第8話 孤独の依代は厭わない
「美宇!」
「……あ、おと。だ……め……」
必死に叫ぶ僕の声に、美宇が微かに反応を示した。
(美宇は無事だ……。良かった、生きてる……!)
安堵のあまり、僕の身体は無意識に一歩前へと踏み出していた。
「おい。動いてんじゃねぇよ」
ゾクッとする冷気。直後、テンラの冷たい銃口が僕の額に、ミクライの鋭い爪が喉元にピタリと突きつけられた。身動き一つすら許されない。
「ねぇテンラ、早く殺そ? もういいでしょ?」
「そうだな。……最後にあの子に伝えることはあるか、ガキ」
「はぁ? 何言ってんのテンラ、無駄な情けなんかかけて」
「うるせぇよ、ミクライ。今こいつに聞いてんだ」
額に押し当てられた銃口の、金属の冷たさが脳を冷やす。
最後……。これが最後か。美宇を見つめる。
脳内を埋め尽くす罪悪感と、それでも彼女を救いたいという執念が、僕の口を突いて出た。
「最後……か。……また、君の隣に立てるなら僕は……この世界の全部を壊したってかまわない」
腕輪に全ての神力を込める。
今、僕の手にあるこの槍の力じゃ、絶対に足りない。心の奥の、本当の力を引きずり出さなきゃ――。
――その時だった。
ジジジジジ!!!
耳を、そして脳を直接突き抜けるような凄まじい警告音。
じいちゃんの施してくれた記憶の結界が解ける、あの拒絶の音が、今度は美宇の頭から鳴り響いた。
「なに!? なにこれ、何の音!?」
「ああん? なんだぁ、この不快な音はよ!」
あまりの頭痛と音の激しさに、テンラとミクライが眉を潜めて思わず耳を塞ぐ。
「まさか、美宇の記憶の結界が……」
美宇は大きく目を見開き、僕の目と真っ直ぐに視線が交差した。
「あ、おと……? ――あおと。あおと。蒼、人。あおと! …………イヤアアアアア!!!!!」
突然の絶叫だった。頭の中の警告音さえも完全に掻き消すほどの、喉を引き裂くような悲鳴。
支離滅裂に僕の名前を何度も並べ、彼女の身体がガタガタと恐怖に震え出す。
「美宇!!」
叫んだ美宇の眼帯の隙間から、青黒い禍々しい光が爆発的に溢れ出した。
直後、強烈な衝撃波が吹き荒れ、公園の木々が激しく揺れ、上空の雲が渦を巻いて急加速していく。
――同時に、悍ましく巨大な、トガビトの気配が爆発的に辺りへと近づいてきた。
「ちっ。おい! ヤガミ! 結界はどうなってんだよ!」
「貼っている」
「じゃあなんで、トガビトの気配がこんなに近くからすんだよ!」
「知るか。……奴を引き寄せているのは、その少女だ」
ヤガミが冷静に告げた直後、バリバリと木々を派手になぎ倒し、異形のトガビトが姿を現した。
「きゃあ!?」
トガビトが真っ先に襲いかかったのは、一番近くにいたミクライだった。
背後からの容赦ない不意打ち。ミクライの身体はゴミのように吹き飛ばされ、トガビトはさらに追撃をかけるように彼女を追いかけていってしまった。
「よりによって獣型かよ、めんどくせぇな。おい! ヤガミ! どうする!」
「しかたない」
ヤガミが叫ぶ美宇に向かって手を伸ばす。
「――結」
ヤガミの放った透明な結界が、美宇の身体を丸ごと包み込んだ。
「音が、止んだ……?」
周囲に響き渡っていた絶叫が、一瞬で消える。よく見ると、結界の向こうで美宇はまだ叫び続けているように見えるが、ヤガミの強固な結界が音と神力の拡散を完全に遮断しているのだ。
「……もう一度、こいつを術で眠らせる。少し時間を稼げ」
「あいよ」
テンラがヤガミの作業の方へ、一瞬だけ気を取られた。
(今だ……。動け、僕の身体!)
