終話
百年花が咲いた。
それは鬼の国にとって、百年に一度人の世から花嫁を迎えるという事だった。
何百年も生きている年寄り達は、こぞって花嫁を迎える大切さを語っていた。
百年花は、花嫁が来るその日まで花弁を落とす。
とうとう、花弁が残り三枚になった時、鬼の国ではあちこちで宴が始まっていた。
だが、誰がその花嫁を娶るのか。
問題は、そこだった。
そして最後の一枚になった時。
輿入れのある大広場では、候補者達が溢れていた。
俺はそれを横目で見ていただけだった。
女に興味がなかったんだ。
……そんな目で見るな。
そして、その翌日花は全ての花弁を落とした。
俺は仕事で別の場所にいた。
なのに、何かを逃してしまうような焦燥だけが消えなかった。
何をしてても、百年花の花弁が脳裏に散らついた。
だから、まぁ見るだけでも見にいくかぐらいの気持ちでそこに行ったんだ。
俺が大広場に着くと、ちょうど輿が外界門から出て来たところだった。
野次馬達に押されて、気付けば輿のすぐ近くにいた。
そこで俺は見たんだ。
凛とした表情で、しっかりと前を向いている少女を——まさか名前も、凛だったなんてな。
その少女の手は震えていた。
当然だ、見るもの全てが初めてだったろう。
怖かっただろうし、心細かっただろう。
でも、あやかし達が歓迎の声をあげると、その少女は微笑んだんだ。
その時、俺は鬼の番を求める本能を知った。
輿が通り過ぎるまで動けなかった。
そこからは、誰にも渡さないために必死に動いた。
そして俺は、最後の話し合いの場に出向き、皆に宣言した。
『あれは、俺の番であり、花嫁だ』と——
話し終えた朔夜様は、まだ微笑んだまま月を見上げていた。
あの盛大な花嫁行列の中で、みんな人の世から来た『花嫁』を見ていた。
それなのに、朔夜様は『私』を見てくれていたなんて——
「驚きました……」
「そうか?」
朔夜様が私を見て困ったように笑った。
「……泣くな」
(え? 私、泣いてるのでしょうか……?)
驚きつつそっと頬に手をやると、確かに濡れている。
「涙……ですね」
「そこでも笑うのか」
「笑ってますか?」
「ああ。微笑んでるな」
朔夜様はそっと私の頬に手を添えると、
じっと目を見つめた。
その瞳はとても優しくて、ますます頬が緩んでしまう。
「……涙まで綺麗だな」
「そんなことは、ありません」
「いや、そうだ」
ゆっくりと近づいて来る赤金の瞳に魅せられて、私は夢心地のまま朔夜様の口付けを受けた。
「……怖いか?」
「いえ、全く」
「はは! 本当に肝が座ってるな」
「朔夜様がお優しいのを知っているからです」
朔夜様が微笑んだ。
その時強めの風が吹き、朔夜様の藍色の髪が揺れた。
首筋にかかる髪も、長めの前髪も風に煽られ、赤金の瞳を隠したり覗かせたりする。
朔夜様は少し鬱陶しそうに、それを掻き上げた。
そして、朔夜様は座っている私の膝の下に手を差し込むと、ひょいと横抱きにした。
(わぁ……! 驚いた、なんて軽々と)
「風が強くなって来たな。中へ戻るぞ」
「重くないですか?」
「軽過ぎだ。もっと食べろ」
「藪蛇でしたね」
朔夜様は私をそっと布団の上に下ろすと、戸棚から何かを取り出した。
「凛、耳に穴は空いてるか?」
