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無力なただの経理女子だけど、許せないよ!

翌日の午後3時頃、石田は又新宿のニコマートの花山実の店舗にいた。実は一日の精算業務と発注の見直しを終え、本部送金の為の現金を数えていた。石田が事務所に入ってくると、目で挨拶をし、現金を店舗内に設置された銀行のATMに入金しに事務所を出て行った。石田はそのスムーズな業務の流れを黙って見ていた。実は戻ると、又すぐに出ていき、本部に送る書類の入った布製の鞄をレジのカウンターに置いた。レジにいるのはベテランのスタッフで、実が一言、二言話していた。そして、それも終えると、ストアコンピューターの前の椅子に座った。

「コーヒーでも飲みますか?」実はニコマートの本部社員に気を遣って言った。

「大丈夫です。ここにもってます。」石田も気を遣って、入店時にコーヒーを買っていたのだ。実はニコリと笑った。店舗の売上に貢献してくれたのだから、それくらいのサービスはすべきという感じの笑い顔だった。

「で、どうなったんですか?」実は時間を無駄にしたくないという様子で早速本題にかかった。石田は、まずコーヒーを一口飲んだ。実から聞いてきたのだ、やはり脈がある。

「新土手1丁目店は代表的な黒字店舗です。近隣の都営住宅が老朽化による建替えになり、しばらくは売上が落ちますが、建替えが終わればより売上も飛躍的に回復するという好立地です。ホットハートコーポレーションは自分で煙草の販売権を持っていますから、これを持っている限りは、この立地を持っていることができます。此花美子は花山オーナー以外のただ一人の株主で役員です。このままでは、花山オーナーの血と汗の努力でできたこの権利を赤の他人の此花美子の思うままになるのです。ニコマートは花山オーナーの血のつながった方に引き継いでもらいたいのです。店舗の従業員たちもです。王さん達は花山オーナーの血族の方の下で働きたいと願っています。花山オーナーを心から慕っているのです。」石田はそう言って実を見ていた。実は口元に薄ら笑いを浮かべていた。実は父を恨み、憎んでいた。彼は、過去にホットハートコーポレーションで働いたことがあったが、その際、父が自分の給料を月給50万円から100万円にしてほしいと言って断ったことを許せないと思っていた。父は、母や自分に対して、どんなに償っても足りないことをしたと考えていた。だから、父を慕っているという王らに対して好意的な気持ちにはなれなかった。馬鹿じゃないかと思った。しかし、好立地を引き継ぐということには魅力を感じる。

「それは、光栄です。で、父の成年後見人の申立てを妨害することでその立地を与えるから協力しろというのですか?しかし、それは相続によっては自然に得られるものですよ。逆にそんなことをすれば、僕は此花親子から憎まれるじゃないですか?」

「確かに、相続がありますよね。つまり、花山オーナーの得られるものを相続人の花山さんがもらうことは誰も咎める者がいないということを申し上げたんです。」

「は?どういうことですか?」実の目は光っている。

「協力してくださるのでしたら、花山オーナーが経営権を持っていらっしゃる間、店舗の収益から幾分かの利益をお渡しします。」

実は身を乗り出していた。

「10万円ではどうでしょう?」石田はずばりと切り出した。

「….。」実は沈黙した。これが普通に考えれば大変なことになることは分かっていたが、ニコマートからの申出となれば、話は違う。

「つまり、父が経営者である限り、父の代わりに僕が収益を受け取るということですね。」実はゆっくりと噛みしめるように言った。

「そうです。しかし、公けにはできませんので、同じようにというわけには、行きません。なので、10万円とお話いたしました。」

「もう少し、色を付けてくださいよ。」実は言った。

「では、20万円では?」石田は、ホットハートコーポレーションからなので、いくらでも痛くもかゆくもなかった。

実は忙しく考えていた。何か言われても、ニコマートからの申出であれば、何とでも言い逃れる。それに、ここでニコマートに協力すれば、今後、色々便宜を図ってもらえる。

「25万円にしてください。」実は言った。

「了解です。じゃあ、直ぐに成年後見人の申立てをしてください。行政にも申出て、早く止めてください。そして、その後、それを取り下げて下さい。そうしたら、この話はスタートです。」

「了解です。明日、家内と手分けをして取り掛かります。」

石田は、頷くと事務所を後にした。花山実はその後ろ姿を満面の笑みを浮かべて見送った。


石田は店舗を出ると、近くに止めていた自分の車に乗り、運転席に座り、携帯を取り出し、竹山に電話した。

「所長、花山オーナーの息子さんが成年後見人の申立てをしてくれるそうです。」

「よくやった。で、取下げのことも了解して頂いているのだろうな?」

「勿論です。」

「うむ。これで此花親子の思うようにはさせなくてすむ。」竹山は、勝沼の言葉を信じて疑っていなかった。まさか、此花親子が、花山金太郎とホットハートコーポレーションを守ろうとしているだけだなんて思っていない。ま、それが分かっていたとしても、前任者の勝沼に逆らう気持ちを抱いたかどうかは分からない。竹山の出世に影響がないのだから。

「そうです。よかったです。」石田はできるだけ自分の心の内がバレないように誠実そうな声を作って答えた。これで、竹山の自分の評価は上がるはずだ。

「お疲れ様。」竹山はそういうと電話は切れた。

石田は、竹山に報告を終えると、すぐに巧に電話を掛けた。

「巧店長、俺です。」

「石田さん、それでどうなりましたか?」巧は石田の電話をずっと待っていたのだ。

「花山オーナーの息子さんに毎月25万円払う事になりました。」

「了解です。石田さんには月10万円ですよね?」巧は探るように慎重に話す。

「それも、了解です。王さんや吉田先生にも、それで報告してください。」

「分かりました。情報をよろしくお願いします。それと、これで俺たちは仲間ですからね。」

「ああ。花山さんが約束を果たしたらこの話はスタートする。」石田はニヤリと冷たく笑った。何としても、花山オーナーの認知症を隠蔽し、此花親子に調査を阻止しなくてはならない。俺の為であり、ニコマートの為であり、王ら中国人労働者の働く場を守る為だ。石田は、顧客を出世の道具、踏み台としか考えていなかった。彼のそれまでの担当店舗の店長たちは、彼をチャラ男と陰で言っていた。よく、莫大な違約金を取ると脅してくるのも有名な話だった。但し、花山金太郎に対しては、ひたすらヘイコラしていた。何しろ金太郎はニコマート創成期からのオーナーであり、その当時担当した営業マンは幹部に出世している。こういう自分より強い立場の人間と弱い立場の人間とでは対応が違うのも有名な話だった。


その翌日、その日は金曜日だった。板橋区Tのお年寄りセンターでは、通常の業務が行われていた。電話番の事務員以外の相談員はそれぞれに忙しく動いていた。相田相談員は担当する高齢者の自宅からくたびれて戻ってきて、事務の女性に声をかけた。

「何か私にありましたか?」

事務の女性はメモを渡した。

「花山さんという男性から何度か電話がありました。それから、区の特別養護支援係の中田さんからもありました。」

「へえ、何だろう?」相田は、メモを見て、まず花山という男性の携帯から電話をすることにした。

「もしもし、Tお年寄りセンターの相田ですが、花山さんの携帯ですか?」

「はい、花山です。実は、父の事でお電話しました。」

「お父様?どなたのことですか?」

「花山金太郎のことです。相田さんが担当と伺いました。」

「息子さん?日本ですよね?ご家族は遠方で何もできないというお話だったんですが。」

「実は、両親は私が子供の時に離婚していまして、疎遠だったのですが、父のことを聞きまして、ご連絡しました。」

「それは……。どういうことでしょうか?」

「実は、うちは既に家族の介護を抱えているのですが、連絡を受けることはできます。そういう内容でよいのでしたら、父の介護に関わりたいと思います。」

相田は慎重に対応した方が良いと思った。行政はできないことを支援するという大前提で高齢者の介護を扱っている。つまり、逆に言えば、家族ができるということは支援できないのだ。この息子の申出は行政の支援を限定するということを意味する。

