第62話 糾弾と対峙
熱田の押さえ、真田昌幸の陣。
「父上。何用にございますか」
幸村が、怪訝な顔で陣幕をくぐった。昌幸は、具足も解かず、黙って酒を飲んでいた。
「幸村。今宵のうちに、落ちよ」
「……は?」
「秀頼様と秀忠殿が、関で会談をなさる。わしが、お供する」
「それがしが参ります。父上は、ここで休まれよ」
「たわけ」
昌幸は、杯を置いた。
「会談の席で、誰かが『真田の仕置き』を問う。……その時、首を差し出すべきは、徳川の将の首を狙うたお前ではない。お前にそれを命じた、わしだ」
「父上……!」
「お前はまだ若い。この先、長い戦国を、生き延びよ。……わしはもう、十分に生きた。老い先短い命、どうせなら、真田の名に恥じぬ死に方を選びたい」
幸村は、拳を握り、唇を噛んだ。
「……承知いたしました。父上の仰せのままに」
「うむ。……弁丸、よい子だ」
昌幸は、久方ぶりに、我が子の幼名を呼んだ。
夜明け前、幸村は数名の手の者を連れ、闇の中へ姿を消した。
伊勢・関。本陣の外れに設けられた一室。
双方、脇に一人の供のみ。武装は解かれている。
徳川秀忠と、豊臣秀頼が、机を挟んで対座していた。秀忠の傍らには本多正信、秀頼の傍らには真田昌幸が控えている。
「……幸村ではなく、昌幸殿か」
秀忠が、わずかに眉を動かした。
「幸村は、もう、この場におりませぬ」
昌幸が、静かに答えた。
「それは、どういうことか」
「追って、お話しいたす。……まずは、秀頼様の御用向きを」
秀忠は、昌幸の目を見据えたまま、しばし口を閉ざした。やがて、秀頼へ向き直った。
「秀頼殿。まず、問おう」
秀忠の声は、低く、静かであった。
「貴殿は、わしが上洛という公儀の務めを果たし、帰路にある最中を狙い、裏から槍を突き立てた。これは戦ではない。騙し討ちだ。……その上、真田はどうだ。信之を通じ、徳川に家名を救われた恩がありながら、わしの首を狙った。一体、どの口でわしに物を言うつもりか」
昌幸は、微動だにしなかった。
秀頼は、しばし黙し、やがて頷いた。
「否定はせぬ。確かに、我らは先に刃を向けた。騙し討ちと言われれば、その通りだ」
秀頼は、笑みを消して言った。
「だが秀忠殿。貴殿が民の米を奪い、南蛮の道を塞ぎ、わが領民を飢えさせたことは、戦ではないのか。血を流さなかっただけで、貴殿のしたことも、紛れもない殺し合いだ。貴殿は手を汚さず、わしに手を汚させた。それだけの違いだ」
「……ほう」
「真田のことも、申し開きはせぬ。恩義に悖ると知りながら、彼らに命じたのは、わしだ」
そこで、昌幸が初めて口を開いた。
「秀頼様。そこは、お言葉を違えていただきたい」
「昌幸……?」
「恩義に悖る真似をしたのは、わし一人にござる。秀頼様の檄に応じ、兵を挙げるかどうかを決めたのも、わし一人。幸村は、ただ父の命に従っただけのこと」
昌幸は、秀忠へ向き直った。
「秀忠殿。真田が、貴殿に家名を救われた恩、忘れてはおりませぬ。……その恩を踏みにじり、貴殿に刃を向けたこと、幸村に咎はござらぬ。けじめは、この昌幸一人が負い申す」
「幸村は、どこへ行った」
「存じませぬ。……いえ、存じておりましても、申しませぬ。あの者は、もう、この戦国からも、真田の家からも、姿を消しました。……どこぞで、野に咲く花のように、生きるでしょう」
秀忠は、しばし昌幸を見つめた。
「……貴殿一人の首で、真田のけじめがつくと思うてか」
「つかぬなら、何度でも差し出しましょう。……が、首は一つしかございませぬのでな」
昌幸は、乾いた笑いを浮かべた。秀忠は、その笑みに、かすかに見覚えのあるものを感じた。かつて上田城で、書状を炎にくべて素通りした、あの老獪な男の笑みであった。
「……よい。その件は、追って沙汰する」
秀忠は、秀頼へ向き直った。
「秀頼殿、話を戻す。貴殿を今、この場で亡き者にすれば、わしは楽になる。……長安からも同じ進言があった。だが、わしは断った」
「……ほう。それは、武士としての矜持か」
「矜持もある。だが、それだけではない」
秀忠は、秀頼を見据えた。
「貴殿を今、謀殺したと知れれば、毛利、島津、福島、黒田……今はまだ、それぞれが己の勘定で動いている者どもが、もはや算盤を弾く理由すらなくなる。失うものがない者ほど、恐ろしいものはない。それに、わしの築いた米札は、『約定を違えぬ』という一点の上に立っている。会談に呼び寄せ、刃を交えぬと誓った上で討つ。そんな将軍の言葉を、誰が今後信じようか」
秀頼は、しばし秀忠を見つめた。やがて、静かに笑った。もう、不敵な笑みではなかった。もっと、諦念に近い、乾いた笑いであった。
「……よく分かった。秀忠殿が、わしをどう勘定しているか」
「言ってみよ」
「わしは、生かしておくには危険で、殺すにはもっと危険な男、というわけだ」
「違うか」
「……違わぬ」
秀忠は、短く認めた。
「今日、ここで聞きたかったのは、貴殿が命乞いをするかどうかだった。……貴殿は、しなかった。それだけで、わしの算盤は、少し動いた」
秀忠は、算盤を懐から取り出し、机の上に置いた。
「三日、待て。……わしの算盤が、答えを出す」
秀頼も、静かに立ち上がった。
「待つしかあるまい。……だが秀忠殿、一つだけ言っておく。貴殿がどう裁こうと、わしは恨みはせぬ。……だが、わしの傍らにいた者たちを、安易に責めることだけは、許さぬ」
昌幸が、わずかに目を細めた。
秀忠は、その言葉を、しばし無言で受け止めた。
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