第55話:空回り、そして限界
時は遡り、トカゲがナミロと握手を交わしていた頃。まだ太陽は高くないというのに、既にうだるような暑さだった。風が吹くだけまだマシだが、加減を知らない晴れやかさには苛立ちを覚える。
夕べ堕魂の群れが襲った港。そこにはオルグリス支部の職員が何人かおり、昨日の事件の調査をしていた。道行く通行人に声を掛け、夕べの事件に誰か人が関わっていないかを聞き込んでいる。それも全て『人為的に起こされた事件の可能性がありそうだ』と告げたハルヴァンの影響。そこに、彼の新たな刺客が現れた。
「失礼します。少々遅れました。シルバ・ティアメルタと申します。お話はハルヴァン・アークネストよりいっているかと思われますが、我々も調査に加わります」
一人目。人前に出る時用、業務用の猫を被ったシルバ。
「……同じく。サクライ・アヤメです。よろしくお願いします」
二人目。じりじりと肌を焦がすような日に、深くフードを被っているアヤメ。
二人揃って支部職員に頭を下げる。挨拶をした二人を迎えたのは一人の男性職員だった。
「おはようございます。お二人のお話は伺っておりますよ。取り敢えず本日の業務内容をお伝えしますので、日陰へ」
男性に案内され、端の方へ。移動する間、アヤメは目を伏せたまま、シルバの袖を掴んでいた。
日陰に着き、人目に隠れながら、男性はひそひそと業務内容を提示する。
「ではお二人のお仕事ですが……残滓の追跡、ですね。お二人は夕べ現場に居合わせたため、何か糸口を掴めないか、とのことです。トリメルカからの逃亡犯である男性か、半堕種の可能性が高いのではないか、という意見が寄せられておりますので、そちらを参考にお願いします」
「了解しました」
「何か発見されましたら、私だけでなく、近くにいる支部職員までお知らせください。私どもも聞き込み調査を続行いたしますので、誰かしら近くにいるかと思います。お互いに頑張りましょう」
「はい。ありがとうございます」
シルバが答えた後、男性が日向へ戻っていく。通行人に声を掛ける男性を見届けると、彼女は頭を掻いた。
「はぁ……。お前、あんま無理すんなよ。トカゲのヤツがいねぇとまともに人とも話せねぇんだから」
「……うん。心配してくれてありがとう」
アヤメが小さく頷く。トカゲから『顔を隠すために』とプレゼントされたケープレットの結び目を強く握りしめた彼女の顔はその影に遮られ、シルバからは見えない。
「でも、大丈夫。トカゲさんとも『頑張る』って約束したし、シルバちゃんも手伝ってくれてるから、私も……足手まといにはなりたくない」
覚悟の籠った芯のある声。しかしシルバにとっては、それが最大の懸念点だった。
――無理すんなって言ったばっかだろうが。倒れてくれるなよ。
溜息を吐いたシルバが、やれやれと頭を振る。
「こりゃ、面倒なこったな」
「え? 何て?」
「何でもねぇよ。仕事の話だ、仕事の話。さっさと始めんぞ。残滓が消える」
話をすり替えたシルバが地面を見つめる。
「アンタ、話によればエバリスなんとかって野郎と接触があるみてぇだが……霊力は覚えてんのか?」
「うん。多分分かる」
「じゃ、アンタはソイツの残滓を探せ。あたしはそれっぽい穢人の残滓を探すから」
ぶっきらぼうに突き放したシルバが、店一軒分だけアヤメから離れる。チラチラと金髪の少女の方を伺いながら。
――このくらいの距離なら監視も出来るだろ。
アヤメが極端に取り乱すような状態ではないことを確認し、シルバは手にしていた杖を地面に向けた。
彼女にとって杖は霊力を集中させる器官のようなものであり、杖を介せば自ずと自分の霊力とその他の境界線が見える。
ゆっくりと杖を右から左へ滑らせ、全体を視る。
地に足の着いた、重みのある人間の霊力。霊体であるが故、ふわふわと浮遊しているような堕魂の霊力。それらは嫌と言うほど幾重にも重なって見える。だが肝心の、半堕種特有、中途半端な重みと中途半端な浮遊感の交雑した霊力は感知出来なかった。
「アヤメ、その辺にエバリスの残滓は見つかったか?」
「ううん。ない」
「そうか。なら場所を移すぞ」
次の場所でも同じような作業を繰り返すだけ。
――こういう地味な作業、飽きるんだよな。早いところ何か見つかんねぇかな。
人前に顔を出すことになり、小刻みに震える少女を連れて一本道を跨いでいく。シルバはこの時既に、嫌な予感を感じ始めていた。
そうして果物屋の前、魚市場の裏などいくつかの場所を探した後。アヤメとシルバは灯台の下の区域を半分に分け、残滓を追い続けていた。そこで――シルバの想定しうる最悪が的中する。
「ああもうウザッてぇな。どこにも穢人がいねぇ。あたしらの勝手な見当違いだったってのか?」
炎天下の空の下、イライラが増幅をさせ、デカい声で独り言を口走る。右手の杖を立ててから、シルバはこれまで通りアヤメに声を掛けた。
「おい、次に移るぞ。場所を変える」
「……」
返事がない。聞こえてないのかと思い、もう一度声を掛ける。
「おい、場所変えんぞ。聞こえてたら返事しろ」
「……」
