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ほんとに、ご立派です!ニコマート!

ニコマートの板橋営業所は、池袋にあった。東京支社がそのビルのフロアを数フロア借りているので、その一角にスペースを割り当てられていた。

板橋営業所長の勝沼は部下から、金太郎と良子が経理処理のことで石田の仲立ちを必要としたことの経緯を聞いていた。

「花山オーナーは、うちの帳簿を見て、僕が説明しても、思い出せないようでした。本気で奥さんに怒るんですよ。」

「つまり、もう忘れたことを忘れているのか」

勝沼は小太りで40代後半、髪はまだ黒く短く刈り上げていた。顎を摩りながら、思案していた。

「そうなんです。それで、花山オーナーから、税理士を紹介してくれないかと打診されてます。」

「じゃあ、うちに売り込みに来てた近くに事務所があるのを紹介してさしあげろ。」

「えっ、いいんですか?奥さんが外れると、大変になるのじゃないかと…」

勝沼は何も言わず、部下に背中を向けた。石田は上司がそれ以上話すつもりがないのを察して、沈黙した。


金太郎は、石田SVからの電話に小躍りした。

「花山オーナー、お世話になっております。石田です。こないだの税理士を紹介してほしいとのご依頼の件ですが、安くていい税理士先生がいるので、紹介します。」

「いつから、来てくれるのかね?」

「いつでもいいですよ。」

「じゃあ、来月から来てくれないか?」

「わかりました。税理士をそちらに伺わせます。」

金太郎は、隣に立っていた王を振り返って笑った。

「これでもう、母さんには店のことには口出しさせないぞ」

王も微笑みながら、頷いた。

「俺たちがいれば何もオーナーは心配しないでいい。オーナーは俺たちの日本人の父ですから」


吉田税理士の事務所は、ニコマート本社と同じ池袋にあったが、その中心ではなく、少し外れた場所にあった。彼のキャッチフレーズは「顧客のニーズに、スピーディーに答えることであった。」しかし、昨今、経理ソフトの普及により、税務申告を自分でする顧客が増え、税理士事務所の経営は困難を極めていた。彼は伝手を頼り、大手のフランチャイズチェーンに安価で大量に顧客を獲得すべく、営業をかけていた。ニコマートもその一つであった。

「ニコマートの石田さんからお電話です。」事務員は、いつものように吉田に電話を取り次いだ。

「はい、吉田です。」

「吉田先生、先日はどうもビール券をありがとうございました。実は、うちのフランチャイズオーナーが税理士を紹介してほしいと依頼がありまして、吉田先生にお願いしたいのですが。」

「ありがとうございます。どこのオーナーさんですか?」

「板橋区の新土手の法人です。ずっと奥さんが経理をされていたのですが、ご高齢で。」

「法人ですか?どのくらいの規模ですか?」

「個人に毛が生えた程度です。」

「ああ、節税対策ですね。では、黒字店舗でしょう?」

「そうです。」

「わかりました。精一杯やらせていただきます。」

「では、今度私が店に行くときに、一緒に行きましょう。」


「お父さん、何ですって?」

良子は、夫の言葉が信じられなかった。

「お前ももう年だし、足も大変だ。来月から、税理士を頼んだから、店のことは王と俺で何もかもするから何も心配しなくていい。」

「お父さん、年なのはあなたも同じじゃない。どうして、私だけ」必死で、良子はやっとそれだけ言えた。

「経理なんてのは、大した仕事じゃない。誰でも代替えがきく。しかし、俺のやってるのは代替えがきかない仕事だ。」

「でも、帳簿は信頼のおける人がしなくてはいけない仕事よ。お金の流れを把握するのだから。そんなよく知りもしない人を信用していいの。」

「大丈夫だ。ニコマートの本部が紹介してくれているのだ。信頼できる。」

良子は、息ができないように、口をパクパクさせ、胸を押さえて、蹲った。

「痛い!」

金太郎は少し気が咎めるように良子に歩み寄った。

良子は、金太郎の腕を振り払い、キッと睨んだ。

「私は、何年もあなたを支えてきたのよ。それを…。」

良子は、あまりの夫の仕打ちにたまらず、家を飛び出した。

金太郎は、その姿に満足と共に少しだけ良心の痛みを覚えていた。

「かあさんが悪いんだ。おれをみんなの前で恥をかかせたのだから。」

彼の頭には王たちの自分に対する尊敬と笑顔に満ちた顔が浮かんだ。俺は偉いのだ。頼ってくるあの子たちを守ってやらなくてはいけない。


勝沼は、所長席にどっかと座り、部下の石田SVと吉田税理士を前にしていた。机には新しい店舗の計画案などが置いてあった。

「うちの営業所の新規出店は伸び悩んでいる。勿論、それに、ロイヤリティーの伸びも仕入の伸びも悪い。新規オーナーの獲得は無論だが、既存オーナーにも2店舗目をお願いしなくては、だめだ。」