「息子さんのお名前と住所、連絡先をお教え下さい。」

相田の問に実は名前や住所、連絡先を答えた。

「では、今後は花山実さんと私達が連絡を取り合い花山金太郎さんの生活を支援するということですね。了解しました。」

「区の特別養護支援係の中田さんにも成年後見人の申立てを私がするということで了承いただきました。」

「そうですか?それは良かったです。」相田は機械的に答えた。なんだか手回しが良すぎるような気がした。

「では、そういうことでお願いします。」実の声は事務的だった。相田は自分の職分を超えることだ、これ以上の詮索はしてはいけないと感じた。

「わかりました。」それだけを答えた。


その日の夕方、此花美子は金太郎の様子を見に金太郎の自宅にやってきた。T駅の側のUR賃貸の花山金太郎の自宅には、相談員の相田とケアマネジャーの田中が美子を待っていた。

「相田さん、どうしたんですか?」美子は相田と田中がなんとなく元気がないような気がして、声をかけた。

「実は…。」相田は花山実から介護に関わるという申出と成年後見人の申立てをするという申出があったことを話した。

「えっ?どういうことですか?行政の方が成年後見人の申立てをしてくださるというのじゃないのですか?」美子は一気に疲れが襲ってきた。

「成年後見人の申立ては親族の申立てが優先されるのです。一応、行政の担当者の方には本当に実さんが申立てをするのを見届けてから取り下げるようにとはお願いしましたが、行政の手続は保留されることになります。それから、介護に関してですが、今後は、息子さんの指示を受けて行うことになります。」

「そんな、今まで一切関わりを持とうとしなかった方なんですよ。なんで急にそんなことを言い出すのですか?それなら、もっと早くに申し出てくれたらよかったじゃないですか?」美子は腑に落ちない気持ちで言葉を発していた。

「花山実さんのお話では、花山さん自身も介護を抱えているということで、積極的には関与が難しいということです。しかし、行政と協力して今後の花山金太郎さんの介護に関わりたいと言われています。そう申出があると、行政としては、何も言えません。行政の立場はできないことをお手伝いすることで、それ以上の関与はできないのです。」

美子としても、信子に頼まれて、金太郎の介護に関与しているだけで、金太郎の介護を一生するゆとりなどなかった。ましてや、実の子供が介護に関わると申し出ているのに否やはない。信子に状況を伝えて、考えをきくしかない。

「わかりました。そうすると、金太郎さんの施設の入居はどうなるのでしょうか?娘さんの意向では、成年後見人の方が決まれば、その方に一任したいと言われていましたが。」

「その選定も、息子さんの意見をお聞きすることになります。」

「でも、ここは賃貸住宅です。何かの事故があった場合、周囲の方にご迷惑をおかけします。いつまでも一人で住み続けることは難しいと思います。」

「分かってます。」相田と田中は肯いた。今後、病状が悪化した場合、一人で住み続けることは命の危険を意味している。早急に対処しなくてはならない。

「娘さんに、このことはお伝えします。」美子は目の前の二人に何を言っても仕方がないと思った。とりあえず、娘と信子に相談するしかない。

「よろしくお願い致します。」相田と田中は言った。

隣室では金太郎が何も知らずにヘルパーの女性に世話をしてもらっていた。


その日、深夜、美子は自宅の居間の電話の前にいた。会社から帰って、寝る支度をして、並子も側に付き添っている。母から聞いたお年寄り相談センターの相田とケアマネの田中の話に不安になったのだ。

「何で急にそんな話になるのかしら?既に介護を抱えている息子さんが態々花山オーナーの介護まで申し出てくるなんで不自然だわ。」並子は母に言った。美子も同感だった。この問題は、二人ではどうしてよいか判断できない問題だった。それで、今、二人は金太郎の娘の信子へ国際電話をすべく居間にいるのだった。美子は受話器を取ると、信子のサンフランシスコの電話番号を押した。何度かコール音が鳴り、信子の声が聞こえた。

「美子、どうしたの?」信子は受話器に美子のナンバーを見て受話器を取ったのだ。

「信子、それが、変なことになっちゃったのよ。」美子はお年寄り相談センターの相田から聞いた話を伝えた。信子は、始めに「えっ」と言っただけで、美子の説明が終わるまで黙って聞いていた。

「あのお兄さんがそんな殊勝なことを言い出すなんて、おかしいわよ。とにかく、お金が好きな人だから、なにか狙っているのかもしれないわ。とにかく、お父さんのお金の管理は絶対にお兄さんにさせたらだめよ。それに、お兄さんが成年後見人になったら、会社もどうされるかわからないわよ。」美子の話が終わると、信子は言った。

「どうしようかしら?」美子の声は不安そうだった。美子のキャパを超える問題だった。

「並子ちゃんはどう言ってるの?」

「並子も信子と同じよ。でも、並子は吉田税理士のした会計処理を修正するまでは、とにかく私達が会社の権限を握っていなくてはいけないと言ってるわ。その後については、法律に従うしか仕方ないわよ。」

「そうね。並子ちゃんはお母さん思いだものね。うちのお父さんの為にもその方がいいと思うわ。そうだ。弁護士の先生に相談していたでしょう?状況をお伝えしてみたらどう?」

「押田先生?そうね、相談してみるわ。」

「信子、ごめんなさいね。こんなに面倒なことになってしまって。」信子は心から申し訳なさそうに言った。美子は本音ではもう手を引きたかったが、自分を奮い立たせて答えた。

「いいのよ。じゃあ、相田さんにはあなたがお金の管理は行政にお願いしたいって言っていたことは伝えるわ。成年後見人のことは、法律に従うしかないわよね。でも、何とか会社を守れないか、やってみるわ。」

「よろしくお願いします。」信子は受話器の向こうで深々と頭を下げた。美子は何とか笑顔を作って、受話器を置いた。そして、振り返って、真っ青な不安な表情で並子を見た。

「お母さん」並子は母を励まそうと声をかけた。

「押田先生にご相談するしかないわ。あなたも時間作って頂戴。」美子は言った。並子は頷いた。


それから、2か月後の4月の最終金曜日、此花美子と並子は花山金太郎の自宅にいた。吉田税理士が3月末決算のホットハートコーポレーションの決算書をあげたので、来訪するというのだった。最初、吉田は新土手1丁目店舗に届けると言い張ったが、並子の強硬な態度に仕方なく、花山金太郎宅へ届けることを了承したのだった。約束の3時を少し過ぎて、花山宅の呼び鈴が鳴った。美子が玄関のドアを開けると、吉田は小型の段ボールを抱えて入ってきた。

「ご苦労さん。」花山金太郎はいつも通りに挨拶をした。彼はまた、小さな椅子に座り、吉田を大きなソファーに座らせた。これだけを見ると、金太郎の認知症が治ったのではないかと思うような態度だった。その様子に美子も並子も少し驚きながらも吉田から段ボール箱を受け取った。中には今期分のニコマートからの会計報告書類やホットハートコーポレーションの会計書類が入っていた。箱は蓋が閉まっていなかった。

「先日、お店で押印していただいたこれが税務申告書控えです。」吉田は中から一束の書類を金太郎に渡した。並子は「?」と思った。いつ、金太郎が押印したのだろうか?しかし、それを否定することは難しい。黙って、金太郎から書類を受け取った。

「こちらで確認させていただきます。」美子は言った。吉田の顔は幾分緊張して歪んでいた。

「では、失礼いたします。」吉田は、余計な話はしなかった。できるだけ、早く帰りたいようだった。でも、並子はすばやく税務申告書を見て、怒りの視線を吉田に向けた。

「吉田先生、これどういうことですか?」

「なんでしょうか?」吉田は視線を天井に向けた。

「花山金太郎さんの役員報酬が訂正されていないじゃないですか?」

「ああ、そのことですか?花山さんがしなくていいと言われたのでしませんでした。」

「なんですって?」並子の声は怒りに震えていた。この男は顧客の意向を全く無視したのだ。吉田は完全に金太郎も美子も並子も舐めてかかっていた。彼は、自分の後ろにニコマートの威光があると三人が誤解することを計算していた。自分が何をしてもこの三人には自分を首にすることはできない。なにしろニコマートの板橋営業所は自分の肩を持つと確信していた。