「あぁぁ!!」
僕は全神経を集中させて槍を握り直し、油断したテンラの胸元に向かって全力の突きを放った。
「おっと! あぶねぇな!」
しかし、直前で気づかれ、銃身で簡単に弾き飛ばされてしまった。
けれど、ほんの少し時間が経ったことで、僕の身体のダメージは驚くほどの速度で回復し始めている。二対一は無理でも、一体一なら何とかやれる。
「大人しくしとけよ、ガキ」
「うるさい!」
その時、またしても巨大な悪寒を感じた。今度はヤガミと美宇のすぐ後ろの茂みからだ。
「ヤガミ! 後ろから来てるぞ!」
ヤガミの背後から、獰猛な獣型のトガビトが咆哮を上げて飛び出してきた。さっきミクライを襲った個体とは別のものだ。美宇の暴走した神力に引き寄せられ、この場所にトガビトが次々と集まってきている。
「ふん……。私の邪魔をするな」
ヤガミが振り返りもせず、背後のトガビトに向かって無造作に右腕を振るった。
何かがトガビトの巨体を滑るようになぞっていく、その無色透明な軌跡だけが僕の目に映った。
次の瞬間。
「ギャオッ!?」
トガビトの巨大な右腕が、根元から綺麗に切り取られ、虚しく空中へ吹き飛んでいった。
絶叫を上げ、右腕を失ったトガビトが公園の真ん中へと無様に転がり落ちる。
カチリ、とテンラが銃の撃鉄を起こす音が響いた。
ドォン!!
間髪入れず、テンラがそのトガビトの脳天を正確に撃ち抜く。灰が舞う。
「はぁー。どんどん集まってきてんな。やっぱりあの子のせいか?」
「美宇!!」
僕が叫ぶと、結界の中の美宇がピクリと、微かにこちらに反応を示した。
「なるほど、お前の声にだけは妙に反応すんだな。また叫ばれたら面倒だ。――場所、変えようぜ」
「は?」
テンラが不敵に笑った瞬間、彼の巨大な右半身が、突進の勢いのまま僕の胸部に叩き込まれた。
内臓が押し潰されるような衝撃とともに、僕の身体はそのまま、遥か上空へと弾き飛ばされた。
◇
高く舞い上がった僕の身体は、公園から少し離れた雑居マンションの、コンクリートの屋上へと激しく叩きつけられた。
「さぁて。第二ラウンド、スタートだ」
ヒョオオ、と冷たい夜風が吹き付ける。
壊れたフェンスの向こうから、いつの間にか屋上へと先回りして降り立っていたテンラが、二丁の銃を構えて不敵に笑っている。
ザリっ、と僕が一歩下げた足から、砕けたコンクリートの小石が階下へと虚しく落ちていった。
遮るものの何もない、開けた視界。けれど、逃げ場のない閉鎖的な空間。
「お前、変に丈夫だなぁ。神力の操作は雑だし、身体強化の『強化術』さえろくに使えてねぇ。なのにその素の身体能力……。んー……なんなんだよ? お前」
テンラは銃口を向けたまま、怪訝そうに僕を観察する。
「強化術……? 強化式じゃなくて?」
「あん? 何言ってんだ、お前もさっきから無意識にやってるだろうが。腕や足の体内に神力を流して直接纏う。肉体を底上げする、観測者の基本中の基本だろ」
「え? 身体強化って、お札とか武器に『式』を発動させなきゃ使えないだろ」
「はぁ? じゃあ、お前が今このダメージで立ってんのは何なんだよ」
「何って、僕は別に何もやってない。ただ、身体に力を込めてるだけだけど……」
「……理屈も知らずに、無意識に神力を肉体に纏ってやがんのか? ははっ! おもしれぇなぁお前!」
テンラはニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら、何かを企むように思考を巡らせている。
(……なんなんだよ。積極的に殺そうとしてきたり、急に立ち止まって考え込んだり。チャンスなのか? 今、飛びかかるべきなのか?)
