第61話:人に言えないお仕事
三日後。宿を出たアヤメとシルバは、朝の街並みを歩いていた。
雲一つない快晴の下。太めの道を馬車が走り、道の端の方にはこの街の名物である魚を売っている店。買い物をする人々の往来で、街は昨晩の海岸の静けさとはかけ離れた顔をしている。
何度か商人に声をかけられながら、やがて白く角張った建物に着く。保安協会オルグリス支部。一昨日トカゲらエバリス捜索班の面々が訪れた場所である。
これまでと職場が異なることに、アヤメが首を傾げた。
「シルバちゃん、今日は残滓は探さないの?」
「ああ。今朝ハルヴァンの野郎が支部の連中と話したんだが、三日一杯探しても、何一つ尻尾が掴めなかったんだと。残滓は時間経過で消えてくし、もう無理だな。望みの薄い調査に人員を割くのは愚策。追うだけ時間の無駄だ」
無論、仕事内容を変更した理由はそれだけではない。先日野外調査を行って倒れたアヤメに、これ以上負荷をかけさせないためでもあった。尤も、当の本人は三日前からは打って変わってフードも被っておらず、心配は杞憂に終わったようだが。
「じゃあ、何するの?」
「それは……ここじゃ言えねぇな」
アヤメが怪しむような目を向ける。シルバは軽く笑った。
「ナニ、別に怪しいこたぁしねぇよ。現場に着いたら教えてやるから、それまで待っとけ」
言い残して、扉を開ける。彼女らは支部の中へと入っていった。
街の心臓とも言えるこの場所は、朝から多くの住人と職員で騒々しい。書類を抱えて歩く者。窓口で先日の堕魂被害を訴えている者。見回りのために軽武装をしている者。
彼らとの衝突を回避して歩く傍ら、アヤメはふと一つの疑問を抱いた。
「そういえばシルバちゃん」
「あ?」
「朝のうちにハルヴァンさんがここに来てたって言ってたけど、ハルヴァンさんってそんなに早起きなの?」
唐突に振られたハルヴァンの話題。予想もしていなかったシルバは一瞬硬直した。
「……は? 急にどうしたんだよ?」
「なんていうか、昨日の朝もここの支部長さんとお話ししてたみたいだし、昨日の宿は結構ここから離れてたから、朝早くから活動してる人なのかなって。純粋に気になって」
「あー、何だ、そういう……」
シルバが口ごもる。彼の異常なまでの行動の素早さは、彼の発現させたアニムにある。シルバは彼から口伝てで聞いた解説を思い出すと、おぼろげな記憶を頼りに話した。
「えーっとな、なんかスッゲェややこしいんだけど……アイツのアニムは光に質量と指向性を持たせて、光を実体化させる能力なんだ。アイツが言うには光ってのはなんか速いらしくて、それを実体化させて、乗って移動してんだと」
アヤメの頭上に疑問符が浮かぶ。無理はない。『光』という概念自体、ハルヴァンのアニム《ルミナス》が確認されるまでは深く研究されていなかったためである。そもそも光に『速さ』があることも近年判明したことだった。
雑談を交わすうち、目的地である職員用窓口へ到着する。そこに待機していたのは、昨朝挨拶を交わした男性職員。
朝早くにハルヴァンから聞いていた代表者を見つけると、シルバは彼に挨拶をした。
「おはようございます。シルバ・ティアメルタです。本日もよろしくお願いします」
「おはようございます。今日も中々暑いですね。わざわざこちらまで足を運んでいただき、ありがとうございます」
「いえ。こちらこそ朝から対応していただき、感謝します」
社交辞令を交わし、本題へ。男性職員は窓口の下、棚になっているところを引っ掻き回すと、一つのボードを覗き込んだ。
「では、本日のお仕事の確認です」
書かれた字面。住民の生活に直接関わる機密事項。男性職員は小声で告げる。
「……直近三か月間の住民の収入、納税額を確認されたい、とのことですが、お間違いはないですか?」
「ええ。問題ありません」
「分かりました」
男性職員が頷く。彼はきょろきょろと辺りを見渡し、人の目が向いていないことを確認する。こちらを向く人間がいないことが分かると、彼は同じく机から一つの金属片を出した。
「では、こちらをどうぞ」
シルバが受け取る。彼女も受け取ったそれが人目に触れぬよう、すぐに握り拳を作った。
「そちらは住民の極秘情報に関わるものです。どうか紛失されることがなきよう、厳重な管理をお願いします」
シルバが黙って隣の少女に目配せをする。
仕事内容が何かは分からないが、漏らしてはいけないものであることは間違いない。そう悟ったアヤメが小さく頷くと、シルバは歩き出した。アヤメもその背を追って、職員用階段を下りていく。
♢ ♢ ♢
職員用階段を下り、ほどなくしてとある一室に辿り着いた。
シルバが手にした鍵を使って部屋に入ると、彼女らを出迎えたのは、隅から隅までびっしり敷き詰められた身の丈より大きい棚。上の方に保管された資料を取るための梯子も数台設置されている。部屋中にインクとカビの匂いが混ざった独特の香りが充満し、鼻の奥がくすぐったい。
