第11話 月は満ち、日は欠ける。幕は黒く滲ませて
――佐伯家所有、地下秘密研究所。
外の世界の崩壊が嘘のように静まり返った、一面ガラス張りの小部屋が整然と並ぶ冷たい空間。その一角で、膨大な研究資料を黙々と整理する一人の少女がいた。
「なんで、わたしがこんなことを……。ヤガミ達は外の実戦に行ってるし、わたしに指示を出した本人は部屋にこもって一歩も出てこないし……」
不満を漏らすフタバの耳に、静かな廊下からカッカッカッ、と小気味よい硬い足音が近づいてくるのが聞こえた。直後、重い防音扉が乱暴に開く。
「お。フタバ、一人か?」
「あ、おかえりテンラ。……一人なの?」
「ああ。ちょーと外でヘマしちまってな。ヤガミの野郎に、お荷物は先に帰れって追い返されたんだよ」
悪びれる様子もなくそう言って、テンラは包帯が雑に巻かれた、自分の右肩から先をフタバの目の前に突き出した。本来あるはずの、逞しい右腕が根元から消失している。
「わぁあ……っ! あんたのその腕を切り落とすなんて、外で一体何があったのよ?」
「んあ? あー、ちょっと面白い、最高の玩具がいてなぁ」
「ふーん、そう。……その腕、ここで治す?」
「問題ねぇよ。止血の応急処置は自分でやったし、切り落とされた腕はあっちの現場にそのまま置いてきちまったからな。ハハハッ!」
「ふーん……」
右腕を失い、見るからに満身創痍の重傷のはず。それなのに、痛みを忘れたように狂気的な軽い笑い声をあげるテンラの姿に、フタバは背筋が凍るような本能的な恐怖を抱いていた。
「んで、ボスはどこだ?」
「部屋にこもってるよ。今日はずーっと。何かの研究の最終調整だって」
「そうかぁ。まぁ、それなら詳しい報告はヤガミが戻ってきてからでいいかぁ」
「……ねぇ」
「あん?」
「あんたの腕をそこまで無惨に落とした相手って、一体――」
フタバが核心に触れようとした言葉を冷たく遮るように、再び部屋の防音扉が静かに開いた。
「お、タイミングよく帰ってきたな」
テンラとは真逆で、仕事の後だというのに服に汚れ一つついていない、冷徹な佇まいのヤガミが姿を現した。そしてそのすぐ後ろを、泥をかぶった顔で見るからに不機嫌そうに歩くミクライがついてくる。
「なんだミクライ、お前生きてたんだなぁ。トガビトの獣型に派手に吹っ飛ばされてたから、てっきりそのまま食われたかと思ったぜ」
「ちっ……! わたしが、あんな下級のトガビトごときで死ぬわけないでしょ。それより! テンラ、あんた最初から見えてたでしょ。あのトガビトが背後から動いてたの」
「あぁー? 知らねぇなー。化け物が飛び出してきた瞬間に、自分の神力を完璧に抑え込まねぇお前の技術が急に悪ぃんだろ。奴らは大抵、そういう無防備な神力を垂れ流してる獲物を狙ってんだからよ。それに……」
テンラが言葉を不気味に止め、ミクライの顔をチラリと横目で睨み据えた。
「それに、何よ」
「はっ。お前が現地で死のうが、俺には1ミリも関係ねぇからな」
「はぁ?」
「お前が死んでも、俺一人で任務は完璧にこなせる。上の命令さえ果たせば、俺の取り分の報酬は減らない。むしろ死んでくれれば取り分は増えるか? さらには、あの上等な強いヤツとの殺し合いを、今度は俺一人で独り占め出来る。なんだよ、俺にとってはメリットしかねぇな! ハハハッ!」
「……ヤガミから全部聴いたよ? あんた、あの子――菅井蒼人に、その右腕を叩き落とされたんだってね」
「ああ。ホラ、これよ。最っ高に楽しかったぜぇ……」
ミクライの剥き出しの嫌がらせに対し、テンラは逆に嬉しそうに、失われた右肩の断面を誇示するように見せつけた。
「ふん。イキがっちゃって。結局はあのガキに負けて、シッポ巻いて逃げ帰っただけでしょ。醜いアンタがそのまま死んだ方が、組織のためにも良かったんじゃない?」
「んだとテメェ、殺すぞ」
「わっ……! ちょっと、二人ともやめなよ……っ」
今にもこの部屋で本気の殺し合いを始めそうな、テンラとミクライ。仲裁しようとするフタバの声は、殺気に火がついた二人の耳には全く届いていない。
