第7話 あなたの瞳には
力にならない本来の神装(刀)を仕舞い、精神をボロボロにすり減らしながら、僕はやっとの思いで目的地の四角公園に辿り着いた。
僕が足を踏み入れた瞬間、古い遊具の間に佇んでいた、見慣れない二つの不気味な人影がこちらを振り向いた。
「子供じゃん。なんでこんなとこにいんの」
「逃げ遅れか。……いや、この災禍を生き残っているのなら、観測者の家系か」
僕を値踏みするように見つめ、勝手に会話を進める二人の男女。
この地獄のような状況下で平然と立っていられる時点で、奴らも僕らと同じ、神装を扱う観測者の可能性が極めて高かった。
しかし、今の僕にはそんな奴らの素性を探っている暇なんてない。それよりも――。
「誰だあんたら。美宇になにをしてる……!」
僕は声を荒らげた。美宇は地面に下を向いたまま倒れている。意識を失っているが、胸はかすかに上下し、呼吸はしているように見える。
けれど、大柄な男の方が、美宇の両手を後ろに容赦なく掴んで拘束していた。敵なのは、疑いようもない明らかだった。
「人に質問を聞く前に、まずは自分が名乗るべきじゃない?」
くすくすと不敵に笑う女の言葉を、僕は強引に遮る。
「うるさい。何をしてるんだって聞いてるんだよ!」
「はぁ? なにお前。ガキのくせにナマイキね」
女の目が、一瞬で冷酷な光を帯びた。その時、美宇を拘束していた男が、酷く低い声で僕を睨みつけた。
「……なんだお前、この子の名前を知っているのか。なら、私はお前の名前を知っているぞ。――菅井蒼人」
「!!」
なぜ、初対面の奴が僕の名前を知っているんだ。佐伯家が、あの佐伯一幸がこの組織に情報を横流ししているのか。
「……それがどうした」
「私達の仕事は、こいつ(佐伯美宇)を無事に連れて帰ることだ。お前に用はない。さっさとここから去れ。――向かってくるというのなら、容赦はしない」
「そうよ。死にたくないでしょ?」
男の言葉通りに、二人の身体から、トガビトとは比べ物にならないほどの漆黒の『圧(殺意)』が発せられた。肌がビリビリと痺れる。本気で僕を殺すつもりなのだ。それでも――。
「……美宇から、離れろ――!!」
僕はグッと奥歯を食いしばり、槍を強く握り直して、美宇を掴む男目がけて一直線に突っ込んだ。
「阿呆が」
男が鬱陶しそうに、空いた片手をこちらに向ける。
その直前、女が信じられないスピードで、僕と男の間に割って入ってきた。女が振りかざした右手には、禍々しい爪のような三枚の刃がギラリと光っていた。
――ギン!!!
激しい火花とともに、槍の柄で何とかその一撃を防ぐ。金属が激しくぶつかり合う乾いた音が、静かな公園に響き渡った。
「そんなの無理に決まってるじゃーん。殺すよ。ねぇ、いいよね?」
「ああ。そいつに用はない。しっかりトドメをさせよ、ミクライ」
「はい、はーい!」
ミクライと呼ばれた女が、ニヤリと口元を吊り上げる。
……ギリギリだった。今まで見たことのない、トガビトとは完全にレベルが違う圧倒的な攻撃の速度と重さだ。
「ふー……。邪魔だ。美宇を……返せ」
僕は荒い息を吐きながら、必死に槍を構え直す。
「なによ。それしか言えないの?」
ミクライが再び地を蹴る。互いに踏み出し、武器が交錯しようとした――その、瞬間だった。
ドォン! ダダァン!!
