第14話 孤独と幸福
――四角公園から東へ100メートルほど進んだエリア。
ある人物の自宅と思われる場所に、僕は足を踏み入れていた。
「……あー。やっぱり、ここも何も残ってないな。そりゃそうか。でも、これで……」
目の前で瓦礫となっている家は、手紙の差出人である「鈴木迅」の自宅だった。
じいちゃんへのあの警告手紙から、この人が佐伯一幸の秘密を握っているのは確かだった。もし、災禍を生き延びているのなら協力を、せめて何か新しい情報があればと淡い期待を抱いていた。しかし、その家は跡形もなく無残に破壊されていた。巨大なトガビトが襲ったか、あるいは群れが通過したのだろう。
それでも、絶望の瓦礫を前にして、僕の胸にはひとつ、喜ぶべき決定的な確信が生まれていた。
「……やっぱり、人間の血痕がどこにも落ちていない。ここに来るまでの崩壊した道にも、死体はひとつも無かった」
思い返せば、災禍が起こった昨日からずっと、僕は町の中で一般人の死体を一度も目にしていない。
あるのは建物の瓦礫と、僕が狩ったトガビトの死骸だけだ。これほどの規模の崩壊なのに、人間が死んだような生々しい痕跡は一切無かった。
「じいちゃんは……やっぱり、どこまでも強いなぁ……」
ここに来る直前、僕はじいちゃんの部屋で鈴木迅の足取りを探すため、書類を漁っていた。その時、たまたま本棚の裏から、じいちゃんの古いノートを見つけたのだ。昨日見た日記とは別の、秘匿された手帳。
そこに書かれていたのは、災禍が勃発する数日前までの、じいちゃんの緊迫した行動の記録だった。
『――×月×日。佐伯一幸からの再三にわたる電話。トガビトの軍事利用への協力を何度も拒否したが、奴はワシの意見を飲むつもりは毛頭ないらしい。迅からの手紙もあり、ワシに奴を信用する心の余裕はもう1ミリも残されていない。
――×月×日。奴がこちらの電話に一切応答しなくなった。ワシは最悪の危険を察知し、極秘裏にこの町の住民たちを全員、外へと避難させることにした。奴の実験の暴走により、災禍、あるいはそれに近い取り返しのつかない大惨事が起きる可能性がある。
――×月×日。観測者のネットワークを使い、町の皆に声をかけて回る。理由は適当な嘘でいい。とにかく一刻も早く町の外へ避難しろと。
――×月×日。ほとんどの住民の町の外への避難が完了した。皆がワシのこれまでの言葉を信頼してくれていたおかげだ。最後に、蒼人の母である珀を説得した。珀は最後まで、蒼人をこの町に残していけないと激しく抵抗していた。それでも、ワシは無理矢理、彼女を安全な外の世界へ逃がすことにした。最後まで蒼人の名前を呼んで泣き叫んでいた。……安心しろ、珀。お前の息子を、ワシの孫を死なすような真似は絶対にせん。
――×月×日。ついに奴らの手によって災禍が起きてしまった。見回りに向かった蒼人は、まだ家に帰らない。最後にもう一度だけ、佐伯一幸に電話をかけるが、奴の応答はない。……本当は、最初から蒼人も一緒に外へ逃がすべきだったのかもしれない。しかし、蒼人を外の世界に行かせた時、脳内に施している美宇の記憶の結界術がどう誤作動を起こすか、ワシにも計算が立たなかった。ワシの目の届く側に置いておく事こそが蒼人の最善だと、老いぼれの勘違いをしてしまった。……もう、後戻りはできない。ワシの命に代えても、蒼人の命だけは、何があっても必ず守ってみせる』
じいちゃんの遺言のような手帳は、その行で終わっていた。
これを書き残した直後、あの空のひび割れとトガビトの襲撃が、僕らを襲ったんだ。
このノートを信じるなら、町の人々は災禍が起きる前に、じいちゃんの手によって全員安全に外の世界へ逃げ延びている。これほどの地獄のような惨劇の中、一般人の死体も、血痕すらもないのは、みんなが無事である証拠だった。
「……母さんは、生きてる。無事なんだ。心配ない」
災禍が起きてから初めて、僕の口元から、自然と本当の安堵の笑みがこぼれ落ちた。守るべき家族は、もう安全な場所にいる。
「鈴木迅には会えなかったけど、これでもう……迷う理由はなくなったな」
進むべき僕の目的は、完全に一本の線へと定まった。
すべての元凶である佐伯一幸がいる、あの町の北側の荒野の研究所へ行く。選択肢はそれしかない。
「佐伯一幸を……必ず殺す」
この胸に宿る思いには、正義のヒーローのような崇高さの欠片もありはしない。世界を救う救世主になんて、ならなくていい。
僕たちの平穏だった町を……あの温かかった日常をめちゃくちゃに壊した佐伯一幸という男を、ただ僕のこの手で、合法的に殺してやりたいだけだ。
その歪んだ漆黒の殺意だけが、今の僕の肉体を強烈に突き動かしている。
「準備は……すべて出来てる。次は、絶対に勝つ」
研究所に真正面から乗り込み、佐伯一幸をブチ殺して、美宇を連れ戻す。
……それで、僕の物語のハッピーエンドだ。