ヤガミはその醜い言い争いを完全に無視し、淡々と手元で透明な『結界の箱』を虚空に作りだし、何かの召喚の準備を始めていた。
「ちょっと、ヤガミ。何とかしてよ、このイカれた二人を」
「好きにさせておけ。私は与えられた任務の遂行以外、人間の感情に興味はない」
「えぇ……」
フタバの諦めのこもった深いため息が、無機質な白い部屋の空間に虚しく消えていく。
ヤガミは完成した結界の箱に、右手を上から厳かに添えた。
「――『来』」
ヤガミが低く唱えると、空間が歪み、透明な結界の箱の中に一人の少女の肉体が静かに現れた。
右目に、見慣れた白い眼帯を付けた少女。意識を完全に失ったまま横たわる、佐伯美宇の姿だった。
「……美宇様!?」
フタバは持っていた資料を放り出し、すぐさま美宇の眠る箱へと駆け寄った。
「ヤガミ、これはどういうこと……?」
「お前、上から何も聞いていないのか? この地獄の町から佐伯美宇を無事に連れて帰ること。それこそが、私たちが今回直々に言い渡された絶対の任務だ」
「美宇……? 美宇なのか……っ!?」
その時、ガラス張りの隔離部屋の一つから、押し殺した男の悲痛な声が響いた。
部屋の奥にいたのは、囚われの身となっていた美宇の父親であり、この町の災禍の元凶であるはずの男――佐伯一幸だった。
「美宇……本当に無事だったのか……っ! 怪我をしてるんじゃないか!? フタバ! 頼む、すぐに美宇を治してやってくれ!」
「は、はい! すぐに!」
フタバが一幸の懇願に応え、治療の為に美宇の身体に触れようとする。しかし、美宇は未だヤガミの強固な結界に阻まれたままだ。
「ちょっとヤガミ! 何してるの? 治療ができない、早くこれを解いてよ!」
フタバが強く訴えかけるも、ヤガミは結界を解く素振りすら見せず、冷酷な瞳でフタバを見下ろした。
「……勘違いをして何をしている、フタバ。お前の本当の主は、もうあの一幸という哀れな男では無いだろう」
「っ……! そんなこと、今は関係ないでしょ!!」
「佐伯美宇を今、この場で自由にすることはできない。お前も、余計な動きをせず大人しくしていろ」
「なっ……!」
カッカッカッ――。
再び廊下から、今度は静かで冷徹な足音が響き渡り、部屋の自動扉が滑らかに開いた。
「どうしたの? 随分と騒々しいわね」
姿を現したのは、純白の白衣を優雅に羽織る、洗練された研究者の装いをした一人の女だった。
「よぉ、ボス」
「テンラ……。私、その下品な呼び方は好きじゃないわ。やめてちょうだい」
「あーん? なんでもいいじゃねぇかよ、中身は同じなんだからさぁ」
「――七恵様」
テンラの無駄話を冷たく遮り、ヤガミがその女に向かって深く一礼した。この組織の真のトップ、佐伯七恵。
「ふふっ。ありがとうね、あなた達。指示通り、ちゃんと美宇を私の元へ連れてきてくれて。……本当に嬉しいわ」
七恵は結界の箱の前にゆっくりと近づき、愛おしそうに美宇を見つめてその場にしゃがみこんだ。
「あら。ずいぶんと酷い怪我をしてるわね。……フタバ、すぐにこの子の傷を治してあげて」
「……は、はい」
フタバが警戒しながらヤガミに視線を移すと、ヤガミは何事も無かったかのように、美宇を拘束していた結界をスウッと解除した。フタバはすぐさま、美宇の肉体の治療に文字通り取りかかる。
「なぁ……っ、七恵……!!」
ドン! ドン!! と、強固なガラスの壁を両手で激しく叩きながら、隔離室の一幸が怒りと絶望の声をぶつけた。
「どうしたの? あなた。そんなに大きな声を出して」
「なぜ……美宇までこの研究所に連れ戻したんだ!? お前は……一体、自分の娘に何をするつもりなんだ……!?」
「何って……。あなた一人だけがこんな冷たい部屋にいたら、寂しいでしょう? 家族はやっぱり、いつまでも揃っていた方がいいじゃない。ふふふっ」
乾いた鈴の音を響かせるような、感情の欠落した七恵の美しい笑い声が部屋に冷たく響く。
「……なんなんだお前は。ずっと、私の裏で、何を企んでいたのだ……!?」