僕たちのちょうど中間に、凄まじい質量を持った神力の塊が容赦なく撃ち込まれた。爆風で、僕とミクライの身体が強制的に引き離される。
「おいおい。菅井のガキは俺がやるって言っただろうが。人の獲物に手ぇつけてんじゃねぇよ、ミクライ」
崖の上から、砂煙を上げて一人の男が豪快に飛び降りてきた。両手に無骨な二丁の銃を持った、筋肉質で大柄な男。
「いたんだ、テンラ。でも、来るのが遅いあんたが悪いんじゃん」
「ああん? 先輩に向かって口答えしてんなよ。殺すぞ」
「はぁ?! いいよ! あんたから先に殺してやるよ!」
突然現れた、テンラと呼ばれる男。身内のような口ぶりだが、何故か目の前で激しい仲間割れの言い争いを始めた。
この隙に美宇を――そう僕が足を動かそうとした時。
「――おい。お前ら」
たった、一言。
美宇を捕まえていた男が、二人のくだらない言い争いに冷たく割って入った。
その一瞬で、公園の空気が、物理的に凍りついた。
「くだらない身内揉めはやめろ。どっちでもいい。殺すなら、一瞬で殺せ。簡単なことだろ。あまり私に無駄な時間を使わせるんじゃない」
「……ちっ。わかったよ、ヤガミ」
「ごめなさーい」
(なんなんだ、今の圧は……)
冷や汗が背中を伝う。圧倒的な格の違い。ヤガミと呼ばれるこの男が、間違いなくこのリーダーなのだろう。短い一言だけで、あの狂暴な二人が簡単に引き下がった。
「どっちからいく? テンラ」
「そうだな……。俺は別に、二対一でも構わねぇぜ。さっさと終わらせねぇと、ヤガミがうるせぇからな」
「ふーん。そ」
「流れ弾には気をつけろよー?」
「ふん。こっちのセリフ」
テンラが首の骨をゴキリと鳴らし、ニヤリと邪悪に笑う。
「さぁて。悪いな、ガキンチョ」
その言葉の終わりを待たず、二人は凄まじい突進力で、一斉に僕に向かって肉薄してきた。
「二対一じゃん……! ズルだろ!」
「ははは! 戦いにズルなんてねぇだろうが!」
一瞬で間合いを詰められ、反応が遅れた僕の腹部に、テンラの強烈な蹴りが叩き込まれた。
(……くっそ。くそ。くそ……ッ!)
美宇を助けなきゃいけないのに。こんな奴らに構っている暇なんてないのに。
一瞬でも気を抜けば、確実に首を跳ねられる。そんな、剥き出しの本物の殺意を、僕は生まれて初めて向けられていた。
テンラに派手に蹴り飛ばされた僕の身体は、古い遊具をなぎ倒し、勢いよく地面へと叩きつけられた。
「……重ってぇ……っ」
槍を盾にして、ちゃんと防いだつもりだった。しかし、今まで受けたことのない桁違いの威力で、身体の奥の骨が不気味に軋む。
すぐさま痛みを無視して立ち上がり、反撃の体勢に入ろうとする。
が。
「おっそい」
言葉と同時に、ミクライが僕の死角である視界の端に回りこみ、三枚の爪を容赦なく切り上げてきた。
「……っ!」
咄嗟に槍を挟むもすべての衝撃は受けきれず、鋭い爪先が僕の頬を浅く切り裂いていった。熱い血が滴る。
また、ミクライの姿が視界から消える。
地面の草が激しく蹴られた跡だけが、四方八方から僕に近づいてくる。右、左、上。縦横無尽に跳び回り、残像を残しながら切りつけてくる猛攻。
攻撃を受ける瞬間に、わずかに見える爪の軌跡に辛うじて反応し、致命傷を避けるだけで、今の僕はもう精一杯だった。
「くっそ……!」
たまらず僕は、現状を打破するために槍で前方を大きく振り払った。当てずっぽうに、ただ雑に槍の暴風を起こしただけの抵抗。
当然、神速のミクライには、軽くバックステップで躱された。
「そんな雑な攻撃、当たるわけねぇだろ。攻撃ってのはなぁ。ちゃ〜んと狙って、隙を突くもんだぜ?」
離れた場所から、テンラが嘲笑うように二丁の銃口を真っ直ぐ僕に向けていた。
シリンダーが僅かに青く光った瞬間、凄まじい速度の神力の弾丸が放たれる。
「……ああっ!」
かろうじて空いていた左手をお札の力で強化し、強引に弾丸を防ぐ。手のひらが焼き切れるかと思うほどの衝撃。
「おお! 耐えたか! じゃあ、もうちょい威力を上げてもいいな!」
楽しそうに叫ぶテンラの銃口に、さらに濃い神力が充填されていくのがわかる。
(……ちっ。威力を制限しててこの破壊力かよ。完全に遊ばれてる)
防いだ左手は形を保ってはいるものの、激しい痺れのせいで上手く指が動かせない。片手だけの槍では、ミクライのスピードについていくことすら不可能だ。
(まずは、あの遠距離のテンラを潰そう。……それにはまず、体勢を整えないと)
