第4話 世界は悉く
明け方はすっかり雨が止み、爽やかな風が吹いていた。
僕は朝早くから、誰もいない外の空き地に身を置いていた。昨夜、じいちゃんから告げられた言葉が、どうしても頭から離れなかったからだ。
「……やるか」
地面にガシャガシャと、家から持ち出してきた大量の武器を広げる。
ナイフに鎌、銃や弓。ただの鉄の棒きれも、念の為に用意した。
無理だとわかってはいるが、やらなければならないことがある。もっと強くならなきゃ、美宇の隣には立てない。
僕はまず、一本のナイフを手に取った。
「……神装」
そう唱えて、右手にぐっと力を込める。
腕輪が鋭く反応し、光の式が腕を伝ってナイフの刃を包み込んでいく。光が徐々に大きくなる。
(……いけるか?)
手応えを感じかけた、その時。
パンっ! と、乾いた音を立てて光の式が割れ、衝撃で手がナイフから弾かれた。
「くっそ!」
ナイフは虚しく、アスファルトの上を音を立てて転がっていく。
「やっぱダメなのかな。……いや、まだわかんないだろ」
僕は諦めきれず、次々に別の武器を握り、同じように試していった。
「神装!」
「神装!」
……それにしても、今日の空は青いな。
結果として、用意した全ての武器が上手くいくことは一度もなかった。逆に清々しい程の大全滅だ。
「……前も試したことあるし、何となくわかってたけど。全部ダメかー」
観測者は一人一つ、固有の神装を持っている。僕の槍や美宇の弓矢のように。
けれど、それらとは別に「既存の武器」を自由に神装として登録することができる。トガビトにも様々な種類がいるため、状況に合わせて戦術を切り替えられるようにするためだ。
リソースさえあれば、本来はいくつでも登録出来る。現に美宇は、弓矢での近接戦闘の弱さを補うため、剣をもう一つの神装として登録し使いこなしている。
……なのに、僕は昔から『槍』以外を持つことが、なぜか絶対に出来なかった。
だから普段は、神装ではない普通の投げナイフなどにその都度強化式を施し、持ち歩くようにしている。
昨日は完全に油断していた。だが、大量のナイフを常に身体に仕込んで持ち歩くのは、重量的にも結構きつい。そのため、どうしても神装をもうひとつ手に入れたいと思っていたのだ。
「……そういえば、このこと美宇にも話してなかったっけ? ……まぁいいか。僕が油断して、準備不足だったのは事実だし」
結果として、神装の複数登録は進展なし。
「はぁ。やっぱダメだな……。僕の心の器が足りないのかな」
神装は『心を写す鏡』と言われている。僕の心が、強くなることを拒絶しているのか。
「強くなれないと、困るんだけどな……」
足元に散らかった、ただの鉄クズ達を虚しく片付けながら、そんな不安をぐるぐると考える。
その時、急に強い風が吹き付けた。
「うわっ」
開けっ放しにしていたバッグから、お札が数枚ひらひらと飛び出してしまった。あわててお札をかき集める。
「……」
集めたお札を見つめながら、『お札で横着なんかしてないわよね?』という、昨日の美宇の言葉を思い出す。
「……今、僕を強くするのはこれだよなぁ」
お札についた砂汚れを丁寧に払って、再びバッグの奥にしまった。
「後でじいちゃんに、結界術のこと聞きにいこ」
自分の限界を知ったところで、今日の実験は終わりだ。見回りの時間もあるし、僕は一度、家に武器を片付けに戻ることにした。
◇
家に帰る途中、ゾクッと嫌な空気が背中をなぞった。
しっとりとしてるような、ピリッとしているような。辺りの視界もうっすらと不気味な霧がかかっている。
(……昨日の雨のせいかな)
僕はそれ以上特に気にせず、家へ向かう長い階段を登っていった。
「ただいまー」
玄関の扉を開ける。……けれど、いつも聞こえるはずの母ののんびりとした声が聞こえない。
「出かけてるのかな? ……なにも言ってなかったけどな」
家の中に一歩足を踏み込んだ、まさにその瞬間。
全身の鳥肌が、一気に沸き立った。
「なに……?」
とてつもない濃度の神力が、家の中に異常なほど満ち満ちていた。
その目に見えない質量に押しつぶされそうになりながら、僕には何となく、その原因がある場所が分かっていた。
「じいちゃんだ」