「ふふっ。そのうち、嫌でもわかるわよ、あなた……」
七恵は一幸にそれ以上の興味を失ったように、冷酷に踵を返し、出口に向かって歩き出した。
「ヤガミ、美宇の治療が終わったら、お父様と同じ部屋に入れてあげてね。私は自分の研究室に戻るから」
「分かりました」
「テンラとミクライは、後で私の研究のちょっとしたお手伝いをしてもらいましょうか。ふふっ。……私たちの真の目的、『祈りの丘』へ至るために、もう立ち止まっている暇は無いものね」
それ以上、娘を心配するような母親としての素振りは1ミリも見せず、七恵は冷徹に部屋を去っていった。
残された部屋の空気が、ピリッと針のように鋭く張り詰める。
娘の美宇の身を案じる、一幸の嗚咽混じりの悲痛な声だけが、ガラスの向こうで虚しく響いていた。
「美宇様……! すぐに治しますから、待っててください……!」
淀んだ重苦しい空気が流れる中、フタバは美宇の身体の上にそっと両手をかざした。
「神装展開――『流々転理』!!」
フタバの腕輪の式がまばゆい緑の光を放ち、彼女の周囲に無数の光の蛇が顕現した。蛇たちは美宇の身体に次々と噛みつき、その牙を介して、フタバの肉体から純度の高い神力が惜しみなく流れ込んでいく。
美宇の身体にあった戦闘の細かな傷や打撲の跡が、まるで時間を巻き戻したかのように、みるみるうちに消え去っていった。
「神装――『流々転理』。空気中に漂うあらゆるエネルギーを瞬時に自身の神力へと効率よく変換し、他者の肉体に付与・同調させることが出来る。相変わらず、非常に便利で稀少な能力だな」
背後から観察していたヤガミが淡々と評価する。
「……人の手の内をベラベラと解説しないでよ、ヤガミ」
「ふん。前の一幸のお抱えの密偵だったお前を、七恵様は能力の有用性ゆえに見逃してくれているんだ。自分のその便利な力に感謝するんだな」
「……そんなこと、わたしが願ったことじゃない……」
フタバは小声で、ヤガミに聞こえないほどの音量でそう呟き、唇を噛んだ。
「ねぇ」
今度は、フタバの精密な治療の様子を退屈そうに覗き込んでいたミクライが、意地悪そうな声をかける。
「テンラもさ、フタバちゃんにその右腕、ついでに治して貰ったらどう?」
「あん?」
「だって、フタバちゃんの力は『再生』でしょ? 周りのエネルギーをいっぱい使ってさ、その無くなった腕一本くらい、新しく生やせるんじゃないの?」
ミクライは知識のないまま、思った通りの疑問を口にする。
「無理」
フタバは治療の手を止めず、一言で強くそれを否定した。
「わたしの『流々転理』は、あくまで対象の体内の神力を『付与』して活性化させるだけ。本人の持っているスペックの限界を超えた医療事象は起こせないの。切れた直後の腕を溶接して繋ぐことなら出来たけど、完全に細胞が消失した状態から、新しく腕をゼロから生やすことなんて絶対にできないよ」
「ふーん。なーんだ、そうなの。残念ね、テンラ。一生、片腕のまんまだわ」
ミクライは一気に興味が失せたようで、ついでにテンラを小馬鹿にするように嘲笑の視線を向けた。
「ハハッ! いいんだよ、この右腕はよぉ。あの菅井蒼人の劇的な成長にベットした、上等な『駄賃』だ。……あの瞬間の、アイツのトラウマを乗り越えた本物の殺意が乗った刃……思い出すだけで、最っ高に気持ちよかったぜぇ……っ!」
テンラは皮膚が赤く変色するほど強い力で、自らの残された左手で、失われた右肩の根元を愛おしそうに握りしめた。
「ゾッとする……。あなた達狂戦士とは、一生分かり合えないね」
「はぁ?! フタバちゃん、こんなイカれたヤツと一緒にしないでよ。わたしはまともなフタバちゃん側だから!」
「ハハハッ!! イカれ上等じゃねぇか! この混沌とした世界で、今さらマトモな奴が生きてるわけねぇだろ! 俺らのトップにいるあの女(七恵)が良い例じゃねぇかよ」
「……口を慎め、テンラ。七恵様は世界の真理に至るための、崇高な想いと大義で動いている。お前ごときの脳みそで理解できる御方ではない」
