第10話 狂気は常に
「ふー……」
僕は槍を握り直し、テンラに向かって真っ直ぐに構え直した。
脳内の強化式を再び巡らせる。今度は先ほどのような怒りに任せた力任せではなく、冷徹に、思考の隅々まで丁寧に数式を巡らせていく。
……ビルの屋上に、夜の風の音がよく聴こえた。
その風の速度に乗るように、僕は静かに一歩を踏み出した。
静かな風のなか、僕たちは再び激しく火花を散らして交錯する。
大胆に、かつ慎重に。
考慮すべき不確定要素は、奴の『一撃に限りあらゆる攻撃を防ぐ結界』と『引き金を引かずに放たれる銃撃』の二つだけだ。
――一歩も引くな。僕がこのバトルの主導権を握るんだ。
思考を研ぎ澄まし、槍を突き出す。防がれる。間髪入れず、引き戻した刃でさらに次の突きを放つ。連続の猛攻。
銃撃に関しては、そんな特殊な技があるとあらかじめ分かってさえいれば、対応はできる。回避の意識を常に頭の片隅に持っていれば、もう不意を突かれる恐怖は無い。
「ははっ!! 殴り合い、大好きなんだなぁ、お前!!」
テンラの二丁の銃身による打撃は重く、槍の柄で防いでも、肉体を伝って身体の奥へと激しく響いてくる。
……やはり、一番の厄介な壁は『一撃に限り防ぐ結界』だ。さっき僕の攻撃で壊した防壁は、すでに時間経過で回復しているはず。次の一撃で結界を壊し、間を置かずに、今度はその直後に完璧な二撃目を叩き込まなければ、奴の肉体には届かない。
(……一歩も引くな。僕がこのバトルの主導権を握るんだ)
チャンスは、おそらく一度きり。結界を割るだけなら、何度か小突けばできるかもしれない。しかし、テンラのような強者がその後の追撃を黙って許すはずがないのだ。式が回復するまでの数秒間、徹底的に回避に専念されたら、ジリ貧の僕に為す術はなくなる。
(……やるなら同時だ。一回の僅かな隙の間に、二発の攻撃を同時に叩き込む)
僕は超高速で思考を巡らせる。
けれど、今の僕に決定的に足りないのは、やはり『手数』だった。間合いの長いこの槍では、構造上、瞬時に二度の攻撃をほぼ同時に放つことは不可能なのだ。
今の手持ちの技術で、できることを死に物狂いで考える。
テンラにまだ一度も見せていない、僕の『二手目の武器』を使うんだ。
「おいおい! これじゃぁさっきと何も変わんねぇぞ! ジリ貧だぜ、蒼人!」
ドン! ドン! ドン!!
テンラが挑発の銃撃を放つ。僕は後ろに大きく飛んでそれを避ける。深追いの追撃は無い。
「おらおら! もっと楽しませてくれよ!!」
(ちっ……。うるせぇな。言われなくてもわかってんだよ)
策は、もう脳裏に思い浮かんでいた。それしかないと、確信している。
僕に足りないのは、ただ一つの覚悟だけだ。
もう一度、あの血塗られた刀を強く握る覚悟だけ――。
僕は激しく歯を食いしばり、テンラから離れるように屋上の外側、フェンスの壊れた崖の縁に向かって全力で走り出した。
(……やるしかないんだ!)
そのまま、躊躇なく夜空の空中へと勢いよく跳び出す。
「あん!? 逃げんのか、ヘタレが! どこに隠れても無駄だってのは、さっきわかっただろ!」
「……逃げねぇよ」
僕は空中で急反転し、手にした槍をマンションの外壁に力任せに突き刺した。
それを支点のブレーキにし、下の階の窓ガラスを突き破って、天井の壊れた部屋の階下へと飛び込んでいく。
着地の衝撃に耐えながら、僕はズボンのポケットに強引に手を入れ、いつかのお札の残りを掴み出した。いつ入れて置いたのだろう、数枚のくしゃくしゃになったお札がそこにあった。
「下だと? 一体何がしてぇんだ、お前は!」
ドォン! ドドォン!!!