何も聞こえない。背に気持ちの悪い汗を伝らせながら、シルバは灯台を回り込んだ。反対側へ向かい、アヤメの様子を探りに行く。灯台の影から顔を覗かせたシルバが見たのは、蹲って震えているアヤメだった。
「ちょ……アンタ、大丈夫か!」
大急ぎで駆け寄り、アヤメの正面に立つ。しかし彼女の目には、シルバなど映っていなかった。ぶるぶると震えながら、脂汗を滲ませている。ケープレットの結び目を握る力は、朝よりも遥かに強くなっていた。
「おい!」
シルバが肩を揺さぶって問いかけるが、時すでに遅し。アヤメの心ここに在らず。彼女は涙を浮かべるだけだった。
「も……むり……」
嘔吐きながらアヤメが小さくなっていく。彼女はトカゲから離れたことで一時の安堵を失い、恐怖に呑まれていた。
「お前!」
地面を強く蹴り飛ばす。キッ、と苦虫を噛み潰したシルバがアヤメの肩に手を回した。緊張で強張るアヤメの体が重い。その瞬間、更なる問題が起きた。
――パキン。
「あ……」
アヤメを支えたシルバの左腕、昨日の臨界顕現の使用により冷え、脆くなった皮膚に亀裂が入った。
「……ッ!」
痛みに耐えかねたシルバが顔を歪ませるが、今はそれどころではない。自分の痛みなど後回し。吐き捨てるように『クソッ』と漏らしたシルバの最優先事項は、目の前で壊れている少女の救済だった。
「歩けるか? 少しだけ我慢しろ。今帰るから」
「でも……まだ、おわってない……」
「んなこと気にしてる場合か! そんな状態で続けられるわけねぇだろ!」
「……ごめん」
自分よりも体格のいい相手を支えたシルバが一歩、足を踏み出す。急ぎで帰りたかったが、限界の近いアヤメの一歩が大層小さいために、そうもいかない。
――頼むから、もう少し耐えてくれ。
陽炎に揺られながら、二人はトカゲたちのいるナミロの武器屋へ向かい始めた。
♢ ♢ ♢
女性陣が移動し始めてから随分と時間が経った。陽は傾き始めている。気温もいくらか落ち着いた。海風が強くなり、活動するにあたって快適な環境になる。
ナミロの店の裏。そこでは、朝から引き続き訓練をしているトカゲらがいた。今は戦闘の基礎中の基礎、霊力の扱い方をハルヴァンから教わったところである。
ガッツが横でスッと霊力を全身に纏わせる。これまで剣を通して堕魂を退治し続けてきた彼からしたら、出来て当然の技術。堕魂は霊力を介さないと干渉出来ないのだから。
一方で、トカゲは――。
「ハルくーん、どーすんの? ぜんっっっぜん出来ないんだけど。もう一回教えて!」
「やり方はさっき言った通りなんだけど……」
「じゃ、じゃあさ。何かないの? あのー、コツとか!」
『霊力』という概念に触れて僅か一ヶ月。経験の浅いトカゲは、霊力の扱いなど何も理解しておらず、ハルヴァンに縋っていた。
手を合わせてねだるトカゲに、ハルヴァンが苦笑い。
「コツか……。じゃあ心臓に手を当ててみて」
「何で?」
「霊力の源は心臓だから。心臓の拍を測ったら、なんとなく分かるかなと思って」
「なるほど!」
意気揚々、トカゲは自身の胸元に手を当てる。感じる、ソロモから譲り受けた心臓の強い鼓動。
「そしたら心臓の拍に集中して、全身に血を巡らせるように、霊力を集中させてみて」
「分かった」
目を閉じ、意識を研ぎ澄ます。血管の開く感覚、そこを伝う熱を感じながら、霊力に意識を割く。すると、トカゲの体がほんの僅かに軽くなったような気がした。感嘆。トカゲは勢いよく目を開けると、ハルヴァンに笑みを向けた。
「おお! 今の! 出来てたんじゃない? ね、ね」
「うん。いいんじゃないかな。出来てたと思うよ」
「いぃよっしゃあ! さっすがハル君先生。分かりやすいねー」
露骨にハイテンションを演じ、トカゲは握り拳すらしてみせる。しかし成功の歓喜に包まれた空気は、天を穿つような声で切り裂かれるのだった。
「――トカゲ!」
一声で近所にいた小鳥たちが一斉に飛び立つ。続けて、もう一声。
「居るならさっさと来い! トカゲ!」
「え?」
店の表の方から、まだ港の調査に出向いているはずのシルバの声がした。怒鳴るような大声で、必死にトカゲを呼んでいる。
ただごとではない。そう察したトカゲは師匠に『ごめん』とだけ言って、声の元へ駆けつけた。
影から出てきたトカゲの目に、今にも気を失いそうな少女の姿が飛び込む。トカゲの理性は吹き飛んだ。仮面が剥がれ落ち、普段のように言葉を取り繕うことさえままならなくなる。
「な、何があったの!? ちょっと、ねえ!」
真っ青な顔をしているアヤメに駆け寄る。するとアヤメは混濁する意識の中トカゲを見つけたのか、弱々しくシルバの手を払いのけた。息も絶え絶え、彼女はトカゲの胸に倒れ込む。トカゲにしがみつくその腕も、実に頼りなかった。
「……ごめん。むりだった……」
一言だけ言い残し、アヤメはまるで張り詰めていた糸がプツンと切れたように気を失う。トカゲの脳内はまっさらな更地へと変わり果て、自分の腕の中の少女を呆然と眺めるしかなかった。
【今日の一言】
26話、27話にてメギラナが霊力を弾のように発射し、それが高等技術であるとされた理由が今回のトカゲの霊力のやり取りにあります。心臓から送り出される血液を任意で飛ばすことなど、普通の人間であれば意識しても出来ませんからね。




