第15話 出会いは北へ沈む
――さらに、北へ。
鈴木迅の手紙に記されていた通り、町の北側へと境界線を越えた瞬間、そこにはかつての面影など微塵もない、荒れ果てた砂漠のような広大な荒野が地平線まで広がっていた。
「昔は普通の、緑のある綺麗な町の一部だったんだけどな。いつの間に、こんなに地形は変わってたんだな」
乾いた砂嵐が吹き付け、わずかに残っている建物の鉄骨や、砂に埋もれた舗装道路の残骸だけが、ここが本当に人間の町だったのだと虚しく物語っている。
「んー……問題の研究所は……まだ視界には見えないな。荒野の真ん中の方かな……」
地形そのものが変わってしまっているようで、すり鉢状の円錐の崖ができており、中心に向かって低くなっている構造のようだ。
鈴木迅の手紙にあった、研究所を兵士のように守るというトガビトの姿は、まだここからは見えていない。今のところは何の気配も感知できない、不気味なほど静まり返った場所だった。
「とりあえず、底まで行ってみよう。ここの近くに研究所があるのは確かだろうし。……強化式」
僕は走りながら頭の中で直接プログラムを刻み込み、強化式を発動させた。
自分の明確な意識で体内の神力を完全にコントロールし、先ほどのテンラとの戦いでの出力データに、少しだけ効率化の改良を加えた最新の戦闘コードだ。
「この術式にも、名前を付けた方がいいな。そうだな……単純に、強化式――『攻』でいっか」
改めて、強化式――『攻』を体内の神経全体に巡らせ、肉体のリミッターを解除して身体強化を行う。
今度は無意識の暴発ではなく、自分の意志で、爆発的な力が全身に湧き上がってくるのをはっきりとリアルに実感できていた。
僕はそのまま、砂煙を上げて広大な荒野を一気に駆け出した。
『攻』の効果により、僕の身体は驚くほど軽い。思考も冷徹なまでに冷静。風を切って進む感覚が、今の僕には心地よかった。
「そろそろ、中心へ下る崖の端だな。……まだ研究所の全貌は見えないか」
どうやら研究所は、この崖のかなり深い下層に埋め込まれるように建てられているようだ。あるいは、高度な結界で隠されているのかもしれない。どちらにせよ、一度覗き込んでしまえば、もう後戻りはできない。そんな確かな予感があった。
「ふっ……いまさら、怯むわけないよな」
僕は両足の筋肉にさらに神力を込め、極限までスピードを上げた。
その急加速の勢いのまま、崖の縁を強く踏み切り、奈落の底へ向かって一直線に飛び込んだ。
脳内にある、無駄な恐怖の思考をすべて風の中に振り切って。
――ドプン……。
空中を落下する崖の途中、何か冷たい膜のような空間を、身体が通過した。
直後、全身にゾクリと嫌な悪寒が走り、周囲の空気が異様な濃度の神力で満たされていることに気づく。
「結界……? いや、なんだ、この感覚は……」
僕の侵入を物理的に拒絶する訳でもなく、視覚的な認識を阻害するものでもない。ただ、何かの防衛ラインを確実に通過した。考えられる可能性は一つ。
(……研究所を外部から隠すためのカモフラージュ、あるいは侵入者を察知する高感度のセンサー結界、罠の類か)
広大な空間。入った瞬間にアラートが鳴る罠。あのヤガミ達の組織なら、充分に有り得る。
「でも……もう、見えてんだよ。お目当ての研究所――!!」
砂嵐の奥、すり鉢の底に、目的の巨大な近代建築の研究所がその姿をハッキリと現した。鈴木迅の手紙に間違いはなかった。
着地する瞬間、僕は強化された脚力で地面の砂を思い切り蹴り上げ、落下の衝撃を殺しながら、最高速度のまま研究所の正面へと駆け下りた。罠が作動しようとも、奴らのシステムが反応しきる前に、僕がそれ以上の速度で肉薄すればいいだけだ。
