第3話 災禍の足音
「……じいちゃん起きてるかな」
じいちゃんの部屋の前に立ち、コンコンと静かにノックをする。
返事を待たずに、僕はゆっくりと重い扉を開いた。
その瞬間、飛び込んできたのは、じいちゃんの怒号にも似た、地を這うような低い声だった。
「だから、なんべんも言ってるだろうが! わしはそんなものに協力せんと!……はぁ」
苛立ちを隠せない様子で、じいちゃんは乱暴に電話を切った。
「ごめん、じいちゃん。取り込み中だった?」
「かまわん。佐伯の小僧からだ。……なんべんも、やらんと言っておるのに」
苦虫を噛み潰したようなじいちゃんの言葉に、僕の後ろから美宇が怪訝そうに顔を覗かせる。
「佐伯の小僧って、父のことですか?」
「なんだ、美宇じゃないか。久しいな。ああ、すまないな。父親のことを小僧呼ばわりで」
「いえいえ、蒼人のおじいさんからすればみんな小僧ですから」
美宇は慣れた様子で小さく笑う。けれど、僕はじいちゃんのあの取り乱し方が気になって仕方がなかった。
「なんかあったの? 珍しいじゃん。じいちゃんがあんなに怒ってるの」
「……そうだな。まぁ、おいおい話そう。それよりも、わしに用があったんだろう?」
じいちゃんは鋭い視線を僕に戻し、話をはぐらかした。
「用って程じゃないけどね。今日の見回りも無事に終わったって報告だよ」
「そうか。トガビトは出たのか?」
「あー……。歩行型が一体だけ」
じいちゃんの問いかけに、僕は咄嗟に答えた。
嘘はついてない。残りの飛行型については、言うと面倒になると思ったからだ。
「あとは飛行型が三体ね。なんで隠すのよ」
「べ、別に隠してないし」
すかさず美宇から横槍が入る。じいちゃんは深くため息をつき、僕を正面から睨み据えた。
「蒼人。いつも言ってるだろ。報告は、正しく、確実にだ。話せ」
「……歩行型を一体、討伐。その後、飛行型三体と遭遇。シールドを使っていたため、攻撃が通らなかった。そこに、美宇が助けに入ってくれた。……そんな感じ」
「ふむ。飛行型三体は同じ亀裂からか?」
「うん。そうだね」
「そうか……。珍しいな。それに、シールドか。蒼人の攻撃が通らないほどの」
「でも、私の攻撃は簡単に通ったわよ?」
誇らしげに胸を張る美宇の言葉に、僕は自分の神装を思い浮かべながら補足する。
「シールドも僕の攻撃の後はすぐに崩れたんだ。不思議な感じだったよ」
「おそらく、一撃に限り防ぐようなものだろうな。普通のトガビトが持っているものじゃない。運が悪かったな、蒼人」
「そうだよね。僕が負けても仕方ないよね」
「だが、報告で嘘をつくのはダメだな」
「う……。ごめんなさい」
じいちゃんは声を荒らげないで、僕を叱る。静かな説教ほど、心の奥にじわりと怖いものが残る。
「美宇はどうだ? 最近の右目の調子は」
「もう違和感も無いですし、平気です。むしろ感覚が鋭くなってますね」
「そうか……。元々神力の扱いは上手かったが、右目を失ったことで良くも悪くも、死角を補うために成長しているのだろう」
「ありがとうございます」
美宇は嬉しそうに返事をする。
けれど、この話になると、僕の心はやっぱりキュッと締め付けられる。
――僕が悪いわけじゃないとわかっているのに。
「蒼人……。まだ気にしているのか。お前のせいではないと何度も言っただろう。むしろ、わしらが守ってやれなかったせいだ」
「そうよ、蒼人。私がいいって言ってるじゃない。まだ、そんな顔するなら次は殴るからね」
「え、それはやだ」
「ははは。蒼人は恵まれているな。良い手本がこんなにも近くにいる」
「うん。そうだね。僕が一番知ってるよ」
美宇にふと視線を移す。
すると、美宇はきまずそうに顔を両手で覆って隠していた。
「なにしてんの」
「なんでもない。急にそんなこと言うからじゃん」
「僕、変なこと言ったかな?」
「知らない」
バシンッ、と美宇は僕の肩を叩く。
僕から顔を逸らしているし、彼女の照れ隠しなのか何なのか、僕にはよくわからない。
「蒼人ー? 美宇ちゃんー? ケーキ食べよー!」
絶妙なタイミングで、部屋の外から母さんの呼ぶ声が聞こえた。
「ここまでだな。報告は受けた。母さんのところに行ってきなさい」
