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29話 犬淡雪

「俺はまっさらな状態で語るのが得意じゃないから、まずは俺に対して質問があれば」


 彼は落ち着いた口調で言った。


 真っ先に問うべきことがある。

 でもそれが、今聞くべきことじゃ無いということだけははっきりとわかる。


 捻り出した答えで、私は問う。

 

「その前に、君のことを私はなんと呼べばいい」


「玲蘭でいいよ」


 玲蘭。一切の悩みも見せずに淡々と続ける。

 少し意外な返答だった。


「分かった。……玲蘭は、家族を知ってる?」


「知ってるよ。知ってる。父親も母親も、その名前も顔も、全部知ってる。けど……」


 彼にしては珍しく、言い淀むような仕草を見せた。

 それから続きを促して欲しいという意図を感じたから、私はそれを復唱する。


「けど?」


「妹の名前を、俺は知らない」


 多分、私には分からない感情だ。

 それが欠落した物なのではなくて、根本的にその存在を知りえない。故に、分からない。

 もしその対象を最愛の人に置き換えたとして、その本質は兄弟というものと等価になることは無い。


「俺が小学校に通ってる時に死んだ。俺はガキの頃の記憶がほとんどない。嫌な事件は少しだけ覚えてるけど、比較的日常的な出来事は何もかも忘れてる」


「私も、そういう節がある」


 思うだけでも良かった。

 いつも、言葉にすべきでない所で無性に声を上げたくなっていた。そんな気がした。


「それで、両親とも自由に生きるようになった。どこで吹っ切れたのかは確かじゃないけど、少なくとも最初から俺は愛されてなかった。これは俺の推測だけど、子供は女の子が良かったんじゃないかな」


 そう言って彼は腕を捲って、こちらに突き出した。


「昔、熱湯かけられた」


 その重篤さは私には分からないところだが、そこにはくっきりとした火傷跡が残っていた。


「今でも時々痛むんだ。……とまあそんな感じで、俺は親に捨てられてる。とは言え、法律の柵の中で生きるには、沈黙を唱えるのが一番だ」


 それは、私も同様だ。

 訴えを起こすこともできなければ、そうしようとすら思わない。なんとかなってしまうのが現実だから。


「家が空いてるのはそういうこと?」


「一応、去年の初め頃まで半年に一回くらい帰って来てた。けど離婚したし、親権を持った父親は帰らないって宣言してきたよ。わざわざ電話でね」


 彼は清々とした雰囲気を出す。もう気にしていない。俺は俺なりに好きに生きる。そういう意志の固め方をしているみたいだ。

 

 だとすれば、なぜ――


 

「生活に余裕があるのは、んー、直接的には言いたくないけど、ネットで活動してるから」


 

 偶然か必然か、やっぱり玲蘭は人間の感情を読むのが上手だ。私もそれは得意な方だけど、彼は相手の感情を意図的に誘発して、その答えを自分から示す。


 ネット。んー、なるほど?


「それは、私に知られたら困る?」


「困るって言うか、その……恥ずかしいじゃん?」


 敢えて間を作って、照れを演出する。

 私の目はそれ以上誤魔化せない。

 彼は感情を創り出すのが下手だ。それがわざとかもしれないとまで勘繰ってしまうのも、彼の怖さだ。


 知識欲は刺激された。興味を持ってそれを満たすのは人間であるからに求めるべきものだ。

 でも、それより先を私が知る必要はないような気もした。隠し事を無くそうと言っても、全くのゼロにするのは無理な話だ。望まないし、必要ない。

 知らない方がいい事は沢山ある。己の精神衛生を軽視する訳にもいかない。

 


「そう。まあとにかく、そこで充分な稼ぎがあるっていう解釈であってる?」


「うん。今すぐに活動を辞めたとしても、あと数年は楓を養ってあげれる自信がある」


 彼は恰も自慢げな姿勢をとる。

 

 それは良かった。

 みたいな事をほざいてみるべきだった。

 


「話してくれたから私のお金周りの話もするけど、私は私で家からお金持ってきた。勿論許可は貰ったし、手切れ金ってことで罪悪感は無い。ただ、この出処が綺麗な場所かどうかは私には分からない。それは前に皆に言った通り、父親が何をしでかしてるか分からないから」


 私の事情も少しだけ話しておく。さっきのは、それは次回に取っておけということなのだろうけど、類似した会話は廃れないうちにしておいた方がヒートアップして面白い。


 次いで円滑なキャッチボールが行われる。

 

「その金をどう使うかは結局楓次第だから、俺はそこに口出しはしない」


「あと母親は生きてるかすら知らない。顔も名前も知らない。父親曰く、海外に居るんだってさ」


「まあ、十中八九……ってとこか。ん、そこに未練はあんの?」


 相変わらずのノンデリ気質が見れて少し安堵する。


「ある訳ない。赤の他人だよ」


 彼は返答に困った様子で声を出して意図的に苦笑いをする。そこには独特な表情が浮かび上がっていて、入門玲蘭において初めて見るタイプの顔をしていた。

 