「いいぞ、入れ。分かっちゃいると思うが、こっから先、見た情報は基本的に口外禁止な」
「うん」
シルバに釘を刺されながら、アヤメも一歩境界線を踏み越える。
緊張したアヤメが挙動不審なまでに周囲を観察するも、やはり景色は変わらない。一段一段隙間なく、住民の個人情報が記載された帳簿で視界が埋め尽くされる。
どこを向いても殺風景な景色を歩いていると、不意にシルバが立ち止まった。
「じゃ、お待ちかねの調査手段の話な」
無造作に帳簿を抜き出し、視線を落とす。
「今日からやるのは、金の動きからの犯人の特定になる。その第一段階として。いいか、ここを見てみろ」
そう言って、シルバは資料を指差した。彼女の指が指し示すところに記載されている情報は、職業。端の方には他にも漏洩厳禁な個人情報の数々。
アヤメが生唾を飲むと、再びシルバが口を動かした。
「ここに住民の職が書いてある。今日するのは、まずはこの部屋の帳簿を全部を見て、『漁師』と……あとはここの種族の欄から『半堕種』、この二つの属性、最低限どちらかに該当するヤツを洗い出す作業だ」
「何で漁師さん?」
「まあ理由はいくつかあるが、あたしとハルヴァンは、アンタらが探してるエバリスなんちゃらって男と、この間の港の襲撃は無関係じゃないと睨んでてな。アンタらがソイツを探しにこの街に来た当日、狙ったように襲撃が起きてる。これだけでも限りなく黒に近い」
『けど、これだけじゃない』と挟み、追い打ちの推測の展開。
「その時の堕魂の発生源は海だ。で、当時現場にいたアンタなら覚えてると思うが、アイツらはどいつもこいつも、揃って仲良く魚の姿をしてたろ?」
アヤメの脳裏には襲われた瞬間の記憶が蘇る。言われてみれば、多少は何かと混ざったような見た目の個体もいたものの、ほとんどの個体は魚類の姿をしていた。
「それと何の関係があるの?」
「堕魂の性質だよ。アイツらは食った魂の姿を象る。あれだけ本物の魚みてぇな姿してたんだ。魚を中心に、相当数の魂を食ってる」
「だから海にいて、獲った魚をすぐに餌として渡せる漁師さんが怪しい、ってこと?」
「まあ他にも魚に携わる職は多いが、一先ずはその通り。ご名答。更に言えば、アンタらが始めに支部の協力要請を断られたのも、漁獲量減少の不景気が理由だったろ。尚更『魚』ってのに所縁のある連中が怪しいわけだ」
「そっか……」
シルバの理論に納得し、アヤメが相槌を打つ。しかしアヤメの疑問はそれだけでは終わらなかった。
「じゃあ、ハンダシュ? っていうのは?」
「は? まさか、知らねぇとか言う?」
「うん」
「……あっ、そう、か……」
内陸部、他の街とは隔絶された閉鎖的な土地に住んでいたアヤメは半堕種の存在を知らなかった。正確に言えば、村を焼かれた際に姿を見たことはあるのだが、彼女はそれが半堕種という種族であることは理解していなかった。
アヤメが世間知らずであることはその言動の節々から滲んでいたことではあるが、それもここまでとは。シルバは額を手で押さえてから、帳簿の右上の方を指した。
「なら、この際だから説明すっけど、穢人……じゃなくて、半堕種ってのは人間と堕魂の混血種族だ」
「え、堕魂って子供生むの?」
「あー、いやほら、人間を食い続けたらその性質上、人間とそっくりになるだろ? 人間を食い続けた個体の体構造は、もはや人間と遜色なくなる。んで、結果的に人間と繁殖出来るようになっちまうんだ。それが男だろうが女だろうが関係なく、な」
話が逸れる。
「で、話を戻すと、アイツらは半分堕魂なだけあって、原理は不明だけど堕魂と意志疎通が図れんだ。だから」
「――堕魂を従えてるかも、ってこと?」
本質を見抜く目を持つアヤメの勘が鋭い。加えて、シルバを見つめる孔雀色の瞳には、絶対に手掛かりを見つけてみせる、という固い意志が籠っている。シルバは少し驚いた後、軽く微笑んだ。
「ハッ。なんつーか、アンタが情報戦力として雇われた理由が分かるわ」
シルバが手を差し出し、握っていた資料をアヤメに手渡しする。彼女自身もまた別の資料を取り出し、ページを開く。
「よし、もう説明はいいだろ。とにかく時間がかかる作業だ。さっさと始めんぞ」
「うん」
「言っとくけど、これが最初の作業だかんな。簡単にへばんなよ」
この言葉を皮切りに、二人の捜索第一段階が始まる。果てしなく長時間に渡る地味な作業の末に、何か一つでも核心に迫れる情報があればいいが、と願いながら。
【今日の一言】
ハルヴァンのアニム《ルミナス》についての補足。彼は実体化した光に乗って移動しており、原理上は光速移動。首の骨が折れて死ぬのでは、という問題が出てくる読者様もいらっしゃると思います。しかし《ルミナス》は質量を付与して実体化させているので、相対性理論に基づき、光速には至れません。質量を増加させて加速性を下げ、それで器用に速度調整をしていると思ってください。




