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60/85

60 きっと大丈夫

 めぐみ先生は残念ながらチョウの卵を見つけることができませんでしたが、子供たちと楽しい時間を過ごしました。

 幸せをたくさん感じた夢みたいな日でした。

 でも、あまりよいことが続くと、不安が押し寄せてきます。


 めぐみは、来年もこのクラスの担任を続けることになっています。

 それはうれしいのですが、4月からはふたりの生徒がはいってきます。

 どちらも東京の学校で問題があり、この村に移ってくるのです。そういう問題を抱えた子供がいやだということではありません。自分に指導できる実力があるどうか、そこが不安なのです。


 めぐみ先生はひとりで帰る途中、

「All's right with the world」とつぶやきました。

それは「きっと大丈夫」というような意味です。


「赤毛のアン」が、本のさいごで言っている言葉です。

アンをかわいがってくれていた大好きなマシューおじさんが死にました。マシューの妹のマリラおばさんの目がほぼ見えなくなってしまいました。

アンは大学に進みたかったのですが、家計が苦しくて、あきらめなくてはなりません。

でも、島の小学校で教えながら、勉強を続けることになったのです。

そんな時の「きっと大丈夫」です。


 この言葉は、イギリスのロバー・ブラウニングという19世紀のイギリスの詩人の「春の朝」からとられています。

 日本には、上田敏という人の有名な訳詩があります。

 でも、生徒たちにはまだむずかしいので、伝える時にはもっとやさしく言いかえようと思いました。


こんな具合に。


「年が変わり、

 今は春の朝、

 時刻は7時、

 丘には真珠のような露がいっぱい、

 空にはひばりが飛んでいて、

 かたつむりがサンザシの葉っぱの上にいます。

 神さまは天にいらして、

 すべてはきっと大丈夫」


この詩はブラウニングが「ピッパが通る」という詩の劇を作った時、その中でピッパが歌いました。

 ピッパはイタリアのある村に住むフイリッパという貧しい女の子で、紡績ぼうせき工場で働いています。

 機械がたくさんある工場で、朝から晩まで働いて、ピッパはもうくたくたです。それなのに、お休みときたら、1年に1回、お正月のたった1日だけ。


 その日に、ピッパは外出をして、町を歩きながらうたった詩です。

 すべてはきっと大丈夫。

 ピッパも、アンも、何も大丈夫じゃないのに、「きっと大丈夫」と言っています。

 強いなあ。それって、神さまを信じているからかしら。


 でも、わたしはキリスト教ではないから、どうすればいいのかしら。そんなことを考えながら家に着くと、オーストラリアのリバー先生から電話がありました。


 チョウの会のメンバーから、200枚以上の写真が届いたというのです。

「その中に、ユリシスはいましたよ」

 リバー先生がうれしそうに言いました。


 メンバーから送ってもらった写真の中で、「ユリシス」の特徴をしっかりと見える写真が7枚。特にすばらしいのは、1本の動画があって、

「ユリシスが飛んでいるんだよ」


 それに、もっともっとすばらしいのは、その動画には大きなユリシスのそばに、モンシロチョウが飛んでいるところ。

「サイズの違いがはっきりとわかるんだ」


 リバー先生は、これから発表のためにスライドを作り、論文にまとめ、発表の内容を変更したいというプロポーザルと、学会で配る要旨書を作ると言いました。

 ただ時間がないのです。


 リバー先生は今回の学会発表のために、ある昆虫について2年がかりで研究をし、ようやく学会で発表のチャンスをつかんだのでした。そして、英語の先生について、発表する練習もしてきました。

 でも、その発表をやめて、「日本のユリシス」に切り替えようというのですから、論文が間に合うかどうか、許可されるかどうかもわかりません。


「でも、ぼくはやってみたいんだ。シンガポールと台湾で、ユリシスが見たという発表された直後に、中川いつき先生が残した写真が見つかったんだ。先生のためにも、このチャンスを逃したくはない」


 リバー先はめぐみに、これから書く論文を英語に直してくれないかと頼みました。

「ぜひやらせてください」

 めぐみはお笑い芸人の切り返しみたいに、秒速で言いました。リバー先生ががんばっているのだから、めぐみだってお手伝いがしたいのです。


 めぐみは科学の論文は書いたこともないし、読んだことすらありません。ただ英語がわかるというだけで、科学の論文が訳せるものなのでしょうか。

「専門用語はすぐにメールします」

「はい」

 めぐみは、とにかくできるかぎりやってみようと思いました。


 うん、きっと大丈夫。


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