「空いております」
「良かった。じゃあ右耳を」
私は意味も分からず言われるがまま、髪を掛けて右耳を見せた。
冷たい指先が触れた耳は、一瞬で熱をもったように熱くなる。
「……赤いぞ」
「見ないでくださいませ」
朔夜様が笑う気配に、私は両手で顔を隠した。
何も付けていなかった耳に、少しの重さと軽やかな音を感じた。
「耳飾り……ですか?」
「そうだ」
朔夜様はいつも付けている黒曜石の耳飾りを外すと、見た事のない耳飾りを私に見せてくれた。
「わぁ……! とても綺麗ですね!」
「白銀で作った耳飾りだ。鬼の国では夫婦になると揃いの耳飾りを付けるんだ」
「なんて素敵な風習……あら? この意匠……」
「やっぱり気付くか」
「以前見た物と似ています」
朔夜様は急に横を向いた。
「……凛が、初めて『綺麗』と、口にしたやつだ。少し手を加えてるから同じではないぞ」
「……朔夜様。とても……とても嬉しいです。初めて、とか見た物まで、しっかりと覚えてくれていたなんて……!」
「やめろ……! 口に出されると余計に恥ずかしい」
私は嬉しくなって、お願いをした。
「朔夜様の耳飾り、私が付けてもいいですか?」
「……もちろん」
すっと手渡されたそれは、よく見ると小さな花が連なっていた。
「……可愛い! 良いのですか? 前のものは格好の良い物でしたのに」
「それだと凛に似合わないだろう」
何を言ってるんだ、という顔でそう言った朔夜様を、私はぎゅっと強く抱きしめた。
「おわっ!?」
「朔夜様! 朔夜様は私を“腑抜け’にでもするおつもりですか!?」
「は、はぁあ!? 何を言って——」
「ぎゅーーー!」
「口で言うな、口で!」
朔夜様はたまらず私を引き剥がすと、真っ赤な顔で小さく叫んだ。
「早く、耳飾り、付けてくれ!」
「ちょっと待ってください、感動で手が震えていて……」
朔夜様がまた怒る前にと、私は耳飾りを震える手で付けた。
「……うん、音も良いな」
「まぁ、嬉しそうなお顔」
「ちょ、だからそう言うことは口に出すなって!」
「ふふふ」
私の笑い声を聞いた朔夜様は、ぴたりと動きを止めた。
そして私を見つめると、鬼らしいニヤリとした表情で笑った。
「揶揄ってるな?」
「いいえ? 揶揄うなどと——」
(あらあらあら?)
いつの間にか布団の上に、私の背が付いていた。
視界に広がるのは、深い藍色の髪に、鋭く光る赤金の瞳。そして艶やかな黒い角に、綺麗な木目の天井。
(お顔も整ってらして、素敵以外に言葉が見つかりませんね……)
私はそっと髪に触れた。
朔夜様の顔がピクリと動く。
「お嫌ですか?」
「……それはない」
「駄目な場所は?」
「一つもない」
私はゆっくりと、角に指を這わせた。
「……ここもですか?」
「……大丈夫だ」
「では……ここも?」
私が頬に指を滑らせる。
その瞬間。
朔夜様の肩が、ごく僅かに震えた。
「…………はぁ〜」
朔夜様は大きなため息を付いて、がくりと項垂れた。
「朔夜様?」
「凛……」
「はい?」
「お前……歳、誤魔化してないか……?」
「いいえ? ここに来て一年経っているので、十八で間違いないですよ?」
「……そうか」
(どうしたのでしょう……私の触れ方が幼すぎましたか!?)