「あなたは、書面で依頼すれば、修正申告に応じると言ったではないの?あれは、嘘だったの?」並子はもう怒りに声がわなないていた。

「私は、花山オーナーに雇われているのであって、あなたじゃない。この会社の代表は花山金太郎さんだ。私に何かをいうのであれば、それだけの権限を持ってから言ってください。」吉田は大声で言い切った。

「花山金太郎さんは認知症です。」美子が言った。

「ふん。それなら医師の診断書を見せてください。それがない限り、信じられません。」吉田は言った。

「それでは、私の仕事は終わりましたので、失礼します。」吉田はそういうと、猛スピードで出て行った。

あとに、怒りに震える並子とあまりのことに理解できないでいる美子、そして、全く何もわからない無邪気な金太郎を残して。


吉田は、花山金太郎の自宅を出ると、又、その向かいにある棟の呂美麗宅に入った。呂美麗が吉田を居間に通すと、中には王店長と妻の呂夫婦、巧店長、そして、石田が待っていた。

「どうだった?」石田が口を切った。

「どうもこうもありませんよ。此花の娘の方が早速、役員報酬が修正されてないことを発見して、文句を言ってきました。花山オーナーの指示だと突っぱねました。」

「それで?」

「花山オーナーが認知症だというので、診断書を見せろ、って言ってやりました。」

「ナルホド。」王と呂は笑った。

「最初に書類を店舗で渡すことにして、中身を花山オーナーがなくしたことにしようと思ったんですが、それは此花の娘に阻止されてしましましたからね。王店長に渡して、書類が無くなっているとなると、王さんの責任になるし、どうしても渡すのは花山オーナーでなければならず・・・店舗に花山オーナーが来ないのじゃね。仕方ないですよ、内容のチェックが入るのは。」吉田は言った。

「しかし、花山オーナーが代表取締役であり、持分の5分の3を持っている以上、権限は花山オーナーにあるよ。これを突けば、此花親子は何も言えないはずだよ。」このアイデアを言い出したのは石田だったのだ。一同頷いた。彼らは花山金太郎の認知症を徹底的に利用する気だった。

「石田サン、アタマイイ!此花バカ!」呂は言って笑った。それに応じるように巧と王、吉田も笑った。

「たかが経理事務員が税理士の俺に歯向かうなんて、10年早いよ。身の程を知れだよ。」

「でも、先生の報酬は大丈夫なんですか?」巧は此花親子が手を打つとしたらこれだと、思って口をはさんだ。

「大丈夫だよ。王さんと花山オーナーが銀行取引ができなくなっているのを利用して、私から金額を定めて報酬を振り替える手続をしてあるんだよ。しかも、ホットハートコーポレーションからそれを止めることはできないんだよ。」吉田は笑いが止まらないようだった。

「そりゃあ、いい。」巧はお腹を抱えて笑った。

「これで、此花親子も手も足もでない。あの花山オーナーが自分から辞めるというわけはない。あの人にとって、オーナーの仕事は判子を押して、周囲からチヤホヤされることなんだからな。それに、成年後見人の申立てもできない。八方ふさがりのはずだぞ。主婦や事務員の女が何をどうしたって俺たちに敵うわけがないさ。何しろ俺たちにはニコマートの看板がついているんだからな。」石田は言った。勿論、全員がその言葉に疑いなどあるわけがなかった。


5月の第2水曜日の午前10時此花美子と並子は有楽町の押田弁護士の事務所の待合室にいた。その日、やっと押田弁護士と並子の休みの予定が一致したのだ。美子と並子の通された会議室は大きな机を囲むように椅子が置かれていた。二人の背後は一面窓で、近隣のビル街を見渡すことができた。勿論、その時はブラインドが下りていた。押田弁護士と木田弁護士を待つ二人の顔は暗かった。特に並子は怒りで眉間に皺が刻まれていた。事務の女性がお茶を持って入ってきて、弁護士は直ぐに参りますと声をかけて出て行った。ほどなく、廊下にバタバタと大きな足音がして、会議室のドアが開き、押田と木田が入ってきた。

並子は、先日の吉田税理士とのやり取りや、花山実の成年後見人の申立てのことなどを話した。押田と木田は黙って話を聞いていた。

「なるほど。」押田は言った。

「もうどうしたらいいのか、分かりません。」並子の声は怒りに震えている

「実は、ちょっと考えてみたんです。これをごらんなさい。」と言って、押田は会社の全部事項証明を指した。美子と並子は押田のいう通りそれを注視した。

「花山金太郎さんと此花美子さんの役員の任期が去年で切れているんです。」

「それが何か?」美子は自分の名が出たので、不安になって聞いた。

「権利義務役員ですよ。」押田は言った。木田は頷いたが、美子も並子も訳が分からなかった。二人は、押田の次の言葉を待った。

「お二人以外の新たな役員を選任すればいいのです。」押田は二人を諭すように言った。

「とにかく、そうしてごらんなさい。」更に強く言った。

「はあ。じゃあ、私がなります。私は、会社員ですが、それでもいいですか?」並子は言った。

「別に役員は実際に業務につくわけじゃありませんから、並子さんの会社の方さえ問題ないなら、できますよ。」木田は押田の意を汲んで言った。

「株主総会の請求を花山金太郎さんに出しなさい。内容証明郵便がいいです。そして、その株主総会で此花並子さんの取締役の就任を決議し、法務局に登記してごらんなさい。」

「わかりました。」並子は言った。美子は不安そうに娘に引きずられるように頷いた。

「花山金太郎さんが同意しなかった場合、裁判所で決議を認めてもらう手続をします。その際は、うちの事務所で受けます。」

「わかりました。よろしくお願いします。」いつもなら、きっと並子はこんなことは言わなかっただろう。しかし、その時の彼女は強い怒りの感情で支配されていたのだ。押田と木田は肯いた。美子は、娘の勢いに押され、否とは言えず、こうなったら仕方ないわと思ってため息をついた。


此花並子は、それまでの人生で初めて心底から怒っていた。彼女から見たら、診断書がないからというだけで、花山金太郎の病状を利用し、やりたい放題をしている人間は悪人だった。しかし、診断書ももらえず、他人だからという理由でそれを阻止できないという自分と母の現状はもっと腹立たしかった。最初は、母に言われて、軽い気持ちでお小遣い稼ぎでやっていた。しかし、今や彼女は母に言われるまでもなく、自分自身の怒りで動いていた。もう会社の有給をこのために費やすことを躊躇する気持ちはなかった。

押田弁護士と木田弁護士のアドバイスの花山金太郎への株主総会開催請求の内容証明は翌日には電子内容証明で出された。株主総会は5月の最終日曜日に花山金太郎の自宅で開催された。

「金太郎お父さん、実はね。」美子は自分は主婦で経営や経理について詳しくないので、役員を娘の並子に代わってもらいたいと伝えた。

「もう、並子ちゃんは経理をしてくれているんでしょ?」薬を常用するようになってから、時々金太郎の意識は明瞭になることがあった。それがその時だった。

「そうなのよ。でも、権限がないと色々やりにくいのよ。だから、花山のお父さんと同じ立場になってもらって、私の代わりに面倒な花山のお父さんの書類仕事とかやってもらおうと思うのよ。」ゆっくりと優しく美子は説明をした。

「そうだよね。僕も書類を見るのはもう嫌なんだよ。どれがどれか、なんだか難しいんだよね。」

「じゃあ、この書類に会社の印鑑を押してね。」

そこで、此花並子を取締役に選任することが全株主の同意で決まった。その後、並子に金太郎と同じ代表取締役になることも金太郎、美子の同意で決まった。ホットハートコーポレーションが過去に代表取締役を二人までいいという会社だったからそれが可能だったのだ。美子は一先ずホッとした。