 私は答えを間違えたのだろうか。彼の望んでいたそれに近しいものを出した。

 だと言うのに、訳も分からない。



 

"それはどこか儚げで疑惑的な、曖昧な表情だ"



 

 もし彼が親族に対しての未練を尚も抱えているとすれば、私には到底理解できない心理動向だ。

 しかし、時に。現実と逃避行は乖離していて、まるで切られたタコ脚のように、交錯した何かでブラックボックスが埋め尽くされる可能性がある。


 それを問うべきか悩んで、結局私は言い出せそうにもない。彼が自発的にその答えをくれるような気がして、主導権を持った人間にそれを委ねたことを後々になって後悔した。



「こんな事を言うのは失礼かもしれないけど」


 彼は突然、思い立ったように言い放った。

 

 失礼なことは散々言われてきた。

 だから、今更これをただの妄言と思って聞くことは無い。


 私は頷くことで続きを促した。


()は楓を、大切な親友に重ねてしまっている。だから、それだけで楓を丁重に扱う理由がある」


 急に、よく分からないことを言い出す。


「どういうこと?」


「まあ、遠慮しないでいいってことだよ。ほら、少し話が逸れすぎた。他に聞きたいことは?」


 

 話を逸らしたのはお前だ。

 でも、引き留めるのは少々無理がある。

 多分、この奥底に眠った感情を引き出してしまったのは私で、それを私が知ったところで何も変わらない。多少の興味はあるけど、知らなくても後に靄が発生する部分では無いのは確かだ。


 だから、結局追求はできない。

 私にはその権利がない。


 

「私は、邪魔じゃない……?」


 

 その答えはどうせ分かっている。

 さっきと言葉が被ったけど、その本質は180度別のもの。対象も然りだ。

 奇妙な程の時間が空いて、それで、彼は口を開く。

 

 

「うん。」

 


 彼は暗くなった足元を覗いて、感傷的な気分に浸っていた。あの日、私がそうしていたように。

 感情の末端でも、その嵐に曝され続ければ誰でも影響を受けてしまう。マイクロプラスチックは、やがて衝動的な暴発を余儀なくさせる。


 乱雑に整えられた綺麗な黒髪は、陽の光を一様に纏っていた。手前にはその小さな影が鉄パイプと共に伸びていた。彼は前髪をかきあげて、耳にかけた。それで、無理矢理笑顔を作る。


 

 

「ごめん、疲れた」



 

 瞳の奥に、光が滲む。その声は、酷く震えていた。

 

 太陽を背にして、彼はその縁を紡いでいた。

 何度も繰り返すように。まっすぐな少年は、壊れてしまいそうな程に繊細な愁いを顕にした。

 彼は立ち上がって大きく息を吐いて、それから私に背を向けた。

 その一瞬の煌めきが、何とも言い表せない、彼の感情の全てを投影したものとして私に伝播した。



「あのさ」



 私の声は、空虚に響く。



「私は玲蘭のこと、家族だと思うことにするよ」



 普通の家族がどうとか、愛情とか、私たちには分かりっこない。それでも、耽美で、少しの恥じらいを含んだ、そういう告白をしてみた。



「うん」



 肯定でも否定でもない。

 ただ彼はそれを受け付けた。


 狡い逃げ方だ。

 それで、もやもやさせられるのは私なんだから。



 

 でも、私は今日……


 入門玲蘭という人間をほんの1%だけでも、本当の意味で理解できた気がした。



「じゃ、私は帰る。いつでも、話せる時に話したいことを話そう。ちょっとずつでいいから、信頼したい」


 ここで帰るのは、逃げだ。

 でも、それは入門玲蘭を救う行為でもある。


 

「いや、俺も一緒に帰ってもいい?」



 はぁ……。

 全くもって、救えない男だ。




 ◇ ◇ ◇



 帰り道、暗がりが深まっていく最中にも私達は初めての対話の延長戦を続けた。

 それは感情的なものでは無い。あくまで、論理的で、理性的なコンタクトだ。


 ネットでの活動というのを詳しく聞けば、彼はゲーム配信を通して様々な活動を行っているらしい。今回の遠征も、それに関連したイベントに呼ばれて参加するとのことだ。

 私には無縁の世界だしあまり分からないけど、そこで活躍する入門の姿に少しだけ興味はある。


 とは言え、これ以上私が踏み込むのを彼は良く思わないみたいだから、触れないでおいた。

 

