お嬢様は何をすべきかわからない
「多分、こちらだと思うのだけど……」
一度目を離してしまうと、推定アリィシアがどこへ向かったかわからない。
「まずいわ……」
自分でもまぬけなことに、何も考えず飛び出してしまったが、叔父とやりとりをして、使用人の彼女を部屋に入ったところで眠らせて椅子に座らせるのに、思ったより手間取ってしまった。
事態は既に進んでしまっているのでは……。
みゃおん
本来ならば、こんな人気のない廊下に、令嬢一人で動き回るなど、それだけで醜聞である。はや後悔しつつあるエリーゼの脳裡に、再度、子猫の鳴き声が響いた。
目の前、闇に融けるようにしなやかな影が通りすぎていく。
――ヴァイスだ。
エリーゼは、裾をからげ、ヴァイスを追った。美しく装った服装は、こんなときには不便だ。
人気のない廊下をさほど行かないうちに、ヴァイスが扉の前で『消えた』。
この、扉の中ということだろうか。どっちにしろ、いつの間にかヴァイスを信じることにしてしまっている自分に、エリーゼは苦笑した。
「いやっ! やめてください! わたしそんなつもりじゃ……」
重厚な扉の向こうから、確かにアリィシアの悲鳴が聞こえた。
咄嗟にエリーゼはドアノブに手をかける。おそらくは鍵がかかっているのだろうが、そんなものはエリーゼの能力の前には何の役にも立たない。
もちろん、ドアノブ自体を風化させるのではなく、鍵穴を――。
「……!」
一瞬前まで何の気配もしなかったのに、エリーゼの口元を大きな手で塞がれる。
そのまま、耳元で知った声が囁く。
「どうしてこんなところにいるんだ、お嬢様」
ディールだ。
エリーゼは一瞬こわばらせた身体から、力を抜いた。
ディールもまた、何も言わず、じっとエリーゼを見ると、手をとり、隣の部屋の扉を開けた。そのまま、部屋へとエリーゼをいざなう。
エリーゼもまた、黙ったままそれに続く。
重い音がして扉が閉まった。
「おや、エリーゼ嬢じゃないか」
机の上に置かれた灯りに照らされて、ソファに座っていたのは、傭兵隊長(仮)であり、戦闘術の教師である、アルベルト・フォン・バルデルだった。
「……アルベルト先生」
エリーゼの言葉に、暗い中でもわかるように、アルベルトは満面の笑みを浮かべた。うさんくさい。
「"先生"は、今はやめてくれよ。エリーゼ嬢、この場所に現れるとは、思った通り良い嗅覚をしているね」
「はあ、ありがとうございます」
絶対に誉めてない。そしてこの男、超絶にうさんくさい。
「まさかちゃんと『ここ』を探し当てるとはね。すごい嗅覚だ。どうやったのかな? アリィシアを尾けていたわけではないよね? それなら僕たちが気づかなかったわけはないし?」
エリーゼは黙った。まさかヴァイスに導かれたとは言えない。黙ったままのエリーゼに、はた、と何かに気づいたかのような顔をしたのはディールだった。
「お嬢様、もしかして……そういうことか」
そしてそのまま勝手に納得する。
おそらく、ディールが声に出して皆まで言わなかったところを見ると、エリーゼの能力を何らかの形で応用したのだろうと思い当たったのだろう。
まあ、実は不正解なのだが……エリーゼの能力は、エリーゼが意識すれば全て、無意識でもある程度は無差別に自分に向けられた魔法を『喰う』ことはできるが、逆にエリーゼに向けられていない魔法は感知できない。
アリィシアとかなり離れてしまった今回のような場合には、アリィシアを探すことはできないのであった。
……と思っていたが、もしかしてディールが思い当たったということは、何か方法があったのかもしれない?
エリーゼは、後でディールに聞いてみようと思った。
「というわけで、そろそろ突入しても良い頃かな」
先ほどまでの話とは微妙に繋がっていないが、アルベルトがそう言いながら立ち上がった。
そのまま、くるくる、と手元で回す何かをディールに向かってとばした。ディールがそれを滑らかに受け取る。手元でキラリと光るのは、鍵だった。
「あ、エリーゼ嬢も連れて行ってあげなさいよディールくん。いい機会だ、見てもらおう」
軽いノリのセリフに、暗い中でもディールの顔が曇るのがわかる。しかし、異は唱えなかったところを見ると、明らかにこの場は、アルベルトがリーダーのようだった。
「突入するぞ、お嬢様」
「……わかったわ」
それだけを言うと、ディールはさっさと身を翻して、部屋を出ようとした。慌ててエリーゼもそれに続く。
音を立てずに廊下へと出て、ゆっくりとアリィシアの声が聞こえた部屋の扉の鍵を回し、開ける。
部屋の中は暗く、よく見えない。ディールが声を張り上げる。
「アリィシア、どうだ」
「ごめんねぇ、ちょっと手間取っちゃってて……」
「だ、誰だおまえらは!」
男の上げた声と共に、部屋に灯りが点った。ディールが灯りを点す呪文を唱えたのだ。
ベッドの上で、アリィシアと男が重なり合ってもみ合っている。ドレスの裾部分と腕を覆うイブニング・グローブが破れて、肌が大胆に見えていた。
「おまえら、俺を誰だかわかってるのか! ここから出ていかないと……」
「どうなるって言うんだ? あんたとしては、むしろバレた方がまずいんじゃないか?」