「お母さん、これもお願いできる?」

その時、此花並子は母にもう一枚の株主総会決議の書類を見せた。

「これは?」

「実は、花山さんのお給料の訂正と会社の修正申告と花山さんの税金の還付の手続をしようと思うのよ。だって、吉田税理士さんはしてくれないでしょ?」

「そうね。あなたがやってくれるの?」

「うん。だけど、そうすると、花山さんは会社に借金ができるのよ。そのお金をどう処理するかなんだけど、お金と株式とどちらがいい?」

「えっ?」美子はちょっとびっくりした。金太郎は、書類を見ていた。

「金太郎お父さん、よく考えてみて。株式の5分の1とお金で返すのとどちらがいい?」

金太郎はまだ考えていた。美子の顔を見た。

「株式にする。お金は嫌だ。」

「じゃあ、金太郎お父さん、この書類に印鑑を押してね。」

「株式の価格は前期末の会社の資産の5分の1の価格で会社が買い取る。これでいいわよね?」金太郎は肯いた。

「それから、お母さんに退職金として、会社が譲る。これで、金太郎お父さんは会社の5分の2の持分、お母さんは5分の3の持分になるわ。いいわね?これも、登記するわよ。」並子は言った。美子は「えっ?」と声を出した。

「私はお金でもらいたいわよ。」

「お母さん、会社の未来に期待してよ。」並子は言った。美子は不承不承に頷いた。金太郎は二人のやり取りを聞いて笑った。


そこで、此花並子は、有休を取って、翌週の6月4日火曜日に書類を持って法務局に行くことになった。

「どうなるのかしら?」並子は押田の指示に従って書類を提出しながら、権利義務役員とはどういうものなのか、役員任期が切れているとはどういうことなのか、全然分からなかった。この登記をすることで何がどう変わるのか想像もつかなかった。でも、押田の意図に関わらず、並子は吉田税理士に言われたことで、自分が権限を持たなくてはこの状況を変えれないと考えていた。

書類を法務局に提出して電車に乗り、母の待つ花山金太郎の自宅へ向かっていると、並子の携帯が鳴った。並子が携帯を見ると東京法務局からだった。

「もしもし、此花ですが。」並子は周囲に気兼ねしながら、電話に出た。

「こちらは、東京法務局です。今日、新たな役員の方の登記に来られた方ですね?」事務的な女性の声がした。

「はい、そうです。」

「実は、花山金太郎さんと此花美子さんの役員任期が切れています。退任の登記をしないと罰金を払う事になります。」

「分かりました。手続をします。やり方を教えて下さい。」

「登記相談になりますから、予約していただかないとできません。いつ、来れますか?」

「今から伺います。予約取れますか?」

「じゃあ、今、2時40分ですから、3時30分に来てください。」法務局の職員の事務的な声はすぐに対応してくれた。

並子は電車が駅に止まると、反対側のホームに走って、電車に飛び乗った。押田弁護士が言っていたのは、このことだったのか。並子の心は興奮していた。

法務局に着くと、並子はエレベーターで4階の登記相談の部署に向かった。しかし、約束の時間よりも早く着いてしまったので、待合のベンチで座って待つことにした。彼女が一人で座っているのを見て、年かさの相談担当職員が、誰もいないからすぐに相談に乗ってくれると言ってくれた。

「実は、今日、新任役員の登記を申請しましたら、職員の方から任期切れ役員の登記をするようにと言われました。どう登記したらいいでしょうか?」

「それでは、このひな形を使って、株主総会議事録を作成してください。申請書はこれです。それと、登記に来るときに相談窓口に来て下さい。手直しが必要だろうと思います。」

「分かりました。早急に手続したいので、来週の月曜に伺いたいのですが、朝一で予約できませんか?」並子は、必要書類が書かれた書面のコピーをもらいながら、相談員に頼んだ。相談員は快く応じてくれた。並子の心は急いていた。何か邪魔が入る前に手続してしまいたいと思ったのだ。並子は、それを気にする余裕はなかった。一刻も早く自宅にもどり、書類を作ることしか頭にはなかった。


その日、並子は家に帰ると、ホットハートコーポレーションの吉田税理士の作った決算書の修正について検討した。吉田があの調子では、彼が修正申告をしてくれることはないだろう。また、ニコマートの紹介の吉田税理士を辞めさせることには、母も金太郎も消極的だった。なにかニコマートに仕返しされるのではないかと怖いのだ。それに、花山実が成年後見人に選出されて、会社の経営に口出しするようになったら、果たしてこの修正をしてくれるかどうか不安だった。悩んだ結果、並子は板橋税務署に申告相談をすることにした。率直に話して、相談に乗ってもらうしかない。また、有休を使うしかないと思った。幸い並子は勤続10年で、4月で新しい有休が付与されたところだった。上司はあまり良い顔はしないだろうが、仕方ないと思った。電話で相談したところ、税務署の担当官が明日、朝1番で時間を取ってくれたのだ。

母の美子は娘が何かに取り付かれたようにがむしゃらに動いているのを半分心配し、半分頼もしく眺めていた。彼女は、娘が部屋を覗いた。娘は書類とにらめっこしたり、パソコンのキーボードをいじったりしていた。

「お疲れ様。」美子はおにぎりとお茶を娘の机に置いた。

「うん。」並子は母の方をちらりとみると作業にまた戻った。美子は、作業の邪魔をしてはいけないとそうっと娘の部屋を出た。


翌朝8時、並子は荷物を抱えて、税務署の法人部門の受付カウンターで、名前を名乗った。直ぐに担当官が出てきて、最寄のブースに彼女を通した。並子は率直に吉田税理士が税務申告を修正してくれなかった経緯を話した。そして、代表取締役の花山金太郎が認知症の診断を受けており、それを利用している人々がいることも話した。

「助けて下さい。税金はお支払いします。」並子は必死になって言った。

担当官は、黙って聞いていた。

「税務上の修正をするのは、花山金太郎さんの役員報酬だけにしなさい。」と言った。

「でも、不正な支出もあるのではないかと思います。」

「そこまでやると消費税の申告もやり直すことになります。大変な作業になりますよ。」担当官は答えた。並子は確かに損失はあるかも知れないが、完全な修正をするには仕事を掛け持ちしている自分には難しいと思った。

「わかりました。でも、私は素人ですし、完ぺきな申告書を作ることは難しいです。それに、現在の税理士をやめさせることは直ぐにはできません。」

そういうと、担当官は少し考えて提案した。

「とりあえず、修正申告の、納税額がわかるところを提出してください。納税も忘れずにしてくださいよ。後は一刻も早く別の税理士先生を雇って、完ぺきな申告書を作って貰ってください。」

「わかりました。ありがとうございます。」並子は深々と頭を下げて、付け加えた。

「それと、修正申告を提出し、納税したら、花山金太郎さんの所得税も修正します。」

「それは、個人所得税の更正の請求をしてください。」担当官は答えた。

「ありがとうございました。」並子はまた頭を下げた。


並子は税務署を出ると、真っすぐに自宅に戻った。税務署に言われた申告書を作成する為だった。同時に都税事務所に地方税の申告と納税をしなくてはならないこともわかったので、その書類も作らなくてはならなかった。とりあえず、書類を作成すると、郵送することにした。調べると提出と同時に納税しなくてはならないこともわかった。

「お母さん、花山オーナーから会社の通帳と印鑑を貰わなくてはいけないわ。」並子は母に言った。美子は肯いた。

「あなたは明日、会社に行きなさい。私が花山のお父さんから預かってくるから。」

「よろしくね。お母さん。」並子は言った。

「でも、まだあなたの役員登記が完了してないのでしょう?銀行の名義変更はそれがないとダメじゃないの?」

「そうね。どうしようか?」並子の頭は疲れてまわらない。

「銀行に行くときは、花山のお父さんも一緒に連れて行きましょう。」美子が決断し、並子は上司に無理を言って有休をもらっていた。

「来週頭に休みをもらってるの。それが終わったら、花山オーナーの所得税の還付手続の書類を出すわね。週末にそれを作るわ。」

「お疲れ様。頑張ってね。」美子は娘を労った。


此花美子と並子親子が必死で会社を守ろうと動いていた頃、石田は花山実の店長をするニコマートのフランチャイジーにいた。実から成年後見人の申立てをしたことの報告を受けていた。

「後は行政が取り下げるのを確認したら、取下げてください。」石田は言った。

「了解です。結構、必要書類を集めるのって時間がかかるものですよね。今までかかるなんで予想外でした。予め行政に言っておいてよかったです。でなければ、行政の申立てが通ることになりましたよ。」実はいつものとおりストアコンピューターの前の椅子に座ってリラックスしていた。

