第64話 生かさず殺さず
裁定から数日。江戸城への帰路にある秀忠のもとへ、西国からの書状が、相次いで届いていた。
「上様。……また一通にございます」
長安が、やや呆れたように書状の束を差し出した。
「福島正則、黒田長政、連名にて、浅野幸長殿と加藤清正殿の助命嘆願。……これで七通目にございます」
秀忠は、馬上から書状に目を通した。
『浅野幸長、加藤清正、両名の所業、武士として許されるものにあらず。されど、あの者たちの忠義もまた、我ら西国の武士すべてが、身に覚えのあるものにござる。何卒、御慈悲を』
筆跡は、福島のものであった。だが、その余白には、小さく、別の筆で一言、書き添えられていた。
『この身に代えましても、虎之助には何事もなきように』
北政所であった。太閤の正室にして、秀頼の育ての親とも言える人物である。
秀忠は、しばし、その一文を見つめた。
「……長安。これを見てどう思う」
「は……清正殿、浅野殿への、助命嘆願かと」
「それもある。だが、それだけではない」
秀忠の口元に、かすかな笑みが浮かんだ。
「福島も、黒田も、北政所様まで動かして、わしに頭を下げに来た。……清正と浅野を助けるために、わしに借りを作りに来たのだ。これで、あの者たちは、二度とわしに逆らえぬ」
「……それは」
「殺して恨みを買うより、生かして借りを作らせる方が、よほど高く付く。……政とは、そういうものだ」
秀忠は、道中の宿で筆を取った。
「浅野幸長、加藤清正、両名とも、改易はせぬ。ただし、紀伊・肥後のうち、国境に近い地を公儀にて召し上げ、大幅な減封とする」
「御意」
「清正には、今一つ、言葉を添えよ。『長崎を奪ったこと、咎めはする。だが、民のために挙げた兵であったことは、わしも分かっておる』とな」
数日後。肥後・熊本城。
使者より沙汰を聞いた清正は、しばし黙り、やがて肩を震わせた。
「……福島も、黒田も、北政所様まで……余計な真似を」
言葉とは裏腹に、その目には、光るものがあった。
「殿。御無念にございましょう。あれほどの領国を、半ば近くも……」
家臣の一人が、悔しげに言った。だが、清正は首を振った。
「無念ではない。……民を飢えさせぬという、わしの望みは、通った。それで、十分じゃ」
清正は、庭先に出て、冬の空を見上げた。
「……それにしても、あやつら。借りを返す日が来るとはな」
独り言ちた清正の声には、怒りよりも、むしろ、どこか温かいものが滲んでいた。
同じ頃。紀伊・和歌山城。
浅野幸長もまた、同様の沙汰を受けていた。
「……身に覚えのないことを着せられるのは、慣れており申す」
幸長は、沙汰を聞いても、顔色一つ変えなかった。
「太閤殿下への御恩、果たせただけで、本望にござる」
家臣たちが、その潔さに、目頭を熱くした。
さらに十数日後。江戸城。
長安が、処断の覚書を持って、秀忠のもとを訪れた。
「上様。これにて、西国の大きな火種は、ひとまず収まりましてございます」
「ひとまず、な」
秀忠は、窓の外、西の空を見やった。
「真田は、昌幸が死に、幸村は消えた。浅野と清正は、借りを作って大人しくなろう。秀頼は、檻の中だ。……だが、これで終わりではない」
「と、仰せになりますと」
「今回、最も功を上げたのは、誰だ」
長安は、しばし考え、はっとした顔をした。
「……忠輝様、と、伊達殿にございますか」
「うむ」
秀忠は、算盤の玉を、一つ弾いた。
「豊臣という外の敵は、片付いた。……次に算盤を弾くべきは、身内かもしれぬな」
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