グリーンアルモニカ、ある貴族令嬢の憧憬と死 その3~オーストリア大公国軍軽騎兵中尉シュタインタール~
マリアさんのお知り合いの貴族の宮殿で、いつものようにピアノや弦楽器による演奏だと思ったのに、その日は生まれて初めて見る不思議な楽器の演奏会だった。
その不思議な楽器は、オルガンぐらいの高さと幅と奥行きの木箱の中に、大きさの違うグラスを30こ?もっと?ぐらい重ねて、グラスの底に開いた穴に木の棒を通してすべてのグラスをとめつけ、横向きに倒して置いてある。
「何なの?あれは?ホントに楽器なの?」
驚きで目を丸くしてマリアさんに尋ねると、
「あれは『アルモニカ』という楽器よ。
グラスハープって知ってる?
グラスに水を入れて縁をなぞると、グラスが振動して音がなるでしょ?
音程ごとに違うグラスが必要になるから、広い空間が必要だし演奏が難しいという欠点があるけど、その欠点をなくしたものよ。
あの木箱の中には水が張ってあって、木の棒を回転させてグラスを回し、指をグラスの縁に添えることで音が鳴るようにしてるの。
イングランドの植民地であるアメリカの政治家であり科学者のベンジャミン・フランクリンが発明した楽器だそうよ。」
私も噂は耳にしたことがあったので
「えっ!!そうなの?!
パリ社交界に鬘じゃなく毛皮の帽子をかぶって、『素朴な田舎者』を演出してフランス王国に独立戦争の協力を取り付けたって聞いたわ!
へぇ~~~~!あのベンジャミン・フランクリンが作った楽器なのっ?!
早く聞きたいっ!
楽しみだわっ!」
私が能天気に目を輝かせてワクワクしてると、マリアさんは警戒するような険しい表情で、声を落として
「でも用心しなくてはいけないわ!
共鳴するガラスの音は『天使の声』とも形容され、『何物にも比べがたい甘美な音』だと絶賛されたけれど、練習や演奏に熱中した多くの人が、アルモニカのせいで神経障害やうつ病、めまい、筋肉の痙攣に罹ったと言い出したのよ!
えも言われぬ甲高い響きが死者の魂を呼び寄せ、神秘的な力を宿らせ、聞いた人の頭をかき乱しておかしくしてしまうとまで言われてるの。
それでもまだ、本当に聴きたい?」
マリアさんは栗色の瞳を大きくして、眉根を寄せ、真剣な表情で私を見つめながら問いかけた。
背筋に冷たいものがゾッ!と走り、思わず身震いしたけれど、それほどまでに不思議で神秘的な音色なら、なおさら聴いてみたい!という好奇心のほうが勝った。
悪魔的な魅力がある音色ってことよね?
一度は聴いてみなくちゃ、ほんとに危険かどうかわからないでしょ?
中毒にならなければ大丈夫でしょ?
って軽い気持ちでアルモニカの演奏会が始まるのを楽しみに待った。
1780年x月x日
昨日から頭が重い気がする。
ときどきズキズキと刺すような痛みが耳の奥にある。
アルモニカを聴いたせい?
よくわからないけれど、あの素晴らしい音色をもう一度聞けるなら、この痛みに耐える価値はある。
鐘ともハープともパイプオルガンとも笛とも違う、聞いたことのない音色だった。
胸の奥に届いて心を震わせるような、手のひらサイズの小さな天使が合唱しているような、まさしく天上的?で悪魔的な音色だった。
もう一度聴いてみたい!
だけど、マリアさんが招待してくれなければ、演奏会のチケットを買うほどの余裕はない。
マリアさんは我が家と違って落ちぶれていない貴族の令嬢だから、音楽家を招いて演奏会を主催するような裕福な人々とのつながりがある。
私のような落ちぶれた貴族の娘はそんな人間関係からも疎外される。
わが身の不幸を嘆きつつ、演奏会の後に出会った人物についても思い返した。
その人は、金ボタンのついた白い軍用コートに白いブリーチズ(膝下丈半ズボン)に黒の騎兵ブーツ姿。
金の肩章、金と黒の糸で編まれた腰帯、二角帽子を小脇に抱え、褐色の髪を後ろで一つにまとめ、黒いリボンで結んでいる。
いかにも気難しそうなハの字形の口髭をはやした、三十代後半のオーストリア軍将校という雰囲気。
ふいに私と目が合うと、しかめ面のまま、低い声で
「突然話しかけることをお許しください。
お嬢さん、私はゲオルク・ヨーゼフ・フォン・シュタインタールと申します。
オーストリア大公国軍、軽騎兵中尉であります。」
二コリともせず、堅苦しい自己紹介をするので、困惑してマリアさんをチラ見すると、扇子で口元を隠しながら
「あら!いいじゃない!裕福そうな紳士ね!」
ヒソヒソとささやく。
私は左右のドレスをつまみ、片足を後ろに引いて膝を軽く曲げる挨拶をしつつ
「お会いできて光栄です。
あの・・・・私は、アンナ・バルバラ・フォン・ヴァイデンドルフと申します。」
と答えた。
礼儀正しく、シュタインタールさんを直接見ないよう視線を下げ、じっとしているけれど、シュタインタールさんは無遠慮に私の上から下まで視線をさまよわせ、じっくりと観察している、ような気配がした。
落ち着かずソワソワし、恥ずかしくて顔に血がのぼり頬が熱くなった。
シュタインタールさんは険しい表情のまま、まぶしそうに目を細め、私を見つめ
「美しい・・・・・。
あなたとお近づきになりたい。
よろしいでしょうか?」
あまりにもド直球で口説かれたので、どうしていいかわからず、マリアさんの手をグイッ!と引っ張り、ぶしつけにもその場から立ち去りながら、シュタインタールさんに向かって
「あのっ・・困りますっ!突然、そんなこと・・・・失礼しますわ!」
マリアさんは私に手を引っ張られながら、モタモタと歩きつつも楽しそうに笑い
「ホホホッ!
まぁ!アンナさんったら!
照れなくてもいいのにっ!
好感が持てるお方でしたのに!」
人々の間を縫って外へ出ようと急いでいると、全身をコテコテにめかしこんだフランクフルトの高利貸しヤーコプ・ゴルトシュミットが目の前に立ちはだかった。
(その4へつづく)




