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ただの経理社員だって、税理士より真面目に仕事をしてるわ!

次の日、午後3時ころに並子は新土手1丁目店にいた。午後3時というのは、王からの指定だった。その時間が一番、手がすくというのだ。並子がニコマートのロゴが入った扉の前に立つと、オートドアがサッと開いた。どこにでもある見慣れたニコマートの店舗だった。客が数人レジの前に並んでいた。並子は軽く会釈をすると、事務所兼バックヤードの扉を開けた。王がストアコンピューターの前に座っていた。

「王さん、帳簿をもらいに来たわ。」

「此花サンのオジョウサン。デモ、キョネンのニコマートからの帳票ハ、ココニナイヨ。」

「でも、オーナーの家にもなかったわよ。もし、無いのなら、毎日出している精算のレシートをもらうわ。どこにあるの?あら、あそこのロッカーかしら?」

並子はつかつかと事務所兼バックヤードの奥にあるロッカーにむかった。王は、泣きそうな顔をして、並子の前に立ちはだかった。

「吉田センセイのトコにニコマートからのチョウヒョウはゼンブ直接ニコマートからオクッテルヨ。一年ニ一回纏メテ戻ってクルヨ。」

「それでも、今年のはないかもしれないけど、去年のはあるはずよ。」

「ロッカーの鍵は、花山さんから借りてきてるわ。」

並子は王の脇を抜けて、ずんずんロッカーに向かった。金太郎から借りてきた鍵束のいくつかをロッカーのカギ穴に差し込むとその中の小さいのがそうであった。ロッカーの扉が開くと中には何段かに書類のファイルが入っていた。並子はそれを一つづつ確認していった。

「ナイヨ。ナイッタラ。」王は五月蠅く、騒いでいた。並子はそれを無視した。一段目はちゃんとファイリングがされていたが。二段目、三段目は雑多にレシートや書類が押し込まれていた。

「あら、これね。」レシートが入った紙袋を取り出すと、その奥に何やら書類が入っていた。それは、王がないと言っていた去年のニコマートからの帳票だった。王は、観念したのか沈黙した。並子は黙ってそれらを持参した大きな袋に入れた。そして、ロッカーの鍵を閉めると、王に会釈をした。

