大企業は、出世とお金が全てなのね?
此花美子は、その日久しぶりに美容院で髪の毛の手入れをしていた。彼女は短めの髪に品よくパーマを当てていた。彼女の身の回りのものを買うお金は夫のくれる家計費ではなかった。夫の徹男はそういうことにあまり理解のある方ではないし、細かい夫にブツブツ言われながら、自分のものを買うお金をもらうのはあまりうれしいことではなかった。彼女は花山夫婦のコンビニに投資をした。それは、彼女が家計をやり繰りして節約したお金からされたものだった。そのコンビニがうまくいくかどうかが問題なのではなかった。花山夫婦、特に金太郎から生き甲斐を奪うのが忍び難かったから彼女はへそくりをはたいたのだった。それに対して彼女は愚痴ることはなかった。幸いにも、花山夫婦のコンビニ店は黒字になり、節税対策の為に法人とすることとなった。その際、花山夫婦は美子に対し、利息をつけて返済すると言ってくれた。しかし、美子は利益の為にお金を出したのではないからと、利息は固辞した。そこで、花山夫婦は相談の上、美子への返済金を法人の株式として投資することとし、利益を配当すると申し出たのだった。
「あの時のお金の有難さはこんなことでは表せません。」金太郎は涙で潤む瞳で美子を見つめながら話した。良子も一緒に何度も頷いてくれた。
美子は、この二人の気持ちを有難いと思い、配当を一年ごとにもらっていた。
このお金が美子の身の回りのものとなっていた。
美容院で会計をしようとして、スタッフからハンドバックを受け取って途端、美子のスマホが大きなベルを鳴らした。美子は、慌ててスマホを取り出した。番号は東京都内の家電からのものだった。
「此花ですが、どなた様ですか?」
「突然お電話して申し訳ありません。板橋警察署のものですが、花山金太郎さん、良子さんとお知り合いでしょうか?」電話口の声はテキパキとした歯切れのよい女性の声だった。
「警察?花山さんは友人の御両親ですが、どうかしたんですか?」
「実は、先ほど、良子さんがご自宅で倒れられて、発見されたんです。事故か事件が不明で警察の通報されたのですが、ご主人のおじいちゃんがショックを受けられて、連絡するご家族がわからず、我々が携帯に登録されている電話全てに確認しているところです。」
「良子お母さんが、倒れた。具合はどうなんですか?病院はどこですか?」突然のことに美子は動揺していた。
「お気の毒ですが、発見されたときはもう手の施しようがありませんでした。」
美子は警官の言っていることばの意味が分からず、聞き返してしまった。
「手の施しようがないって、それはどういうことですか?」
「誠にお気の毒ですが、花山良子さんは亡くなられました。」
「亡くなったって、そんなこと間違いです。だって、つい最近もお電話でお話をしたんですもの。」
「嘘じゃありません。ご連絡すべき身内の方をご存じですか?お友達の連絡先は?」
「友人は、ご主人の仕事でニューヨークです。ニューヨークとの時差ってなん時間だったかしら?彼女からご両親のことは私が頼まれていました。金太郎さんは今どうされていますか?ショックとのお話ですが、どこにいらっしゃるのでしょうか?」
「おじいちゃんは、今、奥さんと一緒に病院にいます。病院は板橋中央総合病院です。」
「わかりました。私がそちらに行きます。」
美子は、手早く美容院の支払いをすますと、夫に遅くなると電話し、金太郎のもとにむかった。
美子が板橋中央総合病院の前でタクシーから降りると、病院の表玄関は既に閉じられていて、美子は病院の横にあるT駅寄りの夜間通用口から入った。夜間受付のスタッフは美子が来訪の目的を告げると名前を書かせ、地下の霊安室に行くようにと告げた。
地下の霊安室はやはり時刻も遅いが、やはり暗い場所にあった。霊安室の寝台には白い布を掛けられて丸々とした良子の体が横たわっていた。その隣には、中年くらいの人の好さそうな看護師に付き添われて金太郎がポツンと座っていた。美子には金太郎がとても弱々しく、心細く見えた。
「花山のお父さん、どうしたんですか?」
「良子は北海度に行ってるんだよ。」金太郎は、美子の声に反応して声をだした。
「北海道?」美子には、怪訝な視線を金太郎の側に付き添う看護師に向けた。看護師はただ首を横に振った。