 しかしその活動とやらと勉強と生徒会……流石に心配にはなってしまう。


 家に着く間際、さりげなく月曜日の事を再度謝ってみた。

 すると、彼は生徒会室で言っていた、私と誰かを重ねているという話を気まずそうにもう一度語った。

 踏み込むのは憚られるが、よほど大事な人らしい。

 それこそ、世間一般の、夜遅くに子供が外出するのを咎める親のような構図だ。


 玄関のドアを開けると、そこには所謂実家のような安心感があった。

 たくさん、勇気を出した。精神的な疲労は、肉体的な疲労よりも消耗が激しい。どっと疲れて、暖房の温かい空気に包まれればすぐさま眠気に襲われる。


 帰りにスーパーでご飯を買ってきたので、お互いに別々のタイミングで食事を摂ることにした。

 彼は明日に向けても配信をするらしく、申し訳なさそうに私に告げた。


 一緒にご飯を食べるとか、別にそういうのは求めてない。家族という定義をどう構えるかは人それぞれだ。そこに普遍的なものはないし、異質なものが欲しい訳では無い。



 結局、私の話は何もできなかった。

 玲蘭が大きく分けたという二種類のうちの一つが、きっと"私"についてだ。だから、玲蘭から話し始めるか、私から話し始めるかという二択を迫られた。


 私だけ身の上話をできていない現状にモヤるし、もう数日はその状態で放置されるという事実に納得はいかないけど、玲蘭の話を先に聞くという選択は、絶対的に正解だったとも思う。


 "信頼"という点においては、一時的かもしれないけど、私のメンタルは保たれた。

 おそらくは玲蘭も、変なモヤモヤを減らした状態でイベントに参加できるはず。


 だから、今日は自分を褒めたい。

 そしてその褒美として、ちょっと割高だけどケーキも買ってきた。

 お風呂に入って弁当を食べて、課題を進めて。それからの楽しみという事にする。



 

 ある程度日課を終えた所で、あることを思い出す。


 スマホで琉花のトーク履歴を探して電話をかける。

 普通はアポを取るべきなんだけど、面倒臭いからいつも唐突にかける。向こうも基本は一人だし、大丈夫でしょ……。



 10秒くらい電話のコール音が鳴って、いつもの声が聞こえてくる。


「もしもし」


「ふわぁあ、どうしたのぉ?」


「もしかして起こした? ごめん」


「んーん、美奈の為なら深夜の三時でも飛び起きるよ」


 電話越しに、けほけほと咳をする音が聞こえた。

 風邪とかじゃなけりゃまあいいんだけど。


 

「なんか、葵とかりんって分かるよね?」


「え?」


「ちょっと仲良くなったんだけど」


「え?」


「その……どんな人なのかな~って」


「え!? そこ接点できるまじ!?」


 寝起きだからかテンション感がよく分からない。

 しかも、華鶴のおかげで。なんて言える訳が無い。


「ま、まあいいや、なんか変なことされたり言われたりしなかった?」


「かりんはなんか、存在自体がもう既に変ではあった。あと、颯希君も一応話した」


「あー……どうしよ……どんくらい心配?」


 どのくらいかと言われると、100%心配ではあるんだけど、琉花の言いたいことも少しだけ分かる。


「今朝琉花が出会ったかもしれない、わんちゃんの顔の可愛さ度合いくらいかな」


「たぶん出会ってないけど……。まあ、少なくともかりんと颯希はそこで殴り合わせておけば大丈夫。悪い奴らじゃないし、精々波長合わないかもとかそのくらいかなー。あーちゃんだけはちょっと色んな意味で注意が……あ、葵のことね」


「え、葵って私の中で一番まとも枠なんだけど」


「んふ、まあまあまあ、私からこれ以上言うのは野暮ってもんよ! あとは自分の目で確かめな~」


 琉花が手放しでそれを勧めてくるってことは、悪い人達じゃないという最低保証だ。

 御最もな意見だし、聞く前からそう言われるような気はしてたから、大人しく未来を楽しむことにしよう。


「ところでなんかいい事でもあった?」


 琉花が尋ねる。

 声色に何かが出ていたかもしれない。

 決して浮かれている訳では無い。


「ケーキ買ってきたから楽しみなんだよね」


「えなにそれ可愛いんだけど。あざと。どこで覚えたの? それ。男か? 誰に仕組まれた?えへへ」


 こわい。こわいよ。

 琉花の暴走が始まりそうだったので、いい感じに欠伸をして眠気をアピールしてみる。


「ん~ねむい」


「え?ねおちもちもちしたいって? いーよ?」


 テンション高いのどっちだよほんとに。


「じゃ、ま、またね!」


「あ、ちょっ――」


 

 ポロン。

 小気味よく通話が切れた音がする。


 ふぅ……。これ以上頭を使っちゃうと、明日の頭痛が酷くなりそうな気がする。そんなのは御免だ。

 

 宣言通り、最後に糖分を取って寝ることにした。

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