「わかった。行こう、美宇」
「ええ。ありがとうございました。蒼人のおじいさん」
美宇は軽くお辞儀をして部屋を出る。
僕もその後ろをついて行こうとした時、じいちゃんの低く重い声が、僕の足をピタリと止めさせた。
「……蒼人。お前は後でまた来なさい。佐伯の件も、お前には詳しく話しておこう」
「……わかった」
振り返ったじいちゃんの顔は、どこか酷く疲れた表情をしていた。
美宇が部屋を出たあと、わざわざ僕だけに言ったのだ。他の人には決して悟られてはいけない、不穏な話なのかもしれない。
「……よし」
僕は不安を強引に顔から消して、美宇の待つリビングに向かった。
◇
「あ。来た来た。ほら二人とも座って」
リビングに入ると、母さんがケーキと紅茶を用意して待っていた。
ニコニコした顔で、僕らが話していた間もずっと楽しみに待っていたようだ。
「わぁー。おいしそう……。手作りですか?」
「そう! 最近ハマっててね。感想も聞いてみたいから、食べて!」
「いただきます」
美宇は美味しそうにケーキを頬張る。
「ん! おいし!」
美宇はそう言って、幸せそうに身を捩らせている。
「ホント! やったぁ! 美宇ちゃんのリアクションいいわねぇ。蒼人は食べても、うまいって機械的なことしか言わないんだもん」
母さんは僕の方をじーっと見つめて不満げに言う。
「僕も母さんのケーキ好きだよ」
そう言うと、母さんは照れたように嬉しそうに笑った。
「えーずるいなー。こんなに美味しいの家で食べれるの」
「美宇ちゃんは普段あんまり食べないの?」
「私の家はそうですね……って言うかダイエットしてるんで! 私! ちょっと我慢してるんですよ」
「えー! そんなに細いのに。ダイエットなんていらないよ」
「でもでも、気になっちゃうんですよ」
キャッキャと女子トークに花が咲く。
しかし、自分の家のことを話そうとした一瞬、美宇の顔はどこか寂しげに曇って見えた。
佐伯家は観測者の名家として、それなりの地位を持つ。そのために生活自体はとても裕福なはずだ。けれど、よくある裕福な家庭が持つ特有の苦悩があるのか、僕にはわからない。
――何より、僕は正直、じいちゃんのあの不穏な空気が気になりすぎて、目の前のケーキの味がまったくしなかった。ただ、冷めかけた紅茶で胃の奥へと流し込む。
紅茶の熱さだけが、じんわりと内側に苦く残った。
ケーキを食べ終え、美宇は帰ることに。僕と母さんは玄関で美宇を見送る。
「おじゃましました」
「また来てね。美宇ちゃん」
「はい。じゃあ、またね。蒼人」
「うん。また」
夕暮れの街へと美宇が帰っていく。
去り際、彼女は一瞬だけ振り返り、なんだか僕に呼び止めて欲しそうな顔をしていた。……そんな気がした。
「……じいちゃんのとこ行くか」
「またお話?」
「うん。まだ……説教の続きがあるみたい」
「そう」
僕は再び、じいちゃんの部屋へ向かって重い足取りで歩いていく。
ふと背後に冷たい視感を感じて振り返る。
(……気のせいか)
母さんはリビングに戻って、もうそこにはいなかった。
僕はじいちゃんの部屋の扉に手をかける。
――空気が、明らかに変わった気がした。
さっきまでの美宇との時間が嘘のように、冷たく、古びた空気が澱み彷徨っていた。
「じいちゃん。戻ったよ」
「……ああ」
じいちゃんは、古びた写真を静かに眺めていた。
「写真?」
「ああ。昔のな」
僕が覗き込もうとすると、じいちゃんはそっと写真立てを伏せた。
「美宇は帰ったのか?」
「うん。帰った。僕一人だけだよ」
「そうか。ならいい」
じいちゃんは僕の目を見つめ、厳かに左手で印を結んだ。
「――『封』」
ビキ、と部屋の壁を神力の光が走り、一瞬で部屋に強固な結界が巡る。外の生活音が、嘘のように完全に消え去った。
「なにこれ?」
「念の為だ。これで、外には漏れん」
じいちゃんの表情は、いつも以上に暗く重たかった。
僕は無意識に唾を飲み込んで、覚悟を決めた。
「……蒼人。お前はあの丘ついてどう思っている」
「祈りの丘か……。うーん。あれ? 僕、祈りの丘のことなんにも知らないなぁ。でも、なにかがあるんでしょ? じゃなきゃみんなが求める意味がないじゃん」
