第13話 落ちた意志は狂気深く
パサついた惣菜パンを無理やり口に詰め込み、ペットボトルの水で強引に胃の奥へと流し込む。
「……足りない。もっと、出力を上げるためのエネルギーが要る……」
味覚なんてとうに麻痺していた。スーパーから取ってきたパンやおにぎりの包装を次々に剥き、狂ったように口へ放り込んでいく。
味なんてどうでもよかった。今の僕は、脳内強化式で酷使した身体の細胞が、ただ純粋なカロリーを狂暴に求めているのを本能で理解していた。
胃袋を満たし、少しだけ脳の興奮が落ち着いたところで、僕はこの先の具体的な戦術を考え始めた。
「なんか、書くものあるかな……」
辺りの床を見渡し、じいちゃんの本棚から落ちていた適当な白紙の紙と、転がっていた黒のボールペンを手に取る。
埃っぽい床に紙を広げ、ボールペンの先を乱雑に走らせて、頭の中の疑問を書き殴っていった。
『ヤガミ、ミクライ、テンラ、そして――佐伯一幸』
奴らの真の目的は一体なんなんだ?美宇を連れ去って、何をするつもりなんだ?
「……くっそ。全然情報が足りない」
頭をガシガシと掻きむしり、ペンの先がピタリと止まる。敵のアジトも、組織の規模も何も分からない。
「……いや、逆に自分のことなら、戦ったからこそわかるな。あいつらにまた遭遇したら、今のままで次は勝てるのか? 僕の持てる手札は――」
今日のテンラとの息詰まる戦闘、そしてヤガミやミクライが放っていた異次元の身のこなしを克明に思い出しながら、今僕ができる能力を冷徹に書き出していく。
「……強化式。脳内に直接刻んだ身体強化の出力は、かなり実戦でも良かった。これがあれば、次は最初からテンラ級の速度に対抗出来る」
さらにペンを走らせる。
「……逆に、『防御』や『回復』の術式をどうにかしてプログラムに組み込まないとだな。今の攻撃特化の現状だと、二手目を一発食らっただけで致命的な大ダメージになる。もし二つのプログラムを同時に組めないなら、優先すべきは……『回復』だな。痛いだけなら根性で耐えればいい。治して肉体が動くなら、戦闘を継続するには問題はない」
テンラとの戦いの土壇場で組み上げた、あの即席の強化式のコードを紙に実際に書き写していく。
元々じいちゃんに教わった強化式は、基本的に「対象」「行動」「神力」という三つの絶対的な要素の構成で組み上げるプログラミングだ。
「対象」とは、物体など式が作用する具体的な場所のこと。テンラとの戦いでは、お札ではなく自分の『身体全体』を依代として指定していた。
「行動」は、その名の通り、作用させる具体的な力の内容。身体強化であれば、筋力の瞬間的な増強や、神経の反応速度の最大化などにあたるが、この「対象」と「行動」に関しては、術者の脳内での明確なイメージ力の要素が極めて強い。
例えば、お札で使う「浄火」の式なども、空気中のエネルギーが持つ熱を式によって急激に膨張させ、発火に至らせるという科学的なアプローチだ。そのイメージの過程を補うのが、強化式の役割だった。
最後の「神力」の要素に関しては、そこまで深く気にする必要はない。
単純に、式を刻んだ本人でないと、その式を上手く発動できないというセキュリティシステムのようなものだからだ。神力というのは、個人ごとに固有の波長の違いがある。敵に自分の式を盗まれてハッキング利用されないための、防衛技術だとじいちゃんは生前言っていた。だから、自分の身体に刻む分には、そこまでエラーを気にする必要は無い。
「回復……治癒……いや、どうせならもっと強力な出力が欲しいな。――『再生』。無くなった腕の細胞を一瞬で元通りに治せるくらいの、絶対的なプログラム。防御の式を完全に捨てるんだ。そのくらいのイカれたリターンがなければ、あいつらには勝てない」
思いつく限りの治癒コードを書いてみる。基本の強化式をベースにして、要素を細胞の「再生仕様」へと強引に変えて組み替えていく。
