第22話 信用を商(あきな)う者たち
文禄二年(一五九三)冬。
大坂の街は、唐入りにともなう軍需特需で一見、異様な熱気に包まれていた。米、味噌、鉄砲、鞍馬――武具や兵糧を売りさばく商人たちの威勢のいい声が響き渡る。
だが、その熱狂の裏で、多くの豪商たちが黒字倒産の恐怖に打ち震えていた。
「また豊臣の奉行衆から『半年後の手形』を押し付けられた……!」
「名護屋の大名どもに納めた米の代金が、いつになっても届かん。仕入れの現金が底をつき、明日にも店が潰れてしまう!」
石田三成ら奉行衆は、「天下の御用である」と力でねじ伏せ、支払いを引き延ばしていた。大坂の市場からは「現金(銅銭や金銀)」が完全に消え失せ、商人たちの手元には、いつ換金できるかも分からぬ「不渡り寸前の紙きれ(手形)」だけが残されていたのである。
伏見の突貫工事の槌音が聞こえる徳川陣屋の奥。
秀忠の前に、二人の男が平伏していた。
ひとりは、関東から久々に上洛した側近・本多正純。
そしてもうひとりは、徳川家最大の御用商人にして、上方商業網の絶対的重鎮――茶屋四郎次郎(初代)である。
その四郎次郎の少し後ろに、まだ幼さの残る八歳の少年がちょこんと手をついて控えていた。四郎次郎の三男であり、秀忠が開いた私塾「孝悌会」で算術と経済学の英才教育を受けている茶屋清次(のちの三代目四郎次郎)であった。
「秀忠様……。豊臣の強権により、大坂の商人は皆、大名や奉行衆の発行した不渡り手形を抱え、首を吊る寸前にございます」
四郎次郎が悲痛な面持ちで報告すると、秀忠は冷めたお茶をすすり、静かに首を振った。
「悲鳴を上げているのは商人だけではあるまい。手形を発行した大名どもも、金の都合がつかずに徳川や豊臣への面目を失う恐怖におびえているはずだ」
秀忠は、朱筆で一枚の図面と手形買い取りの指南書を二人の前に滑らせた。そこには『江戸米問屋・葵屋』という看板と、見たこともない金の流し方が記されていた。
「四郎次郎。大坂に『葵屋』を開け。表向きは江戸の米を商う問屋とし、裏で……大坂中の商人が抱える手形を片っ端から買い取れ。清次も葵屋の小僧(奉公人)として店に入らせ、実務の算盤を弾かせよ」
清次は目を輝かせ、「ハッ! 秀忠様から授かりし算盤の技、存分に発揮してみせます!」と利発に平伏した。四郎次郎は戸惑いながら尋ねる。
「しかし秀忠様、大名が支払いを踏み倒せば、ただのゴミくずとなる紙きれにございますぞ! それに、買い取るための膨大な現金はどこから……。何より、奉行衆の目が光る大坂で徳川ゆかりの店など開けば、石田三成殿に即座に検分・停止されかねません」
秀忠は雪中の芭蕉に鳥を描いた鮮やかな扇子で口元を隠しながら冷徹な笑みを浮かべた。
「心配はいらん。名護屋での兵站支援に対する褒美として、太閤殿下より直々に『大坂における江戸米の回送、およびそれに伴う米為替・資金融通の一切』を許す旨の朱印状をすでに賜っておる。……三成殿とて、殿下様の朱印状に文句は言えまい」
四郎次郎は目を見張った。太閤秀吉のお墨付きを盾にして大坂へ乗り込むなど、あまりに鮮やかな手回しであった。秀忠はさらに言葉を重ねる。
「種銭ならある。江戸を中心に関東で開催した富籤の売上を、風魔の手で密かに大坂へ運び込ませてある」
秀忠は冷徹な眼差しで、手形買い取りの細かな条件と担保の仕組みを指で示した。
「買い取りの基本割引率は四つだ。まず商人に対し『担保がある』場合は二割(20%)。ただし担保は換金性の高い米、または市場を牛耳る『座の株や権利』に限る」
清次が利発に膝を進めた。
「支払いが滞れば、その座の権利を葵屋が没収し、大坂での商売の幅を一気に広げられますね!」
「その通りだ。次に『大名家』の手形は二割五分(25%)。支払えぬ場合は領内の米や硝石、その地の特産物を差し押さえよ。『大名家家臣』は主家倒壊のリスクが高いため三割五分(35%)。そして『商人無担保』は四割五分(45%)の超高利で買い叩け」
秀忠はさらに朱筆を走らせ、追記した。
「ただし、これは手形の支払期日までの残期日が『三ヶ月以内』の場合だ。三ヶ月を超える長期の手形は資金が寝るリスクが増す。三ヶ月を超える分は、一月超えるごとに二分(2%)ずつ割引率を上乗せせよ」
「な……! では、半年の期日が残っている大名手形ならば、二割五分に六分が乗って『三割一分(31%)』引き……! 支払いが遠い手形ほど、徹底的に買い叩くのでございますか!」
「相手が難しい顔をしたら、時を買うのだと伝えよ」
四郎次郎の背筋に、冷たい汗が伝った。
助けるべき商人は二割の低利で救いつつ、倒産時には大坂の「座の権利」を根こそぎ奪う。大名からは軍需物資を削ぎ落とし、支払いを先延ばしにしようとする者からは期日遅延の手数料まで骨までしゃぶり尽くす。
(このお方は……現金を売っているのではない。『徳川が保証する』という絶対的な『信用』そのものを商品にして、天下を買い取ろうとされている……!)
「御意にございます、秀忠様……! この茶屋四郎次郎ならびに清次、大坂の米と信用、すべて葵屋の蔵に吸い上げて見せましょう!」
数日後。大坂の街に突如開店した『葵屋』の前に、長蛇の列が出来上がっていた。
「本当か……! あの紙くず同然の手形を、葵屋に行けばすぐに現金に換えてくれるというのは!」
「残期日によって手数料は取られるが、明日店が潰れるより万倍マシだ! 葵屋様は大黒様だ!」
帳場の奥では、八歳の清次が目にも留まらぬ速さで算盤を弾き、手形の期日計算と現金払い出しの指示を出している。その手際の良さに、大坂のベテラン商人たちも舌を巻いた。
大坂の市場に突如として現金が回り始める裏で、本多正純は大名家へ密かに圧力をかけ、期日に金を支払えない大名から担保として「米」や「硝石」、「特産物」を没収。それらはすべて、船で江戸の土井利勝のもとへ回送されていった。
大坂城の広間。石田三成は、首をかしげていた。
「なぜだ……。大坂の商人どもが息を吹き返し、市場に金が回り始めておる。一体どこから現金が出回っているのだ……?」
三成には、その金の源流が「江戸で徳川が開いた富籤の金」であり、自らが追い詰めた大名たちの不渡り手形が「徳川の莫大な軍需物資(硝石)」に化けていることなど、知る由もなかった。
伏見の陣屋。
冷めた茶を口に含みながら、秀忠はパチンと算盤の玉を弾いた。
「三成殿は権力で金を縛ろうとするから失敗するのだ。金とは、流し込み、回収するもの……。そして『信用』こそが、最大の金脈なのだから」
大坂の経済の首根っこを「紙と信用」で完全に掌握した十四歳の少年は、窓の外で突貫工事が続く伏見の空を、静かに見つめていた。
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