数秒で荒野の底へと到達し、槍を構えて一息おく。
「……すぐに罠が作動しないのか。気持ちの悪い結界だ。一体なんのための防衛線だ? ……まぁいいか。そんな細かいことよりも……」
目の前に聳え立つ施設は、近くで見ると圧倒される大きさの軍事要塞のようだった。佐伯一幸の秘密研究所。ここに、美宇を奪った奴らが潜んで
いる。
「入り口は……どこでもいいか。正面玄関を探す必要はない」
僕の正面には、大型車両を搬入するためのガレージのような、頑丈で大きいシャッター空間があった。どうせ中に入ってすべてを力尽くで潰すんだ。綺麗に玄関から入ってやる必要はない。
研究所のガレージへと近づこうと、ザクッ、ザクッと静かに砂を踏み抜いて歩いていく。
その時、建物の影から、僕を威嚇するような不気味な高周波の声が聞こえた。
「ギュキュギュ――!!」
瓦礫を退けて現れたのは、近代的な重火器やブレードを持った、数体の歩行型トガビト達だった。鈴木迅の手紙にあった通り、この研究所の周囲を兵士として警備しているトガビトだろう。
トガビト達は僕を組織的に囲み、これ以上進むなと警告のポーズをとる。
……まるで、訓練された人間の兵士のように。
「邪魔すんなよな。……あー、ちょうどいい。中の本命と戦う前の、肩慣らしくらいには付き合ってくれよな。――神装展開『骸月』」
そう唱え、瞬時に顕現した黒い刀を、右手で力強く握りしめた。
「キュギュギュ!!」
「最終警告ってか? ――いいから、まとめて来いよ。……来ないなら、こっちから細切れにするだけだ」
僕は地面の砂を爆発的に踏み切り、神速の殺意のまま、トガビトの群れへと斬りかかった。
◇
――――同時刻、研究所内部。
「ん……?」
研究モニターを見つめていたヤガミが、不意に視線を外へと向けた。
「どうしたの? ヤガミ」
白衣を着た黒幕の女、佐伯七恵がのんびりとした調子で問いかける。
「いえ……外に何者かの気配を感じました。どうやら、身の程知らずなネズミが一人、この敷地内に入り込んだようです。……少し、私が席を外して処理してきます」
「あなた自身が出るの?」
「ええ。テンラは先ほどの戦闘で右腕を失い、あの中で眠って休んでいますし。それに、この気配は……」
「それに?」
「いえ、なんでもありません。七恵様はお気になさらず、そのまま研究の続きをしていてください」
「そう。それじゃあ、あなたに任せるわね、ヤガミ。……私の大事な精密機器があるんだから、あまり外を騒がしくしないでくれると、助かるわ」
「……わかりました。すぐに終わらせます」
そう冷酷に言い残し、ヤガミは部屋を出ていった。
自動扉が閉まった廊下で、ヤガミの瞳に漆黒の殺意が宿る。
「この神力の波長は……菅井、蒼人か。生きていたのか。 どうやって、この場所を知った? ……まぁいい。わざわざ、私に殺されにここまで来たんだ。その愚かな望み、今すぐ叶えてやろう」
ヤガミは長い廊下を一切の迷いなく進み、外部ガレージへと直結する大型エレベーターに静かに乗り込んだ。
チーン――。
無機質なアラート音が鳴り、エレベーターがガレージ層へと到達する。
頑丈な鉄扉が開いたその先には――警備用のトガビト達を、まるで紙切れのように一瞬で斬り払っている、菅井蒼人の恐るべき戦闘姿があった。
トガビトの肉体の破片が四散し、辺りに凄まじい灰が舞い散っている。
昨日までの、あの無力に怯えていた少年の姿はそこにはなかった。トガビトを冷酷に屠るその様子は、どちらが本当の異形の怪物なのかわからないほどに、凄まじい殺気に満ちていた。
「――ふっ、ハハハッ!!」
ヤガミの、感情の欠落した乾いた笑い声が、ガレージの広い空間に不気味に響き渡った。




