第54章 コミュニティの波紋
セカンドスクリーンの進行バーは、四三パーセントの境界線で緩慢なスライドを続けていた。直哉はキーボードの傍らに放置されていたスマートフォンを掴み上げ、ゲームの公式コミュニティフォーラムのアプリを開帳した。液晶の画面が一瞬だけ明滅し、新システムバージョン5.0の起動からわずか数分の間に不法投棄された、数百行の新しいスレッドのヘッドラインをロードしていく。
過疎化していたはずのページの真ん中に、巨大な混濁の波紋が広がっていた。
『この新しいロード画面、バグか何かか?』――数千件の応答パルスを随伴した、最上段のスレッド。
『ローディング画面の白黒のスケッチ、誰が描いたんだ?』――二行目のカラム。
『バージョン5.0のサーバー、妙に静かだな』――三行目の履歴。
直哉は最上段のリンクをハッキングし、住人たちの紡ぐインクの残渣を、垂直に高速スクロールさせながら網膜に収めていった。
住人A:『お前らも、ログインした時に作業机の前でうなだれてる少女の絵を見たよな? 色が一切登録されてないから、ファイルが壊れた(フリーズした)のかと思った。ただの粗い鉛筆の描線だろ、これ』
住人B:『同じだ。あの画面が出現した瞬間、初期街のBGMのカラムが完全にシャットダウンされた。自室の空気が唐突に冷たくなった気がする』
住人C:『右下の極小のシステムログを見ろよ。商業用のグラフィックじゃない。[Memorial Archive]って刻印がある。橘レイって、一体誰だ?』
指先が、熱を帯び始めたスマートフォンの硝子面の上で静止した。
かつて、電子の箱庭の中央広場において、俺のアバターと彼女のグラフィックの隣り合う歩調を完全に無視し、すれ違っていった見知らぬ他人の記号たち。彼らの排き出したボキャブラリーの濁流は、ゆっくりと、ひとつの巨大な追跡のうねりへとその関数を変えつつあった。
いくつかのデータ解析の能力を持つ住人が、ネットの網の底から橘レイの個人ポートフォリオサイトのアドレスを特定し、スレッドのカラムへインプut(共有)し始めていた。
この一年間、新しいタイムスタンプを刻むことなく、閲覧数の数値を完全にゼロにして死んでいたはずのあの古い白一色の頁。それが今夜、関東地方の全域から押し寄せる数十万人の不法なトラフィックのパルスによって、激しくハンドシェイク(同期)を繰り返している。
現実の世界が、かつて灯りの消えた四畳半の暗室でスタイラスを動かし続けていた一人の少女の、その遺した仕様の存在に、ようやく気づき始めていた。
直哉はスマートフォンを、液晶を上にしたまま無造作に木の天板の上へと放り出した。
放たれた淡い青光が、際限なくせり上がり続けるフォーラムの通知領域を明滅させている。
俺は、あのゴミ溜めのなかに一行のインクを書き加える真似はしなかった。
『Node 2026』の時間の裂け目で行われていた、あの過酷な電脳の戦闘の全容も、二人の交わしたエントロピー暗号の秘密も、彼らに曝露する必要などどこにもない。
システムと、外側のリアルが、俺の辛うじてスニッフィング(吸引)して持ち帰った足跡のなかから、勝手に答えの方程式を導き出せばいい。
㠪は視線の座標を、右側のセカンドモニターへと捩じ戻した。
㠪世界の新しいアセット読込バーは、いつの間にか九十九パーセントの限界値へと跳ね上がっていた。
㠪の刹那、バックライトの光が完全に失われ、スクリーンは黒一色の虚無へと反転した。全プレイヤーの網膜へと出力されるべき、確定した物語の残響の開帳を前にして――。