「お邪魔しました。」

王は、もごもご口の中でつぶやいた。並子はかまわず、事務所の扉に向かった。

王は並子が出ていくとすぐ、石田の携帯に電話した。

「石田サン、此花サンのムスメサンが来タヨ。」王の声は涙声だった。

「それがどうしたの?此花さんは役員だし、株主だから仕方ないだろう。」

「俺タチヲ苛メル気ダヨ。」

「一体何をしに来たの?」

「帳簿トレシートヲ持ッテイッタ。俺タチハタダ働キタイダケダヨ。」

石田は、此花親子が王たちに何やらする気なのだと思った。

「大丈夫だ。俺がついているよ。」石田は言った。

王は心の中でニヤリとした。

「ヨロシクオネガイシマス。石田サンガ頼リデス。」神妙な声で電話を切った。

王が電話を切るのを待っていた呂がやってきた。

「吉田センセイの方ハダイジョウブ?」

王はニヤリと笑って頷いた。

「簡単ニハ分ラナイ」


「お母さんのところの会社の会計期間はいつなの?」書類の山をかき分け、帳簿を整理しながら、並子は尋ねた。

「会計期間?それ何?」

「税務申告の基本となる期間よ。お母さんところの税務申告はいつもいつ頃なの?」

「確か、良子お母さんはいつも5月になると私を自宅に呼んでくださって、会社の経営状況を話して下さったわ。」

「じゃあ、多分4月から翌年3月だわ。」

「5月じゃないの?」

「普通の会社は期末から2か月以内に申告するものだから、5月に申告するのなら、3月だわ。」

「ふーん、そうなの。とすると、来月で終わりなのよね、うちは。」

「そうね、今、2月だからそうだわ。」

「王さんは、ニコマートから直接に会計資料を送っているって言ってた。そういうシステムってことかしら?」

「良子お母さんの時は違っていたわよ。変わったのかしら?とりあえず、良子お母さんから吉田税理士に代わってからの分を調べてみて。」

「了解。」

並子はパソコンを起動させ、仕事に取り掛かった。


その頃、ニコマートの板橋営業所では、勝沼所長の机の前に石田が立っていた。

「此花親子が帳簿を調べだしたようです。」

「なんだと?うちの紹介した吉田税理士の問題があるわけないじゃないか?そうだろ?」勝沼の声は不快そうだった。

「勿論ですよ。ところで、本部に栄転おめでとうございます。」

「ハハハハ、やっとだ。新しい板橋営業所長は明日赴任するそうだよ。」

「それは、急ですね。」

「新土手1丁目店については、花山オーナーの血縁の方に引き継がせるようにとのことだ。」

「えっつ。」石田は驚きの声を上げた。

「でも、その方は王らのことをどう説明したらいいでしょうか?新土手2丁目店の開店の時に彼らの処遇については保証してしまっているんですよ。」

「それは、俺から新任の営業所長にうまく言っておく。此花親子が王らに酷い扱いをしたとか、花山オーナーを騙して乗っ取ろうとしたとか言っておくよ。俺がそういえば、疑わないよ。」

「なるほど。そうですね。」

此花親子が経営権を握れば、色々面倒なことになる。

勝沼は石田と頷き合った。


翌日、此花並子は自宅の自室で書類に埋もれていた。一体どうして、母にもらってもいない配当の源泉徴収票が来たのか、それ以外にも何か問題があるのか、調べていた。

「並子、ニコマートから電話よ。あなたが電話した件らしいわよ。」

母の美子がドア越しに声をかけた。

「はーい」並子は電話がある居間に向かった。

「ニコマートの板橋営業所長の勝沼です。」電話の声は答えた。

「此花並子です。先日の花山金太郎さんの認知症の件でしょうか?」

「はい。」

「お医者さんが、そちらからの診断書の請求をされたそうですが。」

「それは、どういうことか確認の為にしたものです。他意はありません。そちらは、今後どうされるつもりですか?」

「それは、今相談中です。」

「花山オーナーには立派な息子さんがいらっしゃると聞いてます。」

「はあ、息子さんですか?私達は聞いていません。母の権利はどうなるのですか?」

「我々は花山金太郎さんと契約したのであって、お母さんとではありません。そのへんのことは、私は異動になりますが、新任の竹山に伝えておきます。窓口はお店の担当の石田になります。」

「うちは法人契約です。なぜ今までなんの関係もなかった息子さんのことを話されるのですか?理解できません。」

勝沼は一瞬、返す言葉がなかった。

「我々は我々の方針に沿っていただけない方とは話せません。」そういうと、電話を切った。

並子が母を見ると、美子はびっくりした表情をしていた。

「息子さん?何それ?」

「お母さん、信子おばさんに聞かなくちゃいけないわ。」並子は険しい顔をしていた。


花山金太郎の娘、信子はアメリカのサンフランシスコにいた。ここは、坂の多さで有名な街だった。ここは家賃がバカ高く、物価も安くはなかった。信子の夫、一郎は商社マンだった。彼らは互いにホームパーティーで招待し合う。こういう付き合いからの情報や人脈が仕事に大きく影響するのだ。勿論、ホームパーティーは夫婦で参加する。信子は父のことが気にならないわけではなかった。しかし、夫や子供の世話を放置して日本に帰国することは、中々できなかった。また、その覚悟があって、夫を選んで結婚したという気持ちが彼女にはあった。勿論、父の認知症の診断を受け、彼女は夫に相談もした。夫の答えは「お父さんと僕とどちらが大事なんだ。」という答えだった。冷たいと言えば、冷たいが、彼は骨の髄から企業戦士だった。

ルルルルル電話の呼び鈴で信子はベッドサイドテーブルにある受話器を取った。

「ハロー?」

「信子?私よ、美子。」

「どうしたの?お父さんのこと?」

「今、話せるかしら?」

「大丈夫よ。みんないないわ。」

「実は、金太郎お父さんに息子さんがいるって、ニコマートに言われたのよ。」

「えっ⁈それで、ニコマートはなんですって?」

「息子さんに引き継がせろっていうことみたいなの。」

信子は電話の向こうで沈黙した。ややあって、気持ちを決めたように話を始めた。

「実は、お父さんは離婚歴があるのよ。私が生まれる前のことなんだけどね。その頃、お母さんはお父さんのお店でマネージャーで働いていたのですって。前の奥さんが関係を邪推して焼きもちを焼いて、それが原因で離婚したって言ってたわよ。お母さんは私に、前の奥さんに対してやましいことは何もしていないって言いきってたわ。でも、前の奥さんとの間の息子さんはお父さんもお母さんのことも恨んでいたみたいよ。一度、お父さんはお母さんに内緒で伊田くんが店長の時に店で雇ったことがあるみたいよ。でも、給料のことで大喧嘩してやめたみたい。お母さんが、愚痴っていたわ。そりゃあそうよね。自分に隠れてそんなことをされていい気持ちはしないわよね。」

