お嬢様は夜会に参加する
大広間に戻ってきても、まだ気持ちがぐちゃぐちゃのまま落ち着かなかった。
初めて華やかな場所に身をおいた昂揚と、王弟殿下にまみえた興奮と、今後なにが起こるかわからない不安、そんなところだろうか。
ルイスに連れられて、名前は知っているが(社交界に来るに当たって覚えさせられた)顔を始めてみる人々に挨拶を繰り返す。慣れないことで目眩がする。
「おや、見慣れない顔だな」
「さすがは恋多きと名高いヘルゼン卿だ。新しい愛人だろうかね? 誰だろう? かなり若いな」
「ルイス殿が知らぬとは相当だね。まともな貴族の娘ではないのかもしれない」
叔父と、挨拶をしたばかりの貴族が、ふと何かに気づいたように言葉を交わす。エリーゼもつられてその方向を見て――眉を潜めた。
その女は、色濃く魔法の気配を纏っていた。
周囲を伺うが、誰も何も言わないところを見ると、気づかれないくらいに薄く、そして見事なまでに巧く偽装された魔法だからかもしれない。
そもそも、魔導具とまでいかないまでも、魔法を微量にかけているアクセサリをつけている貴族は多い。魔法の気配がしても、おかしくはないのだ。
しかし、女の魔法の不自然さは、エリーゼの『能力』だから気づいたのかも知れないが、それらの魔導具に擬態して、無差別に『他人』に直接向けられているものだということだ。
エリーゼ自身、自らの能力が勝手に発動し、その『魔法』を喰わなければ気づかなかったに違いない。
あの女……もしかしたら何らかの幻惑の魔法をかけているのかもしれない。ほぼ擬態に近い。
本来ならば、魔法は呪文を唱えないと発動しないが、エリーゼの能力で魔力を喰う場合には、勝手に発動するので、この程度なら他人に悟られることはない。
注意してその女を『見る』。エリーゼの能力が魔力を喰い、視界の中で魔法のヴェールが弾ける。思った通り、これは『見た人に作用する』幻惑魔法だったのだろう。
その女の姿を見た瞬間、エリーゼは目をひん剥いた。
――アリィシア?!
髪の色を黒に変えていて、一見してアリィシアとわからないように変装している。化粧の力もあり、顔の印象はかなり変わっている。
しかし、エリーゼの瞳に映るその女は、見たことのない『知らない女』から、『アリィシア』へと姿を変えた。化粧で化けられるレベルを越えた、魔法による別人への変装だ。
いや、変装どころか、これは認識阻害の魔法だ。こんな人の多い場所で、貴族というからには魔法が使える人たちの中で、容姿を変えて認識阻害の魔法を無差別にかけて身元を偽るなど、バレればとんでもないことになる。ましてや王弟殿下の誕生日の祝いだ。
信じられないくらい危険で大胆な行為だ。
「エリーゼ、どうしたのかい? ひょっとしてあの女を見たことがあるとか?」
「いいえ、叔父様……始めて見る人ですわ。ただ、美人だと思いまして」
「確かに、とびっきりの美人だね。あれほどの美人であれば、一度見れば覚えているはずなんだがなぁ」
動揺するが、これがアリィシアの『工作員』としての役目であるのではと気づき、誤魔化す。
――そりゃあ、そういう情報は仕入れてナンボのお仕事ですから
この夜会のことを知っていたのも、自分の仕事に関係することだから……だったのだろうか。
「見たことがないならば、もしかして、高級娼婦でしょうか」
「いや……さすがにヘルゼン卿とはいえど、この場にそのような女を連れてはこないでしょうよ」
「そうですな。普通の夜会とは違いますからな」
おそらくはアリィシアは望んで役目を果たしているのだろうと思う。
思うのだが……揶揄するような叔父たちの言葉に、エリーゼは、どこか浮かない気持ちになった。
学園の、まだ社交界にデビューしていない令嬢が、誰の紹介もなく、いきなり恋多き男に手を引かれて夜会に出席するなど、確かにまるで情人や娼婦のような行動だ。
もしバレれば令嬢としては醜聞だ。それでいいのか――。
アリィシアのことなどどうでもいいと思いつつ、何故かもやもやとした気持ちがこみ上げてくる。
かと言って、何ができるわけでもなく、間違っても声をかけるわけにはいかない。アリィシアの仕事の邪魔になるだけだ。
このままずっと見ていれば、その行動自体が不審なものになり、アリィシアの邪魔になるとわかりつつも、気になって気になって仕方なかった。
――ヘルゼン卿とはどういう人だったか――
にわか勉強の社交界の知識を頭の中でひっくり返す。
確か、それなりに有力な貴族の子息だが、まだ家は継いでいない子爵で、どちらかというと王子派の家だったはず……?
