85 ニューヨークから愛をこめて
そんな春のある日、エドウィンから手紙が届きました。海の色を思わせるような青い封筒にはいっていました。お店に行って、時間をかけて選んで買ったと思われるような封筒です。
こういう封筒は、アメリカでは結婚式のお知らせの時に使います。
まさか、誰かに決めちゃったのかしら。
めぐみはこみ上げてくる悲しさにどきどきしながら、封筒を開きました。
封筒と同じ色の便せんに黒いインク、ていねいな字で書かれています。
「メグ、元気かい。
そちらでは、桜の花が咲いたかい。
ニューヨークも春らしくなってきたよ。
今日、ある発見をしたんだ。数学のことではないよ。
ぼくは今度、カリフォルニアのバークレーに移ると言ったよね。数学科で、かなりの高い給料がもらえるんだよ。
ぼくが研究していることは数学の分野の中でも、ものすごく小さな部分で、やっている人も多くはないし、理解できている人もほとんどいないんだよ。これが、将来、人類の役にたつとか、そういうことは全くわからない。たぶん、そういうことはないんじゃないかな。
でも、こういう人間のために、大学はお金を使うんだよね。すごいことじゃないかい。
ぼくは大学にいなければ、価値のない人間で、実際には人の役にはたっていない。時々、思っていたんだ、もし、野原に放りだされたら、どうやって生きていくのだろうって。
だから、一生、大学の中で、生きていくつもりだった。考えるのは好きだから、それは苦痛ではないし、これしか、熱中できるものはないしね。本当に、大学には感謝をしているよ。
でもね、急に思ったんだよ。
ぼくはぜいたくをしようとは思わない。そういうことには縁がなかったし、興味もないんだ。食べていけて、母に仕送りができたら、それで満足なんだ。
考えてみたら、ぼくはコンピュータやスマホを直せるし、車の修理くらいなら、自分でできる。ペンキ塗りだってできるし、畑だって耕せるかもしれない。それが今日の発見だよ。
突然で驚くかもしれないけど、ぼくは大学という世界を飛び出して、メグのところへ行こうと思うんだ。
どう思う?
メグが4年間教師を続けて、その後で、先のことを考えると言っただろう。
ぼくはその4年間、大つた村で暮らしてみようかと思うんだ。
そういうふうに考え始めると、未来が広がってきた。
将棋を習い、弓道や剣道も習い、手品も学びたい。
知っているかい、ぼくはマジシャンになりたかったんだよ。
それから、山にも行きたいし、日本の本が読めるくらい漢字も覚えたい。
メグ、きみは反対するのだろうか。
もったいないとか言うのかい。天才なのにって。
メグはぼくが天才だってどうしてわかるの?
ぼくが何をしているか、知らないだろう。
ぼくは天才なんかじゃないんだよ。ちょっと運がよかっただけのふつうの人間なんだ。
ぼくはメグと生きていきたい。きみがいやでなかったらね。
いやだったら、いやなところを言ってみて。
それが直せなかったら、あきらめるから。
もし反対の意見がなかったら、ぼくはカリフォルニアを飛び越えて、海の向こうのきみとのところに行くことにするよ。
反対意見がある時は、ちゃんとしたのを頼むよ。
ぼくが反論できないくらいのをね。
メグの意見を聞くのはいつも楽しいよ。
想像できないことを言うからね。
そこが好きなところのひとつだよ。
それだけではないよ、念のため。
とにかく、よろしく頼むよ。
ニューヨークから愛をこめて
エドウィン」




