グリーンアルモニカ、ある貴族令嬢の憧憬と死 その2~羊飼いの美青年とフランクフルトの高利貸し~
あの人はまだ十五歳だったはず。
あの人の住処は石造りの小さなお家。
石でできた暖炉のそばに、お皿にのったパンとミルクが置いてあったので
「牧羊犬を飼ってるの?」
と聞くと、あの人は、はにかんだ笑顔で
「ううん。飼ってないよ!」
とひとことだけ答えると、目をそらして黙り込んでしまった。
春のきらめく陽光を映すエメラルドのように澄んだ緑色の瞳や、それを縁取る金色の睫毛。
光に透ける麦わら色の髪の毛を揺らし、私に微笑みかける、整った天使のように美しい顔立ち。
あの荘厳で静謐な瞬間を私は一生忘れられないでしょう。
彼の頭上には光輪が見え、背後には白い羽が見えたような気がした。
それほどまでに運命的な邂逅を、忘れられるわけがない。
あの人だって、何か感じたはずよ!
父上に彼の名前を尋ねると、ダニエル・オザリヴァンという名だと教えてくれた。
あのころはまだ父上が戦争で借金を背負う前だから、私たち家族の生活にも小旅行するだけの余裕があった。
戦争がはじまり、わずかな領地しか持たない小貴族である父上は、騎兵士官として部隊を率いて従軍するために、軍馬やサーベル・銃・弾薬などの武器や兵士たちの給料などの必要経費を、フランクフルトの高利貸しからの借り入れで賄った。
ジャガイモ戦争と呼ばれ、時間と金銭を浪費するだけの戦争が終わり、残ったのは、際限なく続く高利貸しからの返済を迫る督促の日々だった。
1780年x月x日
ついに父上から私の縁談について切り出された。
相手はあの、フランクフルトの高利貸しのヤーコプ・ゴルトシュミット。
彼の妾になれば借金を帳消しにする、と持ち掛けられたらしい。
以前から借金の取り立てに、ヤーコプ・ゴルトシュミットが我が家を訪れるたびに、いやらしい下卑た目つきで、全身を舐めまわすように見られる気がしてた。
父上は苦渋の表情で
「お前の決定に従うよ。嫌なら断ってもいいんだ。」
とおっしゃった。
けれど、もし我が家の借金がなくなれば、戦争中、農民が逃亡せずに残ったわずかな領地から上がる収入でも、家族は細々とこの先も暮らしていける。
もし私がヤーコプ・ゴルトシュミットに嫁がず、このまま借金が膨らんでどうにもならなくなれば、私たち家族は物乞いにまで身を落とさなければならない!
まだ幼い弟はどうなるの?
母上はテーブルに置いた私の手に手を重ね、私の目をジッと見て
「アンナ、よく考えてみて。
どんな相手に嫁いだって、最後は同じ。
生活に不安がない裕福な夫に嫁げば、女は一生安泰なのよ。
我が家の行く末はお前にかかっているの、どうか、それを理解して頂戴ね。」
懇願するような、私の機嫌を取るような、下手にでた卑屈な上目遣いで接する。
そう言われたって!!
嫌に決まってる!!
あんなっ!白い豚のような!禿げかけた、少ない細い髪の毛がべったりと張り付いた、脂ぎった、四十過ぎの太った強欲な中年男なんて!!
誰が結婚したいもんですかっ!
あの『ヴェニスの商人』のシャイロックのような男となんてっ!!
ああっ!でも、私のこの小さな痩せた肩に両親と弟の将来がかかってる!!
私がヤーコプ・ゴルトシュミットに嫁がなければ、我が家は全員が働いても、一生、利子を返すだけで精一杯になってしまう。
ああ、どうすればいいの!
1780年x月x日
以前からのお友達のマリア・アンナ・フォン・シュヴァルツェンベルクさんが、私の悩みを聞いてくれて、気分が晴れるようにと、音楽会に誘ってくれた。
久しぶりに引っ張り出した正装用のドレスは白地の平絹に赤や緑の植物柄を手描きしたチャイナ・シルクのローブ・ア・ラングレーズ。
シノワズリーが流行したのは少し前のことだけど、流行の最先端の縦縞のドレスを仕立てる余裕はないのでこのドレスで我慢しなくちゃ。
私だっておしゃれしたい年頃の娘だし、たまには綺麗なドレスを着て街を歩きたい!
三年前に、このドレスを父上に買ってもらった時は、それほどでもなかったけど、今となっては正装用のドレスがあることに、感謝してもしきれない。
でもこのおしゃれなドレスを着ると、ぴったりと上半身を包みボディラインが際立つし、コルセットの締め付けもあいまって身が引き締まる思いがする。
ただでさえ沈んだ気分なところに、悪目立ちして非難されることは避けたいので、大きく開いた胸元はフィシュー(スカーフ)できっちりと覆うことにした。
髪型は左右に巻き髪を残し、後ろは結い上げたバロック風で、レースのボンネットで髪を覆った。
今を時めく天才モーツアルトの演奏を聴けるのかしら?とわずかな希望に胸を躍らせていたけれど、マリアさん曰く
「モーツアルトはパリに滞在中よ。」
とのこと。
だけど、そこで素晴らしい出来事があったの!!
(その3へつづく)




