お嬢様は自分など知りたくない
すぐにリューネ姫の私室に連れて行かれるのかと思っていたが、通されたのは、宿泊に使うようにと言われた一室であり、とりあえずは待機するようにとのことだった。
エリーゼは拍子抜けした。
もう夜も深くなってきている。気疲れのせいか、眠気がエリーゼを襲う。しかしここで寝てしまっては、リューネ姫から呼び出しがあったときに応対できない。それでは困るーー。
と思ったのは覚えている。
ベッドに横になっては寝てしまうと、椅子に座ったのは覚えている。どうやらうつらうつらと居眠りをしてしまったらしく、時間の感覚がわからない。
時間はどのくらい経ったのだろうか? もしかしてリューネ姫からの呼び出しが既にあったのではないか?
(……なんだか、考えるのが、疲れた……)
今まで、自分の行き先も決まったものとして捉え、今の状況も、ただ、漫然と流して生きてきただけで、こんなに不安定な気持ちになったことはなかったような気がする。
この国が二派に分かれているのも、自分が、その一方の派閥の象徴であるリューネ姫の近くにいることも勿論わかっていたが、だからといって政治的に野心のある家でもないし、エリーゼ自身もそのつもりはなかった。だから……これが正しいことかはわからないが……あまり深く、考えたことなどなかったのだ。
ーー身体を張って、王子のために無茶をするアリィシア。何が彼女をあんなに突き動かしているのか。
ーーただの魔導具オタクだと思っていた幼なじみのディール。あんな、汚れ仕事をしていたなんて知らなかった。何一つ動じないところを見ると、慣れてしまっているのだろう……知らない人みたいだった。
ーーリューネ姫。傲慢さと我が儘さと賢さは人の上に立つ器量だと思っていたが、彼女にも苦悩があるのだろうと、思い至ったことがあっただろうか。
自分は、自分を取り巻く世界の、一体何を見ていたのだろう。
そう考えると、さっき、ディールに対して八つ当たりをしたのが恥ずかしく思えてきた。もともと、まるで自分だけが蚊帳の外のような気がして腹が立ったのだが、そもそも自分は蚊帳の外の人間なのだ。そして、それを『良し』としていたはずだ。
今の状況だって、たまたまアリィシアの仕事に巻き込まれ、知ってしまった秘密に王子の牽制として巻き込まれただけで、もともとは迷惑だと思っていたはずではないか。関わらなくて済むならば、関わらないのが一番ではないかーー。
そうだ。そもそもエリーゼ自身の最大の役割は、実家に迷惑をかける存在であってはならない、ということだ。それに比べたら、リューネ姫に対するご奉公すら二の次のはずだ。
自分の好奇心、自分の感情……そんなものは、不要だ。
「本当にあなたはそれを望んでいるのか?」
「……ヴァイス」
現れるような、気がしていた。
目の前、部屋の中に突然姿を表したのは、黒猫ヴァイスだった。実体なのか、夢なのか、意識に呼びかけられているのか、幻覚なのか、わからないが、彼はそこにいた。
まるで、心を読んだかのように。
「そんな問いに答える必要があるかしら」
「あなたを知りたいんだ」
「またそれ? ……むしろ聞きたいのは私の方よ。あなたは、一体何者なの。私に何をさせたいの?」
「お嬢様、俺はあなたの使い魔で、あなたの命を助けたい、そう言ったはずだ」
「答えになっていないわ。正体を明かさないつもりだってことだけはわかったけど、本当にうさんくさいわね、あなた」
「いや、それが答えなのさ。そして……あなたを助けるためには、あなたを知る必要がある」
「"未来"から来たのに?」
魔法で、過去は変えられない。でも、未来を変えるために来たのだと、そう言ったのはヴァイスだった。揶揄するように言ったエリーゼの言葉に、ヴァイスはまったく反応しない。