しかし、ペンの動きがすぐに鈍くなった。
「……きついな。対象のイメージを『ミクロの細胞』まで絞り込めば、何とか神力は届くけど……『行動』のプログラミングがダメだ。肉体がゼロから生えてくる過程を、自分の脳で完璧にイメージできない」
欠損した肉体を一瞬で生やす『再生』の式をゼロから組み上げるのは、現状の僕の知識ではかなり難しいようだった。
実際、実戦で作るとなると、身体強化の式とは全く別に、独立した再生用の巨大な式を脳内に同時に組み上げる必要性がある。激しい戦闘の最中において、脳内で二つの複雑な式を同時に並列処理して使いこなすのは、あまりにも難易度が高すぎて現実的ではないだろう。
「とりあえず今の段階では……細胞の強制的な活性化。傷口の『治癒力の向上』までが限界かな。これなら、身体強化の式の『行動』のコードを少し弄るだけで、何とかひとつの式として並列処理できる。……でも、やっぱりテンラみたいな再生や、ヤガミみたいな強固な防御の結界は喉から手が出るほど欲しいなぁ。何か、この部屋にヒントはないかな……」
僕が使っている強化式は、すべてじいちゃんに教わった技術だ。高度な結界術を操っていたじいちゃんなら、何か強力な術の残しをこの部屋に隠しているはずだ。
(……最悪、じいちゃんが使っていたような『結界術』のコードでもいい。理論さえわかれば、僕の脳内で式として応用できる)
僕はあぐらをかいていた床から立ち上がり、じいちゃんの部屋の物色を始めた。床に散らばったガラクタ。本棚にぎっしりと並べられた古い本やノートの数々を、一冊ずつ手当たり次第に開いていく。
「……お」
その時、本棚の奥に隠されるように置かれていた、奇妙な古い本が一冊、僕の目に留まった。
煤けた表紙には――『秘術・創生論』と、じいちゃんのあの力強い直筆の字で書かれていた。
「創生論……?」
僕は息を呑み、表紙をめくって中を覗き込んだ。
しかし、期待に反して、書かれていたのはたったの1ページだけだった。殴り書きで、まるでただの思いつきのアイデアをメモしただけのような、短い断章。
「……中途半端なメモ? いや……待て、なんだこれ。――やっばぁ」
脳裏にそのロジックが流れ込んできた瞬間、僕はバンッ!! と凄まじい勢いでノートを閉じた。じいちゃんの遺したあまりにも破天荒で恐ろしい理論のパラダイムシフトに、僕は一瞬で圧倒されてしまったのだ。
あまりにも乱雑で、教科書のような整った美しい理論では決してなかった。
それでも、僕には一目で分かってしまった。これこそが、今の僕が求めている、世界のルールをハッキングするための最強の鍵だと。
「……でも、今の僕の練度じゃ、ぶっつけ本番で試す勇気は出ないなぁ。まずは頭の回路にだけ、この理論を入れておこう。他には何か手がかりはあるかな?」
もっと実践的な術があるかもしれない。僕はさらに貪るように、古い本棚の奥を探り続けた。
「……あ」
棚の隙間に挟まった本を手に取ろうとした時、ポロッと、中から何かの封筒が床へと落ちた。
「……なんだろ。手紙?」
じいちゃん宛てに送られた、古い手紙のようだった。
送り主の欄には、掠れた文字で、見たことのない名前が記されていた。
――『鈴木迅』。
「鈴木迅……? 聞いた事ない名前だな」
僕は躊躇うことなく封を破り、中の手紙を開いた。
封筒の中には、びっしりと文字が書かれた2枚の便箋が入っていた。
『菅井茂澄様へ。――兄の没後も、私たち家族を気にかけて下さり大変感謝しております。菅井茂澄様と佐伯一幸様には、兄弟ともども昔から本当にお世話になりました。お忙しいとは思いますが、久しぶりのご連絡をどうか目を通して頂きたく思っております。