「本当ですね。そうなったら、裁判所が選定した成年後見人が決まって、こちらの目論見はご破算になるところでしたね。」

「ところで、取下げるまでお金はもらえないのですか?」実は不満そうだった。

「ダメです。それが約束ですからね。」石田はキッパリとしていた。

「仕方ないですね。」実は残念そうに言った。早くお金が欲しかったのだ。

「明日にでも行政に再度申立てをしたことをアピールしてくださいね。」

「はい。」実は答えて、ふと付け足した。

「でも、此花さんたちはどうなんですか?何か動きはないのですか?俺が成年後見人の申立てをすることはもう知っているでしょう?妹の信子だってなにか言ってきそうなものですが。」

「大丈夫ですよ。王さんたちが見張っていますよ。何かしたら直ぐに俺に連絡が来ます。此花の娘さんがいくらか経理が分かっていたとしても、税理士の吉田さんに敵うわけありません。それに俺たちニコマートがついているんです。どんな手を打ってきても敵じゃあありませんよ。」石田は自信たっぷりだった。

「ハハハ、確かにそうですね。此花さんも気の毒に石田さんたちに睨まれちゃって。」実は声を上げて笑った。これからしばらく副収入が入るのだ。笑いが止まらなかった。


次の週開けの月曜日朝、並子は朝8時には法務局の扉の前に立っていた。8時半になると、扉の鍵は開けられ、並子はエレベータ―に乗り、登記相談の部署のある4階のボタンを押した。エレベーターが4階に着くと、並子は登記相談の職員の待つ左側のカウンターの前に座った。担当は昨日の親切な年嵩の職員だった。

「昨日はありがとうございました。」並子はまず礼を述べて、持参した書類を見せた。職員は書類に目を通すと並子の必死の形相を見つめた。

「やはり、修正しなくてはならないね。代表者の実印は持参した?新たな役員の印鑑を登記しますか?」

「はい、そうしたいです。」並子は印鑑をみせながら答えた。並子は認知症の花山金太郎が通帳や印鑑を管理できているか疑っていた。もし、勝手に代表者印を使われているのであれば、印鑑は並子の実印に変えておいた方が安心だ。職員は、印鑑の登記用の用紙を渡した。並子は言われた通りに書き、押印した。

「じゃあ、株主総会議事録だけど、こちらが言う通りに書いて下さい。」職員は文面を指示した。並子は言われたとおりに文章を訂正しながら、ふと尋ねた。

「役員の退任の日付は二年前の6月30日になるんですか?決算は3月末で申告は5月ですけど。」

「この場合、法律上はこの日が退任の日付になります。」職員は答えた。二年前の5月26日に新店舗の新土手2丁目店は契約されていた。並子はこの契約にも疑問を感じていたから、一瞬、日付をこの日以前にできたらと考えた。しかし、法律に従って、やっている手続なのだから、自分の私利私欲で変更するのは良くないと思い直した。

「わかりました。」並子は言われた通りに書いた。

その作業は一時間もかかっただろうか、職員は書類を確認して、ホッチキスやクリップでまとめた。

「これで出してみて下さい。なにかあれば又ご連絡します。」

「ありがとうございました。」並子は深々と頭を下げた。これで、会社を守れるかもしれない、並子は感謝の気持ちでいっぱいだった。冷静に考えてみれば、並子にはホットハートコーポレーションに対してそこまでする必要などなかった。彼女には安定した仕事があるのだから、吉田税理士が彼女を怒らせなかったら、彼女はここまで深く関わることなど、決してしなかっただろう。平凡すぎる人生に退屈しながらも、それを享受していた彼女は、このことでとんでもない運命の変転を経験する羽目になるのである。提出の窓口はすぐそばにあった。並子は前回の登記の結果を確認するために全部事項証明の申請と今回の登記の為の登記印紙を買うと書類を提出し、母たちの待つ板橋信用金庫T支店に向かった。今日中に修正申告も終わらせなくてはいけない。

並子が到着すると、金太郎と美子はカウンター前の長椅子の一つに座って待っていた。

「並子、法務局は終わったの?」美子は並子を見つけると声をかけた。金太郎はその隣でニコニコしている。美子と一緒のお出かけが金太郎にはうれしいのだ。並子は肯くと、母から通帳と印鑑をもらい、納税の納付書を窓口に出した。窓口の女性は並子を見、美子を見、金太郎を見てから納税の手続をした。並子はドキドキしていた。法人税、法人地方税の計算は初めてするのである、ちゃんとできたかどうかも心配だったのだ。

此花美子、並子、花山金太郎は板橋信用金庫T支店で、修正申告の納税を無事に済ませた。並子は納税が済むと母と金太郎とは行動を別にし、その足で修正申告書と花山金太郎の所得税の更正の請求の書類をポストに投函すると、法務局にトンボ帰りした。申請した全部事項証明をもらわずに板橋信用金庫に来てしまったのである。


美子は花山金太郎と花山の自宅にいた。金太郎はヘルパーの女性の介助を受けていた。美子と金太郎が部屋に戻るとヘルパーの女性が待っていた。金太郎の鍵はヘルパーの女性たちに一本渡されていたのだ。ヘルパーの女性はお年寄相談センターの相田が美子と話したいので待っていた欲しいと言われたのだ。

「何かあったんですか?」美子はヘルパーの女性に聞いたが、女性は内容は知らないとの事だった。

そうこうしていると、並子から登記が完了したことと美子を迎えにくると連絡があった。美子は、並子にも話に立ち会ってもらいたいとヘルパーの女性に伝えた。ヘルパーの女性は構わないだろうと答えた。美子は、持参したお菓子とお茶を出し、ヘルパーの女性に勧めた。女性は要らないと答え、黙って仕事をし続けた。しばらくすると、チャイムが鳴った。相田がケアマネの田中と入って来た。

「お世話になっております。」美子は挨拶をした。

「すみません。お時間を頂いて。」相田はテキパキと話しを始めた。

「花山実さんが家裁に成年後見人の申立てをされました。以前にもお話をしましたように、これで、行政としては申立てを取り下げざるを得ません。」

「はい。やはりそうなりましたか。」美子は答えた。

「それで、花山金太郎さんの金銭管理なんですが、息子さんにお任せした方がよろしいでしょうか?」相田は余分なことをするわけにはいかない行政としての立場で聞いた。

「そのことなんですが、娘の信子さんに確認したところ、お兄さんに管理させることには心配だと言われていました。できる限り行政にお願いしたいとのことです。何とか成年後見人が決まるまでお願いできないでしょうか?」

「はあ、」相田はそう言って、ケアマネの田中を見た。田中は頷き、話だした。

「実は、私達も少し心配になっていました。実は息子さんが私達と連絡を取りながら介護に関わると言われていたのですが。」田中の話では、花山実にいくら連絡しても中々携帯に出ず、実際の話、全く介護についての相談ができず、困っているということだった。

「以前ご相談しておりました施設の入居の件も資料をお送りしても返事が中々来ず、これでお金の管理も息子さんがするようになりましたら、介護の費用の支払いも滞るのではないかと心配になりました。」

「施設の入居、話が進んでないのですか?いつまでも一人でここに住まわせているわけにはいかないと思うのですが。」

「施設の資料を送っても、費用が高いって全部断られるのです。」田中は困り抜いているようだった。

そこへ、チャイムが鳴った。

「多分、娘の並子です。」美子はそういうと扉を開けに中座した。ほどなく、美子と並子の二人が部屋に入ってきた。

「初めまして、此花並子です。」並子は自己紹介をすると母の隣に座った。

「今、お母さまにご説明していたのですが、花山実さんが成年後見人の申立てをされました。」相田が並子にそう話すと美子が話をかいつまんで説明した。

「それは、大変よね。信子おばさんに日本に帰ってきてもらえないの?」並子は美子に尋ねた。相田と田中も期待するように美子を見た。

「無理よ。それは彼女の結婚生活の危機になりかねないわよ。」美子は答えた。

「とすると、仕方ないわよね。でも、一方の家族からの要望がありますし、金銭管理を行政でするのだけはお願いできませんか?」並子は相田の方を見た。相田も何か考えているようだったが、頷いた。

