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ローテーション真っ白事件前夜

当たり前に当たり前の此花並子。毎日、平穏無事に恙無く生きてきた並子。花山金太郎おじいちゃんの認知症で大混乱のコンビニの社長になってしまった!

此花並子は平凡なただの経理事務員だった。毎日、会社に行き、仕事を熟し、家に帰る。そういう生活を13年間続けてきた。それに大きな不満などなかった。強いて見つけるならばあまりにも平凡な人生に飽き飽きしてはいたけれど、そこから飛び出して冒険するなど、したいとは思っていなかった。この安定した人生は自分には合っているし、そのうち誰かと結婚し、家庭を築き、子供を産み、育て、老いて死ぬ。そうなるだろうとどこかで決めていた。だから、まさか自分が小さいとはいえ、社長となって会社を経営することになるなんて、それも自分からそうすると言い出すなんて、全く想像したことはなかった。

「あ~あ。」並子は押田弁護士から「社長の仕事をしなさい」、と言われてからそれまでの憑き物が落ちたような虚脱感を感じていた。彼女の母の美子はそういう娘を複雑な表情で見ていた。

そう、ここは此花家の居間である。押田の事務所から帰宅した並子は母に報告すると、ソファに座り込んでいた。

「どうするの?」美子は尋ねた。

「えっ?」並子は母を見た。

「会社との両立よ。できるの?」

「・・・・。」並子は沈黙する。それが問題だった。当初は吉田税理士の「権限を持ってみろ!」という言葉に激怒して立候補したのだが、今の状況はとても名前だけの社長で済む状況ではない。

「分からないわ。」やっとそれだけ言った。安定した収入を約束してくれる仕事を捨てて、王ら従業員や石田らニコマートの冷たい視線の中に飛び込むのはどう考えても気が重い。それに、冷たい視線はそこだけではなかった。並子は社長就任の登記が完了してすぐに取引金融機関に行って手続したのだが、その時の経験は忘れられるようなものではなかった。ホットハートコーポレーションの取引金融機関は金太郎が個人事業者だった頃から板橋信用金庫だった。ただ、取引支店は店舗の営業場所が変わる度に変わっている。今は最寄のT支店だった。並子は会社の通帳と印鑑、キャッシュカードを早く金太郎の管理から正式に自分に移したかった。それは、焦ってはいけなかったのかもしれない。でも、並子は帳簿を調査する内に不審な経理処理を発見していた。しかも、ニコマートの紹介の税理士の吉田が関与しているらしい。店は王ら一族の人間ばかりいる。新田医師からは診断書はもらえないと言われ、花山実が成年後見人に選任されるかもしれない。だから、自分が役員に選任された登記簿ができた時点で変更手続に行ってしまったのだ。それまでにもT支店から母に金太郎が振込に来て、立ち往生しているという連絡を貰っていると聞いていたので、金太郎の認知症についてある程度理解もあると思っていた。でも、違ったのだ。

その日、並子は自分と金太郎の二人が代表者として登記してある全部事項証明書と通帳、印鑑を持ってT支店に行った。T支店内はいくつかのソファーが待合用に置かれていた。午後ではあるが、店内はそれほど客は居なかった。並子が書類を提出すると、信用金庫の職員は並子を値踏みするように上から下まで見た。その表情は彼女を不快にするような横柄な雰囲気を醸し出していた。

「少々お待ち下さい。」その女性は言い、書類を上司に見せていた。彼女は何かの部分を指していた。上司も頷いて、暫くすると戻ってきた。

「この書類では代表者変更はできません。」女性は並子に書類を突っ返した。並子はビックリしてしまった。彼女は、説明しなくてはならないと思った。

「花山金太郎さんは認知症の診断を受けていて、医師からは仕事を取り上げたら、病状を悪化させるからしてはいけないと言われています。この後に、退任の手続もしていますが、登記簿にはまだ載っていません。できるだけ、速やかに代表者変更手続をしたいのです。」並子は言った。しかし、受付の女性の表情は冷たく、書類を突っ返されてしまった。並子には何が何だか訳が分からない状況だった。彼女はT支店は花山金太郎が認知症だと知っていると思っていた。だって、振込手続ができずに、立ち往生したことを知らせてきたのはこの支店の職員なのだ。並子は脱力して自宅へ帰ったのだ。

帰宅後、母の美子から、金太郎宅にT支店の人間がやってきて、辞めないでくださいと泣きついきたという話を聞いた。もう、訳が分からないと思った。

でも、並子も黙っているわけにはいかないから、板橋信用金庫の本店のお客様相談室に電話をした。電話口の男性に並子は事の経緯を説明した。そして、最後にこう付け加えた。

「現在、代表者は変更されています。うちはそちらに通知し、手続に伺いました。そちらのT支店の方々が手続を拒否したのです。今後何かの問題が起こってもうちの責任ではありませんから、ご承知おき下さい。」