「なに、それ聞いてないわよ。」

「そりゃあそうよ。お父さんにしたら、自分の恥部だもの。美子には言いたくないわよ。たしか、お父さんが店長の推薦状を書いて、いくばくかのお金を渡して縁を切ったと言ってたわよ。なぜ、今頃になってやってくるの?しかも、法人契約なのに、お父さん個人との契約ですって。血縁?センス古すぎよ。弁護士に入ってもらった方がいいと思うわ。並子ちゃんと相談しなさいよ。」

「わかったわ。じゃあ、美子は、お兄さんに引き継がせなくてもよいの?」

「私はそのお兄さんがお父さんを大切にするとは思えないのよ。だって、うちが赤字で困っているときにお父さんは切羽詰まって、お兄さんに助けを求めたのよ。その時、巻き込まれたくないって断ったんだから。だから、美子にお父さんは助けてもらったのよ。」

「了解。ところで、そちらはどうなの?帰国できない?」

「無理よ。ごめんなさい。」

美子は唇をかんだ、仕方ない。

「わかったわ。」

美子はことがだんだんややこしくなってきて、正直逃げ出したくなってきていた。


此花徹男は昭和一桁生まれの男ではあるが、女性だから何をしたらいけないという偏見のない男だった。彼は妻が何やら事業をしていることを薄々感づいていたが、妻が家事をキチンと熟していれば、何も文句は言わなかった。しかし、最近、長女の並子まで巻き込んで妻が時々ため息をついているのを見て、少し気にはなっていた。その日、彼は早朝からの会議で慌ただしく家を出ようとしていた。

「おい」彼は妻が、自分の頼んだのと違うネクタイを出してきたのを咎めた。

美子は、ごめんなさいと言うなり、ネクタイを渡しなおした。

「どうしたんだ?」

「別に、何もないわ。うっかりしてごめんなさい。今日のお帰りは何時ごろですか?」

「わからん。出かけるのか?」

「いえ、別になんでもありません。いってらっしょい。」

美子は徹男を送り出した。徹男は、それ以上詮索は不要と考え、家を出た。

徹男が、家を出て、美子は朝ごはんを片付けながら、テレビを見るともなしに、眺めていると、突然、聞きなれない携帯の呼び出し音が鳴った。慌てて、探し回ると、亡くなった良子の携帯が鳴っていた。

「もしもし」

「こちらは板橋区役所の課税徴収課です。」事務的な女性の声が受話器から聞こえた。

「なにかあったんですか?」

「此花金太郎さんの住民税のことでご連絡をしました。あなたは此花さんとどういうご関係でしょうか?」

「此花さんのお嬢さんの友人です。どうしてこの番号に?これは、此花さんの亡くなった奥様の携帯なんですが。」

「そうですか?以前に提出していただいた資料にこの番号が記載されていたので、ご連絡しました。個人情報に関わることなのですが、緊急のご連絡なのです。此花さんと連絡はつけないでしょうか?」

「此花金太郎さんは認知症です。お嬢さんは、海外にいらっしゃってて、簡単には対応できません。私でよければお聞きしますが。」

「そうですか。上の者と相談するので暫くお待ちください。」そういうと保留音が流れた。美子は嫌な予感がして胸がドキドキしだした。

「お待たせしてすみません。実は、此花金太郎さんの住民税がずっと滞納されているのです。こちらから、再三督促をしているのですが、ご連絡もなく、最終手段を取ることを検討していました。」

美子は、金太郎の税金問題は吉田税理士がしているのだと思っていた。確か、個人所得税の申告も彼らがやっていた。なんでこんなことになったのだろう?