それまで黙っていたヤガミの目が、一瞬で鋭く光る。
「ケッ……。お前はホント、七恵の下についてからつまんなくなったなぁ、ヤガミ。前の血塗られた仕事の時は、もっと野良犬みたいにギラギラしてたじゃねぇか。今は主人の命令に大人しく従うだけの飼い犬だ。そんなにいいか? あの気味の悪い女」
テンラの痛烈な皮肉に対し、ヤガミは言葉で言い返すことはせず、ただキッと殺気のこもった視線で沈黙の圧をかけた。
「おー……こわい、こわい」
テンラは空いた左手を大袈裟に挙げて、おどけてみせる。
「無駄話は終わりだ。佐伯美宇の治療は完全に終わっただろう、フタバ」
「……うん。表面の傷は完全に塞がった」
フタバが手を引くと、美宇の肉体は綺麗に元通りに修復されていた。ただ、精神の負荷が大きいのか、未だに意識が戻る気配は無い。
「七恵様の命令に従う。ミクライ、テンラ、お前たちもさっさと次の持ち場へ行け」
ヤガミが再び印を結び、美宇の身体を光の結界で包み込む。
次の瞬間、一幸の囚われているガラスの部屋の中に、美宇の身体が滑り込むように空間転移した。
「……ああ、美宇っ……! 美宇、目を覚ましてくれ……っ!」
一幸が涙を流して美宇の元へと駆け寄ろうとする。しかし、無情にもその距離が届くことはない。
一幸の身体の自由を奪っているのは、隔離室の壁の奥深くから頑丈に伸びる、神力を遮断する太い鎖だった。部屋の半分程度までにしか伸びないその冷たい鎖が、父親の身体を冷酷に縛り付け、娘に触れることすら許さない。
「くっ……」
フタバはその残酷な光景から平然と声を押し殺し、ただ静かに眺めていた。
「俺らも行くか、手伝いによ」
「そうねー。ボスの機嫌を損ねるとめんどくさいし」
テンラとミクライが、出口の扉に向かって並んで歩き出す。
「ねぇテンラ、あんたはなんであんな七恵様みたいな不気味な女についてるの? さっきの態度を見てたら、あんたみたいな一匹狼が他人の下で飼われてる理由がわかんないんだけど」
廊下に出たミクライが、ふとした疑問をテンラに投げかける。
「あー……、俺は正直、『祈りの丘』の世界の真理だの真実だのには、1ミリも興味はねぇよ。行けるってんなら、ついでに行ってみてもいい、その程度のビジネスだ。……でもよぉ、あの場所に仕掛けておいたおかげで、アイツに出会っちまったからなぁ」
「菅井、蒼人のこと?」
「そう! 蒼人だ! 俺が七恵の計画の片棒を担いでいれば、あのガキは美宇を助け出すために、必ず死に物狂いで俺たちの前に牙を剥きにやってくる。あの子を助けるためになぁ。……俺は、その極限まで尖ったアイツの殺意を、今度は正面から美味しく喰らうんだよ」
「そんなに強かったの? あの路地裏のガキンチョ」
「あー……まだまだ。でもな、アイツはここからもっと、地獄を見て強くなる。ハハハッ!! ……アイツは今、自分の無力さにどんな顔をして立ち尽くしてんだろうなぁ? どんなツラで絶望してんだろうなぁ。その絶望の底で、今度はどんな化け物じみた力を生み出してくるか……今から楽しみで仕方がねぇぜぇ。ハハハッ!!!」
「きっしょ……ホント、ただの変態ね」
地下の冷たい廊下に、テンラの不気味な高笑いだけが響き渡り、二人は部屋を後にした。
「お前も自分の仕事に戻れ、フタバ。少しでも七恵様の研究に貢献し、役に立つんだな」
ヤガミはそう冷たく言い残し、背を向けて部屋を去っていった。
「こんなの……あんまりだよ……」
一人残された広い部屋。一幸と美宇の親子を隔てているのは、たった一枚の透明なガラス。なのに、フタバの手がそこに届くことは決してない。
少女はただ、現実の残酷さに耐えかねるように、静かに目を逸らした。
◇
――夜が深く更け、雲の切れ間から冷たい月が顔を出す頃。
変わり果てた地獄の町の中心で、菅井蒼人は、自らが狩り尽くした無数のトガビトの『骸』の山の上に、静かに腰掛けていた。
お札の炎の残骸がパチパチと不気味に爆ぜる中、少年はただ冷徹な瞳で、月明かりに照らされた世界の崩壊を、静かに上から見つめ返していた。




