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第30話 温度

玄関の鍵が回る音。


「ただいま」


部屋の電気はついていた。


リオンは靴を脱ぎながら、小さく息を吐く。


今日も異常なし。


上司にはいつも通り報告した。


〈廃区画、異常なし〉


それだけ。


それ以上は言わない。


言えない。


部屋に入ると、空気が少し違った。


整っている。


テーブルの上も、流し台も。


「あれ……?」


奥から声がした。


「おっかえりー」


振り向く。


セナがキッチンに立っていた。


ぶかぶかのTシャツ姿。


袖をまくった腕で、鍋を覗き込んでいる。


「なにしてんだ……?」


「なんか落ち着かなかったからさ」


「勝手に触んなよ」


「掃除したんじゃん」


振り返らずに言う。


リオンは一瞬、言葉に詰まる。


確かに、部屋は昨日より整っている。


「……いいんだぞ、上に報告したって」


唐突に言う。


セナは鍋をかき混ぜる手を止めない。


「……逆に聞くけど、なーんで報告してないのかにゃあ?」


「いや、それは……」


言葉を探す。


うまく説明できない。


「助ける理由なんてないでしょ」


淡々と。


感情は薄い。


「……困ってるなら、助けるさ」


リオンは椅子に腰掛ける。


「……知らないやつでもな」


セナが小さく笑う。


「ふーん」


「お人好しだね」


「悪いかよ」


「褒めてるのに」


鍋の火を止める。


振り向く。


「はい、できた」


リオンが作るより少しマシな夕飯がテーブルに並ぶ。


パンとスープ。


焦げていないスクランブルエッグ。


リオンは苦笑する。


「俺より上手いじゃねえか」


「味は期待しないでねー」


二人で向かい合って座る。


狭いテーブル。


近い距離。


食べながら、セナがぽつりと言う。


「そーいえばさ、お姫様に会ったよ」


「……は?」


スプーンが止まる。


「おま、街に出たのか!?」


「え、うん。そんな変?」


「いや、だって……」


帝国の人間なのに、と言いかけて飲み込む。


「パフェ奢ってもらっちゃった」


「フィーネリア様に!?」


「そー」


リオンは本気で驚いている。


「マジかよ……」


セナはスープを飲みながら続ける。


「……ねえ、姫様ってどんな人?」


少し考える。


「優しいし、強い。いつも最前線で命かけて戦ってる人ってイメージかな」


「喋ったことはないけど」


「好きなの?」


「そんな畏れ多いよ」


照れたように笑う。


「尊敬はするけどさ。あ、でも心に決めた人がいるって妹が言ってたな」


「妹?」


「ああ、セシリア。REV第1部隊。フィーネリア様直属なんだ」


誇らしげだった。


セナはその顔をじっと見る。


「ふーん……妹ね」


それ以上は聞かない。



食後。


セナは当然のようにベッドに倒れ込む。


布団を引き寄せる。


リオンは床にマットを敷く。


「今日は一緒に寝る?」


「軽く言うなって」


「真面目ー」


笑う。


灯りを落とす。


静かになる。


しばらくして、セナの呼吸が落ち着く。


けれど――


完全には眠っていない。


天井を見つめたまま、思い出す。


白百合。


アルテミス。


戦ったときの違和感。


強い。


でも。


どこか、歪んでいる。


あれは何だ。


守るための強さじゃない。


何かに縋る強さ。


だから。


話してみたい。


どう思っているのか。


この戦争を。


この世界を。


隣からリオンの寝息が聞こえる。


人間の音。


温度。


少しだけ、安心する。


「……退屈しのぎ、ね」


小さく呟く。


目を閉じる。


共和国の夜は、帝国より静かで、温かい。

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