いや~!ご立派です!ニコマート!
ニコマートは、国内三大コンビニチェーンの一つである。そのルーツは大手流通グループから始まり、中小のコンビニチェーンとの経営統合を繰り返し、事業規模を拡大してきた。現在の大株主は大手商社だが、経営は大手流通チェーン時代からの生え抜きによる自主性を重んじているとのことだった。
今を遡ること1年半前のある日、このコンビニチェーンの板橋営業所では勝沼所長と部下石田SVの間で会話がされていた。
「なに?花山オーナーの物忘れはそこまでひどくなっているのか?」
「はい、もう自分でお金も数えられないようです。それに、押印頂くのに、何度内容を説明しても、忘れられて、困っています。」
勝沼所長は、営業所の壁一面に貼られている売上のグラフをため息をついてみていた。営業所全体のロイヤリティー収入は頭打ち状態だった。次の異動までに結果を出さなくてはならなかった。新土手1丁目店は板橋営業所の代表的な黒字店。そして、、、、彼の頭には一つの考えがあった。
花山良子は、全体的に丸い感じの老婦人で人の好い笑顔を持っていた。彼女は夫の物忘れや体力の衰えをとても心配していた。夫の金太郎にとって店に行き、お客さんと他愛のない話をし、商品の発注をするのは生き甲斐だった。彼とコンビニ経営との出会いは、当にコンビニ創成期、昭和57年頃に、義理の兄から兄の所有するビルで開業を勧められたことに始まる。その当時、夫の経営する写真店は、時代の波にのまれ、斜陽化していた。夫と彼女は義理の兄の提案を受け入れ、コンビニエンスという新天地に飛び込んだ。当時はこの大チェーンも創成期、店舗オーナーと二人三脚で熱血した運営をしていた。当時のことを夫と語り合う時、様々な失敗と喜びを思い起こすのであった。「あの頃は良かった」と良子はため息をついた。時の流れとともに、チェーンは巨大化し、お店とチェーン本部との一体感は遠のいていった。
良子は痛む足を摩り、テーブルの上に置いた本部からの会計資料を見ていた。その帳票には良子の気がかりな点があった。
「お父さんったらどうして何度言っても、やってくれないのかしら?」
コンビニチェーンは基本的に各店舗の売上現金を毎日本部に送金させる。つまり、店舗にはつり銭以外の現金は残らないことになる。本部は各店舗から吸い上げた現金その他の売上から、契約上差し引くことが認められる経費を除いた残額に一定割合を掛けた金額をロイヤリティーとして計算し、店舗オーナーから徴収する。その上で残高があれば、店舗オーナーに四半期毎に送金する。この計算方式は基本的にだから、コンビニチェーン毎に様々な違いはある。ニコマートでは、この契約上認められている経費の中には、正社員の固定給は認められていないが、時給で働くアルバイト店員のバイト料は認められている。全ての売上を送金させる都合上これは認めないわけにはいかない経費である。
アルバイト店員の給料は末締めで翌月10日払いである。その為、店舗オーナーは毎月末の処理として、翌月の1日から3日の間に店舗にあるストアコンピューターを操作し、本部に各店員の給料を送信する。この情報を基に本部は各店員の口座に直接振込むか、各店員に現金払いの場合は店舗のオーナーの取引口座に振込んで間接的に払わせる。
金太郎は先々月の7月にこの月末にストアコンピューターで本部に各アルバイト店員の給料を送信するという処理を失念してしまい、本部に本来送金するべき現金売上を送金せずにそれでアルバイト店員の給料を支払ったのだった。それ自体は、後日、ストアコンピューターの処理をすればいいのであるが、その処理を良子がいくら言ってもしないのだ。しないというより、処理することが理解できないようなのだ。
「アルバイト給料を本部送金のお金で払ったなんて絶対にしていない。」金太郎は、良子が本部からの会計資料を示して説明しても怒り出すのだ。
良子は仕方なく、担当のニコマートの石田SVに電話で相談することにした。
「奥さん、大丈夫ですよ。明日、お店に来てください。僕も一緒に説明しましょう。」石田SVは良子に軽く応じた。
翌日、午後3時頃良子は、石田SVと打ち合わせをして新土手1丁目店に行った。
