19 おばあちゃんの思い出
「先生は悲しみをどうやって、乗り越えたんじゃ」と和歌はきいてみました。
「乗り越えていないよ」
「でも、先生はすごく元気じゃ。おにぎりもぱくぱく食べたし」
「わたしには悲しみは乗り越えられない。だから、悲しみとどうやって一緒に生きていくか、考えたのよ。でも、まだわからない」
「何を考えたの?」
「ききたいなら、まずビスケットをぜんぶ食べて、ミルクものんでね。わたしの話は長いんだから」
和歌はビスケットを食べ終わりましたが、なさけない顔をしています。
「少し食べたら、もっとお腹がへってきちゃった」
「じゃ、お母さんのところに行って、おにぎりを作ってもらったら。シャケのおにぎり、おいしかったよ」
「でも・・・・・・」と和歌はちょっと考えました。
「わたし、お母さんのこと、あんまりよく知らんから、頼みにくいんじゃ」
「どうして?」
「わたしはおばあちゃんが育ててもらったんじゃ。だから、おばあちゃんがお母さんなんじゃ」
和歌は小さなころは身体が弱く、いつも熱を出したり、お腹が痛くなったりしました。
夜中に熱が出た時には、おばあちゃんが背負って、病院まで走りました。
「途中でくつが脱げてな。おばあちゃんはくつをはいていたら間に合わんかもしれんて、はだしのままで病院に走ったんじゃ。足が血だらけだったとお父さんが言ってた」と和歌が涙ぐみました。
お腹が痛くてたまらない夜には、寝ないでずっとさすってくれました。
それから、敗血症になって、入院したこともありました。もう少しで死ぬところでした。その時も、つきそってくれたのはいつもおばあちゃんでした。
「わたしにカレイを食べさせようと、雨の中、遠い市場にでかけたんじゃ」
「カレー?」
「ライスカレーじゃなくて、魚のカレイじゃ。病気の時には、カレイの煮つけがいいんじゃ」
和歌はあの時おばあちゃんがいなかったら、どうなっていただろうか。そのことを考えるとこわくてたまりません。
お母さんは保育園で働いていて、よその子供の世話をしていました。お父さんは会社員です。でも、和歌にはおばあちゃんがいたから、お母さんやお父さんがそばにいなくても、ぜんぜんさみしいことはありませんでした。
おばあちゃんは福井の生まれでした。7人の子供がいて、おばあちゃんは4女。
おばあちゃんのお母さんは長女の花さんには特別にやさしい人でしたが、おばあちゃんにはとてもきびしくて、おばあちゃんは弟や妹の子守りをしなければならなくて、学校へはほとんど行けませんでした。だから、むずしいことは習わなかったので、和歌といっしょに勉強するのが好きでした。九九を覚えるのも、手伝ってくれました。
ある時、おばあちゃんのお母さんが、結婚した花さんのところにおはぎを届けるように言いました。
子供だったおばあちゃんは弟を背負い、おはぎのはいった重箱をかかえて、長いたんぼの道を歩きました。おはぎの甘いにおいがしてきました。お腹がペコペコでした。
おつかいにでかける前に食べたかったのですが、お母さんが届けてからでないとだめだと言ったのです。
おばあちゃんはその時のことを今でも覚えていて、
「どうして出かける前に、ひとつでも食べさせてくれんかったのかのう」と和歌に言いました。和歌はおばあちゃんがかわいそうで、泣きたくなりました。
おばあちゃんは仏さまを信じていて、うそをついたら死んだら針の山を登らされるとか、地獄のかまの話をしてくれました。三途の川の近くにさいの川原というところがあって、親不孝をした子供はそこで石を積まされます。ようやく石を積み上げたと思ったら、鬼がやってきてその石を崩してしまうのです。子供はまた石を積まなければなりません。
「いやだ、いやだ、こわい」と和歌が泣きました。
「和歌がこんなにこわがり屋だとは知らんかった。こわい話を聞かせて、わるかったのう。でも、大丈夫じゃ。おばあちゃんが行って、おにを退治してやるけん」とおばあちゃんが言いました。
和歌はおばあちゃんがいれば、病気も、おにも、平気なのでした。
和歌は毎日、仏壇に手を合わせて、
「おばあちゃんを長生きさせてください。死なせないでください」と仏さまに頼んでいます。
「だから、おばあちゃんはちゃんと生きているでしょ」とめぐみ先生が言いました。
「生きていても、遠くに連れて行かれてしまった。わたしに助けてくれって言ったのに、助けられんかった。おばあちゃんがかわいそうじゃ。子供の時からずうっとかわいそうじゃ」と和歌が泣きました。
「それは、悲しいよね」
めぐみ先生は和歌の背中を大きくなでました。
「おばあちゃんとはなればなれになって、和歌ちゃんがどんなに悲しい思いをしているか、よくわかりますよ」
和歌がしゃくり上げました。
「わたし、悲しみって、海みたいなものだと思うのよ」
めぐみ先生が、とつぜん、ふしぎなことを言いました。




