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YOUR LAST SEEN 『ユア・ラスト・ログイン』  作者:
ARC 4 : OFFLINE ・ FOREVER

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第47章 雑踏の中の声

 三階にある遠藤教授のゼミナール室を満たす静寂は、校舎の廊下の喧騒けんそうとは決定的な対比を成していた。古い講義資料の紙の匂いと、使い古されたチーク材の机に染みついた油の香りが室内に滞留している。直哉の目の前で、ぶ厚い眼鏡をかけた初老の男が、卒論の最終ネーム(下書き)の束を等速のテンポでめくり続けていた。


 シュッ、シュッ。


 紙の擦れ合う無機質な音波が、沈黙の余白を冷たく切り裂いていく。高橋と他の二人の学生は、数歩分引いた後方の座席に強張こわばった身体を預け、査問の運行表スケジュールを tegang(緊張)した横顔で見つめていた。以前の彼なら、視線の座標を床の木目へと固定し、このプロトコルがミリ秒でも早くクローズされ、自室の電脳へとログアウトできる瞬間をただ希求していただろう。しかし、今日の直哉は、遠藤の瞳のピントを真っ直ぐに捉えていた。

「一ノ瀬くん」遠藤は原稿を繰る指先を静止させ、眼鏡のフレームを鼻の境界線へと押し上げた。「この四章にインプットされているデータ構造の解析……ひどく深いな。先月の、あの順序を失った不完全なラフ(下書き)とは完全にスペックが違う」

㠪呼吸を整えるための数秒の遅延ラグを挟み、直哉は喉の奥から乾いた声を絞り出した。「旧システムのデータベースにおける、ネットワーク帯域の安定性について、独自の検証ハッキングを行いました」

「うむ。精度の数値によく表れている。まるで、基幹サーバーの主記憶装置メインメモリを実際に こじ開けて中身をスニッフィング(吸引)してきたかのようだ」遠藤は小さく首を縦に振り、赤い万年筆を掴んでコントロールシートの第一頁ページに承認のインクを走らせた。「このフォーカスを維持しなさい。この品質なら、来月の最終審問(面接)という名の障壁も容易に突破できるだろう。電脳エンジニアリングの領域において、お前の未来の方程式は非常に明るい」

「……ありがとうございました」


㠪 書類の束を受け戻す。第一頁の隅には、鮮やかな赤いインクで確定コード(承)が刻まれていた。未来。その文字列は、もう俺の肉体を圧迫するような重苦しい焦燥の波形を伴ってはこなかった。それは厳然としてそこに残された、今から踏み抜くべき正しいレールの実体。

㠪室を出た直後、背後から高橋の手首が直哉の肩を強くたたいた。

「すげえなお前、一ノ瀬! 遠藤教授が学生の解析ステータスをあそこまで肯定するなんて滅多にないぞ。二階のPCルームへログイン(移動)しようぜ。お前のフラッシュメモリのデータをいくつか複製コピーさせてくれ」

「いいよ」

㠪の二文字を返答し、二人は大学の電脳研究室(計算機室)へと続く冷え切ったコンクリートの階段を下っていった。


㠪室の空間には、黒い筐体きょうたいをした数十台の旧式モニターが、いくつかの列を成して整然と配置されていた。回路の焼き切れるような微小な熱線と、空調から排出される冷気の関数が、侵入した二人の皮膚を冷たくでまわす。前方のカラムでは、低学年の学生たちが課題のソースコードをタイピングする無機質な音波を響かせており、最奥の死角では、工学部のグループがひとつの巨大な発光体の前に集まって静止していた。彼らの交わす雑談の波形は、ぶ厚いカーペットに吸音されることなく、明瞭に研究室の空気を震わせていた。

「なぁ、お前ら。今日の昼に執行された、あのゲームの大規模移行アップデートのアナウンス見たか?」

「あのレガシーノード(旧サーバー)が永久消去されたっていう、古いオンラインゲームのこと?」

「そう! 開発チームがバージョン5.0のパッチのなかに、奇妙なバグデータを強制適用したらしいんだ。メモリアル・ロード画面、っていう仕様」


㠪のアバターの動きが、第四列のコンピュータの手前で完全に硬直フリーズした。

 心臓が、不快な重低音を立てて狂ったような速度で跳ね始める。直哉は前方の空席へと歩調を進める高橋の背中から視線を外し、最奥の死角へと瞳のピントを強制転換させた。

「メモリアル・ロード画面って、どういう意味だよ?」

「詳細は隠蔽いんぺいされてて分かんないんだけどさ。フォーラムの住人たちが今朝ログインしたとき、描画されたのは、灯りの消えた部屋の真ん中でただ一人原稿を描き続けている、白黒の少女のスケッチだったんだって。その頭上に、何も書かれていない三点リーダーの風船(吹き出し)がパッシブに明滅してるらしい」

「マジかよ。普通は城のグラフィックとかドラゴンの仕様だろ?」

「だろ? だからアノマリー(違和感)なんだよ。一年前の震災の爪痕でデリート(死亡)した、ある古いプレイヤーの遺したタイムカプセルデータだって噂されてる」


㠪のパーカーのポケットのなかで、直哉は右の拳を、指先が白くなるほどの圧力で強く握り締めた。

㠪世界の皮膚が、ほんの少しだけ引きれるような戦慄せんりつ

㠪夜、俺が光回線の底へ流し込んだ不法なインジェクション( ハッキング)の波形は、確かに現実の世界の境界線を踏み越えてスライドし、過去の沈黙を 穿うがち開けて、今この地平の住人たちの前に、共有データとして実体化スポーンを完了していたのだ。

「一ノ瀬? どうしたんだよ」十二番の座席の前で、高橋が怪訝そうな視線の関数をこちらへ投げかけていた。空間の真ん中で彫像のように静止している俺に向けて、手首を虚空に滑らせる。

㠪は深く、冷たい息を吸い込み、胸の真ん中の搏動はくどうを静かにぎへと導いた。

㠪の歩調を高橋の隣へと滑り込ませ、バックパックの底から銀色のフラッシュメモリを あさり出すと、目の前のコンピュータのポートへハンドシェイク(接続)させた。

「なんでもない」

㠪いつぶやきは、液晶がゆっくりとフォルダのデータをロードしていく淡い青光のなかに融けて消えた。

「ただ……一通の言葉が、ようやく、あるべき座標に辿り着いたんだなって、そう思っただけだ」


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