「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。とにかく、どういうことかわかりません。此花さんには税理士の先生がついているはずです。滞納額とか、私に教えていただけるのでしょうか?」

「それは、個人情報に関わりますから、ご本人にしかお教えできません。」

「申し訳ないのですが、此花さんは認知症で、納付書も納税も書類を失くしてるかもしれません。どうすれば、教えていただけますか?」

「ご本人と一緒に区役所まで来ていただければ、お教えできます。」

「わかりました。少しお時間をいただけないでしょうか?こちらで相談してみます。」

「そういうことでしたら、お待ちします。」

「ありがとうございます。」

美子は、更に気が重くなってきた。いったい吉田税理士はどこまでどれくらい何をしていたのだろう。


「お母さん、これを見て。」並子は帳簿を抱えて、居間にやってきた。

「何?」美子は、板橋区役所に金太郎と行く日をいつにしようか?と考えていた。お年寄りセンターの相田さんに相談してみようか?王さんに車を出してもらうと楽だが、先日の様子だとなんだかいわくつきの車のような気がする。そうだとすると、それも気が重い。娘の並子は会社から帰ると、ニコマートの作成する会計資料と美子と金太郎の会社、ホットハートコーポレーションの帳簿と格闘していた。

「コンビニの会計処理って複雑ね。この仕訳、訳が分からないわよ。なぜ、消費税と雑費を振替処理するのかしら?契約書を見て分かったんだけど、これだと、僅かだけどニコマートが得をするわよ。コンビニってのはフランチャイジーからこすっからく搾取するものなのね。」

「?」美子は娘の話の意味がチンプンカンプンだった。そりゃあそうだ。だって、経理畑一筋の並子が訳が分からないのに主婦の美子が分かるわけがない。並子も母を見て、自分の話が母の理解の範囲を超えていることを理解した。ちょっと、具合悪そうに続けた。

「今の吉田先生になってから、会計報告をされていないって言ってたでしょ?花山さんの給料が40万円から2倍近くの75万円になっているのよ。知ってた?」

「聞いてないわよ。そんなことするわけないわよ。だって、もともと、個人事業主だと税金や社会保険料が高いから法人にしたのよ。法人の方が税率が安いからそうしたって良子お母さんが言ってたわよ。そんなことをしたら、意味がないじゃないの?」

「それに、花山さんのお給料は役員給料だから、会社の利益処分でお母さんの了解もなく、してはいけないのよ。お母さん、ほんとに聞いてないの?」

「聞いてないわよ。いったいどういうことになってるの?」

「それに、その後から吉田税理士の報酬が2倍になっているのよ。」

「えっつ⁈ 何よ、それ!花山のお父さんがあんな状況なのに、なぜ給料を上げるのよ。普通ああいう状況の人にはお金を持たせないものじゃないの。何考えてるのかしら、吉田税理士は?ニコマートはどういうつもりで紹介したのかしら?」美子は今朝の板橋区役所からの電話について、娘に話した。美子は怒り心頭に来ていた。

「お母さん、弁護士さん見つかったの?」

「ええ、花山のお父さんの付き合いのある先生に相談してみようと思うのよ。大きい事務所だからニコマートとも交渉してもらえるかもしれないわ。」

「じゃあ、決まったら、私も一緒に行くから、予定を教えてね。休みをもらうわ。」

「悪いわね。夕飯はご馳走するわよ。」

美子の言葉に並子はにっこりとした。


池袋の少し外れた場所に吉田税理士の事務所があった。沢山の事務員がパソコンに向かい、必死に入力作業をしている。そのほとんどがニコマートの紹介の仕事だった。一つ一つの単価は低いが大量にあるので、吉田の事務所はとても潤っていた。

「先生、ニコマートの石田さんからお電話です。」女性の事務員が吉田に声をかけた。

「はい、税理士の吉田です。」

「吉田先生、ニコマートの石田です。いつぞやは大変お世話になりました。お陰で新土手2丁目店は無事に開店できました。」

「いえ、こちらこそ、ニコマートの紹介士業リストに入れて頂けたので、大変助かっております。今日はどうされましたか?」

「王さんからもう連絡が行ってるかもしれませんが、実は、ホットハートコーポレーションの件です。役員の親子が帳簿監査を始めたんです。うちの勝沼がうちが紹介した税理士の先生がまちがいなどあるわけがない。と大変に立腹しています。厳しく対応して、プロとアマの違いを見せつけてくださいね。」

「勿論です。お任せください。」吉田税理士の声は自信にみなぎっていた。ニコマートの複雑な会計処理をそこらの経理事務員が理解できるわけがない。自分たちの会計処理について見抜けるわけがない。

「じゃあ、よろしくお願いします。もし、万が一何かがありましたら……そんなことはないとは思いますが、ニコマートとしてはそれなりの処理をせざるを得ません。いいですね。」