「成年後見人の方が決まるまでは行政で管理するようにします。どうしてもの時は仕方ないですけど。」

「それと、確かここは社宅でしょ?」そういうと、並子はさっき取ってきたばかりの全部事項証明書を相田と田中に見せた。その証明書には、並子と金太郎が両方とも代表取締役となっていた。更に、並子は金太郎が任期切れで、法務局で金太郎と美子の退任登記をすませたことも話した。

「花山オーナーはもう役員ではありません。だから、社宅を引き払ってもらわなくてはなりません。」並子は説明した。

「わかりました。早急に施設を手配するように息子さんに伝えます。」相田は言った。

「よろしくお願いします。なので、会社の通帳と印鑑などはうちで預かります。」並子は続けて言った。

「それも分かりました。」

「お手数をおかけします。よろしくお願いします。」並子は言った。相田も田中も頷いた。

「あっ、そうだ。息子さんはニコマートの店長さんだったわよね?」

「そうよ。確か花山のお父さんが推薦したって聞いたわ。」

「じゃあ、すみませんが。息子さんにお伝えするのは、私がニコマートに伝えてからにしていただけますか?息子さんからニコマートに伝わると心象が悪いと思うのです。」

相田も田中も肯いた。

「いいですよ。でも、早くしてください。息子さんに施設のことを早く決めてもらいたいので。」

「今週の金曜に伝えます。それ以降にお願いします。」

「わかりました。」相田は答えた。


その頃、ニコマートの石田は板橋営業所にいた。竹山所長と打合せをしていたのだ。竹山に一通り受け持ち店舗の報告を済ませ、最期に新土手1丁目店と新土手2丁目店の話になった。

「で、花山オーナーの息子さんの成年後見人の申立ての方はどうなった?」竹山は石田に尋ねた。石田は、花山実が申立てをしたことを報告した。

「行政の申立てが取下げられたら、息子さんも取り下げる手はずになっています。」

「ふ~ん、そうか。よく協力してもらえたね。流石だ。」竹山は賛辞を惜しまなかった。石田は勿論、花山実との取引については上司に言わない。それは、いくら何でも竹山の許容範囲を超えた行為であることを認識していた。

「ニコマートの看板ですね。うちが協力を要求しているので、協力した方が得だと判断されたのでしょう。」とだけ答えた。

「そうか。」竹山も疑わない。フランチャイジーがフランチャイザーの意向を気にすることを熟知していた。様々な不利益を被る可能性があることをフランチャイジーは理解している。竹山はふと、此花親子のことが気になった。

「此花親子の動きはどうなんだね?」

「その点は、大丈夫です。何かあれば王店長らから連絡があります。」

「そうか、でもくれぐれも気を付けてくれよ。花山オーナーの認知症を我々が認めることになったら、不味いことになるぞ。」

「分かっています。」石田は真剣に答えた。そうなると、本当に自分の身が危なくなるのだ。

「何とかうまくあの店舗のことを解決したいよ。立地もいいしね。」竹山にとって、板橋営業所の営業利益を伸ばすこと、自分の栄転が一番の関心事だった。少々の理不尽も表ざたにならなければ、知らない顔をするつもりだった。

「はい。」石田は、手段を択ばず此花親子の妨害をする決意で言った。


その週の金曜日は14日だった。並子はこの日の昼休みにニコマートに電話をいれようと決めていた。なぜ、この日にしたかというと、何かあったら土日で対応できるのではないかと考えたからだ。有休をこれ以上無駄には使えない。今後のことを考えたら、どうしても必要となる日が来るかもしれないからだ。昼休みのアナウンスが流れると、並子はお弁当をもって、会社の屋上の公園に向かった。何人かベンチや芝生に座り、お弁当を食べている。並子はとりあえず、手早くランチを食べた。もし、話が長引いて食べそこなったら心配だからだ。食べ終わると、持参したサーモスマグからお茶を飲み、深呼吸をするとおもむろに携帯を出した。彼女が電話したのはニコマートの本部だ。暫くコールすると、男性の声がでた。

「以前にお電話した此花並子と申します。」

「ニコマートの勝沼です。」

「古井さんはいらっしゃいませんか?」

「古井から私が担当するように言われています。私は以前に板橋営業所長でしたから。」

「ああ、そうですか。実はご報告をする為にご連絡しました。花山金太郎さんは退任され、私が役員になりました。」

「えっ⁈それは本当ですか?新土手1丁目店の花山オーナーが退任された?」勝沼は厳しい声で尋ねた。

「もう登記も済んでいます。」並子は事務的になるようにと思いながら、答えた。

それからしばらく、沈黙が続いた。勝沼の後ろで古井らが何やら相談しているようだった。

「分かりました。担当のSVから連絡をさせます。」

「すみません。私はこれから暫く電話に出れません。もし、今日ご連絡いただけるのでしたら、5時半以降にお願い致します。」

「分かりました。」勝沼はそう言って電話を切った。


勝沼が振り向くと古井が厳しい顔をして聞いていた。

「どういうことだ?認知症の花山オーナーが役員を辞任するようなまともな事ができるのか?此花親子が何をしたんだ?」古井は勝沼の花山オーナーの認知症を利用して此花親子が乗っ取りを企てているという報告を信じていた。

「私も詳しいことは分かりません。とにかく、竹山所長に聞いてみます。」勝沼も焦っていた。もしかしたら、自分らが花山金太郎の認知症を利用してやってきた様々な都合の悪い事実が暴かれるかもしれないのだ。彼はすぐに板橋営業所の竹山所長に電話をした。

「竹山くん、お疲れ。」

「勝沼さん、お疲れ様です。」竹山の前任の所長で栄転した勝沼に機嫌よく応じた。

「実は、今きみのところの新土手1丁目店の件で此花並子さんから連絡があったんだが、花山オーナーが退任され、その女性が代表者になったそうだ。」

「えっ、本当ですか?」

「君たちは何もこの件についてつかんでいないのか?何をやっているんだ。」勝沼は怒っていた。なにしろ、全てがバレるかもしれないのだ。

「す、すいません。石田に任せていたんですが、善処致します。」

「今日の午後5時半以降なら此花さんは電話にでるということだ。」

「わかりました。石田に連絡をさせます。」竹山は、自分の本社での評価を下げるのではと不安でいっぱいになった。

「石田に俺に直で報告するように言えよ。古井次長も心配されているんだ。」勝沼はそういうと電話をガチャリと切った。古井は満足そうに勝沼に肯いた。


その日の並子の業務は定時で終了した。並子は退勤の準備をすると、社屋のビルを出た。と、その瞬間並子の携帯のベルが勢いよく鳴った。知らない番号だった。並子は「来たか。」と、深く深呼吸をして電話に出た。

「はい、此花です。どちら様ですか?」

「ニコマートの石田と言います。勝沼からの指示で電話しています。どういうことなんですか?」石田は並子を馬鹿にしたような横柄な言い方だった。

「どういうこと?実は。」並子は花山金太郎と此花美子が任期切れで退任になったことと自分が新たな代表になった経緯を説明した。そして、その原因に吉田税理士による経理処理があることも話した。

「なんだって?ニコマートの紹介する税理士に問題はない。」石田は相変わらず横柄だった。

「そうですか?あなたのところの紹介した税理士でうちは大変な思いをしています。」並子は更に自分が調べた吉田税理士の帳簿上の問題を話した。

「ううむ。うちの誰が紹介したか調べてみます。」石田は並子の話に旗色が悪いと感じ誤魔化しにかかった。

「そうですか?とにかく、私は移動中ですので、これで失礼します。」

「待って下さい。うちの者が法務局で全部事項証明を取得したら、確かにあなたは代表者になっているが、花山さんもまだ代表者だった。これはどういう事なんですか?」石田は食い下がる。

「ですから、今、登記手続中なんです。間もなく退任登記も載ります。」並子は忍耐強く説明した。

「うちとしては、登記完了されたのを確認するまではそんな話は飲めない。」石田はどうやってもこの話を通すわけにはいかない理由があった。もうすぐ実との取引も始まるのだ。