「とても、ショックを受けられて、事実が理解できないようです。」
美子はできるだけ落ち着いた声を出すように心がけて、金太郎に
「そうなの。わかったわ。」と声をかけた。
「助かりました。おじいちゃんがこの調子なので、どなたかに手続をしていただかなくてはいけないと思っていたのです。ご家族の方ですか?」
「いいえ、友人のご両親なんです。友人は今海外ですから、私が彼女と連絡して、手続をさせて頂きます。」
「わかりました。ありがとうございます。おじいちゃんは、私が見ていますから、すみませんが、1階の総合受付で手続をお願いします。」
「わかりました。花山のお父さん、じゃあちょっと行ってくるわね。」
金太郎はもうなんの反応を見せず、良子を包む白いシーツを呆けたように見ていた。
美子は、小さくため息をつくと、看護師に軽く会釈をして霊安室を出て行った。
「お母さんが死んだ?」
ニューヨークの信子は美子からの国際電話に絶句した。
「そんな馬鹿な話はないわ。どうしてお母さんが急にそんなことになるのよ。お父さんはどうしたの?なぜ、美子が私に電話してくるのよ。」
「私もどういうことかよくわからないのよ。ただ、お父様は、強いショックを受けられて、とても信子に連絡できるような状況じゃないのよ。」
「でも、私は今日本に帰れないわ。上の子も下の子もまだ私が放っておいてもいいような年じゃないもの。それに主人の仕事も私が帰国できるような状況じゃないのよ。」
「わかってるわ。」
信子は晩婚だった。両親の店にお客で来た現在の夫と結婚したのだった。確か上の子は13歳、下の子は9歳。彼女の夫は仕事人間で、彼女が長期間、家を留守にすることは大変難しかった。
「美子、悪いけど、お願いできないかしら?父がそういう状況なら仕事のことも気になるわ。あなた、確か父の会社の役員よね?」
「そうよね。放っておくこともできないわ。確か、お母さまは仕事の連絡は全て携帯でされていたわよね。」信子の言葉で美子はハッと思い出した。
「確かそうよ。お母さんは足を悪くしてから、どこへ行くにも携帯を持っていたんだもの。」
「じゃあ、その携帯を私がお預かりしてもいいかしら?そうすれば、何か仕事の人が連絡してきたら、私が事情を説明できるわ。」
「わかったわ。そうして頂戴。本当に迷惑をかけてごめんなさい。この埋め合わせはいつかするからね。」
「何言ってるのよ。あなたと私の仲じゃないの。」美子は心を込めて親友に応えた。
信子が電話の向こうで涙ぐむのが分かった。
「本当にありがとう。」
電話を切った後、美子には信子が辛い想いを耐えているのが想像できた。彼女は両親を心から愛していた。コンビニを引き継がず、結婚して海外に行くことを決めるのに、どれほど悩んだか、その経緯を美子はつぶさに知っていた。美子は、親友の為に精一杯のことをしようと決心した。
花山良子の葬儀は、此花美子と夫の金太郎のみの寂しいものだった。娘の信子が帰国できないこともあったし、夫の金太郎がショックの憔悴がひどいので、親類縁者との応対も難しく、従って後日知らせる程度のことしかできないという事情もあった。なので、ニコマートの石田SVが美子の死を知ったのは、随分時間が経ってからだった。
王店長は、石田SVが店舗に立ち寄った時に新店舗の契約書に此花金太郎が押印した日に良子が倒れ、亡くなったことを伝えた。
「オクサンは、びっくりして心臓が止まったヨ。オーナーもビックリして、ボケちゃったよ。」王は中国訛りのある日本語でいつもの大きな声で石田に話した。
石田は顔を一瞬強張らせたが、神妙な表情を作り、
「ご葬儀はどうしたのかな?」
「おジョウサンは、外国ダシ、オジョウサンのともだちの何とかっていう人がヤッテクレタミタイヨ」
石田は、少し心に痛みを感じた。あの新店舗契約は板橋営業所の売上を上げる為に必要だった。そして、それは、勝沼所長や自分の営業成績を上げるため、ノルマ達成のために絶対にしなくてはならないものだった。此花オーナーにそれを了承させるためには良子の存在が邪魔だった。俺たちが生き残るためだ、石田は自分に言った。
「もともと、お体が悪かったのだよね?」
王は肩を竦めた。
石田は上司に報告しなくては、と思った。そうだ、勝沼の命令でやったのだ、俺は悪くない。




