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銭将軍秀忠、金庫番からの成り上がり  作者: エピファネス
第1章 幼少期編

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第4話 傅役の任命と、後継者の仮面

【天正十四年(一五八六年)春――岡崎城・家康の私室】

小牧・長久手の戦いから二年。

於義丸兄上が秀吉の養子として大坂へ去り、徳川の家督を巡る空気は一変していた。


長兄の信康はすでに亡く、唯一の兄であった於義丸兄上までもが徳川を離れたことで、七歳となった私・長丸(のちの秀忠)が、名実ともに徳川の「唯一の後継者」として扱われ始めていた。


「……長丸。今日からお前に、正式な傅役もりやぐと側近をつける」


凛とした空気の漂う私室で、父・家康は私を目の前に坐らせ、重々しく告げた。

その脇には、家康が最も信頼を寄せる厳格な重臣・青山忠成ただなり内藤清成きよなり、そして二歳年上の九歳となった松千代(土井利勝)ら若き小姓たちが並んでいる。


「青山、内藤らには武芸や陣法、評定での立ち振る舞いを叩き込ませる。そして松千代ら若手には、手足となってお前を支えさせ、共に学ばせる。……良いな」


「ハッ! 長丸様にこの身を捧げ、立派な主君となられますよう、誠心誠意お仕え申し上げます!」


松千代は畳に平伏し、朗々と声を張った。

完璧な演技だ。蔵の裏で極秘の「闇の同盟」を結び、すでに現代の複式簿記を叩き込んだ仲だというのに、公の場では「今日初めて主従の契りを交わした」かのような白々しい芝居を打ってみせる。


さらにその列の端には、独特の目つきをした少年が座っていた。

本多弥八郎正純――あの本多正信の長男である。

(本多正信・正純親子か……)


正信といえば、かつて三河一向一揆で一向門徒側に立ち、父上に弓を引いて徳川を裏切った過去を持つ男だ。

だが父上は、その裏切者を許し、自らの参謀として復帰させた。なぜなら、武功ばかりを誇る三河武士たちの中で、正信だけが「謀略」「裏の工作」「宗教や人の欲望のドブさらい」という暗闘の重要性を知り抜いていたからだ。


その正信の影を色濃く受け継ぐ正純もまた、幼いながらもどこか粘着質で、他人の腹の底を探るような鋭い観察眼を秘めている。

(青山や内藤のような武直ぶちょくな剛直派が『表の壁』なら、利勝や正純は『裏の毒』。父上もなかなか面白い陣容を配属してくれたものだ)


私は心の中で笑いを噛み殺しながら、無垢な幼子の笑みを浮かべて頷いた。


「はい、父上。皆々、よろしく頼むぞ」


家康は満足そうに目を細めると、私の前に一冊の重厚な書物を置いた。

儒学の聖典『論語』と、帝王学の書『貞観政要』である。


「長丸よ。わしは幼少期、今川の人質として駿府で過ごした。太原雪斎長老という稀代の師に恵まれ、最高峰の教養も学んだ……だが、人質という身の上の惨めさ、いつ誰に殺されるかわからぬ恐怖は、学問だけでは拭えなんだ。……わしが味わったあの歪んだ屈辱と恐怖を、お前にだけは絶対にさせたくない」


家康の瞳に、過酷な人質時代と乱世を生き抜いてきた叩き上げの武将としての、切なくも重い親心が宿っていた。


「本当ならば、わしが自らお前の側につき、手取り足取り帝王学を叩き込んでやりたい。……だが、秀吉との化かし合いや領内の立て直しで、わしにはその時間がないのだ。ゆえに、徳川の内外から選りすぐった一流の者どもを集めた。武芸は青山や内藤に学べ。そして雪斎長老がわしに授けてくれた『貞観政要』を、一流の講釈師から学ぶのだ。お前には誰からも舐められぬ格調高き『綺麗な公子』となってほしい」