「そこでだ、吉田先生。新土手の花山オーナーにこの店への出店の営業をするのだが、あんだにも助力をお願いしたい。新土手1丁目店は黒字で、毎年売上を伸ばしてきている。この新土手2丁目の店舗は1丁目と商圏が重なる可能性がある。また、新店舗の出店にはリスクが伴うがその辺はよろしく頼むよ。これが、うまくいったら、他の店舗にも紹介するからな。石田、君もうまくやれよ。」

石田と吉田税理士は肯いた。

「よろしくお願いします。」吉田税理士は深々と頭を下げた。

「花山オーナーが信頼している王店長とは連携が取れています。王店長はまだたくさんの中国人の働き手があるそうで、彼らの働き口が確保されること、自分と妻についてはよりよい待遇を与えることを条件に協力してくれるそうです。」

勝沼は笑顔で何度も頷いた。

「このご時世にまとった人材を確保できるのは大変助かる。コンビニの仕事は3Kだってバイトでさえ中々来ないものな。」

「その通りです。しかも、外国人雇用のリスクは店が負ってくれるのです。助かります。」

勝沼と石田は声をあげて笑った。吉田も愛想笑いを浮かべた。なんでも仕事が入ればそれでいい。


良子は、どこをどう歩いたかわからなかった。家を飛び出してから、無我夢中で歩いていた。通りすぎる人たちは、髪を振り乱して、年老いた婦人が呆けたようにただ歩いているのを怪訝に見ながら、通り過ぎて行った。下手にかかわらないほうがよい。なぜなら、親切心が仇をなすのが都会の常だからである。

「痛い!」

良子の不自由な右足が堪らず悲鳴を上げた。その痛みは良子を平静に戻すこととなった。

「とにかく、役所に匿名で相談してみよう。」

しかし、良子は家から、着の身着のままで飛び出したことを思い出し、ポケットをまさぐった。ポケットには、携帯電話が入っていた。何しろ足が悪くなってから、家の電話を取りに行くのも不便なので、家の中でも携帯を持って歩くようにしていた。

「板橋区役所に相談してみよう。」

板橋区役所に電話すると、区役所は保健所に相談窓口があること、そして、電話番号も教えてくれた。しかし、良子は躊躇した。それは、夫への後ろめたさからだった。なんだか夫の悪口を告げ口しているような気がするのであった。しかし、良子は夫のあの冷酷な仕打ち、自分の仕事を取り上げたあの態度を思い出した。彼女は、夫に何度も経理処理について帳簿も示して、説明した。夫は何度もその経理処理をすると約束したが、されなかった。今までなら、それで彼女に対してあんな仕返しをするような態度をとることはなかった。寧ろ感謝をするのが夫だった。夫はそんな性格の男だったのだろうか?それは、信じたくはなかった。良子は意を決して保健所の相談窓口に電話した。電話は直ぐにつながった。

「実は、夫の様子がおかしいのです。……………………。」

良子は自分の夫の異変について、相談員に話し始めた。

「旦那様のお住まいになっているのは、どちらですか?」相談員は良子の話を聞き終わると尋ねた。

「板橋区民です。」良子はやっとそれだけを答えた。

「認知症の可能性があります。最寄りの保健所か専門医で受診されたらどうでしょうか?」相談員は答えた。

「でも、本人にそんなことどうやって伝えたらいいのでしょうか?とても、言えません。」

「確かに、本人の同意なく診療はできませんね。しかし、診断がなくては、ご主人がされることに対しての法的な責任は免れませんよ。」

良子には、それは酷な決断だった。彼女の悪い脚と老いた体で年老いたとはいえ成人の男性を無理やり医師に連れていくなんで途方もないことだった。

「わかりました。考えてみます。ありがとうございました。」

良子は、重い気持ちでそう答えて電話を切った。


金太郎にとって、本部の紹介の吉田税理士は金の草鞋を履いても見つけたい年上の女房のようなものだった。吉田税理士の言葉は、本部の言葉のようなものだった。吉田税理士がこれはいいと言えば、これは良いことなのだ。ニコマートのような大手フランチャイズが悪い税理士なんて紹介するわけがないのである。

吉田は、金太郎と会うなり、これは大変な仕事になると予想した。何しろいくら説明しても言ってることを理解しないし、集めて欲しい書類も理解できず、やってほしい処理もしてくれなかった。しかし、そこは世の中の酸いも甘いも嚙み分けている吉田である。彼は、事務所の若い女性職員を担当にした。金太郎のような年老いた男は若い女性に甘いものである。また、本部で聞いていた王店長との連携をとることにした。実際を言えば、王店長の指示の通りにしていくことである。それを邪魔するものは誰もいないのもすぐ理解した。

ただ、あの状態の金太郎が事務処理などができるわけもなく、それを何年もキチンとしていた者が妻の良子であるのは察せられた。それをニコマートは外そうとしているのである。その意図を吉田は詮索しなかった。


