34 お兄ちゃん
お兄ちゃんが物理をやめると言った時、めぐみはもったいないと思いました。
めぐみは物理学のことは何もわからないのですが、お兄ちゃんの考え方はなにか物理学的だと思っていたからです。
こんなことがありました。
知人の家に招かれて行くというのに、お兄ちゃんは着替えをしません。
「知らない人のうちに行くのに、着がえることはない」
「そんな恰好では失礼でしょう。かえって覚えられるでしょう」と母が叱っても、平気です。でも、別の家に行く時には、ちゃんと着替えました。
「その家では、みんなが自分を知っているから」というのが理由です。
めぐみにはこの理屈がわからなかったのですが、あのアインシュタインが同じようなことを言っていることを知りました。どうも思考回線が同じなようなのです。
別の時、知人が犬をもう1匹、飼うことにしました。
その家には、すでに大きな犬が1匹いて、庭側のドアの下部には犬の出入口が作られていました。
「それでは、もうひとつ、出入口をつけなければならないな」とお兄ちゃんが言いました。
「ふたつなんていらないでしょ。ひとつ、あるのだから」
「大小2匹の猫がいるのだから、大小ふたつの出入口が必要じゃないか」
どうして、そんなこともわからないのか、という顔です。
小さな猫は大きな穴から出入りできるでしょと説明すると、ようやくわかったようで、無言になりました。
めぐみは、お兄ちゃんは時々ばかで、自分のほうが利口なのではないかしらと思いました。その後で、ニュートンの伝記を読んでいた時、同じエピソードがあったので驚きました。それで、もしかしたら、物理の人は、こういう考え方をするのかしらと思ったのです。
こんなこともありました。
夕食の後、日本のおばあちゃんに電話をしようかという話になりました。日本は何時かしら。お兄ちゃんが、コンピュータに「世界の時刻」をセットアップしたばかりだから見てくる、と元気に階段をかけ上がっていきました。
とんとんとんとすぐに下りてきて、得意そうに言いました。
「夜の8時だ。ちょうどいい時間だ」
みんなはぎよっとして、顔を見合わせました。
「いい時刻だから、はやくかけなって」
お兄ちゃんが顔をしかめて急がせます。
「お兄ちゃん」
「なんだ」
「今、ここが8時なんだよ。ニューヨークが夜の8時で、日本が夜の8時だということはないでしょ」
「おっと、セットアップをまちがえた」
とお兄ちゃんは二階に上がって行きました。
物理頭の人はひとつのことに集中すると、他のことは見えないのかもしれない、とめぐみは思うのでした。