「そうだ。祈りの丘にはなにかがある。……そのはずだ。それこそ、世界の真理があると、わしは思っておる」
「そんな感じだよね。僕もあんまり、考えたこと無かったな。行かなきゃって思いはあったんだけど。……言葉にすると難しいな」
「それじゃあ、トガビトについてはどう思っている」
「どう思ってるって……。トガビトは倒すべきモンスターでしょ? 観測の邪魔になるし、人を襲うんだから」
「そうだな。正しい感覚だ」
じいちゃんは深く肯く。けれど、僕はじいちゃんの意図が見えずに焦れた。
「いったいなんの話し? いつも考えてることじゃん。わざわざ、結界貼ってまですること?」
「……トガビトは倒すべきモノだ。仮に、佐伯がトガビトを利用していると言ったらお前はどうする」
「は? トガビトを利用? どうやるのさ」
「わしも、口頭で聞いたに過ぎないがな。佐伯の小僧……いや佐伯一幸はこの町を軍隊の訓練場として利用すると言った」
「ちょ、ちょっと待って、全然わかんない」
佐伯一幸は美宇の父親だ。あの人が政治家として活動しているのは知っている。さっきの電話は、まさにこの話か。いつからだ。いや、それよりも中身がおかしすぎる。
「いいか。続けるぞ」
「うん。大丈夫」
「一幸の話ではトガビトを使って、兵士の訓練、兵器の研究を行い、あわよくば神装を使える兵士を作り上げるというものだった。……わしはその育成を手伝って欲しいと頼まれたのだ」
「いや。無理でしょ……」
「ああ。全ては一幸の妄想に過ぎん。しかし、仮に奴が行動を起こしたとして、何が起こるかわからない。……最悪は、災禍が起きてしまうかもしれん」
「災禍……」
その単語が響いた瞬間、部屋の空気がさらに一段冷え込んだ。
「ああ。数百年前、わしらの先祖が神装や結界術を編み出すきっかけになったものだ。トガビトが溢れかえり、町を滅ぼす。今、起きてみろ。この町はおろか世界が堕ちてしまうぞ」
「じいちゃん……。僕はどうしたらいいの?」
「今はまだ、悟られないようにすることだ。いつも通りに観測を続けろ。最悪、佐伯家を……美宇を手にかけなければならないかもしれなくなる」
「そんな……。無理だって……」
「わかっておる。そんなことには、わしがさせん」
じいちゃんは静かに、力強く、拳を握りしめていた。
(……いつも通りじゃだめだ。僕ももっと強くならなきゃ。もう美宇には頼れない)
「わかったよ、じいちゃん。僕ももう少し頑張るよ」
「頼んだぞ、蒼人」
じいちゃんが再び左手で印を結ぶ。
「――『解』」
部屋に巡らされていた結界が、光の粒子となって解けていく。
途端に、窓の外からザーザーと激しい音が聞こえてくる。いつの間にか、外は激しい雨が降っていた。
「蒼人」
重い現実を胸に、部屋を出ようとする僕をじいちゃんはまた呼び止める。
「なに? まだなんかあるの?」
「来なさい。今日はおまじないがまだだったな」
じいちゃんはいつも通りの手招きをして僕を呼ぶ。
「ああ、いつものね」
僕はじいちゃんの前におでこを出す。
じいちゃんは、僕のおでこをゆっくりとシワだらけの指でなぞる。
「よし。これで大丈夫だ。行っていいぞ」
「うん。ありがとう」
雨の音が強くなる中、僕は部屋を後にした。
じいちゃんのおまじないを受けると、不思議と頭の中がすうっとスッキリとする。
廊下の窓の外、祈りの丘は激しい雨の中も燦然と美しく輝いている。
あの場所にも雨は降っているのだろうか。それだけでも、存在の証明になるのに。そんなことをふと思う。
自分の部屋に戻り、ベッドに横になってじいちゃんの話を思い返す。
考えても、結果は出ている。僕のできることをすること、それ以外に答えは無いとわかっている。
雨は窓ガラスを強く打ちつけている。音に包まれたこの部屋は、まるで世界から切り離された結界のようだ。
……小さい頃、雨は好きだった。すべてをかき消すように騒ぎ立て、自然の圧倒的な大きさで押しつぶされそうになる。そんな特別な感覚が好きだった。
けれど、今はもう、雨は僕の記憶にじんわりと冷たい楔を残すだけ。
いつまでも止まないような雨を眺めながら、地獄の夜は更けていく。