「あなた、今でさえ大変なのに、まだ新しいお店の出店は無理よ。年をとっているのは私だけではないわ。本部に乗せられて、お金と人を出させられるのがオチよ。」

良子は、夫が見せるニコマートの新土手2丁目店の出店計画書を見て、顔色を変えて反対した。その勢いは、金太郎が初めて見る妻の顔であり、それは逆らえない迫力があった。それに、良子から仕事を取り上げたことに対して、金太郎は少し心がとがめている部分もあった。

「そうだよな。俺もあまり気が進まないよ。明日、本部が来たら断るよ。」

金太郎も、自分の体力に対して、自信がないので、それは妻の言葉を妥当だと思った。

「店の経営が悪くなったら、美子さんにも申し訳ないわよ。あの子が親身に応援してくれたから今があるのを忘れたらいけないわ。」

良子は止めの一押しを忘れなかった。高齢で認知症の可能性がある夫が二店舗も経営をするなんてできるわけがなかった。コンビニの経営は甘いものではない。24時間365日休みなく事故なく営業を続けることは生半可な話ではないのである。


翌日、金太郎はいつものように新土手1丁目店に出勤した。オーナーなので、発注とお金を数えること後はお客さんとおしゃべりすることが仕事だった。

と言っても、すでに全ての発注業務は中国人店長王の一族が行っていた。しかし、金太郎はそれを全く分かっていなかった。彼は良子にも時々王店長らが直してくれるが自分が発注していると言っていた。そして、本人はそのつもりであった。お金ももう自分では数えれなくなっていた。それも、良子には内緒にしていた。

彼は自分ができなくなっていることをひたすら隠した。仕事が生き甲斐の彼はそれを取り上げられることを何よりも恐れていたのだ。それを内緒にしてくれる王たちは金太郎にとって何よりの味方であった。

いつもの通り、お昼のピークが過ぎ、精算業務、本部送金が終わったころ、石田SVと勝沼所長、それに吉田税理士は連れ立って、新土手一丁目店を訪問した。

「オーナー、お疲れ様です。オーナーのところはいつ来ても気持ちがいいですね。店はきれいだし、売上も多い。流石です。」勝沼所長は金太郎を褒め上げた。

「何しろオーナーがいつまでも目を光らせているからですよ。他店のオーナーたちが秘訣を教えてほしいと言ってますよ。」と石田SVも呼応する。

金太郎は満更でもなかった。

「ところで、新土手2丁目の新店舗のことですが、…………。」

「悪いけど、その件は断るよ。何しろ、妻が反対なんだ。」

石田SVと勝沼所長は良子の反応を予期していた。それは、通常ならそう考えるはずである。

「奥様の御心配は尤もですが、うちの営業所はどうしても花山オーナーにやってもらいたいので、更に好条件を検討しています。」

「実は、新土手2丁目店の家賃を本部が負担することにしたんです。」

「えっつ?」

金太郎はその時、勝沼の言葉を誤解してしまう。

新土手1丁目店の契約はあまりされていないA契約という契約方式で、店舗の家賃は契約者である此花金太郎の代表取締役をしている法人スマイルコーポレーションが支払っていた。その代わり、本部に支払うロイヤリティーは全てのニコマートのフランチャイズ契約の中で最低の率であった。しかし、ニコマートの契約するフランチャイズ契約には家賃をニコマートが負担する契約もある。それはC契約という契約方式でこの場合のロイヤリティーの率はA契約に比べて高く設定されていた。金太郎は、破格の条件という勝沼の言葉と自分の現状の契約方式とを混同して理解してしまったのである。

勝沼も石田もそのことは計算していた。

「オーナー、それはすごいですね。新土手1丁目店は花山オーナーが家賃を負担されているはずですよね。」吉田税理士も呼応した。

「オーナー、人はダイジョウブダヨ。」王店長も横から口添えをした。

「オレ、タクサン働きたい奴知ってるよ。」

「オーナー、これ程の好条件はありませんよ。」勝沼は一気にたたみこんだ。

金太郎は、2店舗のオーナーになって、王たちの尊敬と崇拝に満ちた視線に包まれた自分を想像した。たくさんの中国人に働く場所を提供してやるのだ。俺は日本人の父となるのだ。金太郎は、代表社印をいつも肌身離さず持ち歩いているカバンから出していた。


「なんですって!?」

良子は金太郎の言葉が理解できなかった。金太郎は、勝沼たちが店からスマイルコーポレーションの代表者印の押印のある契約書を持って帰って行った直後に良子に電話したのだった。

「破格の条件なんだよ。」金太郎は上機嫌で話した。

「昨日は新店舗の話は断るって言っていたじゃないの。どうして、突然そうなるんですか?」

良子は、これから起こるであろう災難が一気に頭に閃いた。と、その瞬間、又、胸に激痛が走り、その痛みは身体の力を奪い…………。

「母さん、どうした?おい!」

金太郎は、良子の沈黙を理解できずに電話口で大声を出し続けた。



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