石田の声は冷たかった。吉田は、これは自分を切るという意味なのだと直感した。

「大丈夫です。」吉田は重ねて答えた。


その日、信子の商社マンの夫はワシントンDCに出張中だった。子供たちは友達の家に泊まりに行っていた。信子は久方ぶりに好きなお茶をいれ、ゆっくりと時間を過ごしていた。日々の生活の慌ただしさは、彼女に父のことを考える暇を与えていなかった。今、その時間が彼女に与えられた。彼女は異母兄について、あまりいい印象はもっていなかった。いつだったか、父が母と暗い顔で兄のことを話していたことがあった。あまり話したがらないようだったので、深くは詮索しなかったのだが、ニコマートが兄に父の店を引き継がせると言い出しているとしたら、もっと聞いておけばよかったと思った。信子は異母兄が父の店に雇われていた時に店長だった伊田のことを考えた。彼は何か知っているかもしれない。多分美子は伊田との面識はないし、きっと、連絡先も知らないだろう。しかし、自分は、母から彼について聞いていた。彼は独立してニコマートのオーナーで成功していた。

「電話してみようかしら?」信子は伊田の店の電話番号をメモから探した。サンフランシスコと日本は大体昼夜逆転と考えればよい。

「こんばんは、伊田くん。元気?」

「どなたですか?」伊田の声は眠そうだった。

「私よ。此花金太郎の娘の信子。」

「えっつ?信子さん。確か外国に行かれているんじゃないですか?」

「そうよ。今、サンフランシスコからかけてるのよ。」

「お元気ですか?一体どうしたんですか?」

「実は、父の店のことが気になって。どうかしら?」

伊田は言いにくそうな間があった。

「実は……お嬢さんが心配されると思って、黙っていたんですが。オーナーが王さんや呂さんらにびっくりするようなお金を渡しているんです。」

「えっつ、どういうこと?」

「オーナー、お金の感覚がおかしいのです。あの人たちはチップをもらうと喜ぶでしょう?それがうれしいらしくって、何かある度にばらまいているみたいです。」

「あのお父さんが?」

金太郎は、赤字店舗の運営が長く、ずっとローンに苦しんできたので、とにかく細かくケチだった。それだから、新土手1丁目店は黒字になったのだ。

「ねえ、あなたはうちのお兄さんが店に来た時にいたでしょう?その時のことを教えてくらない?」

「オーナーはあの人たちに店を譲ろうと思って呼んだんですよ。」

「私も母もそんな話聞いてないわよ。」

「でも、喧嘩したみたいで、やめちゃいましたよね。」

「そうなの。」

伊田は時々、新土手1丁目店や新土手2丁目店に顔を出すようだった。

「また、何かあったら聞いてもいいかしら?」

信子の頼みに伊田は快諾してくれた。

伊田との電話で父の周囲が思ったよりも危険な状況なのが信子にも分かった。誰も父がお金をばらまくのを止める人間がいないようなのだ。もしかしたら、それをよりさせようと動いている可能性がある。信子は夫と結婚して渡米した際、両親は強くは反対しなかった。両親ともコンビニ経営がそんなに楽な仕事だとは考えていなかった。確かに今は良くても、立地は変わる可能性があるし、競合店もできるかもしれない。人手だって思うようにいい人が集まるか分からない。そうすると、店主や家族が長時間労働をしなくてはならないことになる。娘にそれをさせるのは親として忍びないと考えていたからだ。ただ、母の良子は空港での最後の見送りの時に「何があっても、旦那さんを一番に考えなさい。私達のことは心配しないで。」と言ってくれた。信子もずっとその気持ちでいた。それくらい信子の妻としての役割は大変なものだった。だから、今も心配しながらも何もできないでいた。お金のことも心配だが、信子の夫は十分な収入を得ていた。生活に不自由はない。だから、それほど惜しくはなかった。ただ、父の身の安全が心配だった。お金の被害だけですめばよい、もし、高齢の父が何かの拍子に周囲に逆らって、腕力もある王らに危害でも加えられたらどうしようか。美子と相談しなくてはと思った。


その頃、美子は金太郎と板橋区役所の課税徴収課にやってきた。

「身分証明書を見せてください。」

金太郎のポーチから美子はマイナンバーカードを出した。

「お連れの方はどなたですか?」

「娘の友人で、共同経営者です。」

そう言って美子もマイナンバーカードを出した。

二人のマイナンバーカードを区役所の係の女性は確認し、書面を出した。

「これが、納税額です。去年の6月から一度も納付されていません。」

「こんなにですか?」金額は数十万円にものぼった。確かに並子は金太郎の給料が自分には相談もなく勝手に引き上げられていると言っていたが、住民税や社会保険料の金額を見て、また、吉田税理士がそんなことをした理由が理解できなくなった。ニコマートの契約書には、税金の滞納により、何等かの法的処分を受けたら、解除と会った記憶もあった。

