マルタの提案
そこまで語って、マルタは口を閉ざした。
「よく集めてくれたわ」
「お役に立てたなら何よりです」
セシリアは紙を揃え、机の上へ静かに置いた。
「絵描きには口止めを?」
「済ませてあります。金で黙る程度の男ではありましたが、念のため別口からも釘を刺しました」
「素晴らしいわね」
マルタはこういうところで抜かりがない。流石、ルーベンス家一の侍女だった。
「マルタ、これらはどうすれば良いと思う?」
問われたマルタは、すぐには答えなかった。
暫く考えた後に口を開いた。
「そうですね……私なら、ゴシップにさせるよりも教会に持って行きます。教会は教えにうるさいので、不貞にも厳しいかと存じます」
マルタは続けて話す。
「貴族社会の噂に流せば、確かに多少は相手の評判に傷がつくでしょう。ですが、それだけで終わる可能性もございます」
「終わる?」
「ええ。『若い男性によくある軽率な過ちでした』で済まされるかもしれません。周囲も一時は騒ぎますが、いずれ別の噂が出れば忘れ去られてしまうかと」
たしかにそうだった。
社交界は残酷なようでいて、案外忘れっぽい。目新しい醜聞が出ればそちらへ流れ、少し時が経てば、以前の失態など面白い可笑しい思い出話程度に薄まっていく。公爵家の嫡男が浮気をしていたという事実も、ただの恋愛沙汰として消費されれば、それで終わってしまうかもしれない。
だが、それでは足りない。
セシリアが欲しいのは、一時の恥ではなかった。
婚約を盾にして裏切りを当然のように続けていた男に、きちんと責任を取らせること。
その一点だった。
「教会なら違う、と?」
「はい」
マルタは机の上の報告書へ手を伸ばし、密会の日付が記された箇所をそっと示した。
「お相手がただの遊び相手で終わるなら、まだ言い逃れの余地もございましょう。ですが今回の件は、婚約者がいながら継続的に関係を持ち、しかも婚約が簡単には解消されないことを都合よく考えている節がございます」
「……そうね」
「その点を教会が知れば、色恋沙汰では済ませにくいかと」
セシリアはゆっくりと頷いた。
この国で婚約が重い意味を持つのは、まさに教えがあるからだ。誓いの前段階として、責任と節度を伴うものとして扱われているからこそ、家同士の婚約も軽々しく白紙にはできない。
ならば、その教えを都合よく使って好き勝手している男を、最も許し難く思うのはどこか。
答えは明白だった。
「……なるほど」
ゴシップとして流すのは簡単だ。記事屋に金を積めば、面白おかしく仕立てて街にばらまくこともできるだろう。挿絵つきならなおのこと、人目を引くに違いない。公爵家の嫡男と若い令嬢の密会など、庶民にとっても格好の見世物だ。
けれど、それではどうしても品がない。
何より、騒ぎが大きくなるほど、セシリア自身も巻き込まれかねない。婚約者に裏切られた侯爵令嬢という立場は、同情も買うだろうが、同時に好奇の目も集まる。面白半分に消費されるだけの材料にされるのは、ひどく不愉快だった。
「教会は、こういうことに厳しいかしら」
「厳しいと思われます」
「教えを重んじるというのは、婚約の解消を難しくすることだけではございません。婚約に伴う誠実さを求めることでもあります」
「そうね」
「ですから、婚約を維持したまま外で不貞を働くなど、教会にしてみれば一番面倒な類ではないでしょうか。見過ごせば、教えそのものが軽んじられますので」
そこまで聞いて、セシリアはようやく胸の内にあった違和感を掴めた気がした。
ただ浮気されたから腹が立つ。
もちろん、それもある。
けれどそれ以上に腹立たしいのは、エドガーが婚約の重みを、責任ではなく保身の道具として扱っていることだ。婚約は白紙にしにくいのだから、自分は安全だと信じている。その甘さ、その傲慢さが、どうしようもなく癪に障る。
「教会に持って行くなら、これも添えるべきかしら」
セシリアが束を指先で軽く持ち上げると、マルタはためらいなく頷いた。
「はい。証言と証拠さえあれば十分ではありますが、念のため、それも添えましょう。百聞は一見にしかずと申しますから」
そうして2人はその日の内に資料をかき集め、教会へ『信徒に対する苦情』という名目で送付したのだった。