「俺のバックに誰がいると思ってる、おまえらなんてどうにでも……」
つかつかと大股でディールが男に近づき、その胸ぐらをつかみ上げ、目を覗き込む。
「ちゃんと魔法がかかってるのに、どうしてこんなことになってるんだ?」
「ちょっと攻撃的なタイプだったらしくって……」
「おい! 聞いてるのか! おまえら、俺にこんなことをして……」
「黙れ。おいアリィシア、もう一度試してみろ」
驚くほど乱暴な仕草で、ディールは男の体をアリィシアの方に向け、顔を固定した。そのまま、首を腕で絞める。
「死にたくなければ黙ってろ」
「な、何を……」
男は怯えたのか、声が震えた。
その瞬間、アリィシアの瞳から、魅了の魔法が放たれる。男は一瞬ぼんやりとして、そして、糸が切れたようにおとなしくなった。
「興奮してるところを魅了で増幅してしまったんだな。恐怖でもなんでもいいから、一度、性欲を忘れさせてから魅了を使うようにした方が意識までコントロールしやすい」
「はーい、注意しまーす……」
あまりにもあからさまな言葉に、エリーゼは顔が熱くなるのを感じた。仕事仲間……だからか、ディールとアリィシアのやり取りがざっくばらんすぎて、修辞と韜晦の貴族社会に生きているエリーゼはくらくらする。
何より、アリィシアの格好がはしたなさ過ぎて正視に耐えない。一体どうやってこの男をたらしこんだのか、はっきりとわかる。
色仕掛け。それも、かなりあからさまな。
――そう、間違いなくまともな令嬢のすべき行動ではない。
「いタっ!」
アリィシアは物憂げにベッドから起き上がり、降りようとしたが、右の足首を押さえ、その身体がぐらりと傾く。慌ててエリーゼは駆け寄ってアリィシアを支えた。
「怪我をしているの?」
「少しひねっただけです。……どうしてエリーゼ様が?」
「ちょっとね。申し訳ないけど、回復魔法を使える魔導具は持ってないわ」
「あはは、そこはわたしの方がどっちかというと専門ですね……」
アリィシアの破れたドレスが痛々しい。何か補えるようなものはないかと考えたが、エリーゼ自身もドレスくらいしか纏っていない。余分な持ち物はあまり持っていないのだった。せめてもと、肩にかけていたショールを渡す。
アリィシアは礼を言って、肩に巻き、少し伸びた胸元を隠した。
「おい、アリィシア、今のうちに尋問するんだ」
「わかってる」
「……ちょっと、怪我をしているのに……」
「怪我は後で俺がなんとかする。魅了が効いているうちに尋問だ」
アリィシアがにこりと笑った。
「このくらい大丈夫です。聞き出せるのは、わたしだけだし」
「まあそういうわけだから、エリーゼ嬢は、少し出ていてもらおうか」
いつの間に背後にいたのだろうか、エリーゼの肩をぽんと叩いたのは、アルベルトだった。
促されるままに部屋を出て、隣の部屋へと入る。ソファに腰掛けた。
結局、ディールの後ろで見ていただけだったし、アリィシアの怪我だって治せるわけでもなし。
身の置き所のない恥ずかしさに襲われる。
――何しにきたのかしら、私。
「しばらく待ってもらっても良いかな。ひょっとしたら戻りたいかもしれないけど、今は僕も動けないからね。ご令嬢をひとりで帰らせるわけにもいかないし」
アルベルトに話しかけられ、エリーゼは素直に頷いた。
いや、正直、学園の教師とはいえ、このうさんくさい男と二人でいるのもどうかと思うが……。
エリーゼの気持ちがわかったのか、アルベルトは苦笑した。
「一応教師だからさ僕、そんなに警戒しないでよ、ね」
「王子の手先として、傭兵達にもぐりこんでいた人に言われても説得力がないように思います」
「根に持つねぇ。僕に言わせてみれば、君こそ、あそこで本気で立ち向かってこれるご令嬢なんてそうそういないと思うけれど」
「……滑稽だったでしょう。私がいなくても、アリィシアはあなたが助けるはずだったのだから」
「いやいや、そんなことはないさ。むしろ、見惚れたね」
「はあ?」
ウィンクしながら意味不明なことを言うアルベルトに、気分を害したエリーゼは、令嬢にあるまじき素っ頓狂な声を上げた。
「いやあ、素晴らしい啖呵だったよ。あれだけの傭兵に囲まれて、ハッタリかませるなんて最高だ。僕みたいな荒事に慣れた人間ならばともかく、学園の生徒が、しかもシュッツナム家みたいな王家に繋がる家格の高い伯爵家のご令嬢ができることじゃないよ。肝っ玉が座っているというか、見惚れた、いや、惚れたね」
「惚れ……っ! バカにしていらっしゃるのね?!」
「いやいやいや、もちろん本気だよ。アリィシアくんの気持ちもわかるねー彼女も君にベタ惚れだもんねー、そりゃ何の利害関係もないのに、あんな啖呵切って守られりゃねー。いやいや、爽快痛快だった。」
「な……っ!」
軽い調子のからかいに、エリーゼは侮られたと怒りに震えた。何か言ってやろうと息を吸った瞬間。
「何を言い争ってるんですか。終わりましたよ」
扉の開く音と共に、ディールが部屋の中に入ってきた。
「おっ、ありがとう。じゃあバトンタッチだな。ディールくん、エリーゼ嬢を大広間まで送ってあげたまえ」
「わかりました」
軽く頭を下げたディールの肩をぽん、と叩き、アルベルトは部屋から出ていった。




