第9話 力の差、それは理性の距離
強化式とは――。
物体に神力で式を刻み込むことで、あらかじめ内部に組み込んだプログラムを発生させる技術。その本質は、無機質な存在に無理やり神力を付与するための『疑似的な回路』を作ることにあった。
それを今、脳内に直接式を思い描いている。
自分の肉体をそのままお札のような依代とするならば、式を刻むという条件は確かに満たされているのだ。
菅井蒼人の肉体は今、異様な状態にあった。
本来であれば、何年もの長い訓練を経ることで少しずつ感覚を掴んでいく、体内のデリケートな神力の流れ。その制御を、脳内のプログラムによって強制的に繋ぎ合わせた超高負荷の状態。
一筆でも脳内の式を間違えれば、プログラムは瞬時に瓦解し、僕の神経は焼き切れる。それを可能にしているのは、これまで僕が幾度となくお札に式を刻み続けてきた、執念に近い膨大な経験からだった。
本来は、0の強度を10にするための技術。
ならば、すでに神装の備わった10の肉体をさらに無理やり強化するのなら、その出力の増大率はどれ程になるか。
一歩間違えれば、己の命を劇的に縮める。
それほどまでに、粗暴で、危険極まりない禁忌の技術だった。
◇
身体の表面に浮かび上がる幾何学の式が、闇夜の中で煌々と青白く輝く。
全神経が鋭敏に研ぎ澄まされ、視界に捉えるのは、目の前に立つテンラの姿だけだった。
「……ぁ……ぁ……」
テンラが口元を歪めて何かを話しているが、脳内回路の演算ノイズのせいで上手く耳に聴き取れない。そんな雑音はどうでもよかった。
「いくよ」
僕は短く呟き、溢れ出る圧倒的な神力に肉体を委ねた。
強烈な踏み込み。爆発的な速度で踏み出した足は瞬時にテンラの間合いを捉え、真っ直ぐに突き出した槍は、夜の風を鋭く割いていく。
――ギンッ!!
しかし、その神速の切っ先はテンラの銃身によって寸前でいなされ、虚しく空を突いた。
すかさずテンラの鋭い反撃の蹴りが迫る。脳内の式がその軌道に反応し、引いた槍の柄で何とかその衝撃を受け止める。
直後、二丁の銃口からノータイムの銃撃が僕を襲う。
引き金が引かれるわずかな一瞬の指の動きが、今の僕の眼にははっきりと視えている。放たれる弾道が事前にわかるなら、避けるために距離を取る利点はない。
僕はあえて前に踏み込み、銃撃を紙一重の最小限の動きでかわし切る。
間髪入れず、ゼロ距離から槍を大きく振るった。鋭い切っ先が、テンラの無防備な首元へと確実に到達する。
(獲った……!)
そう確信した、その刹那だった。
テンラの身体の表面に、ハニカム状の強固な光のシールドが突如として姿を現した。
――ギギギンッ!!!
槍はシールドをなぞり、空を切る。シールドはすぐさま崩れさる。
――その様子を、僕は知っている。
忘れるはずがない。僕が路地裏で飛行型トガビトに奇襲を仕掛けた時、僕の槍を完璧に弾き返した、あの禍々しい防壁と全く同じものだ。
しかし、初めてまともに捉えた攻撃。この事実は変わらない。
「はっはぁー!! いいねぇ!!」
テンラが狂ったように笑い、二丁の銃口からノータイムの激しい連射を浴びせてくる。
僕はそれを肉体強化の速度で躱し、槍の腹で防ぐ。
激しい銃撃のブレの隙を突き、テンラの重い掌底が僕の胸元を鋭く捉えた。
僕はあえて身体を捻りながら槍の柄でその一撃を受け、その押し出される衝撃のエネルギーをそのまま利用して、テンラの脇腹へと強烈なカウンターの蹴りを叩き込んだ。
完璧に決まった、そう思った。しかし、テンラは空いた左腕で当然のようにその蹴りを平然と受け止めていた。化け物め。
「ギアを上げろ、ガキ!」
テンラが凶暴に笑い、さらに一歩深く間合いを踏み込んでくる。掌底、突き、蹴り。奴の攻撃がさらに速度を上げて加速していく。
僕も一歩も引かずに、脳内の式をフル回転させてそれに応じた。
周囲の景色が静止するほどの、超高速の至極のインファイト。
目まぐるしく交錯する打撃の嵐の中、再び僕の顔面を狙う黒い銃口が牙を剥く。
対策はもう、頭の中でわかっている。引き金を引く、その一瞬の指の瞬間だけに意識を集中させる。
テンラが不敵に笑い、引き金に指をかけた。
(まだだ……。放たれるその瞬間まで、引きつけるんだ……!)