良子は、右足を骨折して以来、店には出たことがなかった。金太郎は亭主関白で、店の運営に関して、全てのことを自分一人で決めたがったからだ。金太郎は肉体労働をする者のみを尊び、足が悪くなり、杖をついて歩く妻の貢献を一切認めなかった。また、店舗の関係者も彼のその態度をまねていたので、店に行くのはあまりうれしいことではなかった。
店は高齢の金太郎と王という中国人の店長が運営していた。当初の井田太郎は結婚して独立していた。良子は、王の妻で店員の呂にこんにちはと声をかけた。呂は値踏みするように良子を一瞥し、「どなたですか?」と中国訛りのある日本語で尋ねた。
「オーナーの妻の良子です。オーナーは?」
呂はとたんに態度を和らげ「オーナーの奥様ですか?お世話になってます。石田SVと待っていらっしゃいます。」と答えた。
良子は呂と辞めた井田とのトラブルを金太郎から聞いたことがあった。呂は、井田の指示を聞かず、それが為に店舗の運営に支障をきたすことがあった。井田は呂をシフトから外し、指示に従うアルバイトをシフトに入れた。呂は良子の留守中に家まで押しかけて、井田のことを訴えたのだった。金太郎は一切どちらの肩も持たなかった。井田は金太郎に失望し、結婚を機に独立することにしたのだった。呂は自分の夫だけでなく、甥だの姪だのをどんどん店に引き入れていた。「中国人ばっかり」と古くからの馴染みは良子に話していた。
良子は杖を持っていない左手で店のレジの横にある事務所と書いてある扉を押し開けた。中には茶髪のロン毛のウエーブヘアの長身の30代くらいの男性と金太郎がいた。長身の男性は立っていたが、金太郎はストアコンピューターの置いてある事務机の前に座っていた。夫の目は怒りに震えていた。長身の男性、石田SVは真面目な顔を作っていたが、どこか面白がっているような雰囲気があった。
「何しに来たんだ。用があるなら、家で言えばいいじゃないか。」
「あなたが何度説明してもわかってくれないから、石田さんに来ていただいたの。石田さん、すみませんけれど、おとうさんに説明してくださいませんか?」
「オーナー、8月10日のアルバイト給料の支払いの時、7月のストコンの月末処理を忘れたから、売上送金するお金からアルバイト給料を払うと言われたじゃありませんか?」
「そんなこと記憶にない。」金太郎は心底記憶にないようだった。
「王さんに指示していたのを、僕はこの目で見ていますよ」石田SVは王に同意を求めた。王は曖昧な表情で頷いた。
「今、奥さんの前で処理しますからね」
金太郎は、怒るだけでなく、机につっぷして泣いていた。
良子は処理を見届けると、痛む足を引きずりながら、石田SVにお礼を言って自宅にむかった。
「どうしたらいいかしら?」
良子は複雑な気持ちで娘の友人の美子に相談すべきだろうかと思案していた。
金太郎は、妻が事務所の扉を出て、去るまで机につっぷして泣いていた。彼にとってこんな屈辱は人生で初めてのことだった。彼は妻が店のことに口を出したことに怒りを感じていた。店は自分が一人で頑張って今があるのだ。「あいつなんて、ただ、帳簿をつけたり、家のことしかしていないじゃないか。あんな楽なことしかしてないのに、偉そうに。」彼は、心の中で叫んでいた。彼は妻の足が悪くなった原因なんて全く頓着しなかった。足が悪くなるまで、彼女が店のこと、家のこと、そして、やりくりを文句も言わずにこなしたことも考えなかった。
店長の王は雇い主に「オーナー、元気を出してくださいよ。オーナーは日本人の父です。俺たちはオーナーの為ならなんでもします。」と声をかけた。
金太郎にとって、王たちの「日本人の父」という言葉は、なんとも言えない甘い気持ちにさせる言葉だった。王たちは金太郎に日本に来て、どんなに苦労したかとか、故郷に多額のお金を仕送りしているとかという話、金太郎に雇われて、一族でどんなに感謝しているかという話を度々していた。こういう話は金太郎に、終戦後の日本の飲まず食わずの日々、必死に働いたことを思い出させるのだった。「近頃の若いものは、甘やかされてていかん」金太郎はいつも思っていた。
「オーナー、奥さんももう年だから、誰か税理士さんを探したら?最近は安い税理士もいるみたいだよ。」
金太郎は、腹立ちまぎれに、王の言葉に心を動かされた。
「王さん、本部に相談してみるよ。母さんももう年だし、足も悪いんだ。税理士先生を頼んだ方がいいよな」
王は心なしか、ニヤッと笑ったように見えた。