「他に滞納はありませんか?金太郎お父さん、税金の支払いはどうされますか?」

「払いますよ。勿論。」金太郎は素直だった。

「わかる範囲内では、これで全てのようです。では、納付書を再発行します。」係の女性は席を外し、数枚の紙の束を持ってくると美子に渡した。

「今月中にお願い致します。」

肯いて受け取ると、金太郎のポーチにしまった。


美子が金太郎を自宅に連れ帰り、ヘルパーの女性に後を頼み、帰宅するともう夜も遅くなっていた。徹男は今日も帰りが遅い。新製品の打合せだとか言っていた。娘の並子は美子の帰りを夕食を食べないで待っていてくれた。

「お母さん、お疲れ様。大変だったでしょ?」と並子は熱いお茶を出してくれた。

「ええ、花山のお父さんは素直にいう事を聞いてくれたから、思ったよりも楽だったわ。でも、滞納額がすごいのよ。一度も払っていないのですって。それで、調べたら納付書がどこにもないのよ。書類の意味が分からないから、吉田税理士の事務所の人に全部送ってしまったのですって。吉田税理士の方に電話して送られた書類を見てもらって初めてわかったのよ。謝っていたけど、ほんとに無責任よね。」

「どうやって支払うの?」

「そのことだけど、お年寄りセンターの相田さんに相談して、今回の納税に関しては花山のお父さんと納付書を銀行に持っていって支払ってくることにしたわ。その後のお金の管理は行政にお願いするわ。私達で花山のお父さんのお金の管理をすると後々変な疑いを招いては嫌じゃない?信子に話して、そう手続をする予定よ。」

「そうなの。でも、いつまでも、一人暮らしでヘルパーさん任せってわけにはいかにし、今後のことが問題ね。」

「それも、信子が海外で帰って来れないことを話したら、信子から相田さんにそう申し出てくれたら、行政で面倒をみてくれるみたいよ。施設も紹介してくれるみたい。」

「なら、安心だわ。じゃあ、会社のことよね?」

「そうなのよ。それは、来週の水曜日に弁護士さんに会う予定よ。休みとってね。」

「わかったわ。一応、状況を係長に話しておいたから、くれると思うわ。」

「ほんとに悪いわね。あんたには、ちょっと帳簿を調べてもらうだけのつもりだったのに。」

「ご馳走を忘れないでよ、お母さん」

美子は呆れたように笑った。自分はもうかなりいっぱいいっぱいの気持ちなのに、この子はなんて呑気なのかしら?


その弁護士事務所の入っているビルは有楽町駅の前に立っていた。1階ロビーに掲示してる事務所の表札を見ていると、大多数が法律事務所だった。そういう場所柄なのだろうと美子は思った。傍らの並子は書類の入ったリュックを背負っていた。ほとんど緊張していないその娘を美子は羨ましく感じた。娘にとっては、他人事。自分ほどこの会社と花山一家に関与しているわけではない。帰りに何を食べようかしかきっと頭にはないのだろう。ビルの中層階に向かうエレベーターに乗り、降りるとその弁護士事務所と別の企業の入り口しかなかった。エントランスには二つの入り口があり、一方は事務局の扉のようであった。そして、その真ん中に電話が置かれていた。美子が受話器を取り、事務局のボタンを押すと女性の声がした。

「押田先生と約束をしている者です。」美子は答えた。

ほどなく、事務局のドアが開き、女性が出てきて、いくつかある会議室の1つに案内された。美子の心臓は早鐘のように鳴っていた。並子も緊張した表情に変わっていた。

「お母さん、本当に大きな事務所ね。」

「花山のお父さんが、個人から法人にするときにお世話になったことがあるのよ。といっても、その時も法律相談しかしてないのよ。それより以前からのお知り合いらしいわ。」

「ふーん。」

廊下をドシドシという足音がして、二人の男性が入ってきた。

「押田先生、お久しぶりです。」美子は立ち上がって、押田に挨拶した。

「美子さん、本当に久しぶりです。こちらは弁護士の木田先生です。」

押田と木田は美子と並子に名刺を渡した。

「これは娘の並子です。今、会社のことを手伝ってもらっています。」

並子も簡単に自己紹介と挨拶をした。

「実は、花山金太郎さんに認知症の診断がでたのです。」

美子は、これまでの経緯を押田と木田に説明した。

「これが、帳簿です。銀行通帳も見てください。」並子は総勘定元帳と通帳を見せて、母の説明を捕捉した。

「自動車の購入についても調査していますが、現在の会計書類が吉田税理士のところにあるらしく、まだ私達では閲覧ができません。彼はニコマートの紹介なので、強硬には言いにくいのです。」