その言葉に、私は胸を打たれつつも、ふとした疑問を投げかけてみた。


「父上……政とは、何が必要なのでございますか?」


家康は少し驚いたように目を丸くした後、自分の噛みちぎられた親指の爪を寂しげに見つめ、ぽつりと語り始めた。


「……人を信じ切らぬ『疑い』と、それを包み込む『寛容』だ。人は義理や恩だけでは動かん。欲望と保身、そして信仰や恐れで動く。かつて一向一揆で裏切られたように、信じた者に背裏はいりされる恐怖を知らぬ者に政はできぬ。……だが、疑うばかりでは誰もついてこぬ。『人は裏切るものだ』と知りながら、なおも許し、使いこなす懐の深さが必要なのだ」


家康は私の目を選び、言葉を噛み締めるように続けた。


「そしてな……武勇など一世の力に過ぎん。政の根本とは『民と家臣に飯を食わせること』、そして『算術を極め、銭と米を蓄え、無駄な戦を避ける仕組みを作ること』だ。織田の殿様は強大であったが、仕組みを残せなんだ。派手な勝利などいらん。この徳川の家を百年、二百年と存続させる『銭と仕組み』こそが、政のすべてよ」


「……!」


雷に打たれたような衝撃が、私の全身を駆け抜けた。

(父上……あなたは今、ご自身が血を流し、雪斎の教えと裏切りを経験して得た『帝王学の真理』を私に授けてくださったのですね)


家康は「道徳と教養を備えた綺麗な公子」を育てたいと願っている。

しかし、その父自身が漏らした本音――『一向一揆の裏切りから学んだ人間不信と、算術・仕組みの絶対性』。

現代から転生してきた私にとって、これほど胸に刺さる言葉はなかった。


「……よく分かりました、父上。私めは父上の教えを胸に刻み、立派な公子となるよう、算術と仕組みの学びを極めてみせます」


「うむ! 励めよ!」


家康は破顔し、私の頭を愛おしそうに撫でた。

(……父上、申し訳ありません。あなたの「綺麗に育ってほしい」という親心はありがたく頂戴しますが、私はあなたの期待を、遥かに歪んだ(だが最高に有能な)方向へ全フリさせていただきます。)


『天下をひっくり返す最大の武器は、刀でも道徳でもない。複式簿記と、人間の泥くさい欲望の完全支配だ』

この日を境に、私の「算術と陰謀」への傾倒は加速した。

昼間は、青山忠成ら厳格な傅役の前で『論語』を開き、「子曰く……」と素直でお利口な公子を完璧に演じる。

だが、その厚い古典の書物の下には、岡崎領内の「隠し年貢台帳」や「銭の流通ルート」を記した極秘の算術メモが挟まれていた。


「……長丸様、こちらが今月の三河主要街道における関銭の裏帳簿にございます」


夜、誰もいなくなった奥御殿の影で、正式な側近となった松千代(土井利勝)が密書を差し出してくる。

「でかしたぞ、松千代。……それと、あやつはどうだ?」


「弥八郎(正純)でございますか? ……フッ、さすがは正信殿のせがれです。すでに城内の勘定方の不正や、一向門徒の隠し寺領の金の動きを独自に探っておられましたよ。長丸様が算術で領内を掌握しようとされていることにも、薄々感づいているようです」


「そうか。正純には『闇の監査役』をやらせよう。父親譲りの謀略の嗅覚、使わねば損だからな」


私は算盤をパチパチと弾き、現代の財務分析の手法を用いて、徳川家の財政の無駄と隠し資産を次々とあぶり出していく。


「父上は『泥をすするような苦労はさせぬ』とおっしゃった。……ならば私が、圧倒的な『銭と謀略の力』で徳川の財政基盤を完璧に構築し、父上にも、そして未来の自分にも、二度と泥をすすらせない仕組みを作り上げてやる」


父の与えてくれた最高のエリート教育という「隠れ蓑」と、青山・内藤という「表の盾」、そして土井利勝・本多正純という「裏の毒」。

私は後継者としての仮面を被りながら、闇の帳簿を手に、徳川の財政と情報を裏から支配する冷徹なレジスタンスとしての第一歩を、確実に踏み出したのだった。

数ある作品の中から今話も閲覧してくださり、ありがとうございました。


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