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YOUR LAST SEEN 『ユア・ラスト・ログイン』  作者:
ARC 4 : OFFLINE ・ FOREVER

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第48章 片付けられた机

 傾き始めた斜陽の光線が、半分だけ開帳されたカーテンの隙間から暗室へと滑り込み、古びた床の木目のうえに一本の歪な黄金の走査線を穿うがち開いていた。直哉はバックパックをベッドの上へと無造作に放り出し、そのまま作業机の座標へと歩調を進めた。六畳の閉ざされた空間は、今や驚くほどに広範な余白を維持していた。システム内部のパーツが限界スペックを超えてローリングを続け、焦げ臭い煙の残痕エコーを充満させていたあの重苦しい気圧が、何処どこからも霧散していたからだろうか。あるいは、俺の内の脳細胞の隙間に、新しい空気がハンドシェイク(同期)を交わすための領域が、ようやく確保されたからかもしれない。


 椅子の冷たい背もたれに身体を預け、未だに黒一色の虚無を維持している二つのモニターを見つめた。手首が前方に滑り、コンピュータの主電源のスイッチを強く叩きつける。

――Whirrr.


 冷却ファンが放ったのは、仕様通りのひどく静かで平坦な回転音。仮想メモリの割り当てエラーに阻まれることもなく、システムオペレーションはミリ秒刻みの速度でデスクトップの画面をロードしていった。直哉はマウスを滑らせ、この一年間、時間の防壁を潜るために構築し続けていたすべての不法侵入のスクリプト、UDPストリームのバイパスコード、SQLインジェクションの生データを格納したルートフォルダを展開した。指先がキーボードの上を走り、すべての違法なファイルの位相を選択すると、コントロールを介さずに『Shift + Delete』の強制消去コードを叩きつけた。

『これらのファイルを完全に削除してもよろしいですか?』

――Click.


 液晶が一瞬だけ明滅し、進行バーが過酷な速度で垂直にせり上がってから消去デリートされた。『Node 2026』という名の時間の裂けグリッチ穿うがち開くために鋳造ちゅうぞうしたすべての電脳の武器は、これで何ひとつとして残されてはいなかった。もう、そんな関数は必要ないのだ。旧サーバー(レガシーノード)の完全消去と共に仮想のトンネルは音を立てて崩壊し、俺の内のプロトコルはすでに完了のマークを出力していたからだ。続いて、セカンドハードディスクの隔離パーティションのなかに封印されていた、一つのフォルダを こじ開ける。

『Archive_Tachibana_Rei』


 そのセクタの底に、データセンターの永久消去パージの嵐から辛うじてスニッフィング(吸引)して持ち帰った、一枚の未完の画像データが滞留していた。ダブルクリック。イラストソフトのインターフェースが起動し、数秒の遅延ラグを経てそのインクの形状を描画レンダリングしていく。白黒の線画。作業机の前で力なく上体を せ、乱雑に散らばったネームの原稿用紙の死体に囲まれながら、発光する画面を見つめ続けている一人の少女のシルエット。そしてその頭上に残された、白一色の何も書かれていない風船(吹き出し)の真ん中で、ただ無機質な三点リーダーの記号だけが点滅していた。――(……)。


 直哉はそのドットの配列を、これまでになく長い時間、ただじっと網膜に収め続けた。高解像度のメインモニターのバックライトに照らされた橘レイのスタイラスの軌道は、酷く繊細で、冷徹なまでに美しかった。それは、世界の数式が木端微塵に破砕される直前、彼女が確かにそこに存在していたという事実が遺していった、本物の現実リアルの死体。カーソルを滑らせ、そのスケッチの関数を銀色のフラッシュメモリの内部へと移行コンバートさせた。昼間、遠藤教授の万年筆によって赤い確定コード(承)を刻まれた、あの卒論のデータの隣の座標へ。その消えないおりを、現実に生きる俺のライフポートフォリオの正当な一部として、そこに繋ぎ止めておくために。


 直哉は湿った布地を掴み、使い古された木の天板の上を、手癖の動作で静かに き清めていった。蓄積していた灰色の塵の粒子、マグカップの底で干からびていた珈琲コーヒーの残渣、そして――あの平行世界の本震が起きた夜、天井の亀裂からキーボードの上へと降り注いだ、モルタルの白い破片のすべてを。処理クリーンアウトが完了した机の表面は、窓の向こうの新宿の夕刻の光線を浴びて、滑らかな光沢を反射させていた。

 綺麗だった。過酷なまでに、何ひとつとしてノイズの残っていない四角い地平。乱雑な座標の羅列を書き殴った三冊の手帳の姿も、安全性を無視して床をいまわっていた通信導線ケーブルいびつな軌道も、そこにはもう存在しない。


 椅子の背もたれに深く上体を預け、右側の、未だに初期設定デフォルトの退屈な壁紙を表示し続けているセカンドモニターの空欄を見つめた。画面の右下隅、デジタル時計が刻む数字にピントを合わせる。――十七時三十分。開発チームの手によって執行されている、新システムバージョン5.0への大規模移行プロトコルの完了予定時刻まで、残された猶予ラグはあと三十分。

 直哉は首元に引っ掛けられていたヘッドフォンの筐体きょうたいを引き寄せ、黒いキーボードの隣の座標へと、静かに、あるべき場所へと着陸させた。

 今夜、俺はあの再構築された電脳空間へと繋ぐだろう。けれど、もう時間の秒針に追いつめられ、ファイヤーウォールの検閲網とデッドヒートを繰り広げる(ハッキング)の壊れた関数としてではない。

 ただの、名前名もなき一人のプレイヤーとして。

㠪の新しい構造システムが、過去のタイムラインの底に置き去りにされた一通の未完の遺言(約束)を、一体どのような声音を伴って記憶しているのか。それをただ肉眼で確かめるためだけに歩調を進める、ただの旅人として。


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