「強化術だか何だか知らないけど。今、あんたに構ってる暇は僕には無いんだ」
僕は思考を振り切り、勢いよく地面を蹴って踏み出し、槍をテンラの喉元へと突き出した。
――ギン!!!
テンラの重い銃身と、僕の槍の刃が真っ向からぶつかり合う。乾いた鋭い音が響き渡る。
「どけ!!」
「ははっ! 焦んなよ。もっと楽しもうぜ!!」
テンラが強烈なカウンターの蹴りを繰り出す。僕はそれを、瞬時に足を上げて何とか受け止めた。しかしテンラの規格外の力に押され、僕の身体は宙へと浮き上がる。
何とか着地し、すぐに体勢を整える。
ドン! ドン! ドン!!
間髪入れず、テンラが容赦なく引き金を引いた。
しゃがんだ低い姿勢のまま、頭上を掠める弾丸を紙一重でかわす。
すぐさま距離を詰め、下から槍で斬り払う。
「おいおい。こっちは銃二つだぜ? 大振りすぎじゃねぇか?」
僕の槍はテンラの片手の銃身であっさりと防がれ、もう一方の黒い銃口が、すぐさま僕の眼前に突きつけられた。
「っ……!」
ダン! ダン! ダン!
至近距離で撃ち込まれる神力の弾丸を、僕は後ろに大きく跳んでギリギリで避ける。
けれど、テンラの追撃は止まらない。僕は屋上のスペースを最大限に使って走り、猛攻を凌ぐ。
(……一発じゃだめだ。もっと速く。何度も、何度も突かないと)
「ふっ!!」
強い踏み込みとともに、目にも留まらぬ速さの突きを連続で放つ。
しかし、テンラは半身をわずかにずらしただけで、すべての突きを簡単にいなしていった。
お互いの身体が交差する、その一瞬の刹那。
僕は地面を思い切り蹴り上げ、同時に身体を遠心力で勢いよく捻った。
そのまま、死角からの左の回し蹴りをテンラの首元へと繰り出す。
しかしテンラは驚く様子もなく完璧に反応し、空いた腕でそれを簡単に受け止めた。
「もう……いっかい!!」
空中で着地する前のわずかな滞空時間を利用し、僕はもう一度、渾身の突きを放つ。
「おお!?」
テンラは初めて少し目を見開き、二丁の銃を交差させてその一撃を防御した。
「はぁっ……はぁっ……!」
「いい動きだ。ほら。まだまだいけるだろ?」
ダダダダダ!!!!
テンラの銃口から、インターバルのないノータイムの連射が浴びせられる。
「いっ……!」
避けきれず、一発の弾丸が僕の左肩を深く掠めていった。
ザッ、と地面が鳴る。
弾幕に怯んだ一瞬を見逃さず、テンラが目の前に踏み込んできた。
そのまま、重戦車のような掌底が、僕の脇腹に深く叩き込まれる。
「がはっ……!」
内臓が抉られるような凄まじい衝撃。その痛みに悶える暇もなく、今度はテンラの左手の頑丈な銃身での横殴りが、僕の顔面を襲った。
――ガンっ!!
槍の柄で何とか直撃を防ぐも、その圧倒的な勢いのまま、僕はコンクリートの上を無様に転がった。
(……だめだ。普通に真正面から戦っても、絶対に勝てない)
仕切り直すため、僕は腰のウエストバッグにお札を取り出そうと手を伸ばした。
「……ん? あれ? ……無い」
いつもつけていたはずのバッグが、いつの間にか腰から消えていた。
「探しもんは、コレのことか?」
「あ! いつの一間に……!」
見上げると、テンラが僕のウエストバッグの紐を指にかけ、プラプラと揺らしていた。さっきの体術の攻防の最中に盗られたのだ。
テンラはおもむろにバッグを開き、下品に中身を漁り出す。
「……なるほどなぁ。お札に直接『式』をあらかじめ書いているのか。『浄火』に『強化式』。さっきの目くらましの炎も、全部これのおかげか」
「返せよ!」
「んー。これって神力の刻印の『省略』だろ? 自分なりに工夫して辿り着いたわけだ。まぁ、今どき刻印術自体が時代遅れの技術だけどなぁ」
テンラはバッグをゴミのように上空へと放り投げた。
そして、その銃口を上へと向ける。
ドォン!!