「すみませんが、こちらはちゃんと通知はしましたから。移動中なので失礼します。」並子はそう言って電話を切った。

石田は、すぐ王に電話した。

「王さん、聞いたか?此花並子が社長になった。」

「ナンダッテ?オクサンニ確カメテミル。」王はすぐに電話を切って、暫くすると又石田の携帯が鳴った。

「ホントダッタ。ドウシタライイ?」王の落胆した半泣きの声がスピーカーから聞こえた。

「とにかく、明日、花山オーナーのところに行こう。」

「オレモ」王は言った。

「じゃあ、一緒に行こう。」石田は言った。何としてもこの話を潰さなくてはならなかった。


その夜、並子は家に帰って、吉田税理士から受け取った最新の帳簿を確認していた。もっと早く取り掛かりたかったのだが、去年と一昨年のホットハートコーポレーションの修正申告と花山金太郎の所得税の更正の請求をしたり、法人登記をしたりしなくてはならなくて暇がなかったのだ。美子は、娘が人が変わったように厳しい形相をしているのをハラハラ半分頼もしい気分半分で眺めていた。何か差し入れでも出してあげよう。そう思って、残りご飯でおにぎりとお茶を持って娘の部屋をノックした。美子が部屋に入ると、並子は帳簿を抱えていた。

「お母さん、これを見て。」並子はニコマートの作成した新土手2丁目店の会計資料と吉田税理士の作った総勘定元帳を見せた。美子には何が何だかチンプンカンプンだった。

「このニコマートの作った新土手2丁目店の開店から3か月間の給料のところを見て。数字がないでしょう。」並子のいう通り、そこには数字がなかった。給料を払っていないのだ。

「他の月はちゃんとお給料に数字が書かれているわよね。この3か月間の給料はホットハートコーポレーションの銀行口座から払われているのよ。吉田税理士の作った総勘定元帳に乗っているでしょう?」確かにそうだった。美子は会社の通帳と総勘定元帳で確認した。

「でも、他の月も総勘定元帳には給料が記載されているわよ。」美子は言った。

「そうよ。でも、他の月は総勘定元帳を見ると、お金がでているのが会社の銀行口座ではないでしょう?ニコマートの契約で従業員給料は売上から直に引いていいのよ。だから、銀行口座からではなく、レジから売上を送金する時に先に引くか、又は一旦ニコマートに送金して、ニコマートの本部から各従業員に振込むことになっているのよ。つまり、ホットハートコーポレーションの銀行口座から支払うことはないのよ。」

「ふ~ん。」何だかよく分からないが娘がいう事だからと美子は思った。

「で、この3か月間の給料の合計金額が、今年の2月にレジから給料の名目で引かれているのよ。でも、この金額は吉田税理士の総勘定元帳では花山オーナーの短期借入金で消されているの。これは、お母さんが不思議に思っていたあの源泉徴収票に関連しているのよ。花山オーナーは配当を貰っていることになってるけど、実際には支払を受けていないの。会計上この短期借入金を反対仕分けして消しているのよ。亡くなった花山良子さんはお母さんと花山オーナーの配当をキチンと分けて記載していたけど、吉田税理士は一緒くたに載せているの。だから、だれにどれだけ配当を払ったか、税金の内訳も分からなくなっているのよ。短期借入金もよ。一緒くたにいれているから、内容が訳が分からなくなっているのよ。税理士だったら、こんないい加減な会計処理をしていいの?普通の税理士だったら、認知症気味のクライアントの会計処理ならより透明にするのが普通でしょ?こんななんでもぶっこむような会計処理をしたら、そんな状況の人だったらよけい分からなくなるじゃない。不誠実だわ。」

「並子、あなたの話からすると、吉田税理士も加担してごまかしが行われているように聞こえるわ。」美子はあまりのことに胸が痛くなった。

「普通なら、クライアントが認知症気味だと判断したら、お金の出し入れはより透明にするわ。現金で渡すなんて処理はしないわよ。こんな短期借入金で消すなんて、あんな状況の人が理解できるわけがないじゃないの。」

「そうなの。」美子は生唾を飲み込んだ。

美子らは大企業のニコマートを信頼していた。だからその紹介の吉田税理士も信頼していた。しかし、彼らは信頼している美子や花山金太郎を自分の特別の知識を使ってだましているというのだ。何を信頼したらいいのだろう?

「花山オーナーの給料を上げるということは、株価を下げることにつながるわ。その上、こんな会計処理をするというのは、誰に顧問料を貰っているのか。ということから裏切りだわ。これは、押田弁護士と木田弁護士にも相談しなくてはならないわ。」並子は言った。

美子は肯いた。

「来週、ご都合をお聞きしましょう。信子にも話すわ。」そういうと、美子は差し入れを置いて、娘の部屋を出て、居間の電話から信子に国際電話を掛けにいった。


翌日の土曜日。ニコマートの石田と王は連れ立って、花山金太郎の自宅に来た。チャイムを鳴らすと、ヘルパーの女性が出た。

「どちら様ですか?」女性は聞いた。

「ニコマートの石田です。王店長と花山オーナーにお会いしに来ました。」

「会社の方ですか?どうぞ。私の仕事は終わりましたので、これで失礼します。」女性は二人を中に入れると、入れ替わりに出て行った。

「こんにちは。」金太郎はニコニコして、テレビを見ていた。

「オーナー、お加減いかがですか?」石田も答えた。金太郎は答えず、ニコニコしている。

「今日は僕たちはオーナーを心配してやってきたんですよ。」石田は言葉を続けた。

「どういうこと?」金太郎は少し不安そうに言った。

「オーナーは騙されているんですよ、此花さんたちに。」

「えっ?」

「オーナーはもうオーナーじゃなくなったのをご存じですか?」石田の声は悲痛な色に染まった。

「・・・・・」

「知らない間にそういう事になっているんです。」

「まさか。噓でしょ?」金太郎の声に怒りが含まれた。

「此花さんたちに確かめたらどうですか?」石田の声は冷たく、剣のように金太郎を突き刺した。金太郎は、興奮して、此花美子の携帯の電話番号のボタンを押していた。美子は程なく出た。金太郎は、開口一番に怒鳴りながら、言った。

「花山オーナー辞メナイデ」王は石田の隣で半泣きで叫んだ。

「どういうことなんだ?説明しろ!」

「一体どうしたの?花山のお父さん。」美子はびっくりして叫んだ。

「ニコマートの石田さんが来ている。今すぐここに来い。」金太郎はまたも怒鳴った。

「落ち着いて、花山のお父さん。分かりました。これからそちらに行きます。」美子は何かがあったことを察した。電話口に並子も来たようだった。並子はきっとこういう展開になることもあるかと考えていた。昨日の石田の様子では何か行動を起こすことは想像できたのだ。


それから2時間後、美子と並子は花山金太郎に自宅にやってきた。美子は信子に言われて亡くなった彼女の母の鍵を預かっていたので、チャイムも鳴らさず、入ってきた。

「どういうことなんだ?」金太郎は美子の顔を見るなり、怒鳴り付けた。石田と王は神妙な顔を取り繕っていた。並子は二人を一瞥すると、説明を始めた。

「花山オーナーの任期が切れていたんです。私の役員登記をしたら、法務局から電話が入って、登記をしなければ罰金を払わなくてはいけないと言われて手続しました。」

「へっ?」金太郎は理解できないで、口をあんぐり開けた。

「それと、石田さんこの件ですが。」並子は昨夜見つけた、ニコマートの会計書類の損益計算書に載らない給与の支払いについて質問した。

「俺はそんなお金のこと知らないぞ。」金太郎は又も絶叫した。

「僕はそのことを覚えています。新土手2丁目店の開店から3か月分の給与をオーナーに立替ていただいたので、その分をお戻しすることになったんです。その時のお金ですよ。確かその頃には差配していたのは王さんですから、王さんに聞いたらどうでしょうか?」石田は王に話を振った。王はニヤニヤ笑って天井を見ていた。