「あの、拙い触り方で申し訳ありません。朔夜様が満足のいく触り方を教えて頂ければ——」
「りーん! 違う! そうじゃない!」
慌てた様子の朔夜様は、私の手を引っ張って体を起こした。
「逆なんだよ……どこで覚えたんだ……?」
何やらぶつぶつと口を動かしている朔夜様の声は、私の耳では残念ながら聞き取れなかった。
「……私、何か間違えましたか?」
自分で思ってたよりも頼りない声が出てしまった。
それに気付いた朔夜様が、私を優しく抱きしめた。
「凛、違う。すまない……大丈夫だ。何も間違ってない」
朔夜様の胸元から聞こえるくぐもった声が、私の不安を消してくれた。
「……なら良かったです。少し、不安になってしまいました」
「悪い。凛の、その……手が……」
「良かったですか?」
「凛!」
私を抱く手にぎゅっと力が入った。
「はい?」
「……いや、何でもない」
そして、力がまた緩んだ。
何ということはない触れ合いなのに、私の頬は知らず緩んでしまう。
——こんな風に身を寄せて触れ合える喜びを、私はここに来て初めて知った。
「朔夜様」
「なんだ?」
私は包まれている腕を開くように、朔夜様の胸元に手を当ててぐっと押した。
私を抱きしめていた手が緩んで、朔夜様のお顔がはっきりと見えた。
不思議そうに見つめる瞳には、幸せそうな私が映っている。
「お慕いしております。心から」
朔夜様が息を呑んだ。
そして、ほんの一瞬泣きそうな顔をしたと思ったら、見た事もないような優しくて、柔らかい微笑みに変わった。
「俺もだ」
そうして私達は、二度目の口付けを交わし抱きしめあった。
お互い触れ合う度に聞こえる耳飾りの音が、私達を繋いでいるようだった。
どれくらいそうしていたか分からないけれど、お互いの心音が聞こえるほどの静寂の中、朔夜様が「いいか?」と、私に尋ねた。
「もちろんです」
その言葉が合図となって、朔夜様は優しい手付きで、私の頬や首筋、そして鎖骨から肩に指を這わせた。
ぞくぞくと、体に走る感覚に私はたまらず朔夜様に抱き着いた。
ゆっくりと私の体から離れていく単衣を見ながら、今まで感じたことのない高揚感に胸を震わせた。
そして——そのまま朔夜様へと身を委ねたのだった。
(……あら? 私いつの間にか眠ってしまったのでしょうか……?)
不意に目が覚めた。
視界がはっきりしないまま、頭を巡らすとすぐ側に朔夜様のお顔が見えた。
「……っ!」
何とか声を上げずに済んでほっとしていると、眠っていた朔夜様の目がぱちりと開いた。
「……わっ!」
「……ん、起きたのか?」
「ちょっと目が覚めてしまって……」
朔夜様はまだ寝ぼけているようで、少し幼い感じがした。
それだけでも私の胸は、きゅっと痛くなる。
「凛……体、大丈夫?」
寝ぼけながらも私の体を気にしてくれる、優しい夫に私はなぜだか泣きそうになった。
知られないように、朔夜様の胸元に顔をくっ付けた。
「思ったように体が動かないですが……幸せな怠さです」
そう言った瞬間、朔夜様の体がふるりと震えた。
「凛……殺し文句をあと幾つ隠してるんだ?」
「え?」
(あらあらあら?)
ころりと、仰向けに転がされた私の上には、無造作な色気を湛えた朔夜様。
「……夜はまだ明けないぞ?」
「明けてしまっても構いません」
「……おっまえは!」
呆れたように笑いながらも、その瞳はどこまでも優しかった。
啄むような口付けは、どこまでも甘い。
私は微笑みながら、もう一度朔夜様を受け入れた。
そうして、何度目かの微睡の中、ぼんやりと自分を振り返っていた。
一年前のあの日。
私の住む村から花嫁を出しなさいと宣託が下った。
未婚の女性達の親が、何度も村長である私の家に集まっては、何か断る良い方法はないかと相談し合っていた。
誰も自分の娘は差し出したくない。
けれど、誰かを差し出す事もしたくない。
話し合いは平行線だった。
期日が三日後に迫っていた時、私は覚悟を決めた。
村長の娘という矜持が、私の心を奮い立たせた。
『私が鬼の国に、嫁ぎます』
そう、口にしてから、私は一度も後悔はしなかったし、振り返らなかった。
ただ、この国に来てからの扱いに、自分で良いのだろうかという、言いようのない不安はあった。
でもそれも、それこそこの国の妖達の優しさで、受け入れる事が出来た。
ここに来た花嫁達は、帰れなかったんじゃない。
きっと、帰らなかったのだ。
永い時を生きる事になったのなら、他の花嫁を探してみるのも良いかもしれない。
「……とても、楽しみです」
思わず口に出してしまった。
慌てて朔夜様の様子を伺うと、ぐっすりと眠っている。
それでも私の体をぎゅっと抱き込んでいる朔夜様に、愛おしさが溢れた。
この温もりと共に歩む永い日々を思うと、私の胸は弾んでやまない。
綻んでしまう顔をそのままに、私は朔夜様に更に身を寄せる。
穏やかな寝息と心音に包まれて、私はまた目を閉じたのだった。




