで止めないといけない理由にはなるよね)
『……そうね』
薄々わかっていたけれど、怪異の規模が段違いになっていて頭が痛くなってくる。
何が悪いって、甚伍の話に筋が通っているせいで彼の言う憶測推測が現実味を帯びてきているのが悪い。
神降ろしの結果として起きる災いの可能性が辛い。甚伍の言う通り、可能性だけでも止めなくちゃって思う。強大な妖怪、霊体の異常な力についてははっきりとこの子に憑いて回ってよく知っているから。全然笑えない。
方針は決まった。決まったけど。
『それで、どうやって止めるつもり?』
(あぁ、それは――)
「あの……」
ぱ、っと二人で声が聞こえてきた方を見る。
例の紫眼の子が私たちを見ていた。勢い良く振り向いた甚伍にびくりと身を震わせる。
話に夢中で警戒どころか意識すらしていなかった。そういえばこの子、さっき起きたんだったわね。
「ええと……」
何を言おうかと迷い。
(助けて守護霊さん。この人と何を喋ればいいの!?)
『私に聞かないでよ。あなたの知り合いでしょう?』
話は突っぱねて二人の会話を見守る。
何も言わない甚伍を見て何か思ったのか、向こうから先に話を切り出してきた。
「あの、すごい難しい顔してたから話しかけるか迷ったんだけど……えと、君、石海君だよね?」
「え?うん。僕は石海甚伍だけど……その、ごめん。名前聞いてもいいかな」
日本語の会話を横でふんふん頷きながら聞く。
もちろん意味はわからない。さっきからずっと甚伍とお話していたから忘れていた。私、口頭でする日本語会話って理解できないんだった。
「そ、そうだよね。えと、ボクは桔葉海人。石海君と同じ塾に通ってるんだけど……あ、あの。さすがにそれは知ってるよね?」
「うん。それは知ってる。でも桔葉君はよく僕の名前知ってたね」
「あ、えっとね。座席表見て知ったんだ。夏期講習で新しく来た人の名前だけちらっと見て……」
「なるほど。そっか」
たぶん自己紹介か何かをしているんだと思う。
甚伍、この子のこと何にも知らなかったみたいだし。かく言う私も名前くらしか知らない。確か桔葉さん、よね。下の名前は……まあ、今はいいでしょう。
『ねえ、その子名前何て?』
(え?あぁうん。桔葉海人君だって)
『ふーん。会話止まってるみたいだけど、色々聞いてみた?』
(そうだね。これから聞くよ)
下の名前は海人だった。桔葉海人さん。甚伍と同じ部屋でお勉強してるってことは、この子もたぶん中学三年生。塾でよく見た黒い靄以外は今のところ至って普通の子に見える。
私のような霊体紛いの謎存在を引き連れているわけでもなく、霊体に取り憑かれている様子もない。この場所に連れてこられて影法師の管を刺されているってことは霊力はあるんでしょうけど、それ以外の情報はない。
「桔葉君はどうしてここに?」
「それが何もわからないんだ。気づいたらここにいて……その、石海君こそどうしてここに?ここ、宇美花神社、だよね?」
(緊急、守護霊さん。桔葉君、僕がどうしてここに来たかって聞いてきた)
『そう。というか甚伍、私ってあなたに日本語の会話わかんないわって伝えてたかしら?』
(それはさっきからこうして話してて察したよ!それより答えを!どう答えればいいかな!?)
答えって言われても、ねぇ。焦ってるのは可愛いし面白いからいいんだけど、適当に言葉濁すしかないわよね。馬鹿正直に妖怪を追って神社に来てあっさり捕まりましたーなんて言えないし。
『夏祭り観光してたら神社に来てたとかでいいんじゃない?』
甚伍、適当でごめんね。
「あ、あぁ。実は夏祭り観光してたらさ。気づいたら神社に来てて……」
「そ、そうなんだ。ボクと似たような感じなんだね」
「うん。そうなんだよ」
ちょっぴり顔が引き攣っているのはご愛嬌。何言ったかはわからないけど、本当に私が伝えたことを言ったっぽい感じがある。まあもう済んだことよ。気にしても仕方ないわ。次に行きましょう次に。
「――えと、じゃあここで何してるの?子供たちだけで集まって」
キョトンとした顔でそんなことを言う。
私は自分の耳を疑った。甚伍も同じ。何をしている?子供たちだけで?
『甚伍。桔葉さん……』
(……うん。何も見えてないのかも)
二人で確認をし合い、もう一度桔葉さんを見る。
普段身に纏っている黒い靄はなく、紫の瞳は灯篭に照らされ弱く光り不安に揺れている。表情もまた不安に満ちていて、見た目よりもかなり幼く見えた。
そんな桔葉海人少年は、甚伍とは異なり幽霊も妖怪も、怪異など一切見えない普通の人間のようだった。




