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43. エドウィンの散歩

 その日の授業は午前までで、お昼前に生徒たちは家に帰ります。

 先生たちには午後に職員会議があり、その後で、翌日にわたす成績表を書き終わらせます。


「えっちゃんはうちで寝ていれば。4時半か5時までには帰れると思うから」とめぐみ先生が言いました。


 エドウィンが「何か直してほしいところはないかい」とききました。

「直してほしいものって?」

「水道管とか、電気とか、コンピュータとか」

 彼はそういう修理が得意で、部屋のペンキ塗りも自分でやります。

「特にはないけど、ああ、ビデオプレーヤーとテレビとつながらないわ」

「わかった。まかせておいて」


 エドウィンは、その時はめぐみの家に行き、昼寝でもするつもりでしたが、校舎を出たとたん、気が変わりました。

 道の両側には落ち葉が吹きたまっていて、黄色や赤い木の葉が立ち並び、遠くにはいくつかの山が重なって見えます。

 こんな本物の自然が両手を広げて迎えてくれている場所には、来たことがなかった気がしました。


 世界の国々を訪れて、美しい景色を見たことは何度もありますが、いつも移動の最中で、次の研究発表のことを考えていました。

 だから、突然ぽっかりあいたこの時間はもったいなくて、昼寝なんかしていられないと思いました。

 心の奥から、うれしい気持ちが湧いてきました。

 少し歩いてみようと決めました。富士登山もあることですし。


 まずお店に寄って、ランチを買うことにしました。ここの手作り弁当はおいしいとメグが言っていました。

 お店に行くと、レジに教室で見た顔がありました。

「いらっしゃいませ。あっ、エドウィン先生、こんにちは」

「愛子ちゃん、えーえー、手伝いをして、えらいな」

 言葉につまったのは、「店番みせばん」という日本語が出てこなかったからです。


「エドウィン先生、おさがしものは何ですか」

「お弁当」

「お弁当はこちらです」

 愛子がカウンターから出て、案内しました。


 エドウィンが食べたいものばかりなので、どれにしようかなと迷っていました。

「めぐみ先生はよくおにぎりを買います」

「おにぎり」

「大好きなのがシャケでしたが、今はよくツナマヨを買います」

「ツナマヨ?」

 と言ったので、愛子が説明をしました。

「ああ、カリフォルニアロールにている」と言ったけれど、今度は愛子がその意味をわかりませんでした。


 愛子は、めぐみ先生が和歌の家に行った時、和歌の分のシャケと昆布おにぎりを食べてしまった話をしました。

 生徒のおにぎりを食べてしまったのか、とエドウィンが笑いました。

 それは和歌が登校拒否になりかけた時の話です。

「めぐみ先生は和歌ちゃんに、3年くらい学校に来なくてもいいって言ったんです。生きていればいいって」


 それから、おにぎりが大好きなのは、めぐみ先生のママがさいごに作ってくれたのがおにぎりだったからです。

「でも、それが昆布おにぎりだったので、そのことを思い出して悲しくなるから、先生は昆布おにぎりはあまり買いません」


 エドウィンはシャケとツナマヨのおにぎりを買うことにしました。愛子に勧められて、野菜ジュースも買いました。

「めぐみ先生はモンブランが大好きです」

「いいことを聞いた。これから少し歩くので、帰りに寄って買います。モンブランを見たら、食いしん坊のめぐみ先生が喜ぶかな」

「はい」

 愛子が口を横に大きくあけて笑いました。めぐみ先生の真似です。その表情があまりにメグに似ていたので、エドウィンがよく見ているね、と大笑いしました。


 エドウィンは白いビニール袋をかばんにつめて、歩いて行きました。

 水色の大きな空に、うろこ雲が見られました。

 氷のかたまりを感じるような小さな雲が、行列をしているように見えました。


 空は大きいなー、とぼうっと見上げていると、子供の声が聞こえて、小さな影が走ってきました。

「エドウィンせんせー」という声が近づいてきました。

 そう太郎、明夫とくるみです。


「先生、こんにちは。どこへ行くんじゃ」とそう太郎がききました。

「山のほうまで、散歩だよ」

「どこの山?」と明夫です。

「あれかな」とエドウィンが一番低い山を指さしました。

「あれはたぬき山で、めぐみ先生がよく行くっていたのは青ヶ岳じゃ」と明夫が一番高い山を指さしました。

「でも、スマホが見つかったのは、平家山だとれいかが言ってた」とくるみが言いました。

エドウィンは、めぐみがスマホをなくしたのだと思いました。


「みんなはどこへ行くんですか?」とエドウィンがききました。

「将棋教室」とそう太郎が言いました。

「お正月の大会に、くるみが出ることになってなー」と明夫です。


 将棋は最初、そう太郎が習い出し、次に明夫が加わりました。でも、明夫が「よいこの将棋大会」に選ばれたので、そう太郎はくさっていました。母さんに、大会に出ると自慢してしまったからです。

 でも、めぐみ先生とその試合を見に行ったことを話しました。

「母さんがおにぎりをから揚げを作ってきて、めぐみ先がぱくぱく食べていた。おにぎりがすきなんじゃ」とそう太郎が言いました。

 エドウィン先生が笑いました。メグに関する話は食べ物のことが多いと思いました。


「一番さいごに将棋を習いだしたくるみが、今は一番強いんじゃ」とそう太郎が言いました。

「くるみちゃん、えらい」


「先生、女の数学者っていますか」とくるみが言いました。

「いるよ。ソフィア・コワレフスカヤという数学者で、200年くらい前の人だよ。国で初めて大学教授になった女性なんだよ」

「すごい。そんな昔に、女が数学者になるなんて、むずかしいことだったんでしょ」

「そうだね。それから、もっともっと昔に、ヒュパティアというギリシャ人の数学者がいたし。そうだ、数学のノーベル賞といわれる賞があるんだけど、それをマリアム・ミルザハニという若い女性が取ったんだよ。8年くらい前だったかな。イラン人でね、カリフォルニアにあるスタンフォードという有名な大学の先生だよ」

 その時、くるみは目の前が、ぱっと広がったように感じました。


「すごい。わたし、もっとがんばる」とくるみが言いました。

「でも、おれたちは、だめなんだ」と明夫が言いました。

「どうした?」とエドウィンです。

「将棋に才能がないみたいだから、やめようと思っているんだけど、めぐみ先生がもう少しがんばれというから、がんばっているんだ」とそう太郎が言いました。


「先生も、もうだめだって思うこと、ありますか」とくるみがききました。

「あるよ。そんなの、しょっちゅうだよ。でも、そのぎりぎりのところに、何か大きなものがあるみたいなんだよ」

「その大きいものって、なんじゃ」

「それは、まだわからない」

「天才にも、わからないことがあるんか」とそう太郎と明夫が喜びました。


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