すぐさま追ってきたテンラが銃撃を放ち、天井のコンクリートを派手に破壊して僕の目の前へと降り立つ。
階下に降りてきたテンラの目の前に、僕は数枚のお札を空中にばら撒いた。
「――『浄火』!!」
僕がそう唱えた瞬間、お札が激しく反応し、猛烈な青白い炎が生まれ、二人の視界を阻む巨大な壁となった。
「はっ! どっかに隠してやがったのか! こんな目くらまし、一回上で見てんだよ! 同じ手が通用するかよ! 舐めてんじゃねぇぞガキが!」
ドン! ドン!
テンラは炎に向かって容赦なく銃撃を放ち、爆炎を強引に突き破ってストレートに突っ込んでくる。
――その、突破してくる絶対の瞬間を、僕は狙っていた。
僕は姿勢を限界まで低くし、突っ込んできたテンラの足元、視界の死角へと鋭く潜り込んだ。
(……一瞬でいい。今はただ、目の前のこの男を斬るために――!)
僕は脳内の強化式の出力を、限界を超えて最大限にブーストさせた。回路が真っ赤に焼き切れるような感覚。
……怖い。当然、刀を握れば、あの時の血を流す美宇の悪夢の姿が蘇るだろう。
わかっている。そんなことは百も承知だ。それでも……それでも、今は!!
「お前が必要なんだ……! 神装展開――『骸月』!!!」
腕輪が主の悲痛な叫びに激しく呼応し、まばゆい光の粒子を放つ。
炎の影で、瞬く間に僕の右手に一振りの刀が顕現した。
握った瞬間、予想通り、脳をハンマーで殴られたような強烈な頭痛と美宇の絶叫が僕の意識を襲う。
――けれど、もう、絶対に離さない。
そんなトラウマの恐怖なんて、どうでも良くなる程に、僕は目の前のテンラの肉体だけに全意識を向けた。
(殺す……斬る……殺す……斬る……殺す……殺す、殺す、殺す――!!!)
力強く、執念だけで握りしめた刀を、僕は下から勢いよく斜め上へと切り上げた。
ガギィィン!!!
狙い通り、放たれた強烈な一撃目はテンラの自動結界へと直撃し、それを衝撃のまま木端微塵に粉砕した。
「くっ……!?」
テンラは結界を破られたことに驚愕しつつも、すぐさま超人的な反応速度で後方への回避体勢を取ろうとする。
しかし――その刹那、僕の脳内強化式の演算速度が、初めてテンラの反応速度を完全に凌駕した。
完璧な、二撃目の踏み込み。
結界の破片が舞う中、上空から真っ直ぐに斬り降ろされた『骸月』の鋭い刀身の軌跡は、テンラの無防備な右腕を深く捉えた。
ザシュッ!!!
夜の部屋に鮮烈な血しぶきが舞い、テンラの右腕が、肘の根元から綺麗に切断されて遠くの床へと転がった。
「はぁっ……はぁっ……。……やった……!」
僕は刀を構えたまま、激しい呼吸でよろめく。
テンラは、右腕の無くなった激しい傷口を左手で必死に押さえ、信じられないものを見る目で後ずさっていった。
しかし、次の瞬間。
「ははっ。……アッハッハ!!! 最っ高だよ!! 蒼人お前!!!」
常人ならショック死するほどの激痛があるはず永久に、テンラは顔を血に染めながら、楽しそうに、狂気的に大声で笑いはじめた。
「終わりだ、テンラ。これ以上やっても僕が勝つ。さっきの目的の続きを、美宇の実験体の話を、全部話して貰うよ」
「んー? そうだな。腕を落とされたら話すって、さっき約束したもんなぁ……」
テンラは不気味に笑いながら、傷口を抑えるその左手に、ありったけの濃密な神力を集中させた。
「おい……!」
「ハハッ!! やっぱ今の約束はナシだ!! こんなに楽しい殺し合い、まだ終わらせねぇよ!!」
テンラの傷口の肉が蠢き、流れる血の量が目に見えて少なくなっていく。超高速の肉体再生。
「回復……!? ちっ、させるか!!」
僕はもう一度、執念で地面を蹴り、テンラの首を刎ねるために刀を振りかざして斬りかかった。
「――そこまでだ」
冷徹な一言。
その瞬間、辺りの部屋の空気が数十度一気に下がったような、本能的な凄まじい悪寒が僕の背中をなぞった。
ビキィン!!!
