第33話 白百合の残り香
非番。
白いワンピースに袖を通す。
鏡の前に立つ。
王女でも、接続者でもない日。
なのに――
胸の奥が、落ち着かない。
昨日の言葉が残っている。
「フィーナは歪んでる」
否定しなかった。
できなかった。
それが、悔しい。
⸻
カフェの扉を押す。
鈴が鳴る。
「あの……昨日一緒にいた子、見ませんでしたか?」
店主は少し考え、
「黒髪の、元気な子ですよね?」
「今日は来てませんね」
そうですか、と微笑む。
外へ出る。
⸻
街はいつも通り賑やかだ。
果物屋の声。
子供の笑い声。
パンの匂い。
温かい。
守ってきたもの。
守りたいもの。
でも。
守るだけでいいのだろうか。
セナの顔が浮かぶ。
あの目。
冷たいわけではない。
温度がないわけでもない。
無機質なのに、人間。
レイに似ている。
容姿でも、言葉でもない。
存在の質が。
胸がざわつく。
⸻
第1部隊の訓練場。
セシリアが汗を拭いている。
「セシリア、少し聞いていい?」
「姫様?」
「黒髪で、小柄で……ちょっと生意気そうな子」
セシリアは目を瞬く。
「あ……もしかして」
「お兄ちゃんが、拾った女の子がそんなような…」
フィーナの呼吸が止まる。
「拾った?」
「廃区画で倒れてたって」
「黒髪で、お腹を空かせてたって……」
確信。
「どこに住んでいるの?」
⸻
郊外。
少し古い建物。
王都中心からは離れている。
ノック。
数秒。
扉が開く。
「……姫様?」
リオン・フロル。
哨戒任務専門兵。
驚きと緊張が顔に出る。
「突然ごめんなさい」
「いえ……」
奥から声。
「誰ー?」
心臓が跳ねる。
セナが出てくる。
昨日と同じ顔。
「あ、フィーナ」
まるで偶然のように。
「探してた?」
くすり、と笑う。
フィーナは数秒、言葉を失う。
この距離感。
この自然さ。
危うい。
⸻
「少し、話せる?」
セナは肩をすくめる。
「戦争の話?」
否定できない。
リオンが戸惑う。
「姫様……?」
フィーナは部屋に入る。
狭い。
生活の匂い。
温かい。
こんな場所で、彼女は笑っていたのか。
⸻
セナが言う。
「ねえリオン」
「姫様って、戦争終わらせてくれそう?」
唐突。
リオンが詰まる。
「……いつかは」
いつか。
便利な言葉。
セナがフィーナを見る。
「いつか、だってさ?」
フィーナは視線を逸らさない。
「終わらせたい」
嘘ではない。
でも。
終わったら――
レイは。
その先を考えた瞬間、呼吸が浅くなる。
セナは見ている。
全部。
「言ったじゃん、フィーナは歪んでる」
優しく言う。
責めていない。
断言。
リオンは何も分からない顔で二人を見ている。
⸻
フィーナは立ち上がる。
「……今日はそれだけ」
逃げるようではない。
でも。
何も返せない。
扉の前で振り返る。
セナはソファに座ったまま。
笑っていない。
ただ、見ている。
観察するように。
試すように。
⸻
外。
夕方の光。
風が少し冷たい。
胸の奥に残るのは怒りではない。
恐れでもない。
問い。
私は。
戦争を終わらせたい。
本当に?
レイがいなくなっても?
足が止まる。
答えは出ない。
出せない。
だから。
前に進むしかない。
白百合は、揺れたまま咲いている。
まだ枯れない。
まだ変わらない。




