74 元日の朝
めぐみとエドウィンは、午前5時半に家を出て、本栖湖へ初日の出を見に向かいました。
湖畔の空は、深い群青から静かにほどけ始めていました。ふたりの吐く息は白く、地面を踏みしめるたびに霜がかすかに音を立てました。
ふたりは手袋の中でカイロを握りしめながら、湖の向こうをじっと見つめています。背後では、キャンプ用の椅子に座った中年のご夫婦が、湯気の立つコーヒーを静かにすする音が聞こえます。遠くでは、三脚を構えた人たちのシャッター音がリズムのように響き、それぞれが思い思いの気持ちで夜明けを待っていました。
時々、子どもの笑い声が聞こえてきます。そのたびに、めぐみはそっと振り返りました。教え子の子どもたちは、今どんな元日を過ごしているのだろうかと思いを巡らせました。
湖面は波ひとつなく、まるで1枚の鏡のようでした。その水鏡に映る富士山の影は、幻のように美しく浮かび上がっていました。
「ほら、見て」
めぐみがエドウィンのほうを見て、富士の頂を指さしました。
「うん」 とエドウィンが頷きました。
周囲の音がふと遠のいたように感じられる中、富士山の山頂が黄金色に染まり始めました。光はゆっくりと尾根を伝い、やがて卵の黄身のような太陽が姿を現しました。その輝きはわずか数分のうちに白く変わり、湖には富士と太陽が重なるまばゆい光の道ができ始めました。
「見られたね」 とエドウィンが言いました。
「Awestruck」 と、めぐみが英語でつぶやきました。それは、感動で言葉を失うような気持ちを表す言葉です。
めぐみにとって、元日に富士山の山頂に立つことは、生涯忘れられない体験になるはずでした。富士山だけではなく、竜ヶ岳に登ることも叶いませんでしたが、車の中でエドウィンとたくさん語り合った時間だけでも、十分に意味のあるものでした。
けれど、今、こうして並んで素晴らしい日の出を一緒に見ることができたのです。
絶対に忘れない。
来られてよかった。
誘ってくれて、ありがとう。
めぐみはエドウィンを見上げながら、やさしく微笑みました。明日は畑野さんの家でエドウィンと過ごします。そしてあさっては、大つた村で子どもたちがエドウィンに会うのですから、 楽しいことが、たくさん待っています。