テンラの身体を囲むように、強固な漆黒の結界が突由として現れ、僕の振り抜いた渾身の刀の刃は硬く防がれた。
「終わりだ、テンラ。目的はすでに達成した」
「お前は……」
天井の壊れた部屋の上空、屋上のフェンスに静かに降り立っていたヤガミの姿を、僕は下から憎々しげに見上げた。
「ヤガミぃ……。良いところなんだよぉ。邪魔すんなよ、俺はまだこいつと……」
「右腕を失い、これ以上の戦闘は満身創痍で効率が悪い。……くだらないな、テンラ」
「んだと、てめぇ……」
「私たちの本来の仕事は、佐伯美宇を無さに連れて帰ることだ。私欲で動くな。それとも――そのまま私にここで潰されるか?」
ヤガミが冷たく印を結ぶと、テンラを囲む結界が、みしみしと音を立てて肉体を押し潰すように少し縮まった。
「……ちっ。わかったよ。でもよヤガミ、コイツを生かしてたら後々俺たちの邪魔になるんじゃねぇの?」
「お前の腕を不意打ちで落とせるレベル。が、その程度だ。私たちの命を本気で奪う程の器ではない。計画の妨げにもならないだろう。放っておけ」
「そうかよ。……だってよ、蒼人」
結界の向こうから、テンラが僕をねっとりとした目で見つめる。
「このまま、お前たちを見逃す訳ないだろ……! 美宇をまだ助けられてない、お前たちの計画の全貌も分かってないのに……!」
「ははっ!! そうだよなぁ! 俺はまだまだお前と遊びてぇんだ。また、世界のどこかで殺し合おうぜ。じゃあな、蒼人」
ヤガミの結界に囲まれたまま、テンラとヤガミの姿が、掻き消えるように一瞬でその場から消失した。空間転移の結界術。どこか別の場所へと移動してしまったのだ。
「おい!! 待てよ、待てってんだろ!!」
叫びながら、僕は刀を握り締めて壊れた天井から屋上へと飛び上がった。
「菅井……蒼人だったか」
どこからか、去り際のヤガミの声だけが、風に乗って耳元に冷たく響いた。
「お前はやはり――似ていないな」
「は? なんだそれ! 待てって、言ってんだろ!!」
しかし、僕の虚しい叫びに応える者はもう誰もいなかった。
「くっ……そっ……がああああああ!!!!」
誰もいなくなった静かな屋上で、僕はただ、夜空に向かって咆哮した。
振るった僕の本来の刃は、自らの死を免れさせただけで、戦況は何一つ変わらず、美宇の元へはついに手が届かなかった。
脳内の強化式が限界を迎え、光の粒子となって解けていく。
無理矢理プログラムで動かしていた身体が、糸の切れた人形のように膝から崩れ落ちた。
ボロボロになった肉体に、我慢していた激痛が一気に押し寄せる。呼吸をするのすら苦しいほどの凄まじいダメージ。
「……まだだ。こんなくらいで、止まって、たまるか。美宇を、絶対に……」
目の前で見せつけられた、敵の組織との圧倒的な力の差。
けれど、それ以上に、美宇をすぐそこで助けられなかった己の無力さへの悔しさが、激しく僕の胸を突き動かす。
身体の奥底から溢れ出る執念の感情だけで、僕はボロボロの肉体を何とか奮い立たせた。奴らの真の目的も、アジトの居場所すら今はまだ分からないけれど。
その時、僕の強い感情に呼応したのか、手の中の『骸月』の刀身が、優しく淡い光を放ってピクリと反応した。
「……そうだね。わかってるよ」
『骸月』の刃から伝わってくる微かな感覚は、僕の荒れ狂う心を優しくなだめるような、そんな温かいものだった。
(……今のままの僕じゃ、奴らには絶対に勝てない。でも、今の僕に何ができる? 強くなる……。そんなことは、わかっているんだ)
脳内強化式の精度と、本来の神装である『骸月』のトラウマの克服。この二つの練度を極限まで上げるしか、今の僕に残された道は無い。
幸い、この町はトガビトの溢れる地獄の真っ只中だ。特訓の練習相手なら、周囲に無限に転がっている。
「あー……変わんないなぁ。こんな目に遭っても、まだ……」
屋上の縁から、僕は遠くを見つめる。
荒廃した町のはるか向こう、夜の闇の中で、『祈りの丘』の巨大な大樹だけが、未だ燦然と不気味に、そして美しく輝きを増していた。
災いは深く、さらに世界の中心で、混沌の渦を巻いていく――。