音が聞こえるわけではない。光が眩しいわけでもない。ただ、じいちゃんの部屋から漏れ出している圧倒的な圧が、静寂をまとったまま家全体に響き渡っていた。
僕は吸い込まれるように廊下を進み、じいちゃんの部屋の前まで歩いてきた。
圧は、部屋に近づくにつれてより一層強くなる。
震える手を必死に抑え込みながら、僕は扉を勢いよく開いた。
「……じいちゃん?」
部屋の中の光景は、異様だった。
いつもなら、きっちりと整理されているはずの本が辺り一面に投げ出され、足の踏み場もないほどに荒れ果てている。
じいちゃんは窓の前に立ち、険しい顔で空を睨みつけていた。
「じいちゃん……結界術を、聞きに来たんだ。……もっと強くなるには、それしかないって思ったんだよ」
じいちゃんがゆっくりと振り返る。
その表情は、激しい苛立ちを深い諦めで無理やり塗りつぶしたような、そんな酷い顔だった。
じいちゃんは手に持っていた携帯電話を床に投げ出し、僕の目の前に真っ直ぐに膝を着いた。投げ出された携帯の画面には、佐伯一幸に向けられた、いくつもの『不在着信』の文字が虚しく光っている。
「……すまない蒼人。わしには止められなかった。……時間がない。今すぐ、この町を出るんだ」
「どういうこと……? じいちゃん」
「ここはわしがどうにかする。お前は早く逃げるんだ」
「わかんないって……!」
いつもと様子が違いすぎるじいちゃんの姿に、僕は激しく混乱する。
その時だった。
――ピシッ。
頭上の青空に、不気味な一筋の黒い亀裂が走った。
「ダメだ。起きてしまう」
綺麗な薄氷に誰かが乱暴に踏み入ったように。次々に、空へ亀裂が現れ、恐ろしい速度で連鎖していく。
そして――空を埋めつくすほどの亀裂が、一斉に音を立てて割れた。
溢れ出る、無数の異形の影。
空が、崩れていく。
「な、なんだよ。これ……!!」
空の裂け目から、次々に町へ向かってトガビト達が雨のように落ちていく。
「災禍だ。起きてしまったのだ」
じいちゃんは叫びながら、部屋の真ん中に数本の杭を凄まじい勢いで打ち込んでいく。床へ流れるように、必死に式を刻みこんでいく。
「蒼人! 早く逃げろ! 死にたいのか!」
「し、死にたくなんかないよ! でも、逃げるたってどうしたら……」
「ここは町の中で一番高いところにある。わしがここで結界を使って、トガビト共をすべて引きつける! その間にお前は町の外に出ろ。……その後は自由だ!」
「え……? じいちゃんは……逃げないの?」
「ふん。わしと一緒に共倒れするか? 老いぼれの命を使ってお前が生きれるのなら本望だ!」
「だったら、僕も戦うよ! 一緒に!」
「ダメだ!」
じいちゃんは、これまでに聞いたこともないような大声で、激しく声を荒らげた。
「蒼人」
じいちゃんはそれ以上何も言わず、僕を真っ直ぐに見つめた。
(お前は弱いのだから、ここにいても足手まといだ)
口に出さなくても、その目がはっきりと語っていた。悔しさに歯を食いしばる。
「……わかったよ。じいちゃん」
「……ああ」
僕が諦めて部屋を出ようとした、その瞬間だった。
激しい衝撃音と共に、窓を突き破って飛行型トガビトが数体、部屋の中に突っ込んできた。
「じいちゃん!!」
激しく土煙が舞う。じいちゃんの姿が一瞬で見えなくなる。
「くっ……」
しかし、土煙の奥でじいちゃんは咄嗟に光の結界を貼り、トガビトの爪を防いでいた。
「キュキュギュ!!」
トガビトたちは狂ったように結界に噛みつき、爪をたて、じいちゃんに襲いかかる。
「蒼人! 逃げろ! 早くだ!!」
じいちゃんが決死の表情で叫ぶ。
「あ……あ……」
襲いかかってくる目の前のトガビト。そして窓の奥、空にまで見える無数の影。
圧倒的な質量の恐怖に、足がすくんで動かない。
ビキビキビキ――。
トガビトの猛攻に、じいちゃんの結界に無数のヒビが入り始める。
「もう、もたないな」
じいちゃんは、防壁を維持したまま、僕に向かって優しく手を伸ばした。
「蒼人。最後だ。佐伯を……いや、無事でな」
じいちゃんは、最期にそう言って笑った。
「じいちゃん……!」
「――『壁』!!」
じいちゃんが叫び、印を結ぶ。
その瞬間、目に見えない強烈な結界の圧が僕の身体を包み込み、外へと強引に押し出した。部屋の壁を突き破り、僕は宙へと投げ出される。
