第59話:月下に交わる笑い声
軽い人生相談を終えた後、トカゲとアヤメはようやく夜の散歩に本腰を入れた。海岸線に沿って歩いて行く。そしてどこと決まった目印もなく、二人は適当な場所で足を止めた。
「さ、どうかな? 海も初めてだろうけどさ、夜の海ってどんな感じ? やっぱロマンチック? 感想伺ってもいいかなー?」
トカゲが捲し立てる。アヤメはやや控えめに答えた。
「うーん、どうだろう? 静かで、落ち着くかな」
どこまでも平らで、どこまでも際限なく広がる水面。反射した月を揺さぶり、歪ませている波。髪を軽く靡かせる程度のそよ風。
アヤメはそれらをただ全身で、肌で感じていただけのはずだった。
「――ひゃあっ!」
悲鳴の後、アヤメは反射的にトカゲに飛びつく。特に気にしていなかった足元。波が押してきていた。押してきた波がアヤメのロングブーツに圧し掛かり、驚いたようである。
トカゲは初々しい反応を見せたアヤメに笑った。必死に腕で蓋をするも、無駄な抵抗。
「……ふっ、ふふふ……くっふ」
「トカゲさん、笑わないでよ!」
「いやー、だってさ? 考えてよ。波が、波がね、足にかかって『ひゃあっ』だってさ。アヤメちゃんってばカワイイネー」
「うう……。もういいもん」
羞恥心に襲われ、赤くなった顔をフードを被って隠すアヤメ。その反応もまた、トカゲから見れば初々しいことこの上なかった。
トカゲはそっと彼女のフードに手をかけ、中を覗いた。照れたアヤメが下を向いて目を逸らす。
「揶揄ったのは謝るからさー。ほら、出て来てよ。海さんもきっと、待ちくたびれちゃうから、早く挨拶しないと」
「挨拶?」
「そ。まだアヤメちゃん触ったことないでしょ? だから一緒に触ってみよ」
トカゲが屈み、海に触れる準備を整える。『ほらほら』とトカゲに手招きされ、アヤメはフードを外した。トカゲの隣に並び、同じく屈む。
「じゃあ、まずはボクが挨拶しよっかな。いい?」
海に触れる順番などない。しかしトカゲが行動に移ればアヤメも自然と行動に出る。トカゲが海に手を浸したのを見て、アヤメも手を伸ばした。ところが――。
「あっ」
手元はお留守。砂まみれになった手だけが残る。先ほどアヤメの足に悪戯を仕掛けた波は、今度は引くことで彼女を弄んだ。
「……ふっ」
「……トカゲさん」
「ごめんごめん」
「謝る気ないでしょ」
「いやー、まさか。そんなことはないよ? ボクはいつだってパーフェクトジェントルマンなんだから」
トカゲに笑われたことが悔しい。アヤメはもう一度手を伸ばした。しかしこれまた逃げられる。トカゲと話している間に、もう一度波の引く周期が来ていたらしい。
トカゲがもう一度横で笑いを堪えている。意地になったアヤメは手段を選ばなくなった。立ち上がり、自ら走って波を追いかける。
「ひゃうっ」
アヤメが走ったタイミングで波が押すターンになり、彼女は見事に敗走。
「ダメ、もう一回」
――今度こそ。
波が引いていくのを見届ける。数秒もすれば、また波はこちらに来るのだから。
アヤメは獲物が自身の狩場に入ってくるのを、じっと辛抱強く待った。
――ザァ。
「ここ!」
掛け声代わりに一言残し、アヤメは駆け出す。そして――遂に、アヤメと海とが接触する。ほんのり冷たい水が指の間に入り込んできて、くすぐったい感じに笑ってしまう。
逃げていく波を追いかけ、アヤメはもう一度走り出す。もう一度触れる。
――パシャッ。
手を突っ込む勢いで撥ねた飛沫が顔にかかるが、気にしない。自然に触れ、責任も依存も全て忘れて童心に帰ることが、ただ楽しかった。だがその想いを一人占めするのは、実に勿体ない。
アヤメは勢いよく振り返り、少年の名を呼んだ。
「トカゲさん! やっと触れたよ!」