「このレジから給与として出したお金を花山オーナーの短期借入金と相殺処理されています。このお金はどうなったんですか?」

「俺は知らないぞ。」又も金太郎は叫んだ。

王はまだニヤニヤして天井を見て、答えなかった。

「俺が花山オーナーの口座に振り込みました。どこの口座かは忘れましたけど。」石田は王に助け船を出した。王はホッとしたように頷いた。

「ソウダヨ。石田サンガ処理シタンダヨ。」

「税理士のチェックが入るので間違いはありませんよ。吉田税理士に聞いて下さい。」石田は更に付け加えた。

「じゃあ、どこの口座に振り込んだか教えて下さい。」並子は言った。

「調べてお知らせします。」石田は平然と答えた。

「花山のお父さん、もう無理よ。こんなお金の問題があるのですもの。」美子は断じた。金太郎も黙ってしまった。

「ところで、株式の持分ですが、花山金太郎さんが5分の3でしたよね?ということは、花山さんが拒否すれば、花山並子さんの取締役就任も覆るし、花山金太郎さんの代表取締役の再任もできるはずです。今、花山オーナーは拒否しています。」石田は冷たく言った。

「株式の持分も母が5分の3になりました。これがその時の書類です。」そう言って、並子は先日の金太郎の会社への株式の譲渡とホットハートコーポレーションから美子への退職金としての株式の譲渡を決めた書類を石田に見せた。石田は詳しく見分して、唇を噛んだ。

「これも登記したんですか?」石田は問い詰めた。

「はい。」並子ははっきりと答えた。

王はショックを受けたようだった。石田もこれは不味いと思った。必死に頭を巡らした。

「うちは法人契約であっても、花山金太郎さん個人を信用して契約したんです。他の人ではだめです。それに、代表者変更もですが、株式の持分変更も契約解除事由です。即刻戻さないのでしたら、うちは契約を解除します。」石田は高圧的に言った。

「仕方ないです。」並子は即決した。これは別に張ったりをかましたわけではない。王ら牛耳る新土手1丁目店や2丁目店の店舗運営を無理をして継続することはより大きな損害を受けることが予想できた。全ての従業員を入れ替えるのなら別だが、それは現状不可能だった。これも石田の予想を外れていた。石田からすると儲かっている新土手1丁目店の契約を諦めることなどあり得なかった。だからこの点を突けば、此花並子の代表取締役就任を覆せると踏んだのだ。石田は焦った。

「契約解除するならば、莫大な違約金を払ってもらう。花山オーナーとあなたのお母さんに払わせる。あなたはそれでいいかもしれないが、そんな負担をお二人にさせて人間として平気なのか?」怒鳴り付けた。並子は母と金太郎に莫大な違約金を払わせると言われて一瞬ひるんだ。石田はここぞとばかり畳みかけた。

「花山オーナーもお年を取られたんですよね。うちはこの登記簿謄本のことまでは認めます。花山金太郎さんと此花並子さんとの二人の代表者就任まで。」

並子も美子も無言だった。並子の頭には莫大な違約金を母たちに払わせると言われた言葉がぐるぐる回っていた。普通ならあり得ないことだった。でも、石田たちが言ってること自体が普通ではなかった。普通ならば自分が確認した登記が既に変更になっているというのに、それを否定するなんてあり得ない。つまりは法律を無視してもいいということだからだ。この人たちなら、どんな無茶苦茶なこともやりかねないと思ったのだ。つまり、ヤクザに因縁をつけられた普通の人のような感じだ。

石田はそれを妥協点として決めたようで王と二人で花山金太郎の家をそそくさと出て行った。並子と美子、金太郎は暫く、脱力してしまった。

「一体なぜ、王さんを連れてきたのかしら?」美子は呟いた。

「そうよね。だって、王さんは使用人であってこの件には口を出せる立場じゃないものね。」並子も不審に思った。金太郎はもう関心もなくしたようで、テレビをつけて見出していた。

「法人契約しておいて、法人と契約したんじゃないって不思議な会社ね。お父さんに言ったら呆れると思うわ。」並子は更に呆れて言った。「あれで大企業なの?」と独り言を呟いた。認知症の診断がでていることを既に連絡しているのだ。診断書が出なくても、そういう状況ならば代表者変更は当たり前のことではないか。

「なんだか、変よね?」美子は信子にも言われていた。

「とにかく、押田先生と木田先生にご相談してみましょうよ。」並子は言った。


その頃、石田と王は花山金太郎の家を出て、呂美麗の家に立ち寄っていた。中には、店のシフトに入っていない王の一族の人間が全て集まっていた。

「ドウダッタ?」呂が夫に声をかけた。王は半分涙ぐんでいた。

「バレテタ。」王は言葉少なに語った。

「バレテたって?まさか、給料のことか?」新土手2丁目店の巧店長は叫んだ。

「ああ、そうだ。レジから支払った給料はうちの損益には載らないのを見破られていたよ。」石田が言った。もう仲間なので知らないふりさえも必要がないと思っていた。

「畜生!なんでただの経理が吉田先生の処理を見破れるんだよ。」巧は悔しそうに言った。

「仕方ないよ。思ったよりしっかりしていた、此花の娘は。でも、俺がオーナーの口座に振り込んだって言っといたから、当分ごまかせるよ。」石田はどや顔で言った。王も肯いた。

「石田サンガ仲間デヨカッタ。」呂も言った。

「ところで、これからどうする?」石田は言った。

「そうですよね。此花親子が権限を持ったら、今までのことがいつバレルか分かりませんよ。」巧の言葉に一族が頷いた。

「しかも、花山オーナーの息子さんとの約束もある。」石田は、思案顔だった。

「でも、俺たち全員を一遍に辞めさせるなんていくら何でもできませんよ。」巧がまた言う。

「うん、それが次の作戦の要だよな。でも、今すぐには考えも浮かばないし、向こうも直ぐには何もできないよ。様子を見よう。」石田の言葉に王と巧も同意した。呂は不服そうだった。自分の店での立場が一時でも此花親子より下になるのが我慢ならないのだった。

「デモ、」呂は抗議しようとしたが、王に目で止められた。石田は携帯の時計を見て言った。

「俺、これから竹山所長に報告に行かなくちゃならないんだ。所長も気にされているんだよ。だから、これで失礼するよ。」そう言って石田は、手を振りながら、呂美麗の家を出て行った。呂は「ヤッパリネ」と呟いた。他人事なのだ、石田にとっては。生活のかかっている自分たちとは違うのだ。


それから、暫く並子は本来の仕事に精を出していた。つまり、キチンと会社に出社して仕事をしていたのだ。一つには、押田とのアポイントが取れたのが月末になってしまったということもある。6月28日午前10時、並子は一人で有楽町の押田たちの弁護士事務所にいた。美子には、もうあなたが役員で私は株主なんだから、一人で行きなさいと言われてしまった。少し心細かったが、確かにそれも一理あると思った。いつものように、いつもの会議室に通され、いつものように押田と木田のドヤドヤという足音がして、扉が開き、二人の弁護士が入ってきた。

並子は予め状況をメールで連絡していた。彼女は最近自分が発見した帳簿の問題を帳簿を店ながら、詳しく説明した。新土手2丁目店の当初3か月分給料が、ニコマートからの損益計算書には載らない方法で計上されたこと。そのお金が花山金太郎の短期借入金科目で処理されたことを説明した。勿論、花山金太郎がそのことを知らないと言ったこと、石田が王が差配していたと言ったこともだ。押田は厳しい顔で話しを聞いていた。まるで、味方ではなく、交渉相手に話しているようだった。

「それで、どう主張する気ですか?」それも厳しい顔だった。なんだか、怒られているような気分に並子はなった。

「・・・健全な経営をするのを補助するという契約項目に反すると思いますが、ダメですか?」並子は小さな声でやっと言った。押田の顔はものすごく厳しかった。

「いや、それは言える。」押田は言って、黙って席を立って、部屋を出て行った。並子は何が何だか分からない気持ちでいた。木田は黙って座っている。暫くすると、押田は戻ってきた。彼は席に座ると、並子に話した。その顔はいつもの押田の表情だった。

「あなたがこのことを不問にするのならば、ニコマートは書面は出さないけれど、あなたの代表者就任を認める。」

「えっ、でも。」並子は何百万ものお金を損をしていたので納得できなかった。

「これからの儲けで帳消しにしなさい。」押田は並子を説得した。その声には有無を言わさない雰囲気があった。

「これからどうすればいいのですか?」並子は尋ねた。

「社長をしなさい。」押田の答えは明瞭だった。

並子は曖昧に肯いた。とにかくそうせざるを得ないと感じた。


あ~あ、短気は損気。ただの経理女子の此花並子、猛火に飛び込んで、どうするの?

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