僕は覚悟を決め、ウエストバッグを開き、仕込んでおいたお札を大量に掴み出して空中にばら撒いた。
「なんだ?」
「――『浄火』!!」
そう叫び、左手で式を発動させる。
ばら撒かれたお札たちが一斉に反応し、激しい青白い炎が目の前に爆発的に燃え上がり、巨大な壁となって僕たちの視界を遮った。
「おお!!」
至近距離での爆炎に、二人が驚いて動きを止める。
その僅かな隙を突き、僕は身を隠すための場所を探して地を這うように走った。
幸い、この四角公園は古い錆びついた遊具がいくつもそのまま放置されている。周囲も鬱蒼とした木々に囲まれているし、死角となる場所はいくらでもあった。
僕が古い金属製の遊具の裏に滑り込んだ直後、お札の炎はすぐに晴れ、二人は僕の気配を探し始めた。
「目くらましかー。おもしれぇことできるじゃねえか、ガキ」
「ふん。お札なんて、今どきそんな非効率なもの使ってる奴はじめて見たわ」
「いいじゃねぇか。弱いくせに必死になっててよ。それに、アイツまだ何か隠してるぜ。ククク……まだまだ楽しめそうだ」
遊具の金属板を隔てて、二人の余裕そうな会話が僅かに聞こえてくる。どうやら、僕のことを積極的に血眼になって探す気は無いようだ。完全に舐められている。
「……ありがたい。今度は完璧に、そっちの隙を突いてやるよ」
僕は激しい呼吸を殺し、音だけを頼りに奴らの位置を逆算し、隙を伺う。
僅かに顔を出しただけでも、居場所がバレる可能性がある。だから完全に視覚を捨て、全神経を耳に集中させて狙いを定めた。
ザッ、ザッ、ザッ――。
乾いた草を踏みしめる足音が、確実に僕のいる遊具の裏へと近づいてくる。
(……チャンスだ。引きつけて、一撃で仕留める)
僕はバレないように、心臓の鼓動さえ抑え込むように呼吸を完全に止めた。
「あー。かくれんぼもいいけどよ、もう出てこいよな。てかお前、なんで神装を仕まわねぇんだ? ――神力が垂れ流しでよ。居場所バレバレだぜ?」
心臓が凍りついた。遊具にあてていた背中越しに、テンラの銃身に強烈な神力が込められる不気味な高周波の音が聞こえてきた。
「……は、なんで――」
ドォン!!!
避ける間もなく、僕の身を隠していた巨大な金属の遊具ごと、神力の弾丸が粉々に撃ち砕いた。
「がはっ……!!」
爆風と金属の破片を全身に浴び、地面を激しく転がる。
完全に気配は消していたはずだった。慢心なんかじゃない。ただ――単純な、神力の感知能力の差があった。それだけのことだった。
「あ、いたんだ」
「はぁ……。ミクライ、お前も本当に感知がヘタクソだよな。多少気配消されたくらいで見失うかね?」
「うるっさいわねぇ! 苦手なものは苦手なの!」
奴らは、これだけの殺し合いを、戦闘とも思っていない。僕の目の前で、まるで今日の夕飯の相談でもするかのように呑気に雑談を続けているのだから。
「さて。もう終わりか? ガキンチョ」
テンラがゆっくりと歩み寄り、冷たい銃口を再び僕に向けた。
「……と」
僕は血を吐きながら、何とか腕で身体を支える。
「あん?」
「……菅井、蒼人。それが、僕の名前だ。……覚えてろ」
「はん。そうかよ。……気が向いたらな」
テンラが引き金に指をかける。
(……まだ。こんなところで死ぬわけにはいかない。……動け、僕の身体、動け!!)
身体中の筋肉が軋み、恐怖とダメージで言うことを全く聞かない。
それでも、僕は……じいちゃんの犠牲を無駄にして、まだ何一つできていないんだ。こんな理不尽な運命、絶対に受け入れられない。
「美宇を……。助けるんだ……!」
「んだよ。そればっかりだなぁ、お前」
「その祈りが叶うなら、いつでも死んでやるよ……。それまでは……!」
僕は泥にまみれた槍を、執念だけで再び強く握りしめた。
「お前、本当におもしれぇな。……残念だぜ、蒼人」
テンラの銃口から、容赦のない光の弾丸が放たれようとした、その瞬間――。
「……あ、おと……?」
ヤガミの足元で、ずっと拘束されていた美宇の身体が、ピクリと微かに動いた。
その眼帯に覆われていない左目が、ゆっくりと開かれていく。
「美宇!!」
意識を取り戻した、美宇。
それは、僕にとって逆転の幸運か。それとも――さらなる地獄の絶望か。
じいちゃんのあの遺したノートの言葉を信じるなら。
今、結界が解けたこの状況で、彼女の目に映る僕は――一体、何者なんだろうか。