弾丸が放たれる絶対の瞬間を狙いすまし、そこへ最大のカウンターを合わせようと槍を引いた。
「……えっ」
ドォン!!!
引き金は、まだ動いていなかった。それなのに、テンラの銃口から神力の弾丸がすでに放たれていたのだ。指の動きを介さない、未知の射撃。
限まで尖らせていた反応は間に合わず、放たれた凶弾は、僕の左肩を容赦なく撃ち抜いた。
「ガァッ……!?」
左肩の肉が丸ごと抉れ、夜の闇に鮮血が激しく噴き出す。脳が焼き切れるほどの激痛が走り、身体が衝撃で後ろへと大きく吹き飛んだ。
――強化式の欠点があらわになる。
蒼人が肉体に刻んだ式は『強化』のみ。それは、普段ナイフなどに刻んでいた強度を上げ、疑似的な神装を作り出していたものと全く同じロジックだった。
強化式によって体内の神力のすべてを出力へと繋ぎ合わせた代償として、観測者が無意識に行っているはずの基礎的な神力操作――肉体を守る『防御』や、傷を癒す『回復』の効力は、今の蒼人の体内からは完全に消失していたのだ。
強化式はあまりにも複雑なプログラムだった。
もし十分な時間があれば、『防御』や『回復』の術式も含めて完璧な回路を組むことも出来ただろう。しかし、戦いの最中にある今の蒼人に、そんな複雑なコードを思考する猶予など、1秒たりとも残されてはいなかった。
「ぐぅっ……、あ……っ!」
左肩の激痛に歯を食いしばり、床に血を滴らせながら、僕は執念で体勢を立て直そうとする。
しかし、百戦錬磨のテンラが、その絶好の隙を見逃すはずもなかった。
視界がブレた一瞬、追撃の強烈な蹴りが、僕の腹部を正確に直撃した。
「がはぁっ……!!」
口から大量の鮮血を吐き出し、僕は屋上のコンクリートの上を激しく転がっていった。壊れたフェンスの、屋上の縁寸前のところで、槍を強引に床へ突き立てて何とか滑落を止める。
「よう。惜しかったなぁ、蒼人。念の為にヤガミの結界を貼ってて、本当に助かったぜ」
「なんで……。お前が、それを……持っている……っ」
――なぜ、あの時のトガビトと同じ結界を、人間であるお前が使っているんだ。
僕は血を拭い、息を切らしながらテンラを睨み据えた。
「んー? 見たことあるような口ぶりだなぁ。こいつは、ヤガミ特製の結界術だ。あー……なんかのヤツを真似したみてぇな事言合ってたけな……。まぁ、お前には関係ねぇか」
テンラは銃口をぶら下げ、勝ちを確信した足取りで、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
「こいつは便利でよー。神力の消費は半端じゃねぇが、式が回復さえすれば何度でも自動で使える。お前のその奇妙な強化式には驚いたが、まだまだその程度じゃ、精々俺と同じ土俵に立つまでだな。俺たちは常に命を奪い合ってるんだ。一撃で勝負を決めるなんてのは、この世界じゃ有り得ねぇ。二手三手、いくつも裏の弾を隠し持ってるもんだぜ?」
(……くっそ。痛ぇ、身体が動かない……っ)
肩と腹部の激痛で、脳内の思考が散漫になっていく。土壇場で強引に組み上げた脳内の回路が、ダメージのせいで崩壊寸前だった。
(再生の式を組み込むか……? それとも防御……。いや、ダメだ。強化以外の術式の正確さは、今の僕には自信がない。ぶっつけ本番で試すだけ無駄だ)
「……なぁ。あんたら組織の目的はなんなんだ? 美宇を連れ去って……一体、何をするつもりなんだよ……!」
僕は力を振り絞り、問いかける。
(乗ってこい……。もう少しだけ話せ……あと少し時間が経てば、この激痛に脳が慣れる……っ)
「あん? それを知ってどうする。お前はここで無様に死んで、あの子は晴れて『実験体』に逆戻り。それだけだろ?」
「実験体……? 美宇が……?」
「なんだ、自分の幼馴染のことも何も知らねぇのか。これ以上教えてやる義理はねぇなぁ。知りてぇのなら、俺の腕でも叩き落としてからにするんだな!」
「――わかったよ。それで、充分だ」
僕は大きく溜まった息を吐き出した。傷は深い。痛みもある。
けれど、テンラのその傲慢な言葉のおかげで、僕の思考は完全にクリアに澄み渡った。
「なんだよ。こっからが本番じゃねぇか」
そう言って、テンラは凶悪に笑う。未だに圧倒的な余裕の佇まいをテンラは見せる。