だが返事はなかった。アヤメの視線の先。トカゲは一人、少し離れた場所で背を丸めていた。気になって近寄る。アヤメは後ろから話し掛けた。
「トカゲさん? 何してるの?」
「んー? 砂いじり」
トカゲが振り返るのと同時に、アヤメは体を乗り出して覗き込む。トカゲの影に隠れていた場所。そこには、湿気を含んだ茶色い砂でできた円錐台に、乾燥している白い砂が乗っている構造物があった。色味も相まって、まるでプリン。
砂が崩れないことが不思議でアヤメが硬直していると、トカゲが話し掛けた。
「これ、気になる?」
「うん。どうやるの?」
「砂に水掛けると固まるんだよ。だから、アヤメちゃんも水、持ってきたらすぐに出来るんじゃないかな?」
何も言わず、アヤメは踵を返す。向かう先は海岸。水を持っていき、すぐにでも砂を固めてみたい。どうしようもなく無邪気で、底なしの好奇心が彼女を突き動かしていた。
程なくしてアヤメが水を持ってくる。手で皿を作り、そこに並々と。
「お、持って来たね。じゃあそれ砂にかけて――」
――バシャッ。
「……あ」
トカゲの話も聞かず、アヤメが先行する。
「次! 次はどうするの?」
「次? あとは水がかかった砂を適当に手で固めるだけだよ」
言われた通りに実行する。アヤメは茶色くなった砂を手で持ち上げた。おにぎりを作るように丸める。ところが、砂の球体には亀裂が走り、そのまま崩れてしまった。
「あっ」
「んー、多分力が入り過ぎなんじゃない? もっと優しくやるといいよ」
「ありがとう」
トカゲの助言を受け、すぐに作業に取り掛かる。今度は崩さないよう、慎重に。だが、これまた失敗に終わった。
「……今度は力がなさすぎるかな? ある程度はぎゅってしないと固まらないよ?」
「うぅ、結構難しいね」
それからこねくり回し、試行錯誤すること五分。
「――やった! できた!」
「おおぅ! かんっせーい!」
砂浜には一つ、野球ボールほどの大きさの砂の塊が作られていた。完全な球体ではないどころか、若干潰れてしまっている。不格好。だがそれもいい。アヤメにとって砂遊びをするのは、単なる『最初』の思い出作りに過ぎないのだから。
二人でハイタッチをして、笑い合う。静寂に包まれた夜の海は、幼気な二人の子供の笑い声で満たされていた。
しばらくして笑い声が止む。アヤメはトカゲの隣に腰掛けた。全体重をかけ、グーッと押す。トカゲはビクともしない。体重を預けたまま、アヤメは彼の肩に頭を乗せた。双方、何一つ言葉は発さない。沈黙もまた幸せなもの。
しかし、二人でリラックスしていたその時だった。
「おーい! そこの若いの! もう日付変わったぞ!」
海岸の見回りに来た男性の声で、現実に引き戻される。アヤメが姿勢を正し、二人は顔を見合わせた。
「もう、そんな時間なの?」
「そーみたいだねー。そろそろお開きにしないと、明日ちょっと辛くなっちゃうかな」
トカゲが立ち上がり、ズボンについた砂を払う。アヤメは彼を目で追ったまま、数秒動かなかった。
「仕方ないけど、今日は帰ろっか」
「……うん」
名残惜しそうに、アヤメが重い腰を上げた。月下。一歩、一歩と砂浜の上に足跡を残して去っていく。しかし月明かりに照らされた彼女の顔は、この海岸に来た直後の時より遥かに爽やかだった。
【今日の一言】
海の話を書いておいてですが、作者は泳げないのであまり海へ行きません。ですが夜の海は視界が悪く、エイやカツオノエボシといった有毒生物を踏みつけるリスクが上がりますので、靴は履いて遊ぶことを推奨します。昼間も危ない? それはそうです。
それとお話は変わってしまうのですが、これから約一ヶ月ほどの間、大学の試験に伴い、一時的に投稿ペースを週1に減らします。投稿されるのは毎週土曜になります。投稿ペースが戻る際はまたご案内しますので、それまではご理解のほどよろしくお願いいたします。