「じいちゃん――!!」
遠ざかっていく視界の向こうに、じいちゃんの姿が見える。僕の叫び声は、轟音にかき消されてもう届かない。
「ああ……ああ……」
空から見下ろす町は、すでに無数のトガビトの影に覆い尽くされてしまっていた。家々が次々と破壊されていく様子が、スローモーションのように僕の目に映し出される。
日常の町は、もう二度と戻らないのだとはっきりと告げていた。
「……なんでだよ」
怒りなのか恐怖なのか。不思議な感情が行き場もなく胸の奥で渦巻いていく。
しかし、世界の崩壊は、それすらも僕には許してくれなかった。
空に舞った僕を目がけて、飛行型トガビトが狂暴に突っ込んでくる。
「ッ神装展開!」
咄嗟に槍を顕現させ、迫る爪を防御する。
しかし空中では身動きが取れず、攻撃を受け止めた反動のまま、僕は地面へと激しく弾き飛ばされた。
「く……っそが!」
一体だけではない。空を飛び回る何体ものトガビトに、僕は次々と空中で襲われる。足元の地上を見れば、歩行型がうじゃうじゃと這い出ているのが見えた。
「はぁあ!!」
突っ込んで来る一体の胸に槍を深く突き刺す。
そいつの身体を足場にして、執念で空中で体勢を翻した。後ろから向かってくる不気味な影は見えている。今度はそいつを、上空から思い切り斬り下ろした。
けれど、数体倒したところで、圧倒的な戦況の優位は変わらない。
僕はそのまま、なす術なく地面へと叩きつけられた。
「……ゴホッゴホッ」
激しい衝撃。幸いにも草むらの中に落ちたようで、かろうじて骨は折れていない。
身体の状態を確かめるが、そんな息をつく暇もなく、トガビトの群れがすぐそこまで襲いかかってくる。
「ゼェゼェ……」
まさに無尽蔵。終わりの見えないトガビトの群れを、僕は死に物狂いで次々に倒していった。
斬る。突く。槍を振るうたびに、化け物の生々しい感触が手に残る。
ふと、必死に顔を上げると、見慣れた我が家が視界に入った。
「……結構遠くに落ちたんだな」
無意識に、じいちゃんのいる家の方向に足が進み出す。
しかし、それを嘲笑うかのように、我が家の影から、ビルほどもある巨大なトガビトが姿を現した。
「……なんだよあれ」
巨大なトガビトは、その太い腕を大きく振り上げる。その先にあるのは、僕の家だ。
「やめろ――!!」
僕の裂けんばかりの叫びも虚しく、巨大なトガビトの腕は、凄まじい轟音と共に僕の家を完全に破壊した。
「じいちゃんっ……」
肺の空気が抜けたように、呼吸が浅くなる。あそこには、じいちゃんがまだいるはずなのに。
崩れゆく家の方へ踏み出そうとする足を、僕は涙をのんで、精一杯止めた。
「バカかよ。じいちゃんの命を無駄にする気か……! 今は、町の外に行くしかないんだよ……!」
「ガガガァァ」
気づけば、周囲は完全にトガビトに囲まれていた。
「はは。なんなんだよ、お前らは。うっとうしいんだよ、なぁ!!」
◇
……どれくらいの時間が経っただろう。数時間か、あるいは数十分の出来事だったかもしれない。
何体ものトガビトを泥泥になりながら倒して、僕はやっとの思いで町の端、境界線までたどり着いた。
「……気持ち悪いな」
槍を握る右手には、トガビトの肉を絶え間なく貫き続けた感触が、べっとりと残って離れない。
「ここから外に行けるはず……」
町の端はとくに囲いなどはなく、地面に雑に境界線が引かれているだけだ。
普段ここには、外の世界から町が見えないようにカモフラージュの結界が貼られている。それは外から隠すだけのもので、僕らなら簡単に通り抜けることが出来るはずだった。
「……よし」
僕は境界に向かって手を伸ばす。ここを抜ける時はいつも妙にドキドキする。そのため、先に手で触れて確認しておきたいのだ。
指先を、境界の空間へと突き出す。
「……え?」
ありえない感触が、手のひらに伝わった。
手が通り抜けず、硬質な空気の壁にピタッと境界で止められたのだ。
「なんで。なんでだよ……!」
そこには、いつもとは違う、あらゆる存在の脱出を拒絶するような、硬く禍々しい結界が貼られていた。
触れればわかる。今の僕の神力では、この結界を破ることは絶対に不可能だ。
希望は、最初から断たれていた。
僕らはこの地獄の町に、完全に閉じ込められたのだ。




