グリーンアルモニカ、ある貴族令嬢の憧憬と死 その5~アルモニカにひそむ毒~
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家につくまでに、通りの向こうから歩いてくるオザリヴァンさんを、また見かけた。
オザリヴァンさんの腕に腕を絡めたあの美しい貧しい少女も。
オザリヴァンさんは一瞬、私を見て、隣を並んで歩くシュタインタールさんに気付き、驚いたような表情をすると、視線を戻し私と目が合った。
私は彼の美しいエメラルド色の瞳に惹きつけられ、不躾だとわかっているけど、すれ違う間一瞬たりとも彼から目をそらすことができなかった。
粗末な羊飼いの衣を身にまとい、光に透けた麦わら色の髪が彼の額や頬に乱雑に散らかるのに、壮絶なまでに整った顔立ちは、それを粗野で野放図な青年とみせることを許さず、下界に放逐された美貌の天使が、自然なままの、生まれついてのあるべき姿でそこにいるかのように錯覚させた。
彼の人知を超えた、天上的な、いえ、悪魔的な美しさには何か理由があるの?
なぜ彼のように美しい人がこの世に存在するの?
・・・・・・・・・・・・
1981年x月x日
私が今まで生きてきた中で一番最高の贈り物を受け取った!!
それは、エメラルド色に輝く、あの、『アルモニカ』!!
私がマリアさんと出かけた演奏会で見たアルモニカは透明のグラスが重なってできていたけれど、この贈り物はエメラルド色のような、深い海の底にある青のような、美しく神秘的な緑色で、クリスタルガラスが着色されていた。
添えられた手紙には
『愛をこめて。
あなたの笑顔が、私にとって一番の宝物です。
次に会った時には、その楽器と同じくらい美しい響きとあなたの笑顔を、私に贈ってください。』
とあった。
裏返して目を凝らしてもどこにも贈り主の名前がない。
いったい誰からの贈り物?!
オザリヴァンさん?・・・・・のはずはないわね?
そうだったらよかったのに!
誰からだったとしても、この上なく素敵な贈り物に幸せな気持ちになり、喜びであふれ、このまま死んでしまっても構わないとさえ思った。
さっそくグラスが浸るように木箱に水を入れ、ペダルを足で踏み、はずみ車を回すと、棒で貫かれたグラスの重なりが回転し始めた。
グラスの縁に指を押し当てる。
指がグラスとともに振動する。
だけど、音が出ない。
押し当てる強さを変えていろいろな角度で調節してるうちに、あの『天使の歌声』のような音が、回転するグラスから
響いた。
ドキドキと鼓動が速く打ち、興奮で顔に血がのぼる。
いろいろな音程のグラスに指で触れ、音を出してみる。
一度きれいな音が鳴り出すと、続けて様々な音を出せるようになり、すっかり夢中になった。
昼夜を忘れ、寝食を忘れ、何日も、何週間も、アルモニカの練習に没頭した。
音が自由に出せるようになると、簡単な譜面を手に入れ、何度も何度も滑らかに曲が弾けるようになるまで練習した。
指が水でふやけ柔らかくなったところに、回転するクリスタルガラスがあたり、こすれて赤く擦り剝け、血がにじんでも、休んで少し回復すればまた練習を続けた。
その間もヤーコプ・ゴルトシュミットからは借金返済の催促と、それができないなら私が妾になるように、という要求の手紙がひっきりなしに届き、時にはヤーコプ・ゴルトシュミット本人が我が家を訪れ、父上を脅したり甘い言葉でなだめたりを繰り返した。
ヤーコプ・ゴルトシュミットが帰るといつも、父上と母上は私にヤーコプ・ゴルトシュミットの妾になるよう説得しようとするけれど、私は頑として首を縦に振らなかった。
父上は領主のほかに仕事をしたことがなく、母上は労働なんて考えたこともない貴族のお嬢さんだったので、我が家の困窮は相変わらず続き、領地から上がる収入で、生活を切り詰めれば借金の利子は返せても元金は減らないという暮らしが続いた。
そんな苦境を忘れるためにも私はアルモニカに没頭した。
1981年x月x日
この頃よく眠れない。
眠ると悪夢を見る。
魔女たちが暗い洞窟に集まり、全裸で、血と体液にまみれた、淫らな、集会をしている夢。
山羊の頭をした偶像をまつり、焚火を焚いてその周囲で酒と色欲におぼれている。
その中にオザリヴァンさんがいた。
あの貧しい美少女も。
全裸で絡み合い、忌まわしい淫欲にまみれ、惚けたような表情でむつみあっている。
ああっ!こんな夢見たくないっ!!
なぜなの?
オザリヴァンさんが愛するのは私よっ!
1981年x月x日
毎朝起きると眩暈がする。
おなかの調子が悪く、吐き気や腹痛が止まらない。
のども痛いし、櫛でといたときに気付いたけれど抜ける髪の毛の量が多い気がする。
でも、一番困るのは、アルモニカを弾けないこと。
指が赤く腫れ、ただれて、膿がでて、痛みで触れることすらできない日々が続く。
どうにか練習を続けようとしても、すぐに喉に違和感があり咳き込んでしまって、長時間アルモニカの前に座っていられない。
やっとあの演奏会のように、神秘的な天使の歌声が出せるようになったのに!
ああ!これを贈ってくれた人に早く会いたい!
会って、この美しい天使の歌声を聴かせてあげたい!
誰なの?
早く私に会いに来て頂戴!
そうでなければ、このままでは、いつまで演奏を続けられるかもわからない。
こんなに体調が悪ければ、じっと座って演奏することなんてできなくなるかもしれない。
どうか、神様!
一刻も早くあの人に、会わせてください!
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ここで日記は終わっていた。
(その6へつづく)