「結果がわかっているからといって、そのまま原因がわかるわけではない。あなたを助けるために、俺がどうすべきなのか、俺は知りたい。だから、あなたが何を思い、何を望んでいるのか、あなたのことを知りたいのだ。俺はあなたのことを……きっと何も知らなかったのだから」
エリーゼは、ふう、と息を吐いた。
「今更、何とも頼りないことを言うのね。本当にあなたは私の命を助けられるの? あなたの言うことを聞くべきか、不安になってきたわ」
「それはすまないな。だが、言ったはずだ。選ぶのはあなただと。俺の言うことが信じられないというのならば、別に構わない……とまでは言わないが、仕方がない」
相変わらずの言葉に、エリーゼはため息をついた。ヴァイスは、この件についてはこれ以上のことは言わないのだろう。
ーーお嬢様、あなたは死ぬ
質に取っているものが重すぎる。情報が足りない。ヴァイスの取引の仕方は、本当に卑怯だ、とエリーゼは思った。
「……何が、聞きたいの」
黒猫は、ゆっくりと首を横に振った。
「すべてだ。でも、それでは答えにくいだろうな」
「そうね」
「ならば、今日のことを話そうか。あなたが何を思って今日を過ごしたのか、聞きたい」
「抽象的ね」
「そうだな。では、何故、アリィシアを追いかけたんだ?」
「あなたが、導いたんじゃない」
「そうだな。でも、俺が導く前から、あなたはアリィシアを追いかけようとしたな。俺は背中を押しただけだ。何故だ?」
「何故って……」
何故だろう? ディールに聞かれたときには、好奇心だと彼は理解した。ならば好奇心だったのだろうか?
あの時の衝動を、エリーゼは、自分の行動ながら、確かにうまく説明できそうになかった。
「アリィシアの仕事場に踏み込もうとしたのは何故だ?」
浅はかだ、とディールに怒られた。そのとおりだ、とエリーゼも思う。あれは、エリーゼにあるまじき、考えなしの行動だった。
「彼らの仕事に踏み込もうとしたのは何故だ? 役に立ちたかったのか?」
「役に……たとうなんて、それは私の役割ではないわ」
「あなたの考えは、どうなんだ? 俺が知りたいのは、あなたの『役割』ではない。あなたの考え、あなたの思い、そういうことを、知りたいんだ」
「……」
「あなたはアリィシアを心配していたのではないか。ディールやリューネ姫に頼られたかったのではないか、自分の力を貸したかったのではないか」
「わかったようなことを言うのね。もしそうだとしても、私には何もできないわ」
「何かをしたいと、そうは思うか」
「私に何ができるというの」
「何ができるか、ではない、何をしたいか、ということなんだが……」
ヴァイスは、地面に伏せ、丸まった。
「お嬢様、あなたは、やりたいことはないのか?」
「しつこいわ」
ーー昔、夢見たことはあった。
まだ首都に来る前のことだ。もう戻れない故郷。広い広い緑の大地、美しい田畑、斜面に広がるブドウ畑。その向こうには南の古王国連合に通じる山々の稜線。
あの向こうに行ってみたいとーーそう思ったことはあった。
でも、それはかなわない。
だから、自分が行けないからと頼んだのだ。別の国へ行って、その国のことを、遠くの私が行けない場所のことを、教えて欲しいとーー。
昔の約束だった。軽い気持ちで言ったことだった。最近は思い出すことも、なかった。
「何もないわ。私の望みは、私の能力が誰かの迷惑にならず、ただ、静かに人生を終えることができるということだけ」
「……そうか」
ヴァイスは、金色の瞳を閉じ、再度開けた。
「ここから先についてだが、俺はあなたに助言はするが、なるべく自分で考えてほしいとも思う」
「随分な言い分ね。まるで私があなたに頼りきっているみたいじゃない!」
エリーゼは声を荒げた。……どこか図星だったのかもしれない。
「そうは言っていないが……考えて欲しいんだ。あなたが、何をしたいと思っているのか。何か望みはないのか。それを、考えて欲しい」
「……」
そう言いおくと、黒猫は、部屋の扉を開けた。
そして、そのまま、姿を消した。