「待って下さい。手続してください。」その電話口の男性の声は半泣きだった。

その後、並子は法務局で金太郎と美子の退任登記が完了したのを確認すると、その全部事項証明書を持って、有休を使って、T支店ではなく、まだ話が分かりそうな本店に行った。本店の人間は、書類を確認すると並子に「あなたが間違いなく代表者です。でも、手続はT支店でしていただかなくてはだめです。」と言われた。それは道理だった。並子は再度T支店の対応を話した。それでも、その本店の職員は譲らなかった。

仕方なく並子は、再度有休をとってT支店に行くことになった。

その日、並子の受けた対応は更にうれしくないものだった。

並子は、本当はもうT支店には行きたくなかった。でも、手続は放っておくわけにはいかなかった。板橋信用金庫T支店に入ると、再度並子は手続書類を提出した。カウンターの女性職員は事務的な表情だった。しかし、その背後の職員達は不承不承のような悔しそうな雰囲気が感じられた。今度は手続はしてくれた。通帳の代表取締役の名前は此花並子になっていた。並子はせっかく来たのだから、他の手続もしようと決めていた。

「税理士さんの口座振替を止めたいんですが、手続はどうしたらいいんですか?」

並子の問にカウンター越しに男性職員は応えた。

「税理士さんの口座振替はこちらからは止められません。」

「えっ?」並子は腹立たしくなって思わず叫んだ。吉田税理士の顧問手数料は当初の17,280円から75.600円となっていた。それも、金太郎の役員報酬を上げた折、新店舗の契約をした折という節目で上がっていた。勿論、金太郎が認知症ではなく、差配を王がしているのでなければ、それは文句をいう事ではなかった。しかし、そうではなかった。並子は信頼のおける税理士と経理の不正を是正したいと考えていた。

「では、解約します。」並子は言った。

「それはできません。社会保険料の振替口座ですから。」板橋信用金庫の職員は応えた。並子は、得体のしれない恐怖を感じた。自分の口座を解約できないと言われたのだ。口座振替を止めることもできないと言われたのだ。最初は、代表者変更手続を拒否され、今はその中のお金を自由に処分することができないと言われたのだ。そんなことを平気な顔で言うのだ。ショックだった。異常な環境だった。

そして、金太郎は自分の権限が無くなっていくのを知ってしまった。病状は進行していった。美子は信子に対して申し訳ないと思っていた。できるならば、美子も並子も金太郎に気持ちよく生活してほしかった。威張らせてあげればいいのなら、「社長」と内々の間だけでも立ててあげたかった。でも、T支店の職員のお陰で全部ダメになってしまったのだ。

あの経験は、並子に予想を超えて、花山金太郎の病状を利用している人間がいることを想像させていた。

「王さんが言ってたわ。去年板橋信用金庫の人が花山のお父さんの自宅に押しかけて融資の申込みに判を押させたのですって。その頃もう、王さんたちに高齢者長寿医療センターに受診させられることになってたのよ。だから、花山のお父さんに社長でいてもらわなくては困るのよ。」美子は娘からその話を聞くと言った。

こんな状況の中に飛び込むのである。憂鬱な気分だった。

「とりあえず、月曜にお店に行ってみて、様子をみよう。」並子は呟いた。美子はため息をついて、食事の支度をしに台所に行った。


その頃、T駅の隣駅にあるマンションの一室の王店長の家では、呂と巧店長、ニコマートの石田が集まっていた。石田の顔は厳しかった。

「本社に行った勝沼さんから知らせてきた。上の方で此花並子の社長就任を認めるって話になったらしい。」

王も呂も巧も真っ青になっていた。そうなると自分たちのやってきたことが全てバレてしまう。もしバレなくても居心地は悪くなるだろう。

「ダメ!」王は半泣きだ。

「何とか阻止できないでしょうか?」巧は諦めなかった。今の仕事は、多くの一族の人間に安定した収入と社会的位置を与えている。失うには惜しいものだった。石田も、花山実から報酬をせっつかれていた。実は約束通り、行政の成年後見人の申立ての取下げを確認した後に自分の申立ても取下げていた。

「コンナノハドウ?」呂が提案を出した。それは、こういうものだった。呂は並子が店にやってきたら、その日に一族全員で職場放棄することを提案した。

「でも、それじゃあ、ニコマートが困るよ。」石田は言った。

「デモ、コウシタラ此花サンハマトモニ仕事デキナイヨ。」呂は更に言い、王も妻に肯いた。石田は首を振る。

「だめだ。そんなことをしたら下手したら、うちが契約解除を言わなくてはならなくなる。それじゃあレジから利益を抜き取ることもできないじゃないか。ホットハートコーポレーションの運営でなければだめだよ。」

「じゃあ、こんなのはどうですか?」巧の提案は新土手1丁目店の人間だけを職場放棄させ、新土手2丁目店の人間は残るというものだった。

「俺らは、味方のふりをするんですよ。で、石田さんに新社長へ俺らのやりたいようにするように条件をだしてもらって、それをのませるんですよ。そして、王さんらを戻させるんですよ。これなら、店は何とか回りますから、ニコマートもこまらないでしょう?」

「それなら、何とかなるかもしれない。もう少し詰めよう。」石田は言った。



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