「なるほど、このまま花山さんに代表者でいてもらっては危険だと感じられているのですね。」一通りの美子と並子の話を聞いて押田は答えた。

「はい、しかし、新田医師は私達には診断書を書いてくれませんし、仕事を取り上げることは花山さんの病状を悪化させるから反対だと言われています。花山さん自身は退任の意思がないのです。」

「会社の全部事項証明書と税務申告書、定款のコピーを頂きます。検討してみましょう。」

押田と木田は並子から書類を受け取ると事務員を呼び、書類を渡した。

「今は、成年後見人の申立てを一刻も早くすることです。」木田が言った。

「わかりました。相談してみます。」美子と並子は顔を見合わせて頷いた。


新土手1丁目店のバックヤード兼事務室では、石田と王と甥の巧の三人がいた。呂はバックヤードの扉とレジカウンタ―の間、フライヤーのところから三人を伺っている。

「オーナーに息子?」王の声が相変わらずの大声を出した。

「そうなんだ。上の方は息子に店を継がすつもりらしい。」

「俺たちはどうなるんですか?」甥の巧は新土手2丁目店の店長だ。彼は、日本生まれで王より日本語がうまい。

「俺と竹山所長が話すから大丈夫。今まで通りにやってくれたらいいよ。」

巧も王も少しガッカリしたが、何とか表情を取り繕う。彼らの目的は自分たちが店舗運営権を握ることだった。そのつもりで、吉田税理士と手を組んで動いいた。勿論、ニコマート側と一緒で此花親子は邪魔だったが、最終目的はあくまでも自分たちのものにすることだった。息子が引き継ぐということは、自分たちの思い通りにはならない。二人は目で後で話し合おうと合図しあった。

「此花さんたちが帳簿を調べているんだって?」石田はさり気なく、言った。

「あの人たちは、俺たちを追い出そうとしてるんです。だから、ありもしない問題を探ろうと帳簿を調べるなんて言い出して。」巧は怒りを露わに訴えた。王も涙を浮かべている。

「オレタチガ邪魔ナンダ。」

石田は同情するように二人を見た。

「俺がいるから大丈夫だ。此花さんたちの思うようにはさせない。ニコマートがついているんだからな。」

「アリガトウゴザイマス。石田サンダケガ頼リデス。ナア、巧。」

二人は強く頷いた。

「それはそうと、2丁目店の会社で立替払いしていた給与ですが、明日からレジから経費で落としますから。」巧の声はさり気なかった。

「花山さんには?」と言いつつ、そんなこと認知症の花山オーナーが分かるわけがない。

王も巧も無言だ。石田は肩を竦めると、じゃあまた、と言って次の店に向かった。

暫くすると、呂がやってきた。

「行ッタヨ。」

その途端、王と巧の表情が変わった。

「どうする、叔父さん?」

「ドウモコウモナイ。気付カレル前ニ貰ウモノハモラッテオコウ。税理士先生方モ簡単ニワカラナイト言ッテル」

「息子が居るなんて……計算外だよ。」

「ニコマートヲ利用シテ、何トカナルカモシレナイ。様子ヲ見ヨウヨ。」呂が口を挟む。

「そうだよな。俺たちが追い出されるって泣いたら、馬鹿みたいに信じるだから。」巧は馬鹿にしたように笑った。


「君が石田くんか。新土手1丁目店と2丁目店のことは勝沼さんから聞いているよ。それで、王店長たちはこちらの意向に納得したのかね?」

池袋のニコマートの板橋営業所では、新任の竹山が石田と話していた。

「はい。問題ありません。」

竹山は、小柄な男だった。年齢は40代半ばというところだろうか。勝沼にくらべると静かな雰囲気だった。しかし、この上司にうまく取り入らなくては出世ができない。石田は竹山の求める答えを必死で考えていた。

