第15話 人質少年の出張手当
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天正十八年(一五九〇年)秋。
小田原征伐が終結し、豊臣秀吉による「天下統一」が成った。
そして我が徳川家にとっては、旧領五国から北条の旧領「関東八州・二百四十万石」への大移封という、途方もない大事業の幕開けでもあった。
大拡張工事が進む江戸城の本丸、青畳の匂いが残る奥書院にて。
僕は父・家康と向かい合い、論功行賞の「事前すり合わせ」を行っていた。
「……秀忠よ。論功行賞では上野の箕輪には井伊直政、房総の大多喜には本多忠勝を配置する。……これにて関東の抑えは完璧じゃ」
「ご明察でございます、父上」
「小田原での裏交渉といい、征伐軍に向けた箱根越えの兵站商売といい、果ては江戸の事前整備……。わしが動けぬ中よくやってくれた。世子ゆえ正式な領地は与えられぬが、何か望む『褒美』はあるか?」
待ってました、とばかりに僕はニヤリと微笑んだ。
「ならば父上。箱根山の『代官』の職を、僕に任せていただきたいのです」
「箱根の代官……? あそこは天下の険、関所の要衝だが、山ばかりで大きく米は取れぬぞ?」
「米は取れずとも、交通と流通の要でございます。また北条にいた風魔を召し抱えたいと思います。僕が代官となり、風魔を使い関所の整備と街道の警備を統括いたしたく」
家康は一瞬不思議そうな顔をしたが、「お主がそこまで言うなら好きにせよ」とあっさり頷いてくれた。
(よし! これで相模国箱根山を『秀忠直轄の治安・インフラ維持区域』として完全に押さえたぞ。これで風魔一族の隠れ里を、合法的に丸抱えできる!)
直後、家康は申し訳なさそうに眉をひそめた。
「……秀忠。関白様からの召喚状が届いた。再び大阪へ上り、豊臣の公務を手伝えとの仰せじゃ。……また苦労をかける」
「何をおっしゃいます父上。私が豊臣の心臓部を間近で覗き込める絶好の機会にございます。必ずや父上の、徳川家のお役に立ってみせます」
僕が答えると、家康は「相変わらず律儀な息子じゃ……」と胃をさすった。
◆
その夜。僕はまず、服部半蔵正成を一人だけで自室に呼び出した。
これから命懸けの大阪行きに同行してもらう、徳川最高の隠密である。
「半蔵。お前には僕と共に大阪へ渡ってもらう」
膝を突く半蔵の目を、僕は真っ直ぐに見つめた。
「敵の本拠地である豊臣の心臓部に乗り込み、僕の身を守る盾となり、豊臣の裏情報を探る……。お前たち伊賀にしか頼めぬ、一番危険で、一番重要な役目だ」
「秀忠様……! 我ら伊賀、この命に代えましても、秀忠様をお守りいたします!」
半蔵の目に熱い忠義の光が宿る。すさかさず僕は、釘を刺すように付け加えた。
「なお、僕が代官となった箱根の険しい山々だが……あそこの裏道の管理は、現地に詳しい北条の残党・風魔どもを雑用係として拾って使わせる。お前たち伊賀の精鋭を、関東の山狩りや連絡係などの雑用で消耗させるわけにはいかんからな」
「ハッ……! 我ら伊賀への破格のお気遣い、痛み入りまする!」
半蔵は『自分たちは蔑ろにされたのではなく、最高に信頼されているからこそ本陣に抜擢されたのだ』と完全に納得し、誇らしげに平伏した。
半蔵を下がらせた後、僕は次に、風魔小太郎を密かに呼び出した。
「小太郎。北条は滅びたが、お前たち風魔の技と地元の勘を潰すのは惜しい。僕が代官を務める箱根の山に風魔を隠し、関所の裏警備として雇用する」
「……我らをお抱えくださると? 一体、何をお求めで」
影の中から現れた小太郎が、不敵な笑みを漏らす。
「箱根の関所と裏道を風魔に握らせ、江戸の代官頭・伊奈忠次との間に『絶対に途切れない裏の通信網』を作れ。僕が大坂で得る豊臣の情報を、風魔の韋駄天で爆速で江戸へ送りつつ、関東の情報を僕に届けるのだ。伊賀には真似できぬ、箱根を、関東を知り尽くしたお前たち風魔にしか頼めぬ大仕事だ」
「……くくっ。伊賀の奴らには出来ぬ、風魔だけの特権でございますな。お任せくだされ、箱根の山を徳川の絶対の回廊となしてみせまする」
小太郎もまた、自分たちだけの特別な役割を与えられたことに満足し、影へと消えていった。
(よし! 伊賀と風魔の会談を完全に分け、それぞれのプライドを立てつつ、大坂警護と関東通信インフラのダブル体制が完成したぞ!)
◆
翌朝。いざ大坂へ向けて出発する段になって、僕の陣営には「にぎやかな食客」が混ざっていた。
「わははは! 秀忠、わしは天下の面目など、もうどうでもよくなったわ! 今後は髪を払い、『常真』と名乗って気楽に生きるぞ!」
「あーあ、お父様ったら……改易されて一文無しになった途端に開き直っちゃって……」
小田原征伐後の国替えを拒否して秀吉に改易され、出家して「常真」と号した織田信雄と、その娘であり僕の幼き妻・小姫である。
路頭に迷っていた二人を「織田の看板」として僕が引き取り、大阪へ連れていくことにしたのだ。
「秀忠様、本当に常真様を連れていって大丈夫なのですか……?」
供をする服部半蔵が、心配そうな顔で囁いてきた。
「大丈夫だ半蔵。常真殿のこの『誰も警戒しないアホっぽさ』は、豊臣の目を欺く最高の迷彩になる。それに『織田信長の次男』という威光は、上方や尾張の商人どもを動かす時に最高の切り札になるはずだからね」
僕はニヤリと笑うと、小さくお腹を鳴らした。
(ぐぅ〜……。さあ、大坂へ再就職だ。史実ではこれから大和の豊臣秀長様が病に倒れ、近畿の直轄領(蔵入地)の管理がメチャクチャになるはず……。石田三成を爆速の計算でドン引きさせ、豊臣家の財政データを全部抜いてやるぞ……!)
十一歳の人質少年は、お腹を鳴らしながら、波乱の豊臣政権へと再び乗り込んでいくのであった。
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