グリーンアルモニカ、ある貴族令嬢の憧憬と死 その6~アンナ嬢の死因~
フランツはゴクッと息をのみ
「つまり、このアンナ嬢はこのまま病状が悪化して亡くなった、ということか?」
レオポルトが目の前で組んだ指をほどき、ひじ掛けを握りしめ
「そうだ。
誰かが『アルモニカ』という楽器に毒を仕組んだ。
贈り主が一番疑わしいが、君は誰だか分ったかい?
そしてどんな毒を盛ったのか、なぜ彼女を殺したのか、その理由がわかるかい?」
フランツは日記のページをパラパラとめくりながら
「そうだな、『アルモニカ』を贈った者が犯人だとしたら、金銭的に余裕がありアンナ嬢を口説こうとしていたエメラルド鉱山持ちの軍人貴族ゲオルク・ヨーゼフ・フォン・シュタインタールの仕業だと思うが、殺害する動機は何だ?
自分のものにならないから?
いや・・・・まだ正式に婚姻を申し込んですらいないようなのに、それはあり得ないな。」
レオポルトはジッと固まったように一点を見つめ
「じゃ、ほかには誰がいる?」
フランツは顎に指を添え、考え込みながら
「ということは・・・・羊飼いのダニエル・オザリヴァン?
彼とアンナ嬢はすでに恋仲で、人目を忍んで逢っていたが、アンナ嬢がほかの男になびきそうだから、悪魔崇拝の儀式で呪い殺した・・・・とか?
暖炉のそばにミルクとパンを置くのは、アイルランド系移民が信仰するケルト宗教の、妖精信仰の習慣だろ?
家事仕事をしてくれる妖精のお礼のために置くんだろ?
アンナ嬢もそれを感じ、異教徒であるオザリヴァンが悪魔集会に参加してる夢を見た。
何かにとりつかれたように熱心にアルモニカに没頭していた、ということはオザリヴァンはアルモニカに呪いをかけた?」
レオポルトが驚いたように素早く瞬きし
「君が『呪い』なんて非科学的なことを信じているとは思わなかった。
誤解してるようだがケルト宗教と悪魔崇拝は何の関連もない。
だが、僕が思うに、オザリヴァンへの恋は報われなかったんじゃないか?
もしオザリヴァンからアンナ嬢に実際に接触があったとしたら、夢想的な彼女なら天に舞い上がるような大げさな記述があると思うな。」
フランツはハッ!と何かを思い出したように目を見開き
「『アルモニカの響き』に殺されたんだ!
日記の中にあったように、アルモニカの響きにはそれ自体が精神の不調を引き起こす力がある。
僕も『演奏会場で子供が死んだという事件』を聞いたことがある。
そのせいで・・・・」
レオポルトが首を横に振り
「その説は真っ先に否定される。
発明した本人、ベンジャミン・フランクリンは演奏し続けたが84歳の長寿を全うした。」
フランツは納得したようにフム!と唸り
「じゃあ、フランクフルトの高利貸しヤーコプ・ゴルトシュミットの仕業か?
なかなか妾になろうとしない彼女を憎んで、確実に毒にあたるように、喜んで飛びつきそうなエメラルド色のアルモニカをガラス職人に造らせ、指から入るように毒を塗り込んだというわけか。
だが守銭奴だろうに、毒を塗るためにわざわざ金をかけて豪勢なアルモニカを造らせる意味が分からないな。」
フランツの悩む様子を見て、レオポルトは楽しそうにほほ笑み
「僕が聞いた説によると、アルモニカが神経障害を引き起こす要因は、
『第一に、ガラスとの摩擦によって引き起こされる持続的な振動のせいで、演奏後には指先に痙攣を覚えるが、それが神経を害するというものである。
第二に、そこはかとない高音が聴覚から脳を共鳴させ、悪影響を与えるというものである。
第三に、柔らかい吹きガラスの類は、鉛を25~40%も含んだクリスタル・ガラスを用いていたため、濡らして触れる指先から鉛が浸透し、鉛中毒を起こしたせいというものである。』
だそうだ。」
フランツが驚いたように目を丸くし
「なるほどっ!
鉛中毒かっ!