でも、この場所に来ていて、叔父たちが不思議に思っていないということは、ヘルゼン卿個人としては王弟派に近いのか……?
叔父に聞くと早いのかもしれないが、既に別の話題に入っている叔父にそれを聞くのは、話題を蒸し返すことになり、エリーゼがあの女の興味を持ちすぎていることを悟らせてしまう。あまりにも不自然だ。
ぐるぐると頭の中で思考が回る。
「どうしたんだい、エリーゼ? さすがのエリーゼ嬢も、慣れない人混みで、少し疲れてしまったのかな?」
様子がおかしいエリーゼに、そっと叔父が声をかけた。
大丈夫、と言おうとしたその時、エリーゼの視界に、ヘルゼン卿に手をひかれ、大広間から出ていこうとするアリィシアの姿が映った。
――どこへ、行こうとしているの?
何か、危ないことをするつもりに違いない。
エリーゼの脳裡に、数日前の昼休み、王子を好きだと言った時のアリィシアが浮かぶ。
もし、男に何かされて、傷物にでもなったら――いや、しかしそもそもアリィシアの生まれを聞くと、王子とは結ばれない身分で――いや、そういう問題ではなく、そこまで身を捨てさせていいのか、彼女だっていっぱしのご令嬢には違いないのに――こんな、数にもならない身分のような行動をわざとするなんて――でも、前に助けに行ったときだって、自分の手助けは本当はいらなくて、サポートするべき人間が側にいたのだから、エリーゼが行くことに意味なんかないのかもしれない――
にゃおん
葛藤するエリーゼの脳裡に、おなじみの、子猫の甲高い鳴き声が響いた。
慌ててあたりを見渡すが、子猫など、当然ながら影も形もない。ルイスを見ても、特に何の反応もしていない。
自分にだけ聞こえる鳴き声。
ヴァイスだ。
――ならば、迷う必要など、ない。
「え、ええ、少し気分が悪い……かも、しれないわ」
「大丈夫かい? どこかで休んだ方がいいのかな」
「そ、そうね……」
「控え室をいただいているから、そこまで連れて行くよ。ついていた方がいいかな……」
「い、いいえ! 叔父様の社交の邪魔をするわけにはいかないわ!」
必死にそう言ったエリーゼに、叔父はふっと優しく笑った。
「さすがはエリーゼ。でも、こういう社交の場は、女性が一人になるには危ないんだ。やはり僕もついていないと」
「でも、叔父様の社交の邪魔をするわけには……」
「頑固だな。じゃあ、こうしよう」
叔父は、夜会で立ち働いている屋敷の使用人を呼び、何かを囁く。使用人は小さく頷くと、身振りでついてくるようにエリーゼを促した。叔父も頷く。
「いいかい、部屋から出てはいけないよ。彼女についていてもらうからね」
「はい、叔父様」
エリーゼは、素直に頷き、使用人に促されるままに大広間を出ることにした。
こっそりと、自らが持つ飾り扇を確かめる。
この扇は、他人を眠らせるための魔導具でもある。申し訳ないが、使用人の彼女には、部屋を案内してもらい次第、眠っていてもらおう。