「今後のこともある、花山オーナーの息子さんにもお会いしなくてはな。」

竹山も石田も勝沼も此花親子については一切検討しなかった。なぜなら、上層部は既にこの親子について排除していたからだ。ニコマートの意思は絶対で、どうにでもフランチャイジーに言い抜けられるように契約書は作られていた。ただ、竹山は勝沼と石田が此花親子を排除したい本当の理由を知らなかった。勝沼は、上層部の意向と此花親子が花山オーナーを慕う外国人従業員や花山オーナーを追い出し、店舗運営権を奪おうとしていると説明していた。もとより、栄転した勝沼の意向に逆らう者は誰もいなかった。今後の出世に影響するからだ。

「新宿の方の店舗で店長をされているそうです。面談のご都合をお聞きしてみます。」

「大熊専務が立派な息子さんだと褒めていらしたそうだ。」

「それは、素晴らしい。専務がそうおっしゃるのならまちがいないですね。」石田は必死で追従した。

「花山オーナーの診断書は出させてないだろうな?息子さんが引き継ぐ前に出たら、此花親子たちの思いのままにされるぞ。」

「大丈夫です。うちから、担当医にご事情を説明いたしました。」

「そうか。それならばよかった。これからもよろしく頼むよ。」竹山は石田の肩を軽く叩いた。石田は姿勢を正した。新土手2丁目店の開店についてことは何としても隠さなくてはならない。花山オーナーの認知症をニコマートは知らないとしておかなくてはならない。そうしなければ、石田を勝沼は潰すだろう。石田は王らについて信じているわけではなかった。よく考えれば不審に思わない方がおかしいのだ。王らが花山オーナーの認知症をいいことにやりたい放題していることも薄々わかっていた。店舗運営のことだけを考えればこのまま放置しておくのは望ましいことではないことも分かっていた。しかし、石田はいつまでも平社員でいるつもりはなかった。自分の担当の間に問題なく、回っていれば、その後のことなどどうでもよいと思っていた。だから、敢えて見て見ぬふりをしていたのだ。彼らには創成期の社員のような新たなコンビニという事業を開拓しよう、店舗を一緒に作ろうという気概などなかった。ただの仕事であり、出世できるか否かの問題しかないのだ。


美子は、木田弁護士から、成年後見人の申立てをしろとアドバイスを受けてから、それまで、金太郎をどう扱ったらいいのだろうか?と考えていた。というのも、彼自身はどう話しても、代表取締役を退任しようとはしない。彼にとって、仕事とは判子を押すことだった。ニコニコしながら、それをやっている金太郎に、代表取締役という仕事とはそうじゃないと説明したところで、理解できるはずもなかった。その後の受診でも、新田医師は美子には診断書を渡せないと言った。そして、金太郎から仕事を取り上げることは病状を悪化させることになるとも言っていた。美子からすれば、びっくりするような言葉なのだが、新田医師は認知症患者の人権を擁護するのも医師の仕事だというのだった。美子には、金太郎の認知症を悪化させたのが自分になるという覚悟がなかった。彼女は、金太郎の介護をやるという責任など負えなかった。彼女には家庭があり、夫もいた。それに、夫の収入もあるし、お金や会社にそれほどの執着もなかった。ただ、信子や亡くなった良子の為に放置しておくことができないのだった。そのことを板橋区のお年寄りセンターの相田に話すと、相田は板橋区の社会福祉協議会に相談に行くように勧めた。美子は並子を口説いて、今日、相談に向かっている。

都営地下鉄板橋区役所前の駅から歩いて数分のところに、社会福祉協議会の入っているビルがあった。玄関を入ってすぐの事務室で、用向きを言うと担当の女性が現れ、個室に通された。個室と言っても、机と両方に椅子が2脚づつあるだけの小さな部屋だった。女性は紙を出した。それには、成年後見人制度の等級とその意思行為が書かれていた。

「代表取締役の方が認知症の診断を受けたんです。認知症だと責任能力を否定されるのでしょうか?」

「認知症だからと言って直ちに意思行為が否定されるわけではありません。」女性は答えた。

「ええっ⁈」

「見てください。」女性は紙に書かれた図を指した。

「被成年後見人になって、初めて否定されるのです。それまでは、完全な否定はできません。しかも、法的には成年後見人の申立てを家裁にし、医師の診断書を家裁が判断し、決定されるまで、どの程度の意思能力があるかを私達が判断することはできません。」

「そうなんですか?」美子も並子も途方に暮れた気分になった。花山金太郎の権限を取り上げるのは簡単にはいかないようだった。早く成年後見人の申立てをしなくてはならない。どうしたらよいのだろうか。


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