「……なっ!?」
バッグは空中で撃ち抜かれ、木端微塵に裂けてお札が夜風に散っていく。
「こんな面倒な工夫、体内の神力を直接操る『強化術』さえ覚えれば必要ねぇんだけどなぁ。……充分見ただろ。ほら、やってみろよ」
「やってみろって……。一体何がしたいんだよ、あんたは!」
「俺はなぁ、強ぇ奴と本気の殺し合いがしてぇんだよ。今のお前は『工夫』の面白さはあるが、命のやり取りとしてのヒリヒリ感が全然足りねぇ。その強化術さえ覚えれば、多少はマシな玩具になるだろ?」
「そんな、言われてすぐにできるわけ――」
「ちっ。言い訳すんなよ、暗ぇな」
ザッ!
テンラの姿が掻き消え、またしても一瞬で目の前に現れた。
「おらぁ!」
強烈な膝蹴りが、僕の腹部に容赦なく突き刺さる。
「……ゴホッ!」
爆発的な威力に、宙に浮きそうになる僕の身体の襟元を、テンラは太い腕で強引に掴み、自らの方へと引き寄せた。
「お前は、攻撃を防ぐ時の『防御』は、さっきからずっと無意識にやってんだよ。身体が知ってんだろ? その感覚をちゃんと頭で、意識して、自分の意志で引き出して使えって言ってんだよ!」
ドン!!!
襟元を掴まれたまま、もう一度、一発目とは比べ物にならない強烈な膝蹴りが、僕の腹部を深く突き刺した。
テンラの手が離れ、僕の身体は今度こそ空中に舞い、力なく床へと激しく落ちた。
肺の空気が全部弾け飛び、上手く息が吸えない。激しい痛みに視界が明滅する。
(……なんだよ。強化術ってなんなんだよ。神力を直接肉体に纏えって、感覚が分かんねぇよ。……まてよ。動かせないなら、最初から……!)
前方から、コツン、コツンとテンラの不気味な足音が近づいてくる。
「おい。さっさと立てよ」
「……わかったんだ。神力そのものを肉体で自由に動かすなんて器用な真似は、僕には出来ない。……それなら、最初から僕が出来ていた『仕組み』を、そのまま応用すればいいんだ」
ドクン、と心臓が跳ねる。
僕の身体に、頭の方から幾何学模様の『光の式』が急速に伸びていった。式は全身の皮膚を包み込むように巡り、肉体が爆発的な熱を帯び始める。
「あ? なんだよ、それ」
テンラが怪訝そうに足を止めた。
僕はゆっくりと立ち上がり、自らのこめかみにそっと指を当てた。
「……頭の中にさ。あらかじめお札に書いていた『強化式』のプログラムを、直接書いたんだ。脳の回路に式を刻み込む。簡単な話だったよ。僕には、お札と同じこのやり方の方が、ずっと身体に合う」
「回路を脳内に直接だと……? 肉体を依代にして、無理矢理力を引き出したのか? ……意味わかんねぇ真似しやがって」
「……」
僕は左手を開けたり、閉じたりして、肉体の感覚を確かめる。
(……強化式で、肉体の出力は確実に強くなっている。感覚は分からない。でも……)
テンラの方へ、真っ直ぐに目を向ける。
脳内の式が超高速で演算を始め、テンラの微かな身のこなし、発する言葉、一挙手一投足のすべての動きが、明確な『情報』として頭の中で完璧に処理されていく。
(多分……。これなら奴の速度を追える。それなら、戦うには充分だ)
僕は槍をもう一度両手で強く握り直し、テンラに向かって真っ直ぐに構え直した。
「――いくよ」