……実は近頃の、佐伯一幸様の動向に、私は政治家としていささか大きな疑問を抱いております。恩人を疑うような真似は、私も決してしたくはありません。しかし、正直に言ってしまうと、数年前の私の兄の『失踪』から、その後の『事故死』の報告……あのあまりにも不自然な警察の内容に、私はどうしても納得がいっていません。私は、佐伯一幸が兄の死に深く関わっているのではと、密かに疑っております。
そのため、勝手ながら佐伯一幸の周囲について独自に調査を行っておりました。その過程で、菅井様へどうしても今、伝えておかなければならない恐ろしい事実を突き止めました。そう思い、この手紙を書かせて頂きました』
「これが1枚目……。鈴木迅という人は、佐伯一幸の裏の顔を調べていたのか。書かれたのは数ヶ月前だ。何か決定的な証拠を見つけたから、じいちゃんに手紙で警告したんだな。その中身が、この2枚目に書いてある」
僕は息を詰まらせ、2枚目の便箋へと目を移した。
『まず初めに調査を行ったのは、佐伯一幸の自宅でした。彼の私的な動向を知りたかった私は、佐伯家の自宅の前で数日間にわたり張り込みを行うことにしました。しかし、彼が表に姿を見せることはありませんでした。それどころか、佐伯一幸だけではなく、一緒に住んでいるはずの奥様や、娘の美宇ちゃんの姿も、一度として家から出入りするのを見ることはありませんでした。
しかし、不気味なことに、その家は間違いなく機能し、中で“何か”が生活していました。窓から覗く電気は日が落ちれば規則正しくつき、夜になればカーテンが閉められる。朝になれば機械的にカーテンが開き、ゴミが出され、洗濯物が干されている。私は確かに、24時間目を離さず見ていました。それでも、人の姿だけは、そこには絶対に無かったのです。
私の疑念は確信に変わりました。佐伯が家の中で恐ろしい何かをしていると、それを突き止めなければと。私が次に向かったのは、佐伯家が所有する、町の外れにある広大な研究所です。町の北側、住民が皆、南側へ移住してゴーストタウンになったからと、佐伯一幸が国費で研究所を建てた事はあなたも聞いていると思います。私は佐伯が拠点として、そこを利用しているのだと思い、すぐさま調査に向かいました。
北側のエリアは人がいなくなったことで荒れ果て、まるで砂漠のような広大な荒野だけが残されていました。その中心部に、問題の研究所はありました。……菅井様、私の目は狂ってしまったのでしょうか?
そこには、トガビトが……私たちが絶対に排除するべき人類の敵であるはずの化け物たちが、その研究所の周囲を……確かに兵士のように守っていたのです。あれは、本当にトガビトなのだろうか。佐伯はあの施設で、一体何を行っているのか。私は恐怖で足がすくみ、それ以上近づくこともできず、そこから直ぐに立ち去ってしまいました。これ以上、一人で調査を続けるのはあまりにも危険だと、本能で感じてしまったからです。……佐伯家は、何かが絶対におかしいです。どうか、どうか、菅井茂澄様の力を貸してください』
手紙の文字は、そこで途絶えていた。
「……やっぱり、全ての黒幕は佐伯一幸か」
この町に未曾有の災禍を引き起こしたのも、じいちゃんを部屋で死に追いやったのも、全部、あの佐伯一幸の陰謀だったんだ。
「……そして、これから美宇すらも、あの研究所で実験体として傷つけるつもりなんだ。……絶対に、許さない」
僕は手紙をきつく閉じ、床に広げた紙に目を移した。
書き殴っていた『佐伯一幸』という名前に、ボールペンで紙が破れるほど力強く、一本の×線を引いた。
「……敵の場所はわかった。町の北側にある、砂漠の研究所。――ぶっ潰してやる」
僕は静かに闇夜に誓い、戦いの準備を始めた。
じいちゃんの創生論の理論を頭に叩き込み、僕が持てる全ての技術をハッキングして、佐伯一幸の首をとる。
そして、美宇をこの手で絶対に救い出す。そのために。