だが、まてよ、1780年ごろのこの時代、鉛の危険性は重視されていなくて、
『食物や飲物の中に防腐剤や甘味料として恒常的に添加されていた酢酸鉛を人々は多く経口摂取していたし、更にスズや鉛の鍋やヤカンなどが調理に使用されていた。』
と聞いた。
ということは、つまり、アンナ嬢の死因は『鉛中毒』というわけか!
アルモニカのせいではなく、普段から経口摂取する酢酸鉛のせいで死亡した!
犯人はどこにもいなかった、ということだなっ!」
レオポルトが『してやったり顔』でますます口角を上げてニンマリとほほ笑むのをみて、フランツは警戒した顔つきになり、顎に指を添え考え込んだ。
「いや、違う。
君がそれほど簡単な謎を僕に出すはずはない。
・・・・何か裏があるはずだ。」
レオポルトは肩をすくめ
「まったく!疑い深いやつだな!
そういうところが好きだよ。
じゃ、結論は何だ?
アンナ嬢はなぜ死んだ?」
フランツは考え込みながら
「ヒントはすべてこの日記に書いてあるんだな?」
レオポルトがウンとうなずく。
フランツが日記をペラペラめくり、ページを行ったり来たりしながらブツブツとつぶやいた。
「アルモニカのせいで死んだのだとしたら、アルモニカを贈った人物が怪しい。
条件的にシュタインタールしかいないが、『呪い』や『甲高い音』や『振動』や『鉛中毒』のせいでないなら、いったい何が原因だ?
シュタインタールの言葉の中にヒントがあると考えると・・・・・・
エメラルド鉱山、クロノメーター、飛び杼、蒸気機関、ヒェーピングの薬剤師カール・・・・・といえば
・・・・・・・・・そうか!
わかったぞっ!!」
フランツは目を輝かせながら叫び声をあげた。
レオポルトはがっかりしたような、安堵したようなため息をつき
「答えは何だ?」
ジッとフランツを見つめた。
キラキラと瞳孔に光を映し、興奮でバラ色に頬を染めたフランツが
「ヒェーピングの薬剤師カールとは『火の空気(酸素のこと)』を発見したカール・ヴィルヘルム・シェーレだな!?
アンナ嬢が夢中になったアルモニカの『鮮やかな緑色』は彼が1778年に合成した顔料『シェーレグリーン』で塗られていたんだ!
19世紀初頭に絵画や壁紙をはじめ食品にも使用されたが、硫黄や硫化物、鉛に触れると黒変し、ヒ素の毒性が高いせいで現在は使用されなくなった合成顔料だ!」
レオポルトはもう一度深くため息をつき
「そう。だが残念なことだ。
シュタインタールはアンナ嬢をできる限りの贅を尽くして喜ばせようとし、最新科学技術で生み出された合成顔料『シェーレグリーン』を友人のカールから入手して使用し、世界で一台の美しいアルモニカを贈ったが、その楽器が彼女を死に追いやった。
それを思うと石炭を使って動く蒸気機関車や、貧しい人々を一か所に集めて自動機織り機を休みなく動かす『工場』の仕組みなど、進歩した科学技術で実現された数々の輝かしい発明が、後世まで『絶対的な善』とされることには、疑問を持たざるを得ないな。」
苦々しくつぶやいた。
そして、ガラリと表情を変えると弾んだ明るい声で
「あぁ、日記に書いていないことをひとつ付け加えておくが、アンナ嬢はその後、アルモニカを弾かなくなったことで体調不良から無事回復し、シュタインタールと幸せな家庭を築いたそうだよ。
『死んだ』なんて騙して悪かったね。」
そう言うと、いたずらっぽくウィンクした。
最後までお読みいただきありがとうございました。
『花緑青』という合成顔料は1805年に発見され19世紀初頭にドイツで生産されたらしいですが、これも亜ヒ酸銅を含んでいたので、ヒ素に由来する毒性があったそうです。
『シェーレグリーン』のほうが合成された時期が早い(1778年)のでこっちを採用しました。
現代のメロンソーダなどの合成着色料は、安全なはずなのに『毒々しいっ!!』と本能的に思ってしまうのは、実は前世でこの時代に生きていて、ヒ素の毒性を経験してるから?などと夢想してしまいました。
『自然に存在しない色だから本能的に危険を感じる説』のほうがありそうですけど。




